蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

チカラ・ちから・力

2010-11-30 | 無題

お気に入りブログをぐるっと、ひとめぐりして、もどってきたら、
とても楽しい、すかっとした気分になった。

フランスの街かど、ショーウインドゥのカラフルな色彩。
六甲山のユニークな芸術作品あれこれ。
アメリカ中西部の静かな街、力強い庭づくり、DIY。

なんだか元気をもらった。

途中、マイナーブログにも立ち寄ったが、ちょっとナナメ読み。
わたしとはまったく違う、見事に共通点ゼロ、目標やお手本にする要素まるでナシ、って思うんだけど、
なぜか、とりあえず行ってしまう。


いまのわたしに、一番の元気を与えてくれるのは、
毎日一生懸命、アメリカで第二の人生を送られている、わたしと同世代の方。
生活の力強さを感じさせてくれる。

地に足をしっかりつけた、エネルギッシュな骨太生活が、
泡沫や、はじけてしまいそうな夢や、ぽわわん、のほほんとした憧れ、結論のないウダウダより、
ずっとずっと中身が濃いものだと感じる。

なにがしたいか、どうすればいいのか・・・
とりあえず、実践しよう。
そういったエネルギーやメッセージを感じる。

おやつや、デザートもいいけれど、肝心なものは、なにか、
それを教えてくれているような気がする。


ちなみに、よそのこどもたちの、いきいきしたファッショナブルな写真を見て
わたしは、こどもたちと楽しんだかなあ・・・と振りかえる。
子育てを楽しめたのだろうか。
子育てに精一杯、自分育てに精一杯、楽しむ余裕はなかったように思う。
これも、自分の能力・キャパシティに応じたこと。
そんな、アップアップのわたしだったが、義母には、あれこれ助けていただいて、とても感謝している。

子どもたちは、服もぼろぼろ、というわけではないが、
(いまどき日本では、ぼろぼろは、実際には非現実的で、ひとつのファッションとなっている)
私服の公立小学校のあとは、中高、制服だったので、生活に密着した服しか用意しなかった。
ファッションを楽しむという機会も余裕もなかった。
(おさがりを結構もらったので、あまり買う必要がなかった)


人と、おなじように見えても、おなじように思えても、違うんだ。
時代、環境や年齢、個性が違うと、違ってあたりまえ。


人の道、自分の道。
人の道を見ていると、自分の道が見えてくる。

まがったり、止まったり、迷ったり。

これからも、どんどん道を歩いていこう。

 

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日曜日の夜

2010-11-29 | 無題

今日は、こんなことがありました。
家族と、こんなことを話しました。

そういうスタイルのブログにしてみようか・・・

楽で、いい。
読むほうも、楽しいかも。

すぐ、コンセプトやら、オチやらを考えてしまう、わたし。
そのくせ、オチは無理やりだったり、作為的だったり、自己満足だったり、意味ナシだったり。
長いだけで、つまらない、読み疲れするものばかりを書き散らかす。

もっと素直になりたいのだけれど。
悩みが深いと、軽く扱えない。

 
カンナと、マサヒコ 

昨夜も、カンナとマサヒコは、ちょっとしたことで、戦争勃発、直前に。
緊急・戦闘準備体制に入り、緊張が走った。

カンナのアタマの中では、けたたましく非常事態のサイレンが鳴った。
とりあえずは、瞬間的に、短い端的な言葉で(でも、強く)、カンナは、その場を収めた。

緊急事態は、解除されたものの、カンナは涙がはらはらと流れた。

いまはどうにか収まったものの、根本的解決ではない。
くすぶったまま、暫定的・小康状態は、いつまで、もつのだろう。
マサヒコの思い通りに行動しなかったカンナは、
マサヒコの満たされない気持ちを思い遣り、また気持ちが沈んだ。

おかしいな。
カンナは、もう死んだはずなのに。

新しい電子頭脳のリニューアル・カンナは、ときどきフリーズするようだ。
フリーズしたあとの行動や、こころが、あらかじめプログラミングされている指示どおりに動かない。

コントロール制御できない自分に、混乱、落胆して、カンナは、なみだを流すのか。
それとも、自分の想いをまったく理解してくれないマサヒコに、無念さ、絶望を感じるのか、
あるいは、自分をわかってもらおうとする努力が足りないことに、自責の念を抱くのか。

人工知能も、日々、変わっていくのだろうか。
カンナは新しくなったなずなのに、前のカンナに支配されそうになっている。

リニューアルではなく、まったく1から、別のものを作ったほうがいいのだろうか。
カンナは、自分だけでなく、マサヒコのしあわせを思って、あれこれ思いを巡らせた。

 

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駄作が、だらだら続いています。
もう、こういうの、やめなきゃ。

 

 

 


はじめまして

2010-11-28 | わたし

はじめまして。

ようこそ、お越しくださいました。
たまたま、ですか? 検索で引っかかって? 検索キーワードは、何でしたか?

はじめてお越しいただいた方に、
「わたし」という人物のカンタンな説明をさせていただきます。


わたしは、正体不明のナゾのおばさんです。
よく、ひとに「生活感がない」と言われますが、当たらずとも遠からず。

わたしのブログをご覧になったある方から、
「キレイな家に住み、外食を堪能し、ダンスを満喫するマダム像を想像する」
とのお言葉を頂戴しました。

(実はこのフレーズ、ここのところ、わたしのブログで、連続引用です。
心外だと言いながら、必要以上に、気になってるってことなのでしょうか?)

表面的には、当たっていないこともありませんが、
わたしの持つマダム・イメージは、わたしとは正反対のものです。
(「ブログ・イメージ~虚像と実像~」にも書きましたが)

かといって、大阪のおばちゃん・・・とは、また違うんです。
マイ ワールドは、四次元かも知れませんね。
(二次元で脳内作業し、三次元はいい加減、テキトーで、四次元で凧糸が切れ、宇宙のゴミとなる)

わたし、根は優しい、人畜無害の素直な人物です。
シャイで、内向的、協調性に欠け、社交ベタ、・・・とまあ、インターネットにはもってこいの性格です。
ちょっとヘンコ(偏屈)、気ままで、Going my way、
涙もろく、へんに生真面目だったりします。
あ、ついでに、劣等感のカタマリで、好奇心旺盛でもあります。
でもそれと無知を武器に、けっこう、どんどん突進したりします。


こんなわたしですが、もし、お時間がありましたら、時々、お寄りになってくださいませ。

なぜか毎日、更新しています。
きっと、さびしがりなんでしょう。

 

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トップ画像は、ルネラリックの作品を貼ってみました。地味っぽいところが、わたしらしいかと・・・。
19世紀~20世紀のフランスのアール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家です。


カンナと、マサヒコ

2010-11-27 | 無題
少年のように、純粋。
子どものこころを持ったひと。

明るく純真。
無菌のまま、大人になった。

それが、夫、マサヒコ。

雨の日も風の日も、無遅刻、無欠席。
病気知らず、頑丈な身体。

仕事は勤勉、真面目によく働き、
オフは、いまも少年のように、好きなことだけに夢中になり、
明るさをキープ。

打たれ強い。(妻からの攻撃に対して)
へこたれない。(妻のイヤミに対して)

仕事は、完璧なんだから、いいか・・・
オンナ遊びもしないし、優しいし、家におカネも入れてくれるし・・・
それだけで、満足しなければバチが当たる。よ、ね。
妻、カンナは思う。


人当たりもよく、人づきあいもいい、敵のいないひと。

でも、カンナと接するのは、仕事以外のところ。
マサヒコは、一歩、家に入ると、すべての鎧を脱いで、スイッチをオフにする。
おもいっきり、脱力。
仕事やお付き合い、ストレス解消の趣味、飲み会で、家にいる時間はほとんどない。
その少ない自宅での時間も、泥酔していることが多い。

そこで力を蓄えて、また、仕事、社会に向けて、出ていく。


と、ここまで、じゅうぶん、アタマではわかっている。
感謝しても、し尽くせない。
自分のような、なんの取り柄もない者を奥さんにしてくれ、保護してくれる。
子どもを産めば、籍にも入れてくれ、教育費も出してくれる。


ゲゲゲの女房のように、夫を支える妻。
サポート役に徹して幸せを掴む。
それが、ビジネス・モデルならぬ、理想の妻モデルだった。
しかし、自分は、ミセス・ゲゲより、ひと世代、年下。


体中が、痒い・・・、むず痒いのに、掻いても掻いても痒いところに届かない、いらいら。

いまの若者が、「新型うつ」と称して、傍目には甘え、怠けて見えるのと同じ?
ハングリー精神がなくなった、現代社会が産んだ、贅沢病?


夫をそっとカゲで支える妻。

う~~~、う~~~、チアノーゼになりそう。


服も、脱ぎっぱなし。
トイレも、汚しっぱなし。
引き出しも、開けっぱなし。
家事なんて、したことがないし、するものと思っていない。

子育ても、任せっぱなし。
家のこと、家庭のこと、親戚づき合い、すべて、任せっぱなし。

楽といえば、楽。
役割分担がはっきりしているから、諍いが起こらない。


ある日、突然、理由もなく、カンナは、キレた。
幸せのまっただ中にいるはずなのに。
すべてをほっぽり出したくなった。


「おかあさん(=カンナ)、食事メニューのレパートリー少ないね。
タンシチューとか、作らないの?」


タンシチューは、マサヒコが、大好きなメニューだった。
地方出身のマサヒコが、大学に通うため、一人住まいの時に、
お世話になっていた親戚のおばさんの得意料理。

マサヒコは、洗濯ものをこのおばさんの家に持って行き、洗ってもらっていた。
おばさんには、マサヒコと同世代の息子たちもいたので、楽しく食卓を囲むこともあった。
その大好きなメニューが、タンシチューだ。

亭主の好きな赤烏帽子。
なら、タンシチューを作ってあげたらいいじゃない。
別に難しい料理でもないし。
カンタンなこと。
日頃の感謝の気持ちを込めて。


でも、カンナは、なぜか、タンシチューというキーワードを聞いた途端、キレた。

当時、おばさんには、マサヒコのママが、いくらかのおカネを送って、洗濯をしてもらっていたのだ。
マサヒコは、そんなことを知らない。
だいいち、洗濯機もある、マンションでの一人住まい、親からの仕送りはじゅうぶん、あった。
ママから下着も次々と買って送られていた。
部屋には、封を切っていない新品の衣類があふれていた。

なんで、わざわざ、洗濯ものを持って、おばさんの家まで行って、洗濯をしてもらう?
まだ幼児だったり、病気だったり、洗濯ができない障害があるわけじゃあるまいし、
そんな行為に、なぜ、なんの疑問も抱かない?
いい年をした、大の大人が!!

おばさんに、そんなことを頼むママ。
おカネが動いているなんて、知らない、超・おぼっちゃまの、マサヒコ。
自分はなにもしなくても、人生のレールを誰かが準備してくれる。
世の中には、好意と善意が、満ちあふれかえっていると思っている。


おばさんのお家で、大好きなタンシチューを嬉しそうに食べている姿が目に浮かぶ。

なんて、自分は、嫌な奴なんだろう・・・
カンナは、自分が悪魔のような、サイテ―のイヤな奴に思えた。


「タンシチュー」は、マサヒコの、大人として自立できていない象徴としての、キーワードだった。


マサヒコは、仕事をし、家庭を持ち、妻・子どもを養い、ちゃんと社会人として行動している。
その、もっとも恩恵を受けている、家庭の内側から、そんな否定的な声を上げる、
それこそ、おかしなことではないか。

しかも、どんな由々しき一大事かと思いきや、ささいな、単なる「洗濯」。


見かけ、表面の行動、社会や、人々の見る目、なんの問題もない。

しかし、カンナは、こころの、芯の部分で、どうしても、ひっかかる。
根っこのところに、なにかが張り付いて、息ができない。


あらあら、まあ、こんなに汚しちゃって・・・男の子って、いつもこうなんだから・・・
まあ、すごい散らかしよう・・・ママが、片づけてあげなくっちゃ・・・
さあ、これに着替えて、こっちにおいで。
あなたは、なにも考えなくていいのよ、ママがみんな、先に用意してあげるから。

明るい純真な、かわいい男の子は、はーーい、と元気よくお返事をする。


あなたは、お勉強だけしてればいいの。
ママは、それがいちばん嬉しいのよ。

ママ、ボク、頑張る。10番以内に絶対に入る!! ママ、見ててね。

男の子は、緊張した顔で、ママに約束する。



いくつになっても、マサヒコは、男の子の延長。
ママのかわりに、妻に甘える。

カンナの心臓にくっつけていた時限爆弾が、
タンシチューのキーワードで、スイッチが入り、突然、爆発。
空中分解した。
こっぱみじんになったあと、カンナの中から出てきた、あたらしい妻。
姿かたちは、そのまま。リニューアル・カンナ。

もう壊れません。
電子頭脳。
プログラミングされたとおりに動きます。

カンナは、いつか自爆するときのことを考えて、事前にプログラミングしていた。


マサヒコは、前より断然、従順になり、無償の愛を捧げるカンナに、喜びを感じた。
ボク自身が変わることなく、子どものままでいられる、
ボクの理想通りの、ママの分身が、やっとできた。

ありがとう。カンナ。
一生、なかよく暮らそうね。


カンナは、もう死んだ。
でも、マサヒコは、それを知らない。



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人は移り気なもの

2010-11-26 | 無題
自分の良いところだけを、表面上のキレイなところだけをブログで表現する。
嫌な面、嫌いなことろ、そんなことを出して、何が楽しい?と、美ブロガ―さんは思っていることだろう。

というわけで、いつも、いつも、美しく、楽しく、素敵なブログがある。
いつも、目の保養をさせていただき、別世界へと誘ってくださる。

それで、良いんじゃないかって思う。
この方は、世の中の現象、目に見えるものを、ご自分のフィルターで通し、
汚いものは一切、すくいあげず、上澄みのキレイなものだけをチョイスする、こういうスタンスの人。
美に特化したブログなんだから、それで結構なこと。
マネしようにも、なかなかできることではないし・・・。
(実際に、マネするかどうかは、別として)


逆に、いつもいつもマイナーなことばかりのブログもある。
それはそれで、同じような人が集まり、それで、いい。


わたしのブログは、中途半端だ。
実に、実に、ちゅうぶらりん。だから面白くないんだ。
ブログが面白くないのは、その人自身が、ちゅうぶらりんな生活、生き方をしているということ。


各ブログ、スタンスがあるのだから、人は人。それぞれ。
好きなところだけ、つまみ食いすればいいのでは?

リアルなつながりか、コメントのやりとりでもない限り、ひとつのブログに、人は定着しない。
人は、流れ、彷徨うもの。


自分だってそうだ。
ブログを見ているだけでは、つまらなくなって、いずれ、アタマの中から消えている。
参加してこそ、双方向に流れがあってこそ、リアリティがあるというもの。
参加の仕方、楽しみ方も、人それぞれだけれど。


流行やブームのなんと虚しいこと。
必ず流行遅れになり、ダサくなる。
定着することの難しさ。

時は、動いていて、一時もじっとしていないのだから、
ほんの一瞬、人々のニーズを的確にキャッチしたとしても、人も時も、止まっているわけにはいかない。

でも、優れたもの、素晴らしいものは、時代の足跡として残る。
後世に影響も与えるだろうし、発展の足がかりともなる。
(逆の場合もあるけれど)

なんでも、かんでも、「人は人」。
そういって、人と人の結びつきを希薄なものにしていっている。
密接に近づく努力を怠っている。
自分を主張し、相手に説得、アピールする熱意を失っている。
これは、ある意味よくない。
(逆に、アピールしすぎて価値観を押し付けすぎる、困った国もあるが)

人と人。
クール過ぎるのも、暑苦しすぎるのも、どっちもよくない。
距離の取り方が、大事。
でも、わたしにとっては、とても、むつかしい・・・・


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じつは、・・・・・・。

2010-11-25 | 無題
読む人が、爽やかな気持ちになる。
温かいこころを、もらう。
元気をもらう。

読んで得する情報が、詰まっている。
実用的で、参考になる。
考えさせられる。
勉強になる。
有意義な時間になる。
・・・・・・

そういう内容とは正反対の、超・個人的な狭い視野のなかでの、
書く側だけが満足する、いたって内向きなマイナーなことが書きたくなった。
(かつて、いままで、そういうことは、いっぱい書き散らかしているけれど)

「このごろ、ブログが、マイナーやね」
という言葉は、そういうことを書いたあとに、発してほしかった。
まあ、わたしにとっては普通の、いえ、それどころか、楽しいことでも、
もう、すでにマイナーだと感じる人もおられるのだから、
別に、何を書いてもいいのかなって、思ったりする。

(ちなみに、その発言のリアル人さんを責めているのでは、決してありません)

ああ、前置きが長くなってしまった。
今日は、これで、おわりにしようかな・・・

うーーん・・・もやもや

好き、楽しい、嬉しい・・・の反対。
キライ、の、感情。

民族間の争いが繰り返され、長い歴史とともに増長される憎悪の感情・・・
とか、そんな深刻なものではない。
ちっちゃい一個人の、ちっちゃい世界で、ちっちゃく完結したもの。


うちの庭に穴を掘って、毒の想いを埋めたとしても、裏側のブラジルの地表から、吹き出てくるかも。


うーーん・・・なかなか言えない。
へんに、中途半端に智恵がついてしまった子供のよう。
言いたいけれど、言えない。


・・・○○さんが、きらい。・・・


ほら、言えたじゃない。
どこが、キライなの?


聞きたい人は誰もいないだろうし、聞いてもらっても、胸のつかえが取れるわけじゃなし。
ブラジルに、ツルハシか、スコップを持って、自分の言葉を掘り出し、
誰の目にも耳にも届かぬよう永久処理をしなければ、こころ安らかになれないかも知れないし。

もう~。
ぐちゅぐちゅ、くだくだと、溜めの間合いが長いなあ・・・
だから、どうなのよ。言いたいんでしょ?


言えば長い話になる・・・


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鎖国ニッポン

2010-11-24 | 時事&世の中
昨日のわたしのブログ、絶対に人気記事には選ばれないと思っていたのに、
コンピューターさんの誤作動なのか、なぜか、入ってました。
コンピューターの中に、人が入ってる?
いや、人は、入れないです、あんな小さいところには。
キーワードを設定してあるのだと、思うのですが・・・


で・・・
やっと休日が開け、平常モードとなり、ほっとしている。
今月も、飛び石っぽい休みがあったが、わたしは、あまり、好きではない。
曜日感覚が、狂ってしまう。
今日は、月曜日のような気がしてしまうのだ。

元気モリモリ、楽しい毎日を過ごしているわたしなのに、ブログがブルーだとのご指摘。
ちょっと、しょんぼり。
そして、ライフスタイルとして、いちばん有閑マダム生活が苦手なのに、
そのような雰囲気を醸し出しているというご指摘もある、わたしのブログ。

ブログを通すと、ブログは別のフィルターとして機能するのだろうか。
ブロガ―の手を離れて、一人歩きするのだろうか。


さて、ハナシは変わるが、
お隣の国は、とても恐ろしい事態になった様子。
遠くの国ならいざ知らず、こころ穏やかではない。

世界のどこで戦争が起ろうが、島国の日本は、どこ吹く風。
そんなこと知らんわ~、と、島国ゆえに「対岸の火事」扱いだが、こんなに近くで、きな臭い事態、
あれから大きな進展はないとしたら、「狼が来た~」の狼少年に対する村人のように、
どんな重大なニュースが発表されてもあまり驚かなくなってしまうかも知れない。
そういう神経や頭脳の鈍化こそが、事態をますます深刻に悪化させるのでは?

世界平和を唱えることが、まるでギャグに使われることもあるぐらい、平和な日本。
鎖国日本。


英語が自由に操れることが、鎖国からの脱出には不可欠だ。
(たぶん、フランス語でないと思う)

日本語に訳されて、われわれが目にし、耳にする経済動向や国際ニュースは、限られているそうだ。
氾濫する情報を自分の目、五感を駆使して、真偽を嗅ぎわけることが、重要。
しかし、その情報も、日本に届いていないものが大量にある。

世界のなかで、いま、日本は、どうなっているのか。
世界は、どう動いているのか。
たとえ鎖国下の日本にいても、
意識して目をはっきり見開いていれば、いろんなことが見えてくるだろう。



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ブログ・イメージ~虚像と実像~

2010-11-23 | 無題
わたしのブログから来るイメージ。

とある方から
「ブログの画面からは、美しい家に住んで、ダンスをたしなんで、外食を堪能して、、、
というマダム像しか想像できません」と、言われちゃいました。
(といっても、肉声ではありません)

あ、トップ画像は、お恥ずかしながら我が家です。→嘘です。
実は、クラスメートのおとうさんの鳩山さんちです。→すみません、嘘です。


ブログって、こわいなあ・・・

このコメントされた方は、ご自分の「理知」「知性」「上品」「正義」「道徳」を、
「おふざけ」「おちゃらけ」「おてんば」「アク」で、カモフラージュされる方なので、
表現がすこぶる文学的。
ひょっとして、哲学が、ちりばめられて入っているのかも?
あるいは、わたしがよく使う、ブラック・ユーモア?
キリリと、するどく尖がった針、ちくっと刺さったけれど、痛くても笑えるのは、この方の人徳。

いずれにしても、憎めないお方。
夜中に布団の中で、ケータイを開いて、
この方のブログのコメント欄に書かれた、わたしへの返信内容を読んで、クスッと笑ってしまった。
何回、読んでも、やっぱり、クスッと笑ってしまう。


別の、とある方のブログは、いつも素晴らしい美の世界。
グルメ、インテリア、テーブル・コーディネート、お花、・・・・キラキラ、うっとり。
これでもか、とばかりに、ゴージャスが乱舞。
自分の生活も、それに刺激されたわけではないけれど、
(自分は自分の道)
わたしのブログは、人に誤解を与えるようなブログになっているのかな・・・??


さらにまた別のある方には、「最近、ブログがマイナーやね」という感想をいただいた。
これはリアル人で、直接、面と向かってだったので、
「そぉ~?  そんなことないけどなぁ~」とその場で、わたしは素直に、こころのままに答えた。

わたしとしては、全然、マイナーではなく、ここのところ絶好調に近いのだけれど。

読む方々には、いろんな取り方があり、それぞれの読み手側の感性というものが加わるのだなあ・・・
と、感慨にふけった。


そして、もうひとつ。
わたしは、2つのブログランキングに参加している。
そのなかのブログ村の人気記事について。

無料で運営していただいて、意見を言うのもなんなんですが・・・
わたしの記事も、選んでいただくこともあり、とてもうれしく、励みになっているのですが・・・
その恩も、モチベーション起爆剤であることも忘れ、言わせていただくと・・・
気になっていることがある。

前々から、ず~~~~っと思っていたが、
選考基準が、ないということだ。
裏付けが、まるでない。
またまたまた別の方が、仰っていたが、
「ひょっとして、新着順に、コンピューターで無作為に選んでいるのでは?」

わたしは、その発言に、とても納得した。
そうかも知れない。
選んだなかから、「これは、明らかに絶対ダメすぎる」というものだけ取り除いているのでは?

ちなみに、この記事は、間違いなく人気記事には選ばれない。
確信する。
コンピューターにも、それなりの基準があることが、最近わかってきた。


自己満足のブログ、書き手と、読み手、同じ方向を見ているわけではないということ。
自分の想いが、一方的に発信される怖さ、誤解、・・・そういうものの手ごたえを感じた。

この曖昧(あいまい)さが、ある意味、救いでもあるのだが。


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万年18歳らしいですが。

2010-11-22 | 思い出
ある方のブログを読んで、母のことをあれこれ思い出した。

この世にいる場合と、いない場合。
元気な場合と、病気の場合。
仲がいい場合と、疎遠な場合。
その状況によって、いま、現在のリアルタイムの思いは違ってくるだろう。

過去の姿は、いまが、どんな状況であっても、同じかも知れない。
若いころの母は、どんなにいま、年がいっていても、思い出の中では若いままだ。


母は、わたしが固定観念として描く、母、嫁のタイプとは違っていた。

わたしが小さいころの、頭に焼きついている思い出の数々。
強く、いちばんに思い出すのは、過激な喧嘩シーンばかりだ。


夫婦喧嘩で父の指にガブリと噛みつき、まだまだ炎は燃え上がる一方で、
祖母が周りをうろうろして止めようとしていた。
「もうやめとき」と、おろおろ。
おばあちゃん、かわいそう。
(父は、その後しばらくの間、包帯を巻いていた指が痛々しかった)


仕事が超多忙のため、滅多に顔を合わせられない父と母。
いつも、父を見つけるなり不平不満&文句を機関銃のように浴びせていた。
わたしが、「そんなにいきなり文句ばっかり言わんでも・・・」と言うと、
「なかなか会えないんだから、会える時に、言っとかんと、次はいつ言えるかわからんから」
と、母の論理。
ひょっとして、正論かも。


ドタンバタンと2部屋を転げ回り、マンガみたいに派手に繰り広げられる
取っ組み合いの喧嘩を目撃して、わたしは怯えていた。
姉たちは、けっこう、冷静だったように思う。

熱血夫婦なのかなあ・・・

その割に、けろっと「おとうちゃん、好きやー」
なんて、母は父に言う。
子供たちの目の前で、いちゃいちゃ、でれでれ。

別のシーンでは、
父はしょっちゅう、「おかあちゃん、大キライや。離婚したい」と、こぼす。
それを横で母が「わははは」と大笑いし、
「そんなこと、考えたこともないわ~」
と笑い飛ばす。
これは、いつもの定番シーン。

でも、ある時、父が、冷えたトーストを出され、たまたま虫の居所が悪かったのか
トーストを室内で、野球選手のように遠くに投げた。
わたしはそのとき、ひゅーんとまっすぐに飛ぶトーストを見て、マンガみたい、と思ったかどうか、
それはともかくとして、
ただ客観的にシーンとして、ミニ動画が映像として頭に残っている。

行き倒れのように、意識不明のまま寝る。
これが、ある超・多忙時期の、母の寝方だった。
「人間は1週間ぐらい寝なくても大丈夫」と豪語する母。
実は、本人は1週間ぶっ続けで起きていると思っていても、無意識のまま爆睡して、
睡眠がとれていたのだろう。
ガス欠になり、動かなくなって止まったときが、睡眠の時だったようだ。


時代のせいといえば、それまでだが。
とにかく父と母は、よく働いた。
いまは、そういう激務は誰もやりたがらないので、社会問題にもなっている。


学友の家に行くと、三食昼寝つきの専業主婦のおかあさんが、実にだらしなく怠け者に見えた。
そのおかあさん達は、家事を終え、休憩タイムだったのかも知れないが、
いつも、だらけた雰囲気がしていた。
子供の目は鋭いから、例え、子供と言えど侮らないほうがいい。
何十年たっても、(きっと一生)、子供の学友に、その姿を鮮明に覚えられていたりする。
いつもは、だらけていても、子供の友達が来た時は、取りつくろうぐらいが、無難だ。


父(享年78歳)を亡くしたあと、母は、ぽつりと言った。
「こんなにおとうちゃんに支えられていたなんて、いままで気付かんかった」

なに言ってん?
わたしは、冷静な気持ちで思ってしまった。
いまごろ、なに言ってん?
自分ひとりの力だと思ってたん?

万年18歳を自称する母。
そこで、母の年は止まっているそうな。
父と結婚した年齢だ。
80を超えているのに、
「おかあちゃん、このごろ、顔にシワが出てきてなあ・・・。なんでやろ、年なんかなあ」
と言う。

なんなんだ? このひとは?

力は100万馬力。いまでも、いまの私よりずっと力はあるし、働き者。
いくつになっても、母には負ける。

最近、掃除やら作業、力仕事をすると、
ちょっと、人並みに老化の波が押し寄せている様子だが、
さすがに本人は18歳のまま、とは言わないようだ。



今日も実家で会合があり、母と会うのだが、
フルーツ・アラカルトやら、なんやらかんやら用意して、待ってくれている。

「あんたのその服、また変わった服やなぁ。
そんなんが、流行ってるん? いったい、どこが、いいん?」
なんて、また、どんな文句を言われるんだろう。


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お味のヒミツは・・・

2010-11-21 | グルメ
昨日は、下の娘Rが、クッキング・スクールで体験レッスンを受けてきた。
教室で作って、持って帰って来たのが、このケーキ。

味は、とてもよかった。
わたしは、ケーキは、生クリームがキメ手だと思うのだが、
そのお味は・・・家庭では出せない、なんとも言えない奥深いもの。
街のケーキ屋さんでも、このような味ではなく、やけに脂っぽいだけのものもあるし、
甘さ控えめ、あっさりではあるものの、やはり、コクは欲しいところ。

わたしは思わず娘Rに、うれしくなって言った。
「よかったねーー。
街のケーキ屋さんより美味しいケーキが作れて」

ところが、Rは、浮かない顔。

「スポンジ部分は、これと同じ味を作る自信があるけれど、
生クリームは、手渡されたものを使っただけだから、
どこの、どういう製品を使っているかは、全くわからない」



さすが、体験レッスン。

美味しいものを作らせ、食べさせ、味のヒミツは、体験後に。
手続きを済ませて入学してから、教えてあげましょうってことですね。
内容に自信があるスクールは、そうやって、生徒を呼び寄せるのか。
これが、スクールではなく、物販だったりしても、こういう手はよく使われる?

入学するように、ものすごく強く勧誘されたらしいが、
再訪する約束だけして、帰って来たというR。

その教室は、いろいろ、あれこれ、広いジャンルでのレッスンが予定されているらしいのだが、
Rは、焼き菓子だけが習いたいそうだ。
受講内容がケーキということで、体験レッスンを受けたものの、
焼き菓子以外のジャンルは受講する気がないというRには、ジャストフィットしないようだ。


「プロの作る味を、作りたい。それが目的」と、豪語するR。
あくまでも趣味なんだから、そんなプロみたいでなくても、いいじゃない、と、わたしは思う。
(1番じゃなく、2番以下では、だめなんですか?)

小麦粉、卵、バター、砂糖を使えば、
どう考えたって、そんなにマズイものができるわけがないのだが。

失敗作品お引き受け・人間ディスポーザーになるのは、結構大変なんだよ。
わかっているのか、Rさん。

しかし、Rの意思は固く、電話をして、来訪日のアポをキャンセルする予定だそうだ。

せっかくの獲物(=生徒)を逃がすまいと、スクール側は、あの手、この手を打ってくるか?
あの、とろける美味しい生クリームなら、また新しい生徒をgetできるだろう。

そう願って、この日が最初で最後の、一期一会ケーキを味わった。




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