蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

宇宙の果てに消える時

2017-08-31 | 
趣味仲間Aさんの奥さん(Bさん)の実家。
古くから続く家らしく、家にある仏具は、1600年代の刻印があるとか。
Bさんの親御さんが亡くなった後、17世紀頃より前から続く墓は、永代供養にしたそうだ。
400年の家の歴史は、とりあえず終了。
墓を終えば家はピリオドなのか?
家と墓(祭祀)は、セットなのか?
特別に代々から引き継がれる財産はないとのこと。
祭祀費用は、受け継いだ人の持ち出し。
それじゃあ、年月が流れ、現代に家が細胞分裂して核家族となって暮らす人々には、なかなか厳しいという感想を抱く。

さて、ある、阪神圏内であるが田舎の家。
直系の跡継ぎが不在でも、養子で繋ぐ。が、墓は繋がないというケースがある。
祭祀をセットにすると、子供は跡を継いでくれない可能性が高いだろうと危惧されるからだ。
養子に土地やお金を相続させても、宗教心がないため、祭祀はしてくれない。
養子が、祭祀もせずに、土地、お金だけ取るのなら、お金の使い道を指定すべき。
経済的に余裕がある、お金を稼げる養子は、そんな面倒なお金なら受けとらない。
お金のない養子なら、引き受けるだろうけれど。生計を立てる仕事として。
あるいは、自分自身のお金が有る無しに関わらず、継承に賛同する場合は、引き受けると考えられる。
義務とお金は、セットである。

祭祀の義務としては、何年かに何度か、法要を行う。
盆、彼岸に墓参り、読経。
(これは、近くに住んでないと困難。墓掃除は代行業者に依頼することも可)

適任者がいなければ、家が絶えると見なされてもいいから、いっそ、祭祀をやめてしまうという選択肢もある。
故人たちを偲ぶ会で代用する。
宗教色を抜く。坊さんはカット、呼ばない。墓終い、永代供養。
親戚たちの集まりでいいのでは?
しかしながら、日月が決まっているほうが、わかりやすい。
では、その日に、坊さん抜きで、集まる。
宗教を切り離した、家だけの継承。
だが、相続資金が底をついた段階で終了。
税金を根こそぎむしり取られるので、一代延命されるだけと予測する。

夫の家の場合、祭祀抜きは、夫の目が黒いうちは、大反対するだろう。
夫や、夫の姉があの世に行けば、家の運営に反対する人は誰もいない。
しかし、わたしは夫と同世代。どちらが先に逝くかは、わからない。
わたしが先に逝けば、あとのことは関知せず。
夫が先に逝き、夫の姉が反対しても無視する予定。
その頃は、あちらも力もないだろう。
それ以上にわたしも、輪をかけて、よれよれよぼよぼ「あなた、だれ? わたし、だれ?」だろう。

息子は、どう出るか?
楽しみであるが、期待していない。
意外に、娘が、孫を養子にして祭祀を行ってくれるかも知れない。
ただし、こちらの要望、切なる願い、潤沢な相続財産があれば、の話だろう。
仮にいくら財産があったとしても、懇々と訴え続け、諭し、想いを受け止めてくれたらの場合。
その後の長い年月は、わたしはあの世に行っているので、知る由もない。

お金と情熱を遺し、バトンタッチしないと宗教の継承は無理だろう。
家だけ祭祀から独立させて継承させる、新しい試みがあってもいい。
しかし、継承させるには、求心力のような、強力な接着剤のような、マインドコントロールが必要だ。
維持、継承するのをやめて立ち消えになると、代々から続いた家は、形骸化した、伝説、昔話になるだろう。
時代の流れには逆らわない。いや、逆らえない。
わたしたちの子供たちが、どうするか、であるが、彼らもリタイア生活を送っている年齢になり、どうなっているか。
今のわたしの年齢になった子供たちは、どう感じ、どう考えるだろう、、、

それよりも、わたし自身がどう変化しているだろう。
典型的な年寄りになって、煙たがる若い人々に、高圧的に詰め寄るか、グチグチへばりつくか、あるいは、片手で必死で持っていた手を解放し、両手ともフリー。
両手を離し、海の彼方か、宇宙に解き放されるのかも知れない。
しがらみにも、血縁にも解放されて。
その時は、幸せの絶頂か、あるいは、、、?

なるように、なる。
なるようにしか、ならない。

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もしも、わたしが財閥令嬢だったら

2017-08-30 | わたし
アメリカで830億円、宝クジで当たった53歳、病院勤務女性。
即、職場に電話して、「辞めます」と言ったらしい。
持ち慣れないお金を、額に見合う器ではない人が持つと、
意外に、宝クジで悲劇を巻き起こすかも知れないと思ったりする。

もし、わたしが、、、
オノ・ヨーコの母君のように、大財閥のお嬢様が育ったような家に暮らしてみたい、、、と、仮に思ったとする。
(もうすでに60歳になってしまっていたら、今からでは、この、年齢を遡る「育っていたら」という仮説は、意味がないことだが)

広大なお屋敷。
手入れ、管理、掃除は、人任せ。
が、トップの管理者を選ぶ目が必要。
端々の使用人と、いつも一緒。
部屋にまでは、同時について来ないにしても、自分が不在の時に掃除をしてくれる。
他人の目が通る、私生活。
衣食住すべて、他人がやってくれる。
楽は楽はだが、気が休まらない。
(二、三日、休暇を与えて、使用人のいない時間を満喫するのも悪くないかも知れないが。)

それが嫌なら、小さな、こじんまりした、自分だけで掃除できる家が良い。


あり得もしない、絵空事を空想、想像して、しかもわざわざ文字にするのは、ヒマ人の極みである。
緻密な手作りプラモデルを作るほうが、ずっと創造的だ。

でも、想像は続く。

衣食住は、文字通りの「暮らし」であるが、食べて寝るだけが暮らしではない。
豪華な家&調度品、豪華な食事、豪華な衣服、の、衣食住。
目に見えて、わかりやすい、「豪華な」という眩い形容詞が付加されるだけで、すでに普通の暮らしではないのかも知れない。
その、誰にもわかりやすい象徴として、大邸宅があるわけだが、それ以外となると、庶民のわたしは、途端に想像力が低下する。

が、大財閥にしかできない、プラスアルファの暮らしがある。
時代の先端の文化や空気を無意識に吸い込んでいる。
家に出入りしている人々の顔が、時代を動かしている大物VIPだったり。
時代の空気感をまさに肌で感じるわけだが、生まれ育ったところに、大きく左右される。
時代の頂点で、原点が形成される。

依然、住まいにこだわり、理想のお城を建て続け、結果的に自分を死に至らしめた王族もいる。(シンデレラ城のモデルといわれるノイシュヴァンシュタイン城を建てた、ドイツのルートヴィヒ2世)
趣味と実益が一致する建物は、暮らしに直結しているので、イメージしやすい。

では、暮らし以外の、大財閥的生き方は?
自家用ジェットとか、各国に別荘とか、そういうハードそのものは、ミーハー的に、わーわーきゃーきゃーいうとして、ハードに付随する、各国にある別荘で出会う人々が、キーである。

いろんな重要人物に出会うものの、本人がパープリンなら、利用されるだけだ。
優秀なブレーンが必要である。

事業もさることながら、潤沢な資金で、政党を作ったり、政治を操ったりできるだろう。
芸術家や文化後援とか、支援もあるだろう。
(大金持ちは、もちろん寄付も)
仕事や政治、時勢に興味がないなら、ケタ外れの遊び展開もあるだろう。
でもこのあたりから、なんだか書いていてもワクワク感がなくなってきた。
時代によって、世の中の流れがまったく違う。

流れを読んで、キーマンを見極める力が不可欠だ。
舵取り。
大きくなればなるほど、重要で難しくなる。
溢れる情報や人材の中で、誰を起用するか、大事なポイントである。
豪華な家やお城を建てるほうが、ずっと楽で楽しい。

と、豪華な暮らしも、素晴らしい人材の育成も起用も出来ないわたしが、延々と絵空事を書いても誰も相手にしない。
当たり前なんだけど、なぜか、こういう空想は好きなのだ。
海援隊や、明治維新ストーリー、国盗り物語が好きな人々と似たようなかんじだろう。

話は延々と続き、まとまり、オチがなく、今日も、空想は続く。

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ダイヤ改悪、ムカつくけれど

2017-08-28 | 暮らし
今日はまだブログをアップしていなかった。
電車のダイヤ改悪のため、乗る電車がいつもと変わり、ブログタイムが確保できなかった。
このまたまたダイヤ改悪には、非常にムカついている。
しかし、この電車が止まると、陸の孤島。
電車代も高い。
地価はダウン。
でも、不便なりに、地価は下がろうが、我が街、住めば都、愛着のある街になっている。

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まだ帰らないの?

2017-08-27 | わたし
長女一家が、新居にお引っ越し。
ピカピカさらっぴんの家は、気持ちいい。
しかしながら、子供が小さいうちは、綺麗な家は諦めて、子供中心の、叱らなくてもいい家、家具にしたらいい、というわたしの主義主張とは、真っ向から反対の、ライフスタイル。

子育て時代は、エネルギー全てを子育てに捧げるという、わたしの時代(そもそも姑の主義)と、今の若い世代とは、考え方が違うのだろう。

子供たちが、最も汚し盛り、わんぱく盛りの時期に新築するなんて、わたしには考えが及ばない。

まあ、反対を押し切って敢行したのだから、今となれば、応援するしかない。
が、どこかに、くすぶるものがある。

彼女たちは、自立している。
経済も独立世帯であるし、幼い手のかかる子育て真っ最中の生活も、イクメンと協力して頑張っているので、親の出る幕はない。
文句を言う筋合いもない。

これが、経済援助でもしているのであれば、発言権も発生する。
カネは出すが、口は出さない、なんてのは理想で、口は出さないが、カネも出さない、そういうスタンスに(結果的に)なっている。
支援を要請して泣きついてくるならいざ知らず、自分たちで頑張っているので、外野がとやかく言う権利はない状態に追い込まれた。
口を出されたくないから、カネも出させなかったと見られる。

自立しない子供が多い中、けっこうなことと言えばけっこうだ。
カネは出さぬが、口を出す、という親も中にはいるだろう。
そんな親にはなりたくない。

この自立スタンスは、人生ステージとしては、今はこちらが支援する側だが、将来は逆転する。
我々が年老いた頃、子供たちに泣きついていかないよう、釘を刺されているようなものだ。
お互い、独立採算制。
子供に、自分の老後に必要な額を計算してお金を使えと言われる。
将来は、多額なお金の援助は無理、と警告されている。
姑は、口を開けば「将来は、お小遣い、ちょうだいね」だったが。

べったり依存し合うのは、もちろん避けるべきだが、最悪の場合は、持ちつ持たれつ、協力する。
できる限り、お互い、自立の道を確保したい。

しかし、
出来過ぎた話だと感じる人もおられるだろう。

わたしは、自立していないまま、今日まで来てしまったので、反省の意味もある。
親にしてもらいすぎた結果、自立できない夫婦になってしまっている。
今更、修復しようにも不可能。
せめて、子供世代との関わり方を通して、依存しない自立した生き方を身近で見て学習し、自分たちがいかに依存してきたかを自覚し、正しい依存しない状態に近づけていきたい。
まさに、「負うた子に教えられ」というものである。
こんな自立していない夫婦から、なぜ、あんなしっかりした子供が育ったのだろう。
まさに、反面教師そのものだったに違いない。

甘やかしすぎ過保護の方法は良くないけど、その中には、愛情や優しさが、ぎゅーっと詰まっているので、その部分に接した理屈抜きの経験は、性格や人格形成に影響はあると思う。
人が人を育てる。
人は家族に愛情を持っているに決まっている、と思うが、そうでもない人もいるようだ。
自分の置かれた場所に、感謝せねば。

それと、親世代と子世代のバランスが大事。
経済的、社会的に、あまり開きがあると、バランスを崩す。
おばあちゃんであるわたしの、自分の家に帰って居場所がないと、娘一家の中で孤独感に苛まれるだろう。
ちょっと顔を出して、「ありがとう、さ、帰るわ」と、さっさと気持ちよく帰りたいものだ。

昨夜は4歳の上孫に、「まだ帰らないの?」と言われた。
が、まさに帰る時間だった。
ついでに言うと、わたしだけでなく、次女も一緒に訪問していたが。
「そういう時は、ほうきを逆さにして立てるんやで」と孫に教えておいた。(もちろん、冗談)

しっかり者の孫に、将来のわたしの行く末、縮図を見た。
依存し合わない体制は、かなり気合いを入れて維持しないと、手を抜くと崩壊しそうである。
その頃には、身体だけでなく、アタマも楽園になっているだろうけれど。

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雑感、まとまりません

2017-08-25 | わたし
昨日の記事に、少し加筆したりして、当時の鬱憤を仕分け作業している。
そして、思った。
わたしは、ひょっとして、認知症の入り口に来ているのではないかと。
認知症の症状としては、どんなにボケボケでも、相手から受けた嫌な感情は強く残るそうだ。
良い想いより、悪い想いに支配される傾向にあるとか。
なので、失敗をして、家族にガミガミ怒られると、恨みばかりが残るので、指導する役回りは、敬遠される。
家族も感情的になるし。

姑の、気をきかした采配に感謝する捉え方もできるのに、逆に恨みを抱くのは、わたしもヤキがまわったか?
だが、そのせいで、わたしを含む、まわりの人材が育たなかった。
人を育てるには、自立させなければならない。
先回りして、何でもかんでもやってあげるのは、自立する妨げになる。
これは、子育てでも言える。
ある程度、困らせ、自分で考える、失敗から学ばせる方法がある。
が、すべて前もって失敗材料は取り去り、成功材料だけ取り揃え準備し、おいしいところだけを本人にやらせる。
これは、まっすぐで能率が良いが、プロセスを学んでいない。
自分の考えに基づいて、やっているのではなく、やらされている。
イルカショーのイルカ、芸当がうまくできたらご褒美のイワシをもらえる。
しかも、本人はその事態に気づいていない。
しかし、こうなれば、死ぬまで、気づかないまま、なんていうのも、ひとつの幸せ極めコースだろう。
それも、アリかと。
分業して、各自のコースを歩む。
みなさん、パラレルで、絶妙なバランスで関わり、協力する。
その一番小さな単体コミュニティは、家族である。

しかし、一生、失敗コースを走る場合もある。
何が良くて、何が良くないのか、よくわからない。

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過保護ママと、負のレガシー

2017-08-24 | わたし
昨日、長女の引っ越し手伝いをしていて、胸に熱い想いが、沸々と次から次へと湧き上がってきた。
良い想いなら、問題ない。が、、、。

引っ越し、と言えば、、、、自分の無念な納得できない悔しい想いが蘇る。

まず、結婚当初。
新婚新居へ引っ越しする際の御手伝いを夫の叔母にしてもらった。
姑が我々に何も言わずに、叔母に御手伝いをお願いしたようだ。
(夫はなんの協力もせず、代わりにしてくれる人が自動的に配備され助かり)、私は人手があり助かるが、もちろん、姑は叔母に、お礼(謝礼金)をしているだろう。


これは、今考えるとそれからの長い道のりの伏線になっている。
楽々コースに乗ってしまい、甘んじて受けてしまった。
その後は、夫は家庭のことには一切、汗をかかず、仕事と遊びのみに没頭してきた。
私は、姑の采配による、夫の代わりの人員の協力で、家庭の労力不足分をまかなってきた。
イクメンを育てない、イクメンとは真逆の方針である。

ある、別の時期の引っ越しの恨み節は、まだ根強く残っている。
方角、時期、全て姑の方針に従った。
科学的根拠のないことには、半信半疑を通り越し、アレルギー的拒絶反応を現すわたしにとって、占い的な考えや方針に従わされるのは苦痛であり、屈辱であった。
が、仮に従わなかった場合の逆風を考えて秤にかけると、吐き気がするほど、嫌で納得できなかったが、従った。
全身の毛が逆立つほど不快だったが、従った。
自分さえ我慢すれば、事がすんなり進むのであれば、という自己犠牲的な見上げた崇高な想いからではなく、計算、策略からだった。
自分を美化する傾向は、昔も今もない。
これを呑めば、その他では、どんなヘマをしてもわたしは許されると思える「免罪符」を得るため、従った。
しかしながら、今頃、その時の逆噴射的心境が、鮮やかに蘇る。

問題は、夫はそのことを全く知らないことである。
身を切るようなわたしの苦しみがあったこと、その苦しみや出来事の存在さえ、夫が知らないことである。
夫に苦情を呈さなかったわたしが、悪いと言えるが、(なぜ反対意見を言わなかったのか?
おそらく却下されて、根性なく諦めたのだろうと想像するが、結果だけ覚えていて、詳しい経緯はおぼろげである)
そう結論づけると、今後の残されたわたしの人生が鬱になる。

なので、やめる。
長い屈辱の時代を経て、その間に徐々に力を蓄え、じっと時を待っている。
夫に仕返し、反逆、復讐をすることで帳尻を合わせようと考える。

こういう妻は、多いらしい。
つい最近、NHKテレビで、「男脳と女脳の違い〜キレる妻」が特集、解説されていた。
わたしのケースにどんぴしゃり当てはまる。
過去の過ぎた出来事をいつまでも根に持って、ちょっとしたきっかけで、すぐ夫にキレる妻。
近代以前の長い歴史で培われ、埋め込まれたホモ・サピエンスの男女別DNAの違いに遠因があるそうだ。
が、原始時代から積み重ねられた、男女の脳の形成プロセスによる、DNAギャップは、ライフスタイルや価値観が異なる今を生きる現代のわたしには通じない。
時代が変わった。背景が違う。
(男女脳には、新しいDNAが組み込まれている最中なのかも知れない)

男性を擁護する気にはなれない。
人の擁護で自分が潰れては、元も子もない。
自分の人生を取り戻さなければ。

常にこころの中、奥深くに爆弾を抱え、なにかの折にその記憶の蓋が開き、爆発する。
夫は、気の毒かというと、そうではない。
人生の前半で苦労すべきチャンスを過保護ママに奪われた。
気の毒なのは、そういうママをたまたま持ったことだ。
親は選べない。
ママの仕出かしたことは、良くも悪くも、自分に跳ね返ってくる。
なので、後半の人生では、しっかり苦労していただく。

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とかいって、なかなか煮ても焼いても、どうにもならない。
負のレガシーを遺してくれたようだ。


自問自答

2017-08-21 | わたし
庶民には庶民の人生の楽しみ方がある。
何かを背負うと重荷になる場合がある。
何も背負わないと、ひらひら風に散って、跡形もなく、その場限りの時を享受する。

本人が良ければ、周りに迷惑をかけなければ、人それぞれの選択である。

自分はどうしたいのか、自分に問うてみる。
他人には言えないような、恥ずかしい自負がある。
この自負こそ、生きていく糧、プライドだと思っている。
ただし、プライドだけでは食べていけない。


今日のブログは、短く終われそう。
でも、言いたいことは、ここからなのに。

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探究心が止まらない

2017-08-20 | わたし
わたしのブログの存在(URL)をリアル人で知っている人は、
姉、姉のまわりの人、近所のダンス仲間、友人A、友人B、元・中学同級生、元・同僚。
以上、10人にも満たない。
その中で、ほんの数本の記事を読んだだけで、読むのをやめた人は、なんと、5人ぐらいいる。
まだ読んでいる人は、2〜3人(以下)という、皆さん、クールな現実派。
友人Cには、わたしがブログを書いていることは知っているが、URLを知らせていないので、ブログにはたどり着いていない。
知らせなくてよかったと思っている。

つまり、ごく一部を除いて、リアルな皆さんは、わたしのブログは好まないということだ。
ブログの中で、今まで知らなかった、ギクリとするような嫌なことに突然、不意に出くわすのも心臓に良くないし、単純明解に言うと、「つまらない」ということだろう。
皆さん、賢い選択だと言える。
どんどん賢者が続出してくれて、わたしは助かっている。
リアルな皆さんのことをほとんど気にせず書ける、ということだ。

やたら長いばかりで、面白くないから、読む側はどんどん脱落していく、そのプロセス、心理は、手に取るようにわかる。

さて、長々と説明したように、典型的に長く面白くない、本日のブログであります。


昨日は、一日中、ググッていた。
日本の江戸時代から近代、現代にかけて、歴史のお勉強をした。
というのは、一昨日の夜に見た、NHKテレビ番組の「ファミリーヒストリー」、オノ・ヨーコの背景に驚いたのだ。
前から薄々知っていたかも知れないが、なんと、安田財閥の創始者のお孫さんである人が、ヨーコの母親。超お嬢様のお嬢様だとは、ビックリ。
安田財閥の創始者(1838年生まれ)は江戸末期から明治にかけ、富山から江戸に出て、一奉公人として働き、其の後、巨額の富を築いた。
戦後、財閥解体されたが、安田の寄付で建てられた安田講堂は、今も有名。
現在の、みずほファイナルグループや明治安田生命保険、損保ジャパンなどを設立した。

元々は、田舎といっても武士の出(ただし親の代から。半農半士)ではあるが、やり手。
時代に乗った。すごい勢いで。
お金儲けの天才である、この創始者の最期は、センセーショナルな、この世とのお別れとなるが、時代がそうさせた?
安田家はそういうわけで、周知の財閥であるが、娘たち、孫たちの結婚相手がまた素晴らしい。
銀行家と結婚した、ヨーコの母。
この銀行家が、また絵に描いたような凄い人。
ピアノを奏でる文系要素と、元々は数学の道を歩いていた理系要素を持ち合わせた東大卒の秀才。
ついでに、えらくオトコマエ。これがまたカッコイイ。
妻の座、争奪戦、競争率は随分高かったそうだ。
外見もさることながら、バリバリと仕事をして偉業を成した。
しかも一代ではなく、彼のお父さんが先見の明もあり、明治の最初に外国に出て、学問も修め、国外で高く評価された。元、武士の家系。
お嫁さんも向学心のある行動派。元、武士の家系。
元・武士は、凄い。大勢、学者にもなっている。

やはり生粋の武士出身は特別なんだと、さっきまで、スゴイ、スゴイ、と興奮していた。
よく考えてみると、明治以降、武士は全員廃業、失職者となるわけだ。
新しい食い扶持、職を見つけなければならない。
必死で新しいポジションを創設しなければならない。
学問のある、少し考えることのできる武士が、時代の変わる大混乱を利用して、のし上がるチャンスは、平民よりも成功を手に入れる確率は高いのではないだろうか。

時代の半歩先にいる場所にいた人々が、手を組んで、利権を得たのだろう。
波乱の時代、夢か悪夢か、人々は動く。

時代は流れ、お嬢様たちが育った大邸宅も維持管理できず、税金も払えず、地元に寄付したりしている。
幼いオノ・ヨーコの暮らしたニューヨークの家の写真には、うっとり。
幼少期の3年間を過ごした、今はフィリピン大使館になっている、東京のお屋敷にも、うっとり。
こういうところで育った人は、いったいどんな中味なんだろう。
オノ・ヨーコの8歳年下の妹さんは、「母は、お嬢様だから、何も出来ません」とインタビューで答えていた。
大金持ちに生まれ育つと、芸術家になる人が現れる可能性が高い。
才能は勿論、潤沢な資金がないと、芸術家にはなれないという一面を感じた。
食べることの日常の心配をしながら、芸術は同時進行は困難だと想像する。
そして当然ながら、現在の日本で、有名企業として名を連ねる中で、上流同士の婚姻で絆は深まり守られ、活躍されている子孫の皆さま。
庶民にはやはり、上を見上げる雲の如く、少し違うなあ感がある。

で、まとめ。
三井、住友、三菱財閥もググッたが、時代を重ねた壁は厚く重く、同時の新興勢力とのテイストの違いを納得した。
というか、ググり集中力が続かず、安田財閥で、わたしのエネルギーが尽き果てた。
全くなんの関係もないのに、テレビで見かけた有名人をキッカケに、元の元の何かを知りたい探究心がわたしを動かした。
さらに追求して研究家になるわけでもなく、自分が満足したらそれでおしまい。
ググれば色々知ることができる、楽しい一日が過ぎた。

女性週刊誌を一日中読んで楽しいのと、なんら変わらない。
等質、同じである。

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友だちがいない、典型的タイプ

2017-08-18 | わたし
蝶ブログ、閲覧数が上がったり下がったり、乱気流で船酔い気味。
皆さん、嫌いなブログって、気になることもあるし。
つかみどころのない、実体のない浮遊する事象には、あまり囚われず、いつもながらの「我、関せず」スタンスで、いきます。

さて、ここのところ、くだらないゴシップ記事ばかりをスマホでググって読んでいたら、ゴシップ通になってしまった。
久々ぶりに訪れた、銀行での待ち時間に、女性週刊誌を手に取るも、どれも知った記事ばかり。
わたしは、そうとうヒマ人であることを自覚した。

いつも女性週刊誌を読んで思うのだが、読者はどんな層なのだろう?
ずっと以前に、地元でエアロビックスを近所の人々と楽しんでいたが、その時のレッスン仲間に、女性週刊誌ファンがいた。
(かつて、蝶ブログに書いたことがあるかも知れないが)
その人の友人も、同じく女性週刊誌ファン。
2人とも、お金を出して、女性週刊誌を定期的に買うというへビーユーザーだった。

年齢は、わたしと同じぐらいか、少し若い。
ファッションには興味のある、オシャレな2人だった。
エアロビックスが終わった後、皆んなと、お茶をご一緒したことも何度かあるが、話題は日常的なこと。
話しても話さなくても、聞いても聞かなくても、ほとんど変わりがない、たわいない話。
人にわざわざ話す?という内容だったが、そういう人もいないと、しーんとして場がもたない。
議題があり、討論したり、議論したりする会ならいざ知らず。
話題なんて、その場でアタマに思いついたこと。
悪い人たちでは決してなかった。

話す内容があまりにも日常のことすぎて、日常以外になにもなくて、驚いたが、嫌悪する類のものではない。
他人の悪口や愚痴なら、不快だが。

日常の話は、時間があり過ぎる時には、退屈しのぎになって、良い。
女性週刊誌ネタ範囲外に、他に興味はないと見受けられるところが、とても興味深かった。

こんなこと、平気で書くあたり、
わたしって、友だちの出来ないタイプ、そのものだ。

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楽しくない老後を回避する対策、今さら感あり

2017-08-17 | 暮らし
ぼぉ〜っとしている。
といっても、しばらくすると、快適時間はおしまい。
じゃあ、今のうちに、たっぷり楽しまなければ。
といっても、何もせずに、ぼぉ〜っとしているだけだ。

お盆で田舎の家では、なんの問題もなかったのに、こちらではなぜ、問題があるのだろう。
問題とは、、、
快適空間の確保ができるか、できないか、である。

まずは、住宅事情。
人口と土地需要の関係から、田舎のほうが、広い。
部屋と部屋が離れているので、音が遮断され、別の部屋に居ると、わずらわされない。
各部屋、広々して閉塞感がない。
別の部屋でも十分、くつろげる。
各部屋に分散型。
というか、田舎の家には行事で行くので、くつろぎタイムは、そもそもない。
時間があれば、あちこち、ゴソゴソ探しもの、調べもの、家のチェックに追われる。
夫の動向を気にする余裕はない。
気分・分散型。


こちらの家は、快適空間をひとまとめに絞り込んであるため、快適部屋に人が集中する。
快適な部屋に、自分中心の人が割り入ってくると、他の人は快適ではなくなる。
仕方なく、別の部屋に移る。
が、部屋が繋がっていて、完全に隔離するには、二階の部屋に行かなければならない。
二階は暑い。
しかも、エアコンは壊れている。
しかたなく、占領された、元・快適な部屋をシェアすることになる。
どうしても嫌な場合は、スゴスゴと負けて出て行く。
不快適な部屋へ、退避。いかにも退敗。
割り込み人の出現により、元・快適な部屋も、避難先・不快適な部屋も、どちらも、居心地が悪い。
快適空間の一極集中型。

快適なのは、1人で快適な部屋にいること。
現実に、田舎の部屋割りでは可能だったのだから、できない話ではないはず。
家の部屋割りが、要。
力関係も、要。
時間別のシェアが良いようだ。
あるいは、田舎とこちらに分かれる。場所別シェア。


ご先祖様のおばあさん方は、生きるのに精いっぱいの忙しい毎日で、ブログに不平不満を綴っている暇はなかっただろう。
わたしが、自分たちの家を快適な設計にしてしまったせいで、部屋の取り合いで争いが起こるなんて、本末転倒か。
やはり部屋割り、間取りに問題がある。
なんで、こういう間取りにしてしまったのだろう。
自分で思いっきり好きなようにプランした家なのに。
プラン時は、夢ばかりが先行し、あまり現実を見ていなかったのか。
誰が考えでもハッキリわかることなのに。
こんな不満が生まれることなど、全く考えていなかった。


あの頃は、夫はいつも休日はゴルフで不在だったので何の問題もなかった。
夫のいない休日が待ち遠しかった。
短い時間なら、2人で部屋をシェアする苦痛は感じなかった。
今は、自我が出てきて、家での過ごし方に、好みやライフスタイルも確立され、お互いに違う好みをシェアできず、我慢がならない。

せっかくの休日。
一日中、大音量のテレビの垂れ流し、自然の気温を無視したエアコン常時作動。
ひたすら、大音量のテレビのみ。
空気の流れのない澱んだ室内で、微動だにしない夫。
それが夫流の楽しい休日の過ごし方なのである。
それはそれで、各人、尊重すべき好みであり、わたしの快適な領域を侵しさえしなければ何の問題もない。
人の快適領域を侵してまで、自分本意に楽しもうという、お互いの譲り合わない姿勢こそが、問題である。

わたしが家をプランしたのに、経年後の過ごし方の変化まで予想できず、不快適な結果になっている。
夫が家に居る休日!
どこの家庭も、リタイア後は、毎日、夫は家にいる。
わたしは絶対に神経を病むか、身体を壊すだろう。

さて、最悪の事態を避けるために、どうやって改善しようか。
対策を練ろう。
今さら感はあるが。

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