人と比較して得るものは何?
自分だけヘンなのではないか、TPOに合っていない恥ずかしい行動なのではないか、悪目立ちしてないか、、、
ちらちら周りを見て様子を伺う。
わたしは、悪目立ちが一番嫌なのだ。避けたい。
目立つとロクなことはない。
日本では同調が求められ、少し個性的なことをすると目立つ。
それは、ユニーク天然系であるわたしには苦手なのだ。
みんなが知らないところで、思いっきり自分らしいことをのびのび行う。
見られたくない。知られたくない。
(その隠したものが、蝶ブログとなって現れるようだ)
たんなる内向的性格。
それはそれとして。
出る杭は打たれる。
「出過ぎる杭は打たれない」と、あるタレントが言っていた。
そのタレントが出過ぎているようにも思えなかったが、一般人と比べると出過ぎているのかも知れない。
タレントさん自身が自分で言っているあたりが、自分は出過ぎるほど突き抜けているという自負があるのだろう。
どこらへんが?と、ちょっと首を傾げる。
私的内面やプライバシーまで知らないから、わたしの知らないところでは出過ぎているのかも?
何しろわたしは、人物事典に載っているような有名人、偉人しか知らないので。
ちなみに。
今、子供向きの世界史漫画を読んでいる。
ハードカバーの表紙の裏側には、ラスコー洞窟の牛の壁画。
昔、わたしが自分の子供のために買った教養漫画で、まだ第1巻なのだが。
このハードカバーの漫画と解説、なかなか読み進められない。
なぜかというと、人類がやっと登場してきて面白くなりそうだと期待しているのに、まだまだ延々と紀元前が続く。
いつまでも紀元前。
しかもほとんどが、戦争。
国を築いたり滅ぼしたり滅ぼされたり、占領したり占領されたり。
ギリシャだのローマだの、知っている地名がどんどん出てくるのは良いが、歴史って、戦争の繋がりなんだと、感じた。
とりあえず、戦争以外の展開が早く出てこないかしらと期待しながら読み続けている。
もしわたしが小学生なら、歴史の成績はゼロ点、間違いなしだ。
だが、ひとことコメント、感想を書いて、零点は免れるかも知れない。
なぜなら、点数をつける小学校の先生より、わたしのほうが人生時間が長いから。
それに感想には、点数を付けられないし。
とかなんとか。
話を元に戻す。
わたしは、人と比べるのではなく、時系列で自分と比べるとことのほうが恐怖だ。
過去、現在、未来。
人より優れていようが劣っていようが、幸せであろうがなかろうが、同じ時は続かない。
必ず変化する。
仏教でいうところの「無常」。
仮に、人と比べて自分が幸せだったとしても、将来もそうである保証はない。
まだわからない未知なことに対して怯えるのも馬鹿らしいから、自分で楽天的にどんと構える。
自分が幸せの絶頂期であっても、絶頂期は続かないので必ず下降する。
その時に人にどう思われるか。
そもそも他人や世間とは、、、自分が作り上げた自分のこころを映す鏡である。
他人がハッキリ口に出してイヤミを言って石でも投げられたなら、適切な場に出て訴えることも出来る。
インターネットで誹謗中傷されたり、発表したものをこき下ろされたりしたら、、、必ず、そういうことをする人は世の中にいるので、嫌ならブロックするとよい。
意見には賛否両論ある。
が、ネット上での評判が良いと喜び、悪いと悲しむ、、、のは当たり前だが、良いことだけを聞くのでは片手落ちだ。
精神衛生上、良いことしか聞かない人もいるが。
両方聞くか、両方聞かないか。どっちかにするとよい。
名も名乗らず一方的に暗闇の中から攻撃してくる人に対しては防衛のしようがない。
「同じ土俵に立たないこと!」と、「虎に翼」の寅ちゃんも言っていた。
わたしは、熊に遭遇した時と同じ行動をする。
目を合わさず、寝たふりをして相手を刺激せず、静かに静かに後退り。
熊は木にも登るため、警戒しても警戒し過ぎることはない。
熊には逆らわないこと。
かといって、どうぞ!と、柿を差し出すのはよくない。
話がなんだか逸れている。
人と比べるのではなく、参考にする。
ああなるには、どうしたらよいか、
ああならないには、どうしたらよいか、
人の振り見て我が振り直す。
人は外を歩く参考書みたいなものか。
人の幸せを妬むのは、自分が不幸だから。
自分より更に不幸な人を見て、自分を慰めることはある。
そういう話、先週土曜日(大阪、FM802では18:00)ラジオの「真実(ほんとう)の物語」(ナビゲーター・朗読/オダギリジョー)で聞いた。
不幸な子供が、自分より更に不幸な子供にイジワルする話だった。
子供でなくても大人になっても、そういう人はいる。
幸せな人も不幸な人も、不幸な人の攻撃ターゲットになるのであれば、どうしようもない。
は、、、と、今、気づいたが、今朝の記事、えらく長くなっていて、びっくり。
文字数がやたら多い。
そんなに口に泡を飛ばして熱心に言いたいことだったわけでもないのに不思議だ。
※
最後に。
東海道新幹線、復旧されて、やれやれ。
本来なら今は、東京にいるはずなのに。