お馴染みブロガーさんの記事によると、
認知症予防には、10歳から15歳の記憶を思い出したり、人に話したりすると効果があるらしい。その頃は、思春期、大人になる重大な過程で、一番、心身共に変化する。
さて、自分は、、、
小学4年生から中3。
ぴたっと当てはまる、あの時期。
おそらく自分の一生の中で一番、頑張った時期である。
たまたま、認知症予防にこの時期がチョイスされたとすると、自分の体験時期とぴったり重なり驚く。
たまたまこの時期、たまたまわたしは、、、ではなく、万人に対して、この時期は激動の時期なのだろう。
なにしろ人が、子供から大人になる前段階、礎が形成される時期だから。
よく聞いてくれました!
話したくて話したくて、ウズウズするような時期である。
たぶん、皆さんもそうだろうけれど。
時代背景や家庭環境も大きく影響する。
さてさてさて、わたし。(前のめりに、えらくノッている)
一生のうち、その5年間しか活動しなかった。
一生懸命、余裕なく、全ての力を出し切ったかんじ。
力を出しても出しても、まだまだ、まだまだ、、、頑張れ頑張れ、もっと出せとお尻を叩かれる。
もう後は何もしなくてよい。何もエネルギーが残っていない。
15歳からの人生、残りは余生である。
わたしは大げさではなく、そう思っている。
早熟だったので、10歳は身体はもう大人だった。
精神的にはかなり暗かった。いや、お笑い系でもあった。
両方持ち合わせていた。
家庭の中は、大黒柱である父が大病に冒され大ピンチ時期だった。
勉強は、義務教育の中身をぎゅーぎゅー脳みそに目いっぱい詰め込んだ時期。
それ以後、脳みそは、うんともすんとも、びくともしない。
勉強脳波というものが仮にあるなら、上下の波は無く、横にツーっと静かに動きなく今日まで来ている。
これ一生続きそう。
すごいプレッシャーでスパルタ教育を受け、最も不得意分野である勉強部門で頑張らさせられた。
二度と戻りたくない。
わたしが勉強したのは、10歳から15歳の間だけ。
濃縮、凝縮のひと時。
しかし、同級生や先輩、後輩たちは産官学界で活躍するメンバーがそこそこいて、今、彼らの活動を対岸から見て楽しんで応援している。
15歳で無事、地獄のような中学を卒業して高校に進み、晴れてプレッシャーから解放された。
高校受験は、当時は内申書制だったように思う。
受験日当日のテストではなくて、中学2.3年の頃の成績を元に合否を決めていた(んだったっけ?)
なにしろ、一発勝負みたいなテストはなかった。
その代わり、中学の学期ごとに行われる中間テスト、期末テストの成績が重要になる。
化学、物理、ちんぷんかんぷん。
丸呑みしたけれど、丸呑み、丸暗記でどうにかなるものではないのはご承知の通り。
一生のうちで、真剣に勉強して、ひどい結果に文字通り涙したのは、あれが最初で最後だった。
よほど悩んだのだろう。
皮肉なことに、わたしが良い点を取ったのは高校受験日に実施された思考力テストだけだった。
つまり、教えられた科目は一切全滅に近く、自分で考え出したことだけが地中からちょっとだけ顔を出したということだ。
よくあれで志望校に合格できたものだと、今思う。
まあとりあえず、自分の人生の礎コースで頑張ったせいで、あとはオマケ、付録の人生。
基礎作りのあとは、何をしても、どうなってもよい、と思ったのか、15歳以降は手抜きの人生である。
今でも時々、悪夢にうなされることがある。
それは、その苦しかった10歳から15歳の時ではなく、その後、手を抜いてピンチに陥りそうな事態を自らが招いて。
高校の数学のテスト直前に全く勉強できていないで自室の机で呆然となっている夢だったり、単位を取得できずに卒業出来ないのが確定された夢だったり。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、どうしよう、どうしよう、、、と。
ピンチ寸前だけのワンカットシーンの夢ではなく、手を付けずに徐々に追い込まれていく時間の積み重ね、焦りの後に来る最後の決定的瞬間を迎える正に直前。
そんな夢。まあ、平和だと思う。
幼い頃、母がスーツらしき正装で、新幹線に乗ってどこかに行ってしまう夢を見たことがある。
母恋し物語か。
現在の母と比較して、時間の早送り、リプレイ、そして自分も今は祖母となり、、、(話、脱線)
なにしろ、必死で全く余裕なく選択肢なく何かにガンガン取り組んだのは、10歳から15歳の間ぐらいなんじゃなかろうか。
不向きなことを無理やりやらされて、緊張のゴムが切れてしまったのではないかと思ったり。
一番苦手とする分野で頑張らさせられて評価させられた経験。
じつは、この経験のパート2がある。
専業主婦になった時、専業主婦は一番苦手な家事で能力を評価されると思った。
こりゃあかん、と感じた。
あの10歳から15歳の頑張りは何だったのだろうと我が身を振り返った。
全然、自分の経験は生きていない。
かといって、塾の先生になるわけでもなし、お勉強は最も苦手分野、二度と近寄りたくない。
自分の道をずいぶん探した。
やはり10歳から15歳が礎になっているように思う。
苦手なことを頑張って克服した後に、次の輝かしい舞台が待っている。
のであるが、挫折したまま、迷宮入り。
輝かしい舞台は一生来ず。
苦手分野で自分を活かすのは、無理がある。
得意分野を作る、見つけると良い、と教科書には書いてある。
わたしの得意分野は、サボること。
サボることによって生み出されるような、素晴らしい生産性のあることは何も無い、、、と思っていたが、、、
今みたいなコロコロコロナ軟禁状態には打って付けではある。
おそらく、世界中の皆んなは、コロナ後の新しい価値観を生み出すと思う。
生活、人生そのものに向き合うことを余儀なくされる。
わたしは、15歳でカチカチに何かが固まったかも知れない。
自分の礎。
自分がやって来たことは、必ず自分に跳ね返ると実感する。
礎を築いていない人もいると思われるが、「礎を築いていない」キャラ、そういう礎があっても、それはそれ。
礎自体が、人には言えないようなマイナーな礎もあるだろう。
それぞれの礎。
だが、法を犯したり、人に迷惑をかけてはいけない。
10歳から15歳、不得意な分野一筋。
ではあるが、初恋、初失恋、初告白、ボーイフレンド出現、、、などなど、可愛らしく、いたって真面目な純情エピソードもそう言えばあったなあ、、、と。
書き出したら止まらない。
今日はこのあたりで。
認知症防止にはかなり役立った。
情報提供、ありがとう。