ある方から、
「大嫌いな人がいて、見ず知らずなのに、ついついブログを見に行ってしまう。
これは、好きなのか、嫌いなのか、なんなのでしょう?」
という問題提示、テーマを頂戴した。
(その節は、コメント、ありがとうございました)
そこで、スローは考えた。
わたしも大っっっっ嫌いな人がいて、その嫌いぶりは、虫唾が走るほどで、
寒イボぶちぶち、鳥肌ぶつぶつもの。
ただし、わたしとはまったく接点のない、アカの他人。
なぜ、こうも、こんなにこの人が嫌いなのだろう・・・と自己分析をした。
要は、わたしを投影しているようだ。
わたしが、自分自身でとても嫌いな部分、それを無意識に押し殺して隠しているのに、
堂々と、お天道様の下で、誇らしげに表現されているのが、カンにさわるのだ。
無意識で眠っていた、自分の嫌いな部分が、その人の行動、動作、発言、発信によって、
たたき起こされた。喚起された。
その人が、へんに発信しなければ、わたしは自分の嫌な部分を一生自覚しなくても済んだかも知れないのに。
それと、途中までは同じなのだが、ちょっと負けている部分がある。
手が届きそうで届かない。
いっそ、まったく手が届かなければ、遠い存在で憧れるのだろうけれど、なにぶん、途中まで同じコース。
ふん、なにさ。
憧れだなんて、思いたくない。ヤッカミ。
これが入ると、私情抜きで、正確に物事を客観視できない、悪役スパイス効果が出る。
というわけで、いつもいつも、じつは、わたしはその人の日記を読みに行く。
怖いものみたさ。
今回はどれぐらいアイデア満載、手が込み、改良され、
ますます怖さが増した、お化け屋敷なのかと、期待いっぱい。
お化けに拍車がかかっていることだろう、と、失神、失禁用の準備までして(うそです)
リニューアルお化け屋敷に、勇んで入場していく、
そんな気分だ。
自分の毒をよく知っていれば、そんなお化けは怖くない。
だが、まだ自分の毒との付き合いが浅いと、自分毒にやられるから、注意が必要だ。
自意識過剰うっとり型の、その自称・大女優・女史は、大嫌いではあるが、
じつに人間らしい。
わたしは、もっと生理的にも信条的にも、思考傾向も価値観としても、受け付けない嫌いなタイプがあり、
そういうところには、全く行かない。
人生において、わたしには必要のないものであり、回避する。
ブレーカーを落とし、回線自体を撤去する。
が、自分の無意識下にもある、気になる、怖いもの見たさの大嫌いなものは、
訪れて、自分のアクや悪、嫌いなものと対峙する。
SMにも通じる、痛すぎて気持ちいいほどの「嫌悪ぶり」に触れることによって、
日ごろの、まったり凪平和モードから、一瞬、刺激を受ける。
ただ、それだけだ。
ああ、まだやってる、この人。あ~、嫌いやわ~。
それなら見に行かなければいいのだが、行くところが、まだわたしは若いという証拠だ。
やっぱり大嫌いなのだが、自分にもそういうところがあるから、過激に反応するのだろう。
ということは、わたしは、うっとり自意識過剰タイプなのか?
・・・思い当たる節がある。
が、理性と羞恥心で、抑え込んでいるのだろう。
抑え込んでいることすら自覚がない、無意識なのだ。
「人の振り見てわが振り直せ」と、昔の人は良いことを言う。
気づきを与えてくれる。
嫌いだってなんだって、いい。
自分が目指したいことの道を照らしてくれるのに、一役買ってくれている。
いわゆる反面教師。
なので、「嫌いなのに気になるのは、嫌いなのか、好きなのか」、と問われれば、
「大嫌いです」と答える。
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蛇足
今しがた、お化け屋敷・最新版がアップされていたので、のぞきに行った。
で、感想。
上記、分析、ぜんぶ、取り消します。
自分にあるとか、ないとか、無意識とか、潜在意識がどーとか、そんなものは、ぶっ飛び、宙に浮いて、
ただただ、理屈抜きで、この人のテイストが大大大嫌いなだけでした。
半世紀以上生きて、いい年して、お嬢ちゃまぶりっ子、舌ったらずの甘えっ子ぶりっ子、
「ママ、ママっっ、みーちゃんは、お襟におリボンのついた、このお洋服、大好きなのっっ。
お稽古に一緒に来ているお友達は、おみ足が小さいから、みーちゃんより、歩くのが遅いくて、お車回してもらってって言うのっっ。
でも、みーちゃん、お足が少し痛くても、ひとりで歩けるもんっっ」
(例えば。。。内容はまったく違うが、こういうノリ)
キラりん、きらきら~。
ってかんじ、
これをマジメに、自分は上品でお嬢様だと大いに自負して、やっておられる・・・
憧れともヤッカミとも違う、ただただ純正・お化け屋敷である。