蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぶりっ子魂、百までも続いたらどうしよう

2020-04-30 | 日々のこと
いまだオムツの末っ子孫、女王様C。
オムツに相応しい実年齢。
だが、はっきり、ちゃんとした正しい言葉を話す。
最近は、コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されるのがいつだ、とか、どうたらああたら、言っている。(意味は全くわかってないだろうけれど)
しかも関西弁と標準語を使い分ける。
(両親のどちらかが日本語以外がMother tongueならバイリンガルになれたのに残念、、、)
話し声だけ聞くとどこの就学年齢にとっくに達したお姉ちゃんかと思う。

その一方で、ぶりっ子をする。
自分の実年齢の女の子を演じる。
昨日、大好きな小学2年生のお姉ちゃんMちゃん(上兄の同級生)が公園にいると、すごい甘ったれた声で赤ちゃん言葉(歳相応)を話していた。
わたしは、孫Cの普段の姿を知っているので、驚くやら、しら〜っとなるやら。
もうあのオムツ年齢のオツムで二役演じるか。
しかも、ぶりっ子。
コワイ。
低いドスの効いた声も出すし、金切り声を延々と出して相手を攻撃することもあるのに、甘ったれた声。
声だけならまだしも、言葉まで。
大人並みにちゃんと話せることを知っているだけに、実際の年齢の幼児語(赤ちゃん言葉)を話すCを見ると、そら恐ろしい。
おそらく、脳を通さずにやっているのだろう。

ちなみに、夫の3代前のおばあさんが、七色の声を持つ人だったらしい。
江戸時代から引き続き明治初期はまだ家業の商売をしていたのだが、そのおばあさん(お嫁さん)は、色々様々なお客さんに合わせて口調、声を使い分け、その活躍で家業を盛り立てたと聞いている。
まさか隔世遺伝にしては、遠すぎるものの孫Cからは6代前、、、だが、あり得ないことでもない。

孫Cの甘ったれた声や仕草を見て、わたしは、とっさに松田聖子を連想したが。
孫ながら、ちゃんと話せることを知っているだけに気持ち悪かった。
良い方向に伸びるてくれたら嬉しいが、大人になってから
「あんたは、オムツしてる年齢の時、こんなんやったからなあ、、、既に兆しがあったのかな。わからんでもないわ」
と本人に切々と話していたりする自分をうっすら想像する。

言語を操り、それを活かした道に進んでくれたら大いに嬉しいが、それよりも先に、早くオムツが取れてほしい。
望みはとりあえず、オムツからの自立!
がんばれ、C!
ばあちゃんは応援しているよ。

興味深いファミリーヒストリー

2020-04-29 | 人生
わたしはNHKテレビ人気番組「ファミリーヒストリー」の大ファンである。
一昨日は神田伯山。超人気講談師。36歳。
面白かった。

すごいルーツなのだが、本人がその断片なりを微塵も知らないことが興味深かった。
遠縁の親戚たちも、神田伯山が親戚だったなんて知らなかったようだ。
100年近く前の、うんと前のおじいさんは、世界を股にかけた伝説の柔術家で現地でも結婚し子供たちを5人?もうけ、南米にも血の繋がる親戚がたくさんいる。

まあそれはよいとして。
明治初期に180センチもある立派な体格の格闘家が外国を渡り歩き実績を残すのはスゴイことである。
隔世遺伝して何代か後の子孫は、その道に秀でていたようで、伯山さんのお父さんもそのうちの一人だったようだ。
素晴らしい身体をしていた。

だが、若くしてこの世を去ると、子供たちには何も伝えていない。
仕方ない。
子供たちも父亡き後に、傷を癒すのもままならないその上に、自分たちを立て直す方に力を注がざるを得ない。
過去を振り返るのは、余裕があってこそ。

ちなみに、小学4年?の時に父親を亡くした伯山さんの顔は、それまでは明るかったのに、能面みたいになったそうだ。
わたしもその頃の自分が映った写真を見ると、暗い顔をしているものがある。
感受性の高い頃に受けた衝撃は、大きな影を落とす。

おそらく想像では、埋められない空虚感から一日も早く、父がいなくなった虚無の代わりになるものを探し続けていたことだろう。
だから、仮にいなくなった人に関して知る機会があったとしても、あえて父親のルーツなどは余計に耳を塞ぎたかったのではなかろうか。

登場人物の皆さん、恋愛結婚。
職業も自らの力で手に入れ、家庭も築いて素晴らしい。
特に武士だった人は明治以後は職業自体がなくなったわけだから、激動の時代に生きることになる。
身分がなくなるのは貴族もそうだが。

田舎から単身出てきて身を起こすのはやはりそれなりのDNAルーツが起因しているかも知れない。
淘汰される中で生き残る強いDNAだろう。

江戸から明治に変わるあの頃。
実感としては想像できない。
(わたし自身に関しては当時のモノが現存していてリアルに時代を物語るが)
100年以上経つと、伝える者がいないと、伯山さんのように、全く知らない子孫がザラにいる。
過去は遠くになりにけり。
だが、DNAはどこかに繋がっている。
一人の人が欠けても今の自分は存在しなかったわけで。

栄枯盛衰があり、時代を経て今日に至る。
廃れて消えることはよくある。
その時代時代の登場人物は一人限りなので、何代も何代も一人で生きたら怪物モンスターである。
自分が生きている時代をどう生きるかなんだろう。

余談であるが、伯山さんのひいじいちゃんが、幼馴染と駆け落ち同然で東京で同棲していた時の師、徳冨蘆花に宛てた手記が紹介されていた。
「自分は女を作り、、、云々かんぬん」
生めいているなあ、、、。
作るのか。女を。
しかし男を作る場合もある。
猫は作れない。犬も鶏も牛も。
哺乳類同種の異性に関してだけ、作ることが出来るのか、、、感慨深い。
まあその幼馴染の明治初期のおばあちゃんが、世界的に柔術で活躍した大男の娘だったわけだから、ルーツとしてはとても重要ポイントである。
おばあちゃんも17歳で故郷を飛び出すにはワケがある。
このお父さんは、結婚して一男一女をもうけたにも関わらず家族には何も言わずに外国に失踪してしまったわけだから、残された家族(当時、長女6歳?長男推定3歳ぐらい?)は苦労したようだ。
(昭和15年に一度来日して父娘は対面したらしいが、昭和22年に69歳で他界。1947-69=1878生まれ)
明治初期の生まれか。
子孫によると、当時、家業のトラブルで責任を感じていたのではないかという憶測もある。
いずれにしても父親が失踪後は残された母や家を助け頑張った娘さんは、その頑張りDNAがあったおかげで、男に「女を作った」と表現される「男に作られた側の受動態の」女は、当時稼ぎがない夫に代わり乳飲み子を抱えておでん屋をしたりして子孫を残したわけだ。
しかし、彼女は後に夫になるにしても、男性に「作られた」わけ?
なんだかねーー。
そういう言い方、どうにかならん?
神経がササクレる、、、

まあいい。
そのおかげで、伯山さんがいる。

女(妻)を作った、ひいおじいさんの息子は、不運の人生だったようだが、そのまた息子(伯山さんの父)は、しっかりして兄弟の学費を工面したりしたとか。

※他にも詳しく正確なブログや番組内容紹介がたくさんあるので、ググってみてください。

お母さん方のルーツは時間切れっぽく、あまり紹介されなかったが名家だそうだ。

なんでもそうだが、美談がある一方で影の部分、光の裏には闇がある。
成功する人にはその分、苦労も大きい。
アップダウンの幅が大きければ大きいほど落差が大きい。
「平凡で名もなく貧しく美しく」は、それはそれで素晴らしい。

ちなみに、姑が晩年言うには、取り立てて目立つプラスではなくても、マイナスでなければ上出来だ、と。
これは、栄枯盛衰を経験しなければ当時一代ではピンと来ないだろう。
人間は一代しか生きないから。
何代にも渡って生きたらオバケだ。

過去があり現在があり、さらに未来がある。
当たり前のことなのだが、目の前のことしか見えない、振り回されるのは当然のこと。
良いにしても悪いにしても、必ず未来はある。
自分の代で終わりだとしても、生きているその代の人にとっては同じ長さなんじゃなかろうか。
次世代に繋いだ人も早死にすることもあるし。
自分はどう生きたいかを過去を通して未来を想像するというのも、なんだか楽しい。
もちろん、楽しくない人もいるだろうけれど。
命あってこそ。

わたしは歳のせいか、ごくごく当たり前のことにも感動するようになった。
自然のエネルギーには特に。
科学の力にも驚く。
人は科学では作り出せないが、生命倫理を脅かすような科学技術も誕生している。
なんでも、あまりやりすぎは、よくない。
そこそこがいいなあ、と。

伯山さんは、自分が人気が出て社会的に認められたからこそ、NHKが総力を挙げてルーツを調べあげてくれた。
普通にしていたら、一生知らず終いだったかも知れない。
そのあたりは、自分にご褒美。プラスのスパイラル。
また一段ステップアップの糧となることだろう。




夜書く日記は、ろくでもない

2020-04-28 | 日々のこと
あと一時間で、日付変更。
こんな夜更けにブログを書くと、あきません。

先週、在宅ワークの日が続いたため帰省してきた次女に驚かれた。
彼女は、2階にある自室で仕事をするが、お茶のお代わりを求めて10時や15時に階下に降りてくる。

で、10時に、わたしを見て言う。
「朝から1ミリも動いてないやん」
15時に、わたしを見て言う。
「昼から1ミリも動いてないやん」

ぐーの音も出ない、、、。
はい、スマホにかじりついてました。

これはいかん、と、快晴の本日、身体を動かした。
まず、午前9時55分からNHKの「みんなの体操」。
10時30分から、ダンス教室から先生5人総出のライブ配信、エクササイズ。
しんどい。身体が痛い。ハード。
早く終わって〜、と心底思った。
向こうからは、こちらが見えないので助かった。

オンライン会議のように、お互いが見えるのかしら?と、恐る恐るだったが、一方通行でやれやれ。
明日もあるので無理せず大事な我が身をかばい、過保護にして甘やかして、三分の一はサボる、、、
腹筋はサボるサボらない以前に、できない。
ちょっと悲惨感が漂う。
もし、教室でみんなでやったていたら、かわいそうで、惨めな生徒だ。
というか、ダンスにこんな体育会系の腹筋運動が必要不可欠だとすると、わたしが下手なのは仕方ない。
と、ダンスまで挫折の道に向かいそうだ。
でも明日もやる(予定)。

勢いづいたわたしは、引き続き、掃除をし、手つかずの夫のグチャグチャ未整理不用品を片付けた。
その中から埃だらけのビニール製トートバッグを拾いあげ、綺麗に拭いて自分が使う気満々。
固めの型紙を底に沿って入れて形を整え、さっそく冷蔵庫の側面に付けたマグネット・フックに引っかけておいた。
何に使おう??

あれやこれやとグズグズしていたせいで、時短になった(金融は15時まで)郵便局、りそな銀行(通常は17時までだが、時短で15時まで)に間に合わず、アウト。
しかたない。
渋々、嫌々、コンビニで支払いの用事を済ませた。
わたしは、コンビニは便利だとは思うが、金融機関のほうがなぜか絶対的信頼を置いている。
だが、もう期限が目の前なので仕方なくコンビニで払い込みをした。
オンラインで繋がっているから大丈夫なんだろうけれど、受領書に押されたハンコは薄くて、どこの機関で受け付けたのか見えない。
受領印は、ハッキリ押してくれないと不安である。
少なくない額の支払いなのに、領収書として役に立たないのは、わたしとしてはとても心細い。
もし、なんらかのことで領収書提示が必要になった場合、どこともわからないような領収書では手続き不備、未完了扱いになればめんどくさい。

コンビニから出されたレシートには、「3件」と印字されただけで金額も記されていない。
証拠として不完全さを感じる。
やはりわたしはアナログ人間である。
目に見える形でハッキリ確認したい。
と言ってもウエブ通帳利用者でもありコンピュータは信用出来るが、コンピュータを使う人間(店員さん)が信用出来ない。
人間はスーパーマンではなく完璧ではない。
銀行や郵便局には、受付には顔ぶれがコロコロ変わるアルバイト店員さんはいないように思うし。
あれでは、間違った金額を授受していてもわからない。
金融は扱うものがお金オンリーの機関でないと、タバコやパン、飲料水と一緒にレジ打ちしている店員さんが作業している中に紛れてしまうのは、非常に不安である。
だから、早くに何でも前倒しで行動しなければならない、とはよく言ったものだ。
ビニールトートバッグ、見ーつけた!と喜んでいる場合ではない。
自業自得だ。

どうも読み直してモヤモヤが残り、この※↑部分は翌朝、つまり今、加筆した)

・・・と、小学校低学年のような、一方的、時系列日記をダラダラ書いた。
これは文字通り、「日記」に他ならない。

しかし、コンビニのことが言いたかったわけではなく、、、
だが、出遅れたせいで、コンビニになってしまったわけで、、、
そもそもコロナ事情で終了時間が早まったわけで、、、

まあそれはよいとして。
なんだかよくわからなくなっているが、、、
ブログを更新しなかったことによって生まれたものは?
埃だらけの使い古したビニールトートバッグを再利用の方向に復活させただけか。
いや、ちょっと、整理整頓もした。
でも、それだけ。
 
ブログでも掃除でも片付けでも、何でもいいのだが。
まあ、いろんな日がある。

やはり夜に書くブログは、しょうもない。
つくづくつくづく、深く深くそう思う。






結婚への道

2020-04-27 | 人生
若い人のブログを読むと、なんだか懐かしい。
そういう日もあったなあ、と。
自分はどうだったか、と振り返るキッカケにもなり、なんだかふわふわする。

わたしにとって、結婚は、人生の重要課題だった。
今もであるが。
まず、結婚したいか、したくないか。
次、誰と結婚するか。
さらに次、相手は同意しているか。

時期、相手のタイミングが一致しないと、どんなにドンピシャな相手であっても、結婚できない。
無理やりは、無理。

この時期でなければならない、、、は、あまり無いとしても
(女性には出産期限があるが最近は高齢出産の定義枠が変化しているようだ)
「この人でなければならない」
これが重要だ。

わたしの場合、この人がダメならあの人、あの人がダメならその人、、、と、ハイ、次、ハイ、次、ハイ次方式。
時期のほうを重視した。
なん歳までに、という、自分に課した目標。

けっこう、ワタワタしたが、自己目標は達成された。
どこに、重要ポイントを置くか。

現在の夫とは(と言っても歴代一名のみ)、結婚を決めた時は、おみくじで例えると、吉や中吉ばかりが続いて決め手に欠ける中、時間ばかりが過ぎて最後のあたりは焦って、合否結果を出すのにかかる時間は短かかった。
なにしろ自己設定目標の期日、期限まで、時間がないので、ハイ次方式は、スピードアップされていた。

次に進む基準は、ハッキリしている。
どう?わたしと結婚する?
とプレゼンの後の詰めの段階で、グズグズもたついた人は、カット。
待たない。
わたしは時間がないのだ。
あんたにゃ、構ってられん。

そういう感じで、最後ラストスパート3人は、結構真面目に面接した。
相手がプレゼンした後、はい、ではこれで、、、と〆の手拍子とは行かなかった。
わたしに、すんなり行かない、引っかかりがある場合があった。

相手は包み隠さず現在の事情を説明してくれ、それでもいいか?と聞かれ、誠実なお人柄は高得点だったが、わたしはまだ若く初婚だったので、少しでも気になることや、自分がクリアできないことがあると、うーん、、、と熟考の後、パスした。

「日本語が通じたらそれでよい」は、最低必須条件だったが、実はその他にもあった。
「自分と環境が似ていること」
価値観が似ているだろうと予測した。
同じ事をしているのに、捉え方が人によって違う。
見下されたり卑屈になるのも嫌、逆にバカにしたり見下すのも嫌。
同レベルだと、自然体の価値観で行けるかと考えた。
あるいは等価交換できるものもある。
あなたのコレと、わたしのコレ、替えっこしよう、と。
例えば、美しさと、頭脳を交換とか。(両方無いけど)
最低でも、男女間において、女性らしさと男性らしさの交換は出来るはず。(LGBT除く)
それと、「親」。
親を見るとその背景が分かる。環境が見える。
若さというキラキラしたものが無くなった後の姿は、歳を重ねた親の姿に現れる、と考えていた。

なので、整理すると、
日本語、環境、親。この三要素。
価値観を形成する過程は重要だと思った。
日本語は、本人同士のコミュニケーション度を測る大事なチェックポイント。
これに加えて、本人の好み。
檻から出されたパンダのお見合いみたいなもの。
究極のところは、好きか嫌いか。
どちらか一方に吸引力があるか、ないか。

気合いを入れて最後の3人にいよいよ絞られた。
本腰を入れて取り組んだ。
実際は、順番が最後、直近の3人だった。
それまでは、生半可な遊び半分。
理想ばかりのアタマでっかちで、本気とは言えなかった。
さすがに最後の3人は、状況や顔はよく覚えている。

そのうちの一人は、今思えば、選に漏れてよかった。
その人と結婚していたら、地域のゴタゴタに巻き込まれていたかも知れない。
(そうならなかったかも知れない)
もう一人の人は、真面目故に一度結婚にフライング、失敗している経歴を持ち、その釣り合いを取るマイナス点がわたしにはなかった。
わたしは、まだショーケースに定価で売られ、外のカゴに山と積まれたバーゲン品でもワケあり品でもなかった。

わたしが自分で決めた条件をひっくり返すような人とは結婚しようと思わなかった。
なので、仮にそういう人が現れていたとしても、結婚しなかっただろう。

上に這い上がるのではなく、下に落ちるのではなく、横滑りを目指した。
皆さん社会人なので、破綻したようなキャラや生活の人はいなかった。

価値観は「現在」だけを見ても、変化することがある。詳細部分は特に。
共通するのは大雑把な大まかな価値観で良い。
過去、現在と未来、両方予測できるような、そういう感覚で見ていた。
若いのに、かなりしっかりしているではないか、わたし。

10歳から15歳の時だけ頑張って礎を築いたが、あとは流れに沿うだけか。
結婚も大きな人生の選択分岐点だったが、まああんなものではないだろうか。
これぞ理想!というような本命を逃がして穴馬も逃がし、色々逃がしているのだが、最高の理想より、ちょっと落ちる程度がよい。
わたし自身が手抜き未熟人間だから、人に理想を求めるわけにはいかない。
全力投球は瞬間だけで良い。
ずっと全力では続かないし、必死になりすぎるより、余裕があるほうが楽。
来たボールを打つタイミングが大事。

若い人の結婚には、何も言うまい。
時代も変わっているし、女性も男性も変化した。
二人が良ければいい。
そして子育てしながら、また変わっていけばいい。
一人がいい、非婚希望という気持ちもよくわかる。
わたしがもし、やる気、根性があって自立していたら、お一人様かも知れない。
でも、自分は、過去形の人である。
頑張る時期は過ぎた。
今の世の中なら、わたしは完全に落ちこぼれだと思う。
若い皆さんは、大変だけど、あまり大きなことも望んでいないように感じる。
そりゃあ、多くの高齢者を若者が支えるのは、重すぎる。

と、話は、またまた脱線し放題。
いつまで経っても終わらない。
今日は銀行に行かなければいけないのに、、、

また、明日に延ばそうという、ダラダラ感。
このままコロナが過ぎても、一生、こんなかんじだろう。



エンドレス姑物語

2020-04-26 | 
わたしは姑と仲良しだった。
至って相性が良かった。
お互い、正反対の性格、気性で、うまく凸凹が噛み合い、喧嘩することはなかった。
(その息子とは?だが)

わたしは姑を尊敬していたし、人生の先輩として、上司として、教えられることや影響をとても受けた。
こんな不出来な嫁を可愛がってもらい、感謝している。
組み合わせの運が良かったとも言えるが、姑に気に入られたようなものだから、姑としてもわたしを選んだからには大事に扱わなければ、ね。
(でも欠陥品だったかも?多少は目をつぶろう。て、誰に言ってる?)

姑とはよく、ピーチクパーチク喋った。
彼女は専業主婦だったので、時間采配は彼女流、彼女時間。
朝昼晩という食事時間の他には洗濯(干す時間、取り入れる時間)、お風呂タイム、就寝、、、と、一日は順調なタイムスケジュールになっていた。(当たり前すぎたか)
食事と食事の間に家事を入れたり、食事中におしゃべりを延長したり、
今日はこの事をしましょう、と計画を立てたり、規則正しい生活だった。
(ではあるが、監獄に入っていてもこんな感じかも?)
コロナ厳戒態勢の今なら、ピッタリ充実のお家時間になるだろう。

と、これは前置き。長くてすみません。

姑はよく喋った。
彼女の幼少期の話だけでもたっぷりあった。
実家の娘たちは「いとさん」と呼ばれる中でも、姑は末っ子だったため「こいとちゃん」と呼ばれていたとか。
すぐ上のお姉さんとの確執、一番上のお姉さんの嫁ぎ先やその優雅な結婚生活、両親の話、毎日の暮らし、お稽古事の話、、、などなど。

父親は骨董品が好きで、茶道具を特にコレクションしていた。(その影響もあり姑は茶道には詳しい)
母親は、学生時代はテニスを楽しんでいたらしいが、明治生まれなのにモダンで活動的。(生前、お会いしたことが何度かあるが、あのおばあちゃんが、ねえ、、、)
朝食はいつもパン。
商家ということもあるが、昭和初期当時の地方にしてはハイカラ・イメージだ。
だが、嫁ぎ先は、古い旧態然としたライフスタイルで全て姑には合わなかったらしい。
そうだろう、そうだろう、ほんとに旧態然としている。
男尊女卑、家父長制。昔の映画やドラマで見るかのごとく。
姑も身体を壊し、わたしも身体を壊した。
声なき声が、身体を通して訴えたのだろう。
(しかし、長男である夫は、無意識であるかも知れないが、骨の髄までその考えが浸透している。
それを書き始めると、またまた何時間あっても何日あっても足りない)

姑の小さい頃の話だけでも、長時間。
これに親戚の栄枯衰勢物語がまた長い。
聞いても聞いても、枯れない井戸水のように湧き出てくる。
よくまああんなに、こころに溜めたものだ。
出る出る出る。
姑のフィルターを通して見た家、家族観を延々と何十年も拝聴した。

わたしの母は仕事をしていたし、時間があれば仕事、仕事で、エネルギーが切れたら死んだように寝て、また復活する、ゾンビ活力の塊の人だった。
なので、専業主婦の姑とは行動内容が少し、いや、大いに違う。
頭脳は姑が優秀だったが、母とは置かれたポジションが違った。
経済を握るのは大きい。
わたしは、ぼーっと昼行灯(死語)だが、なんにも勉強しないで優秀な頭脳DNAを姑、夫経由で子供たちに繋いだ。
たまたまであるが、ラッキー。

と、話が逸れた。
膨大な人生時間とエネルギーを使う、使い方が、姑と母では違った。
姑は能力はあっても経済力がない苦渋、辛酸、悔しさを十分味わったと思う。
だが、安定した生活、ぬるま湯、殻から抜け出すエネルギーや勇気がなかったからで自業自得である面もある。
もともと抜け出す気などなく、ただ鬱憤晴らしに、わたしに対して、無意識ではあるものの深層心理では、隠れパワハラもどきのオブラートで包んで、話していたのかも知れない。
(だが、姑自身も「こんなに至らない未熟な嫁である自分を姑は責めなかった」と当時を振り返り、嫁いびりのない、きょうだい間にも喧嘩のない仲の良い明るい家だったと回顧していた。
姑が嫁いだ時は、長男である姑の夫にはまだ未婚の弟妹たちが同居していて、中でも、すぐ下の妹の話があるが、またそれが度々しばしば、しょっちゅう出てくる)

あるいは、他人には言えないから、わたしに思いっきりホンネを打ち明けたのだろう。(男たちには聞かせられない女子会トークもあった)
ホンネすぎて、重い、重い、、、途中、後半からは背負いきれなくなった。
ゼネレーション・ギャップも厚い壁としてそびえ立つ。
時間の経過とともに、姑は歳を取り、わたしも歳を取り、シーソーゲームで権力は推移する。
といっても、わたしはいつまでも権力なし。
もし、わたしが権力をフルに使えるとしたら、ダイアナさんではないが、Leave me alone!! かなあと。

と、話は逸れる逸れる。
姑の「幼い頃編」だけでも、たくさんある。
絶対に終わらないエンドレス・ストーリーなので、今日はこのへんで。

さあ語ろう。10歳から15歳までの自分。

2020-04-25 | 思い出
お馴染みブロガーさんの記事によると、認知症予防には、10歳から15歳の記憶を思い出したり、人に話したりすると効果があるらしい。
その頃は、思春期、大人になる重大な過程で、一番、心身共に変化する。

さて、自分は、、、
小学4年生から中3。
ぴたっと当てはまる、あの時期。

おそらく自分の一生の中で一番、頑張った時期である。
たまたま、認知症予防にこの時期がチョイスされたとすると、自分の体験時期とぴったり重なり驚く。
たまたまこの時期、たまたまわたしは、、、ではなく、万人に対して、この時期は激動の時期なのだろう。
なにしろ人が、子供から大人になる前段階、礎が形成される時期だから。

よく聞いてくれました!
話したくて話したくて、ウズウズするような時期である。
たぶん、皆さんもそうだろうけれど。
時代背景や家庭環境も大きく影響する。

さてさてさて、わたし。(前のめりに、えらくノッている)
一生のうち、その5年間しか活動しなかった。
一生懸命、余裕なく、全ての力を出し切ったかんじ。
力を出しても出しても、まだまだ、まだまだ、、、頑張れ頑張れ、もっと出せとお尻を叩かれる。

もう後は何もしなくてよい。何もエネルギーが残っていない。
15歳からの人生、残りは余生である。
わたしは大げさではなく、そう思っている。

早熟だったので、10歳は身体はもう大人だった。
精神的にはかなり暗かった。いや、お笑い系でもあった。
両方持ち合わせていた。
家庭の中は、大黒柱である父が大病に冒され大ピンチ時期だった。

勉強は、義務教育の中身をぎゅーぎゅー脳みそに目いっぱい詰め込んだ時期。
それ以後、脳みそは、うんともすんとも、びくともしない。
勉強脳波というものが仮にあるなら、上下の波は無く、横にツーっと静かに動きなく今日まで来ている。
これ一生続きそう。
すごいプレッシャーでスパルタ教育を受け、最も不得意分野である勉強部門で頑張らさせられた。
二度と戻りたくない。
わたしが勉強したのは、10歳から15歳の間だけ。
濃縮、凝縮のひと時。

しかし、同級生や先輩、後輩たちは産官学界で活躍するメンバーがそこそこいて、今、彼らの活動を対岸から見て楽しんで応援している。

15歳で無事、地獄のような中学を卒業して高校に進み、晴れてプレッシャーから解放された。
高校受験は、当時は内申書制だったように思う。
受験日当日のテストではなくて、中学2.3年の頃の成績を元に合否を決めていた(んだったっけ?)
なにしろ、一発勝負みたいなテストはなかった。
その代わり、中学の学期ごとに行われる中間テスト、期末テストの成績が重要になる。
化学、物理、ちんぷんかんぷん。
丸呑みしたけれど、丸呑み、丸暗記でどうにかなるものではないのはご承知の通り。
一生のうちで、真剣に勉強して、ひどい結果に文字通り涙したのは、あれが最初で最後だった。
よほど悩んだのだろう。
皮肉なことに、わたしが良い点を取ったのは高校受験日に実施された思考力テストだけだった。
つまり、教えられた科目は一切全滅に近く、自分で考え出したことだけが地中からちょっとだけ顔を出したということだ。
よくあれで志望校に合格できたものだと、今思う。

まあとりあえず、自分の人生の礎コースで頑張ったせいで、あとはオマケ、付録の人生。
基礎作りのあとは、何をしても、どうなってもよい、と思ったのか、15歳以降は手抜きの人生である。

今でも時々、悪夢にうなされることがある。
それは、その苦しかった10歳から15歳の時ではなく、その後、手を抜いてピンチに陥りそうな事態を自らが招いて。
高校の数学のテスト直前に全く勉強できていないで自室の机で呆然となっている夢だったり、単位を取得できずに卒業出来ないのが確定された夢だったり。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、どうしよう、どうしよう、、、と。

ピンチ寸前だけのワンカットシーンの夢ではなく、手を付けずに徐々に追い込まれていく時間の積み重ね、焦りの後に来る最後の決定的瞬間を迎える正に直前。

そんな夢。まあ、平和だと思う。
幼い頃、母がスーツらしき正装で、新幹線に乗ってどこかに行ってしまう夢を見たことがある。
母恋し物語か。
現在の母と比較して、時間の早送り、リプレイ、そして自分も今は祖母となり、、、(話、脱線)

なにしろ、必死で全く余裕なく選択肢なく何かにガンガン取り組んだのは、10歳から15歳の間ぐらいなんじゃなかろうか。
不向きなことを無理やりやらされて、緊張のゴムが切れてしまったのではないかと思ったり。
一番苦手とする分野で頑張らさせられて評価させられた経験。

じつは、この経験のパート2がある。
専業主婦になった時、専業主婦は一番苦手な家事で能力を評価されると思った。
こりゃあかん、と感じた。
あの10歳から15歳の頑張りは何だったのだろうと我が身を振り返った。
全然、自分の経験は生きていない。
かといって、塾の先生になるわけでもなし、お勉強は最も苦手分野、二度と近寄りたくない。
自分の道をずいぶん探した。
やはり10歳から15歳が礎になっているように思う。

苦手なことを頑張って克服した後に、次の輝かしい舞台が待っている。
のであるが、挫折したまま、迷宮入り。
輝かしい舞台は一生来ず。
苦手分野で自分を活かすのは、無理がある。
得意分野を作る、見つけると良い、と教科書には書いてある。

わたしの得意分野は、サボること。
サボることによって生み出されるような、素晴らしい生産性のあることは何も無い、、、と思っていたが、、、
今みたいなコロコロコロナ軟禁状態には打って付けではある。
おそらく、世界中の皆んなは、コロナ後の新しい価値観を生み出すと思う。
生活、人生そのものに向き合うことを余儀なくされる。
わたしは、15歳でカチカチに何かが固まったかも知れない。
自分の礎。
自分がやって来たことは、必ず自分に跳ね返ると実感する。

礎を築いていない人もいると思われるが、「礎を築いていない」キャラ、そういう礎があっても、それはそれ。
礎自体が、人には言えないようなマイナーな礎もあるだろう。
それぞれの礎。
だが、法を犯したり、人に迷惑をかけてはいけない。

10歳から15歳、不得意な分野一筋。
ではあるが、初恋、初失恋、初告白、ボーイフレンド出現、、、などなど、可愛らしく、いたって真面目な純情エピソードもそう言えばあったなあ、、、と。
書き出したら止まらない。

今日はこのあたりで。
認知症防止にはかなり役立った。
情報提供、ありがとう。

誰にも好き嫌いはある、、、けど

2020-04-24 | 無題
gooさんのユーザーサービス「アピールチャンス!」が来て、またまた安売り大バーゲンをしてしまった。
しかもアピールしたい記事はそれではなく、もう一つ前のだったのに、手抜き直近記事を咄嗟に焦って指で押してしまった。
焦るコジ○※は貰いが少ない。
(※差別用語になるのは避けたいため、伏せ字対応、、、そういうご時世か)
元々、どの記事でもたいしたことはないので、興行師が来たら、乗っかるしかない。(ごめん、gooさん)

全然、全く関係ない話なのだが、、、
グルメについて。
ある複数の男性。
全く味をみないで、まだ一度も食べたこともないカレーに、ドバドバと市販のウスターソースをかける。
ウスターソース、好きなのね、と。
これを自分が作ったカレーにやられたら、ショックだろう、、、が、似たようなことはどこにも日常的によくある。

本人には知らせず黙ってテストしてみた。
デパ地下の割と高めの巻き寿司と、スーパーの安い巻き寿司。
交互に変えたり、一緒に混ぜたりしても、全く気づかれない。
なあんだ、安いのでいいなあ、、、買って用意する側はそう思う。
そのほかにもいっぱい、そういうことはある。
舌ではなく、思い込みなのではなかろうかと。

絶対的なグルメ舌判定能力を持っている人が仮にいるとする。
多くの人々がその人に影響を受ける。
「あ、わたしもそう感じる、これは美味しくて、あれは、イマイチ」と。
余程のことでもない限り、美味い、不味いは、共通の味覚だろう。
あとは好み。
だが、10億人が「好きだ、美味しい」と感じても、自分はそうでないこともある。
グルメ達人の判定は、あくまでも参考にすればよいと考える。
自分がどう感じるか、だ。
当たり前、今さら書くことでもなんでもない。

だから、カレーにウスターソースをドバドバかけるのは非難も否定もできない。
その人が、そういう食べ方が好きなんだから。
その嗜好事実は変えられない。
変える権利もない。

長期戦で策略を練って変えさせることは多分できると思う。
したければ、すればよい。
わたしはそんな他人たちには興味がない。

食べ物の好みは本当に自分軸だ。
だが、好きだからと栄養が偏ったり高カロリーや塩分過多だったりして、健康を害することがあるが、自己責任である。
知人で大酒飲みで大グルメの方がいたが、早死にした。
でも良い人生だったのではなかろうか。
皆んなが、ああやっぱりな、と思うような「ジ・エンド」だった。
細く長くか、太く短くかは、自分で選択できる人はいい。
たいがいは、選択出来ずに、結果論となる。

グルメは、舌と脳の繋がりだから、あまり他人には見えない。
(蛇足だが、コロナウイルスで味覚がやられる症状もあるらしい)
それぞれ人によって味覚嗜好が違うので、他人がどう思うか、は、関係ない。
(食関係の仕事をしている人は大いに関係がある)

それに引き換え、ファッションは、他人に見えるから、本人がいくら好きで着ていても、他人がどう思うか。
まあ、どう思われようが自分が良ければよい。
だが、無理して自分は快適ではないが見た目を重視して頑張っているのに、全然カッコよくない、冴えないなら、頑張る苦痛は何?
どこで帳尻を合わせる?
(素敵なビジュアルなら、自分へのご褒美)

ご苦労様。
わたしは、やめました。
でも、自分なりの好みがある。
なんでもよいわけではない。
TPOはもとより、天候、気候、気分などに応じて自分が快適なものを選ぶ。
それもあれこれ結構めんどくさいのだが(なぜなら、自分がなかなかオッケーを出さない)、他人の目に映るその姿、ファッションはそんなに悩んで選んだようには全く見えない。
そんなものだ。
自己満足は、生きるモチベーションの一つである。
自己満足を得るためには、あれこれ試行錯誤をする。
時には他人の声に耳を傾ける。
全ては自己満足のため。

美味しいものも、美味しくないものも舌が判別できる。
だが、常に美味しいものを食べなければいけないわけではない。
不味くても食べる。(動物は皆そうだろう)
人生を豊かにするためには、より美味しいもの、美しいものを求めるのだろうが、わたしは、別にあまりこだわらない。
人生を豊かにする、、、基準は自分軸なので。
食べるものも食べず、寝食を忘れ趣味に没頭するのも豊かな人生だと思う。
自分が良ければそれでよい。

と、ここで終わるつもりだったが、、、
追加。
とはいうものの、自分の周りとあまりにも嗜好が違うと、神経がヒリヒリする時がある。
見ない聞かない、接しない、と呪文を唱えて、頭や目の前から消そうとする。
それって正しい対処法なのだろうか?
異質のもの、受け入れがたいものにも対応できる柔軟性、協調性が必要なのだろう、、、きっと。
一生、試練。
それも生きていく上には避けられないことの一つかも知れない。
て、相変わらず大げさ。


ばあちゃんは行く!

2020-04-23 | 日々のこと
買い出しウォーキングを始めた。
ウォーキングしない日の歩数がスゴイ。
100歩行かない日もザラにある。
ナマケモノ(哺乳類の動物)より動かない。
動くのはトイレとお茶だけ?
息をする置物である。

で、スマホに元から付いている万歩計機能を昨日、初めて知った。
こんなのあったんやー。
5年目にしてやっと気づくのは、遅すぎ、というか、いやはや、自分に拍手したくなるほどの宝の持ち腐れ。

で、一日一日、前へ前へと日付を繰り下げて歩数をチェックしてみて愕然となった。
トイレに行く時や、お茶を飲む時にスマホはテーブルに置いたままで持っていかないから、もう少し歩数は上がるとは思うものの、、、。
一日数十メートルしか動かない、、、って、、、

新しいオモチャを発見して大いに喜んでいる。

そして、今日から、NHKテレビの体操にテレビの前で参加している。
姉からの電話で知ったのだが、悪くない。
誰かに見られたら、恥ずかしい光景だと自覚しながら、えっさか、ほっさかテレビの向こうのお姉さんの動きに合わせて、身体を動かす。
意外に面白い。
体操している姿は、悲惨に近いほどの面白さ。たぶん。

趣味のダンスは週に最低2日は一回につき2時間半は踊っていたが、ぴたりと踊らなくなって、わたしは、何かわからないものに変に反抗して、全然、身体を動かしていない。

いやはや。
ポイと我が家に投入されたちびっ子孫たちを連れてウォーキングに行く予定だったが、彼らはテレビに張り付いて剥がれない。
「行くよ!」と号令をかけたら、元気に声を揃えて「行ってらっしゃぁ〜い」
やっぱり、、、。
録画したテレビ番組やケーブルテレビに勝る魅力的なものはないのだろう。

しかたないので、ちびっ子を残して一人で買い物ウォーキングに出かけよう。
(じいちゃん、おばちゃんは居るが、有事に備えて居るだけ)
パパは出勤。
ママも、おばちゃんも、在宅ワークだから相手できないし。

一人でウォーキング、出発進行!
8人分、夕飯材料の買い出しを兼ねて。
リュック姿が弱々しく痛々しく、様にならないわたし。
自転車に乗れないと関係者一同、全員に思われている。
(5年前は上孫を自転車の前に乗せて保育園から連れ帰ってきたのにね)
が、ばあちゃんは行く!
だだし徒歩。


未知ブログとの出会い

2020-04-22 | ブログ
gooさんのユーザーサービス「アピールチャンス!」で、興味あるタイトルを見かけた。
さっそくそのブログを覗いてみると、いつものわたしのお馴染みのあの方(goo紅アイコンのユメさん)が隣の席で閲覧されていた。
やあ!今日もご一緒しましたね!と声をかけるすべもなく、知らん顔して(声をかけようにもコンタクトのしようがない)そのブログを各々が楽しんだ。

わたしは楽しんだが、ユメさんは、楽しまれたか?それはわからないが。
興味ポイントが同じであること、たまたまgooの自分の解析ページを開けていた時間が一致していた偶然にも、驚いた。
外国の旅先で、小学校の同級生に会うようなかんじか?

まあそれはそれとして、、、、、
「アン・オーソドックス」だったか何かの映画のタイトルで、映画の内容を詳しく紹介されたものだった。
一般の映画ファンとはまた違うシャープな斬り口だと感心していたら、やはり、その道のプロの方だった。
といっても映画関係者ではないが。

わたしも、過去に(20年以上前?)この方と似たような職種の人と仕事を通じて知り合ったことがある。
大昔のわたしのブログにも書いたことがある、このお方。
わたしごとき俗人の手には負えず、あっさり喧嘩決裂した。
感性が違うようだ。
わたしは普通一般の感性であり、切れてもいないし、とんがってもいない。
だから、その人の芸術がとんと理解できなかった。
それならそれで、別に喧嘩することもないのだが。
なぜか、取っ組み合いはしないまでも口先バトルとなり、「お前の顔なんか二度と見たくない!」「こっちこそ!」という展開になった。

今ならあんなことにはならないと思うが、若いってことだ。
ストレートなんだろう。
芸術家の芸術を、理解できないからといって否定してはいけない、と、わたしは良い勉強になった。
これは、何も芸術に始まったことではなく、全てに言える。
「わからないわ、わたし」ぐらいにしておけば良かった。
そうなら「ふん、お前みたいな俗人にはわからんだろう」で収まったはず。
なんだったんだろう、、、

て、じつは、あれこれ思い当たる節や心理があり分析可能なのだが、書かない。
うやむやにして、ユニークな思い出として、ニヤニヤするのが程良いように思う。
あの時、へんに理解していたら、深みにハマるところだった。
ああ、わたしは凡人で良かった。
というか、わたしの無意識の直感みたいな動物脳が、きっと拒否したのだろう。
いや、たぶん、単純に、損得勘定や算段が働いたと推測する。
損得勘定は人間脳を通過せずに素早く働くようだ。

たぶん凡人とか俗人のとか、そういうくくりではないだろうけれど、切れそうな鋭利な刃物には近寄らない、触らないこと、と動物脳に指令されたと考えられる。
切れない木刀が、わたしには合っている。

ちなみに、ユメさんは、どうしてあのブログを訪れたのだろう?
なんとなくわかるような気がするような、わからないような。

ブログをブックマークしておかなかったから、あの映画ブログは多くのブログの海に紛れ込んでしまった。
しかし、縁があれば、また目にすることもあるだろう。
楽しみにしておこう。

あ、そう言えば、わたしは映画ファンだったことを思い出した。
ハリウッド大作ばかりではない、ちょっとマニアックな秀作を観てみたい。
今後、足腰が動かなくなっても楽しめる趣味がまだ残っていることを再認識して、大いに喜んでいる。

あの人、感じよくなった

2020-04-21 | 時事&世の中
さあ、ウォーキング開始時間になる前にブログ更新しよう!
と、いつも書きたいことが別に思いつかないうちに、記事がスタートする。
最後まで、助走ということもある。

さて、頭に浮かぶものは何かな?

モラハラのことを書くには、助走が短過ぎる。
温もらないと、書けない。
徐々にヒートアップしないと、平時では温度が低すぎる。

そう言えば、、、昨夜のNHK TV番組。
村上ファンドの、あの村上氏が出ていた。
お久しぶり。
お目々クリクリだったが、綺麗な白髪とスタイリッシュな眼鏡で印象がガラリと変わっていた。
ぼこぼこに叩かれる「お金儲けするのは悪いことですか?」と目をむいて食ってかかっていた若き日の村上氏に比べると、とても柔和でステキなシルバーエイジになっていた。
笑顔がすこぶる良い。
儲かったお金を社会に還元したい様子。
村上基金から、村上さんのお眼鏡に叶ったら資金援助をしてくれるとか。 
高校生を対象に投資に関わるセミナーをしていた。

子供の時から投資というのは、どうもわたしの好みから少し外れる。
ゲーム性、ギャンブル性のニオイは嫌い。
だが、そうでない動機、目標、目的がある場合は、わたしは全面否定しようとガチガチに縛りつけている紐を少し緩める。
村上氏も、面接で言っていた。
「能力ではなく情熱だ」と。

もちろん、能力も大事だ。
どうすれば思いが叶うか、ノウハウや登り口、入り口を探す能力がないと、ただただ夢を見るだけに終わる。
糸口を見つけるまでの情熱があるか、ないか。

なんらかの手応えを掴み、ノウハウを探すには、まずやってみること。
次第にやり方がわかり、世界の有名、重要機構の入り口まで自力で辿り着いた高校生がいた。
村上氏は、自分でそこまで調べて行動したことを賞賛していた。
その高校生は、10年後か、何十年後に、村上さんと対等に口を聞けるような、意見を戦わせられるような、そんな自分になりたい、そうなれるように頑張る、と言っていた。
これこそ、情熱だ。
やり方を教えるのは簡単だ。
そうではなく、考え方のヒントを出すに留める。
お金をがんがん何でも出すのではなく、何を目指すのか、目標の創設が大事だ。
欲望だけあっても、それを具体化させるにはどうすればよいか。
そもそもその欲望の実態は?
欲望の裏にある本質は?
考える力をつけなければならない。
導き方は要である。

自分はもうよい。十分、ご馳走さま。(番組ではそう感じた)
これからは自分を育ててくれた社会に還元したい、と村上氏。
成功者は欲に呑まれ、アリ地獄のように上を上を目指す場合もあるが、欲から離れ、自分から離れ、社会に目を向ける。
社会に何をしてあげられるか、何ができるか。
無条件に丸投げでお金さえ出せばよいというものではない。
お金を活かすシステムを作りたい。

ちなみに、NHK別番組でヒグマを殺さず共存している北海道の漁師の人々が紹介されていた。
飢餓に苦しみ里に顔を出す、ヒグマに、決して人間は餌を与えないというスタンスを崩さない。
そうやって共存する。
たとえ、子グマが飢え死にしても、こころを鬼にして。
餌を与えると、餌欲しさに人間を襲うそうだ。
人間がクマを殺してしまうのは簡単だが、それで良いのか、と、自然界での共存共栄を目指す。
自立させないと、その場限りの支援になってしまう。
いつまでも支援を頼ることになる。

で、話は行ったり来たり。
シンガポールに拠点を置き、ワールドワイドに活動している村上氏。
顔は履歴だと、つくづく思う。
あの、「とっちゃんぼーや」のようだった村上氏は、すっかり変貌した。

ある程度、ターニングポイントを過ぎれば、折り返し地点からの距離、時間のほうが短い。
残りの人生をどう過ごしたいか、考えも変化してくると思う。
全然変化しない場合もある。
あるいは、どうにもならないので諦める。

今なら、、、仕事場に行けず部屋に閉じ込められ、コロナ離婚危機もあるだろう。
あるいは、仕事に行かなければならない酷な事情も。
村上氏のよう社会のテッペンにいる人を紹介しても仕方ないが、社会からドロップアウトした人々の実態を知ったり、手を差し伸べようとしている村上氏の動きも紹介されていた。
何らかのメッセージ性は各人、読み取ることだろう。
それぞれの事情は今は最悪でも、必ず良くなると信じるしかない。