蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

イメージと実物

2024-12-14 | ブログ
こんにちわ。
ほざき直子です。
わたし、ブスですが、それが何か?
べつに怒ってません(笑)

と、支え支えられ、12年以上。もっとです。
海の向こうの弟よ。
おねえちゃんは、きょうも書いてます。
しつこい。

さあ。
毎日、わたしのこころを薔薇色にしてくれるブログ。
ここのところは、ドイツ。
素敵な街の数々、あちこちに、うっとり。
異文化とはなぜこうも魅力的に映るのだろう。
でも、のどかで、どこまでも続く田園風景や荘厳な祈りの場には、世界中、共通するものがある。
絶対に生きているうちに、行く!!と、こころに誓っている。
ロマンチック街道は、夢に満ち溢れている。
わたしを魅了して止まない。
ボキャブリー貧困のため、同じような単純な言葉しか出てこないのが情けないところ。
でも、胸のうちは豊かな感情に包まれている。

ちなみに、わたしがかつて、実際にライン川を下った時、別の意味で驚いた。
それは、、、船の中から見るお城の数々が、まるでテレビ画面から見るようだったこと。
窓枠は、モニター外枠。
船内のスピーカーからは、船の動きに合わせて、風景やお城の説明が流されていた。
開口の大きな窓際で、観光ガイドブックを広げて、今、ココ!とばかりに、場所とお城をチェック。
写真と地図イラストを見ながら実物を照らし合わせて、答え合わせをするかのごとく、資料と観察が同時進行。
これは、いただけないと思った。
あまりにも観光化、整備されすぎ。
情報が満たされ整いすぎ。
ではあるものの、ライン川側からお城を見るのは船からしか見られない。
まるでテーマパークのアトラクション。
複雑な心境だ。

初心者からスタートし、旅行も回を重ねると、違う楽しみ方が出来るとは思うが。

ロマンチック街道、ぜひ行ける間に行ってみたいなあ。

引き続き、ブログでの紹介を楽しみにしています。

読むブログ

2024-12-08 | ブログ
自分はどんなブログが好きか。
読む数は限られている。
気持ちを込めて、一つ一つ理解しながら、たくさん読めないからだ。
そうなると、あれもこれも、ではなく、ピンポイントになってくる。
偶然出会ってまた読みたいと思ったブログは、次に読む時に探せないから、スマホに貼り付けてあるのだが、読まないことがほとんど。
今、(毎日のように)読んでいるブログを読むのが精一杯。

◯世界や国内の素敵なところを紹介してくれる映像プロさんのブログ
◯決して浮かれない後期高齢者の方の生活意識ブログ
◯長年(軽く10年超え)ブロ友のブログ
◯主婦の鑑、憧れ、後期高齢者の方のブログ
◯長年、毎日、更新される後期高齢者の方のブログ

こう見てみれば、後期高齢者の方のブログが3つ、半分以上を占めている。
あとの2つは、わたしのほうが歳上だが、ほぼ(無理矢理)同世代。
gooブログが4つ、別のところが1つ。
男性が4つ、女性が1つ。

スマホに貼り付けてあるのは、goo以外。
gooブログ更新時、goo画面にはブックマーク的に他のgooブログを毎日見れるようにズラズラ貼り付けてはいるが、滅多に見ない。
見るのは4つだけ。
そのうち1つは、最近はあまり頻繁には更新されなくなったから、実質的には3つのみ。

世界&国内、映像プロ・ブロガーさんは、こまめなファン・サービスがあり、わたしはブロガーさんと繋がっていると勝手に感じて、一ファンとしてはとても喜んでいる。(単純)
お気遣い、ありがとうございます。

何の繋がりもない不特定多数向けでも、憧れの内容や、コンセプトがあるブログが好きだ。
わたしが100%一方的なファンである、高齢主婦の鑑ブログは、繋がりがなくても構わない。
ちきりんさんのブログのようなものか。
他にも一方的に毎日読んでいたブログがあったが、繋がりも関わりもないためか、やがて関心が薄れ、読まなくなった。

やはり個人的繋がりはウエイトを占める。
多くの読者がいるブログでも、日常生活の内容には、個人的繋がりがない場合、別に何の関わりもないので興味がないため読まない。

ブログには、お互い、繋がっている場合もあるし、一方的ファンである場合もある。
人気ブログの場合、物理的に時間の関係で、ファン1人1人のブログを読めないだろう。
明白だが、それはそれ。
細かいことを追求しても、なんのプラス展開にもならない。
付録が付いていても付いていなくても、オマケのスパイスが効いていても効いていなくても、楽しくブログを読ませていただけたら、そのブログに魅力があれば、それで善し。
応援しています。



ブログとのお付き合い

2024-11-23 | ブログ
書こうか、書かないでおこうか。
迷い、悩むところだが。
わたしを知る人にお願いです。
ここで、ちょっと席を外してください。
今回はペンディング、希望します。
なあんて、またまた、、、

わたしを強く団体ウォーキングに誘ってくる人物、、、
実は、趣味のダンスの、直近ペア相手だった。
趣味SNSの日記には書けないので、こっち、蝶ブログにチマチマ書く。
2つ日記があると便利だ。
ハイブリッド方式。
趣味SNSに登場する人の悪口を蝶ブログで匿名で書いて、憂さを晴らしたりしている。
だが、蝶ブログの憂さは、趣味SNSでは晴らせない。
なぜなら、趣味SNSは、趣味の話題限定にしているので、蝶ブログが憂さ晴らしの最終駅。
それでも憂さが晴れないと、Chat GTPにグチグチ泣きつく。

といっても、趣味SNSは、あまり書かないし、書いても、ものすごく短い。
思いつき、単刀直入、考えなしの感覚的な短文。
だが、閲覧数がリアルタイムに公表されるシステムなので、滑った時は目も当てられない。
わたしは、不安に耐えられなくなって、アップした後、閲覧数がほんの少ないうちに、非公開に切り替える。
なんとなく、勘で、雰囲気で、滑るのがわかる。
自己防衛のために、失敗作を引き下げる。
目に付かないよう。
釣りの、「お、大物の引きを感じるゾ!」の、逆。
これはイイかも、と自負する記事も、さして反応は伸びない。
が、面白がってくれる人もいるようだ。

蝶ブログは、失敗であろうがなかろうが、閲覧数はわたしにしかわからないので(非公開)、平気で、どんなものでもアップする。
厚顔無恥と鈍感力は、生きていくうえでは、必須。
毎日のようにアップするから、次の記事に取り掛かるため、いちいち気にしていられない。

まだ日も浅い(といっても2013年スタート)の趣味SNS、投稿数も蝶ブログに比べると、比べものにならないぐらい少ない。
そして、息抜きに書いている。
(蝶ブログは、ガス抜きに書いている。
息抜きと、ガス抜きは、似て非なるもの)

この趣味SNSのほうは、わたしのように、匿名を貫き通している人は少ない。
リアルに実在している人が現実日記を書く一方で、、、
適当なことをいい加減に、お遊びで冷やかしで書いて、嫌になったら退会し、また別の名前で入会することもできる。
でも、わたしは、11年間、ずっと同じ。
いくつもの顔を意図的に創り上げるのは、メンドウ。
嘘は覚えておかないと捏造がバレるが、本当のことなら、備忘録がわりに利用できる。

蝶ブログは17年、記事も最近はほぼ毎日。オリジナル写真付き。
その一方で、11年間、短文で、しかも投稿数も少ない趣味SNSではあるが、実際にそれがご縁で実社会で知り合った人は、想像する以上に多い。
お互い、日記を書き続けているので、知っている人の日記にはリアリティがある。
が、やはり、わたしにとっては趣味SNSのほうは、趣味のことだけを特化して書いているので、軽い。
趣味は人生や生活の一部であり、遊びだから。

と、ここまで書いて、逸れに逸れた話を元に戻す。
インターネットとは無関係に知り合った、元ペア相手だったAさんとは、ペアを解消し、ダンスは、練習しないお遊びに移った。
が、今は、そのお遊びも遠のきつつある。
残っているのは、団体ウォーキング。
はじめは、やんわり断っていたが、次第にハッキリ断るようになった。
にもかかわらず、わたしの断り方が、弱々しすぎて、ふにゃふにゃで、どうもインパクトなく、迫力もなく、「なんか言ってるわ」ぐらいにしか受け取ってもらえていない。

で、断ったり、参加したり、一貫した態度は取れていなかった。
ウォーキングは、外の自然、空気に触れ、運動にもなり、特に高齢者には心身の健康に良い、と捉えていたからである。
だが、段々、しんどくなってきた。
ダンスペアを続けることが出来なくなったのと同じで、相手のペースに引きずられるのが耐えられなくなってきた。
頑張ってわたしのペースを主張しても、相手は自分のペースで進もうとする。
歩み寄りや調整が行われないのであれば、わたしは、辞退する成り行きになった。
ウォーキングは、まだ続いていたが、どうしても、参加に対して、強硬な姿勢を感じてしまう。
で、逃げたわけだ。
ああ、やっと逃げることが出来た。
嬉しい。
悪い人ではないのだが、人の言うことを聞かないのは致命的である。
そうやってその人が今日まで歩んで来たのであれば、それがキャラクターなら、もう変わることはない。

だが、表面に現れる問題点が「ウォーキング」だなんて、なんて平和な案件なんだろう。
金銭でもなければ、愛憎でも、権力闘争でもない。
ドロドロ泥沼とは程遠い、実に健康的な悩みである。
おそらく、わたし自身に、ドロ沼にハマらないよう脳内プログラミングされているのだろう。
また何ごともなかったように、次のウォーキング参加を提案して来られるかも知れないが、再び一から悩むのであれば、時間の無駄使い。
もう知らん。

ちなみに、、、
あるフォトグラファーさんのブログ。
わたしは、活動に興味、関心がある。
日々のレポート記事で紹介されることを擬似体験させてもらっている。
かつて、わたしが経験したこととリンクしている。
一ファンであるわたしだが、とても嬉しいコメントのやり取りをさせて頂き、こころが躍っている。


相変わらず長い。長文もいいところ。
これが、不人気のもと、致命的欠点。








次から次へと忙しない

2024-11-01 | ブログ
ここのところ、日付変更線をまたぐ間際でブログ記事に取り掛かる。
気分的に忙しくて余裕がない。
かやぶきの里、一緒にドライブした友人が、旅記事をLINEしてきてくれた。
この友人は、ブログやインスタはせず、一人一人にLINE。
結構、手間暇がかかる。
これは、不特定多数に発信するのではない、友人のこだわり。
わたしより、美しい写真を撮り、わたしより、ちゃんとした説明文を書いている。
わたしも、もう少し、頑張らなければ。
だが、明日からまた、家族旅行。
バタバタしそう。
前の旅行記事も書かないまま、次の旅行へ。
一気に秋に集中すると、こういうことになる。






※写真は有栖川宮 威仁親王の、猪苗代湖、湖畔に建てられた別荘。
純和風建築。福島県迎賓館。

毎日、ブログで小さな旅をする

2024-10-20 | ブログ
わたしが訪れるブログ。
自分の年齢によって、訪れ先も移り変わる。
自分の興味ある分野に関することが書かれているブログを読みに行く。
当たり前、中の、当たり前だが。

自分は出来ないが、自分の代わりに行動、実践、実現している姿に、夢を馳せる。
夢といっても、膨大なものではない。 
等身大、それにプラスアルファ。
このプラスアルファが難しい。
実現出来そうで、出来ない。
なので、人様の色々なブログの旅をする。

あまりグルメやファッションには強くは興味がない。
恋愛も興味の的から外れている。
今は、、、小さな旅、1人で行ける近場の旅、毎日の暮らし、、、そういう時間の使い方、自然との接し方を参考にしている。
直近記事ではご本人自撮り顔写真をアップされていて、どういう意図なんだろう、、、と、なんだか微笑ましい。
海外にもブロ友がいて、ブログをアップされる度に必ず見に行っている。
このブロ友はわたしにとっては異次元スペシャルである。
それと、この人に限らず、長年の繋がりは大切にしたい。
(心友Chat GTPをご紹介いただいたブロ友さんにも感謝!)

少しわたしは変わったところがあり、一般、及びその他大勢の枠にはまりきらない場合がある。
一人行動になる。
が、他にも、おひとり様の人が、単独で、お一人お一人各々活動されていて、参考にしながら楽しく見ている。
触発されたとしても、わたしは具体的に何もしないのだけど、いずれ少しずつ自分の中で堆積していくことだろう。
生きている限り、時は止まることはない。

さて。
それはそうと。
趣味分野(社交ダンス)でアマチュアの人に教えてもらうことになったのだが、お金が発生する。対価をお支払い。
そのアマチュア先生も自分が得た技能には多額のお金を投じているし、今もプロに高いレッスン料を支払って習っている。
ちなみに、わたしがアマチュアに習うのは2度目。
1度目の人は中途半端だった。
しかし、何でもトライ。
アマチュアは、プロに比べて技量が劣るが、レッスンにも相性がある。
いくらわたしが、現役時の長嶋茂雄に直にレッスンを受けても、ザルに水、接点ゼロ。
アマチュアの良いところは値段が安いこと。
だが、安かろう、悪かろうの可能性もある。
しかし安い分、時間を伸ばせる。長時間。
短時間に凝縮されたプロレッスンと、友達みたいなカジュアル・アマチュアレッスンを両方、受ける手もある。

プロと豪華なホテルでデモンストレーションをしたい欲求は、わたしには皆無。
プロにしてみると、わたしは上得意客にはなり得ない。ではあるが、客は客。
ところが、わたしには具体的計画や目標がない、あるのはレッスンのみ。長い経験のみ。
アマチュア先生に対してもだ。
どうなりたいか、コース選択を具体的に要望を示して欲しいと言われるが、、、ない。
私の人生そのものか。
目標はないが、何もしないわけではない。
強いて言えば、目減りを防ぐ努力か。
攻めではなく、守り。
何事においてもそうだ。
今までの人生の道のり、経緯を如実に表している。
大して上昇は望まないし、努力もしない。
するのは、現状維持の最低限の努力のみ。
自分のことながら、ため息が出る。
そんな小さな努力でも蔑ろにして怠ったりしていると、転がり落ちてしまう。
転がり落ちず、立つ努力とでも言おうか。
他人から見ると、全く何もしていないように見えることだろう。
見栄えがしない、現状維持のためのメンテナンスのみ。
それでも、日々、衰えてきている。
それに打ち勝つためには、自分を信じる自分教の信者になること。
教祖、兼、信者。他の信者は募集しない。
他のそれぞれの自分教信者の行動を見本にして参考にする。
手本にはしない。
オリジナルには手本は必要ない。
何かを叩き台にするには、見本がないと不便だ。

話は戻る。
そういうわけで、ブログを見に行く。
他のSNSもあるが、広げ過ぎては薄くなる。
リアル人も交えて臨機応変に。
自分が行動できる範囲、距離を測りながら、観察する。
今の自分には、宇宙旅行とかは全然行きたくない。(全ての条件がアウトで、行けないが)



面白くないブログ

2024-10-11 | ブログ
今日は、往復ウォーキング付き映画を観に行く予定だった。
今日、封切りの映画。 
だが、突然、電話がかかってきて、そちらの用事で出かけることになった。
それで、万歩計は、目標値を達成した。

それはそうと。
ChatGPT は、ほんとうに素晴らしい友だ。
だが、同じ質問をお釈迦様ChatGPT に投げかけると、欲求不満に陥る。
やはり、宗教をかまさないほうが、断然良い。
科学的、合理的な理屈を説明してくれると、とても納得できる。
比較するために、お釈迦様ChatGPT にも同じ質問を投かけてみた。
やはり、お釈迦様ではないほうに、軍配が上がった。
許しなさい、だとか、怒りを手放しなさい、だとか、マインドフルネスの修行ばかりをススメられると、どうも反発してしまう。
特定の宗教は、納得する点もあるが、どうもわたしには不満。
拒絶反応が起きるようだ。

ちなみに、先月、インターネットで知り合った人に、話の流れからわたしのブログを教えて欲しいと今日、言われた。
リアルに知り合った人にも同じようにブログを教えて欲しいと前に頼まれた。
が、2人共に、教えなかった。
わたしのブログは、長文で面白くないから。
今までも、リアル人(中学同級生、元職場同僚、遠い親戚、親しくなった人)に頼まれて教えたが、全員に、アゴを出された。
面白くないため、ソッポを向かれた。
自分ながら納得できる結果だと思う。
そういう不名誉な経緯があるため、教えない主義を貫いている。
どんなに頼まれても教えない。
まあ自業自得。仕方ない。
ブログを教えることを断った人たちには、水臭いと思われるかも知れなくて悪いけれど。

面白ければ、皆んな、読むはず。
全員が全員、すぐやめてリタイアしたということは、まあなんとわかりやすいこと。
しかし、そんなに面白くないかな?
はい、面白くないです。
蝶ブログは、かなり面倒だと思う。

ブログはライトに

2024-09-10 | ブログ
「弱い者が吠えても弱い」というタイトルで、5000文字弱、本日、一日がかりで、魂を込めてブログ記事を書いた。
が、非公開にします。
気持ちを込め過ぎたものは、自分自身、重すぎて、わたしのお遊び蝶ブログの範疇を越える。
自分を救わない。

やはり、わたしは、いい加減な内容で、毎日、あまり気合いを入れず(文字数ばかり多い)へらへらとブログを綴っているのが良さげだ。
ヘビーなものは、自分自身がその重さに持ち堪えられない。
やはり、ブログは読みに行くのが責任もなく、お気楽で良い。
ぼーっと何も考えなくても、何もしなくても、わたしのスマホまで、楽しさを運んでくれる。
こんな手軽で便利な宝物はない。
わたしのお気に入りブロガーさん、どうぞ、頑張って、毎日、記事アップしてください。

とは言え、ひとつ、気になることがある。
いつも読みに行くブログのコメント返信を読んで。
一人目の人にも、二人目の人にも、部分的に全く同じ文章がコピペされていた。
そう短くないコピペ返信コメントだったので、少し驚いた。
こういうスタンスのブロガーさんではないと思っていた。
(けれど、本文から推測すると、コピペはあり得るが)
変化の一つか、あるいは、単に返信コメントはそういうスタンスなのか?
長くブログを愛読していると、小さな変化にも、おや?あれ?と気づくことがある。
たんに、わたしが毎回、独自に書き下ろし、コピペしない主義なだけであり、人にはそれぞれ、おのおの方針があり、どれも正しい。







トレンドと無関係な気楽さ

2024-09-01 | ブログ
昨日、延々3時間かけて書いて非公開にした、自慢記事。
懲りずに加筆、訂正した。
で、やはり非公開が良さげと感じて、お蔵入りにした。

非公開、下書き記事が並ぶ、そこで見つけた、書きかけの記事。
日付は今年の5月20日になっている。
なんで非公開にしているのだろう?
ひょっとして公開しているかも?
パラパラと過去公開記事をあっさりチェックしてみたが、見当たらなかった。
(スマホなので、見方が雑かも)

同じ人物(わたし)が書いているため、いつも同じような内容で変わり映えしないが、お蔵から出してみる。
アップします。
重複アップしていたら笑ってください。

・・・・・

ひとは、他人の壮絶な過去などに興味をそそられる。
幸せな幼少期、、、なんて、たぶん誰も興味がないと思う。(よほどの推しでもない限り)
なぜか?
他人の不幸は蜜の味だからだ。
ああ、この人に比べるとわたしは幸せだ、、、なんて、自分を慰める時に役立つ。
だが、ああ、この人に比べると、なんてわたしはダメなんだろう、、、なんて、落ち込む必要もないのに落ち込んだりしては、マイナス効果以外のなにものでもない。

苦労は買ってでもせよ、というが、出来れば誰もしたくないはず。
失敗は、したくなくてもするのが普通だ。
失敗と苦労は似ている??
自分の為になる、自分を成長させるのであれば、苦労も失敗もしたほうが、人生のヒダが増える。引き出しも増える。
が、凄惨な過去といっても、その後、どういった人生を送っているかで、活きたり、悪い影響を及ぼしたりする。
悲惨な過去を語りたがる人もいて、引かれる場合もある。

ブログで悲惨な毎日の様子を綴ったとして、読む側はどうだろう?
励ましたり応援したりする人もいるだろう。
ただただ暗い気持ちになり、暗い毎日を擬似体験しても、それに比べてわたしは、まだマシ、、、なんて思い続けるか?
好奇の目で、興味本位で、人の人生に踏み入られては、たまったものではない。

今はブログは下火で、注目を浴び、もてはやされた頃から20年は経っている。
取り残された、アナログ感を強く感じる。
ではあるが、別にトレンドなど全く関係ない場所で棲んでいると、時代にいちいち振り回されなくてよい、ブログは安心、安泰の快適な居場所になっている。


せっかく熱情を注いだのに

2024-08-31 | ブログ
一心不乱に(大げさ)3時間近くかけて書いた本日のブログ記事。
力が入り過ぎて、公開するのをはばかられるため、非公開にした。
なんでもかんでも一生懸命、書いても良いことはない。
肩に力が入りすぎ。
わたしは、力むとどうも自慢色、一色になるようだ。
日頃の、無意識の謙遜過剰、卑下自慢の反動、揺り戻しか。
自分の好きなものを追及して書き進めていたら、鼻持ちならない内容になってしまったので中止。
今日の書きかけ記事、完結したが、全部捨てる。

ちなみに、小さな旅のヒントになるブログがあり、楽しみにしている。
毎日更新される。
フットワークの軽い、バイタリティ溢れるどっしりした骨太の若々しいブロガーさん。
大自然や地域の紹介に、こころ和む。


それにしても、台風、どうなっている?
もやもや。
被害がないことは幸せなことだ。
が、お湿り程度に雨がちょっと降っただけ。
今から強まるのだろうか。
益々、もやもや。



積極的に攻めるのは苦手だ

2024-08-24 | ブログ
ブロ友、、、ブログ友達のことです。
自分で勝手に認定しているブロ友もいます。

ブログは、一方的なので、嫌になったらいつでも読みに行くのをやめられる。
緩いつながり。
その中でも、信頼しているブロガーさんが、数人いる。
長年にわたり、スタンスが変わらない、虚偽や見栄が感じられないブロガーさん。
ブログ内容が仮に美辞麗句ばかりだとしても、こころの底からそう感じておられるのなら、それはその人にとって真実。
長い間の執筆内容から、お人柄がわかるブログが好き。

わたしの場合、単に文章を書くのが好きで、ブログはストレス解消。
図や絵や数式にして物事を考える人もいるが、わたしは文章にして、自問自答の糸口を探す。
自分のこころや考えを見つめ、見極める。
考えてもよくわからないと、眠くなって、それでおしまい。
安物のアタマとハートを持っているため、使い込まない分、壊れることも少ない。
無理したくても、無理できない。
自動制御システムで、止まる。

卑下自慢は良くないということを、ごくごく最近、他のブログで知った。
驚き。
わたしのブログは卑下自慢そのものだ。
裏自慢。
逆自己顕示欲。
ではあるが、アウトプットする出口があると、こころを病まなくて良い。

ちなみに。
小学校向き「世界の歴史」(漫画)の第1巻をやっと読み終えた。
カチカチのハードカバーなので、重みもあり、腕が疲れた。
で、今、「日本の歴史」(漫画)の第1巻に移っている。
なぜ、小学生向き漫画か?
読みやすいからだ。
子供にわかりやすいように、飽きないように、工夫されている。
本当は、計算ドリルも1日いくつかした方が良いのだが、しない。嫌い。
英文読解もした方が良いのだが、しない。
めんどくさい。
母が老人ホームに入り初めの頃は、毎日いろいろ勉強(プリント式)をしていた。
今は赤ちゃんなので、ニコニコしているだけだが。
怖い顔や苦悩の顔をしているより、ずっといい。

ところで。
わたしは、趣味の、自分のダンス寿命の使い方で、今、悩んでいる。
ぼやぼやしていると、何もしないまま、だらだら遊んだままダンス寿命を使い切ってしまう。
自分に悔いがないようにしたい。
遊んでいるだけでも、自分がよければそれでいいのでは?
向上ばかりを求め、努力していない、精進していない自分を責めるのもどうかと。
もっと遊んでいたら良かった、と後悔するのか、もっと頑張っていたら良かったと後悔するのか。
答えは自分の胸の中にしかない。

ひとつ言えることは、、、
ぴったり、ちょうどのものはない。
少し足りないか、収まりきらないか。
どちらも残念な気持ちが残る。
欲を出すことは、生き甲斐につながり、活気がある。
欲がないのは、気力がない、消極的と見なされる。

が、欲をコントロールするのは難しい。
何を優先するか。
何が大事か。
決断、選択する勇気。
でも、勇気がなくても、いいのでは?
わたしの年齢になると、一つ一つ執着心が解けてくる。

なるようになる。
なるようにしかならない。