嫌われてもいいホンネは、蝶ブログで吐く。
別の趣味SNSでは保身意識があり、自分の持つ悪人要素、腹黒内部は、さらけ出せない。
ここ蝶ブログは、SNSとはいうものの、自分だけの城。(大袈裟)
(gooさんの所有する賃貸マンションに住んでいる一住民に過ぎない)
いいね!や、応援クリックは、有り難いと嬉しく思っているものの、実はわたしは、あまり、とらわれない。
いいね!欲しさに、なんてことはあり得ない。
現実的には、最近、新しいアプリを使うようになってから、初めて、いいね!が、自分のブログにも機能していることを知った。(たぶん、goo同士、限定)
せっかく、いいね!を付けてくださる方には申し訳ないのだが、わたし、腹黒です。
蝶ブログには全編、腹黒コンテンツが溢れかえっているので、既にご存知だとは思うが。
と、前置きはさておき。
(これ、前置きやったんかい!と、漫才ならツッコミをここで入れる、、、長い前置き)
別の趣味SNSの会員さんの日記を読むと、、、
クリスマスから年末年始にかけてパーティ三昧。
特に元旦から5連チャンで踊りに行く、とのこと。
1月1日、2日、3日、4日、5日、、、結構なことだ。
羨ましいなあ、、、の前に思ったことは、、、独身、単身、一人住まいなの?この人。
どうもムスメとムスメ婿は、ムスメ婿の実家に年末年始は行くので、楽々お気楽、、、とのこと。
ムスメさんはいるのね。じゃあ、寡婦?(表現が、お役所っぽい)
旦那さんは亡くなったか、別れたか?
人のプライバシーには首を突っ込む気はないが、旦那さん以外のスケジュールは、華々しく賑やかにご自分の日記に公開されている。
こんなに公開されているのだから、プライバシーお披露目タイプの方なんだろう。
ここまで発信するのなら、ダンナさんは、、、?と、ツッコミを入れたくなる。
しかし、わたしは、あちらの趣味SNSでは、保身スタンスなので、ツッコまない。
ダンナさんが居ないなら、あるいは、存在しないなら、なんの問題もない。
が、、、もし、ダンナさんが居るなら、おいおいおい、と、わたしは思ってしまう。
独立採算制の別行動、個人の集合家族なんで、ノープロブレム、平和です、なんてこともあり得るし。
余計なツッコミを入れて、地雷を踏んでは、つまらない。
が、なんだかなあ、、、である。
情報公開は、自己開示であるが、公開される内容の偏りを感じる。
ではあるが、自分に都合良いことだけを公開してどこが悪い?嫌なら読みに来るな!だろう。
ご無理ごもっとも、その通りでございます。
まあ、そういうわけで(どういうわけで、、、?)
各個人の自己開示の情報は、不快で嫌なら見に行かない自由が確保されている。
それを前提に言わせていただくと、、、(言わなくてもいいのに、まあ、言う自由もある)
その趣味SNSの自分の日記に、孫のバレエの発表会の動画をアップしている別会員さんがいる。
微笑ましい、可愛い盛りのお年頃。
子犬のモフモフみたいな。
会員さんたちは、カワイイ!と皆、褒めまくるコメントが、ぞろぞろ付く。
わたしは、性格が著しくひね曲がっているので、こういう動画は、お気に入りさんだけの限定公開にしたらよいのに、と思った。
わたしのような、一、通り過ぎの者まで見れてしまう。(その、もふもふお孫さんの、おばあちゃんであるご本人のリアル人物は知っているが)
見て見て!うちの孫!!カワイイでしょう!!!
これはなんの罪もない、人間としての素直な感情の発露である。
それは重々理解し、非難も否定もする気はさらさらない。
が、、、じゃあ何が言いたい?
わたしは、実像の彼女が好かんタコ。
彼女は、趣味分野で実力もある、人気もあり、お人柄も良い、行動力もある、人の為にも尽くす人。
なんの申し分もない。
しかし、わたしにはナイナイ尽くしだからと、卑屈になどならない。(そういうのは、卒業、超越した)
じゃあ、何なの?
何なんだろう?
何の理屈も理由もない、単に好み、嗜好だろう。
妬み、そねみ、ひがみではない。
いい年したおばあちゃんが、自分の90歳ぐらいの母親のことを「ママぁ、ママぁ」と呼び、娘さんやらお孫さんを一般に公開する神経が、ただ単にわたしの好みと合わないだけ。
であるが、個人の好みには、白黒、勝負のつけようがない。
どっちがいい、なんて言い合うのは、全く不毛な時間だろう。
お互い、相手を認めた上で、「わかるわ。でも、わたし嫌いなの」の世界だ。
「そんなに素晴らしいんですか。でも買いません」と、プレゼンテーションの後のようなもの。
だから、同好の人だけ閉ざされたところでやれば余計な摩擦もないのに、路上パフォーマンスなんぞするから、色々な意見や感性が出てくるのだ。
大人なので、「あら、それいいわね!」とは本人に言っても、「あら、それ、感じ悪いわね」とは言わないだろう。
個人の感想は、口に出す場合と、胸に仕まっておく場合がある。
相手の気持ちを思い遣って、というのが道徳的優等生の答えだが、わたしは、それプラス、自分の評価に跳ね返るのを避けるため。
これは道徳の教科書には載っていなくて、社会に出ると防衛本能として身につくことがある。
聖人君子、キレイごとばかり言って世の中で生きて行く人、美しいが、実は、煙たがられたり、嫌われたりしている。
だが、誰一人として本人には伝えないから、いつまでも美しいまま。
それはそれで、世界遺産みたいなかんじで、守らなければならないのかなあ、、、と、俗世間に汚れ、もはや純白、純真ではないわたしは、思うのであります。
外の世界から離れ、好きなようにマイウエイで、自分の世界を楽しく満喫していると、○○障害やら、なんやら、病名が付く世の中。
世間とのお付き合い、人との調和、協調もある程度はクリアするようにしないと、ダメみたいだ。
そのあたり、調整するのは自分。
色々な人がいて、バラバラの特徴ある個性を出し合うのは、面白いと思うんだけど、、、
師走、、、忙しないというのに、いつまでもまとめに届かず、〆られなくなってきた。
こういうの、時間泥棒なのかも知れない。すみません。