蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

読書嫌い

2009-04-30 | わたし
私は、子供の頃、あまり読書が好きではなく、
「もっと読書しなさい」と、いつも母に言われていた。
そういう母こそ、読書しているところなど、一度も見たことがなかった。
(母は仕事で忙しいこともあったが。)
私は「自分の行動で手本を示してよね」、と心の中で思っていた。
家には、「ファーブル昆虫」や「安寿と厨子王」などの子供向けの本があり、
一応なりゆきで読んだりした。

若くして結婚した母だったので、あまりにも何も知らないことに父が驚き、
私たちが生まれた後、父が母をcollegeに通わせた。
当然ながら、母の学友は未婚の若い方ばかりだったので、
クラスメートの子供(幼児)が珍しいのだろう。
私は彼女たちに囲まれ、だっこしてもらったことを覚えている。

母が世の中のことや、理論を知らないのに、
あれこれわかったように、断定的に頭ごなしに我々に言うので、
兄が高校生ぐらいの時に頭にきて、ムツカシイ本(経済系)を手渡した。
姉によると、あれは子供側から勃発した「教育革命」だったとか。
「読むわよ!」とむきになって受け取ったものの、母は、ほんの数分読んでダウン。
私は、母が読むはずない、読めるはずがない、と思っていた。

そういう母だが、自分ではそんなこと、これっぽっちも自覚していなくて、
「おかあちゃんは、数学はクラスで1番やった」と平気で言う。
「いったい、どんなクラス??」と不思議でならなかった。(今も、だ)

そういう私も、母のことは言えない。立派な読書嫌いに育った。

姉は、小学校のとき、小学校の図書館の本を全て読んでいた。
1巡では飽き足らず、何巡も読んでいた。(私は、たった数冊だったが)
活字本だけではなく、少女&少年漫画(週間漫画誌、月間漫画誌など)、
すごい量の漫画も古本屋(貸本屋)で、借りて読んでいたが、
私はその中で、好きな連載ものだけ拾い読みしていた。

兄は社会派の本が多く、その中から、私は「夜と霧」を読んだ記憶がある。
モノクロの写真もある、ショッキングな内容だった。
その本は、先日、紀伊国屋書店で平積みで売っているのを見かけた。
ずいぶんロングセラーなことに、妙に感心した。
平和の大切さを痛感させる本なので、永久に読み継がれるのだろう。

そういう子供時代を過ごした、読書嫌いの私だが、
なぜか私の子供たちは読書好き。
今、末っ子の部屋は、大量の本の山。漫画も大量。雑誌は一切買わず、単行本ばかり。
単行本はサイズが小さいから、収納にはかさ張らないのがいいのだが。
他の子供たちも、久しぶりに帰省しても、本ばかり読んでいる。

小さい頃、絵本などの読み聞かせは、ほとんどしたことはない。
私は辞書を身近に置いて、いつも疑問に思うと、辞書を引いていたが、
子供たちも辞書は生活の一部になっていたかも知れない。
創作話は、よくしてあげていた。
次々にリクエストしてくるので、ストーリーが即興続きで、滅茶苦茶なこともあった。
いい加減なものだ。
小さい頃は、たいして本は買い与えず、絵本と歴史漫画シリーズ、
あとは知識や思考力の助けになる程度の本を本棚に入れておいた。
母のように「読書しなさい」とは一切言わなかった。
ちなみに、彼らは、ファミコン世代の走りでもある。

読書をする女性は、知恵づく故に生き難かった時代があった。
読書で知らない世界を知る。
この素晴らしい機会を手に入れ損なっていた私だが、大人になってから
自分が手に入れたい知識、考え方、疑問への答えを必要に迫られ、貪り読んだ時もあった。
アイデンティティ、自我、自立心、知識、考え方、本から、いろんな宝物を授かる。
最近は、読書に限らず、ネット社会や他のメディアからも豊富な情報を得ることができる。
ただ、情報が氾濫しすぎて、確かな目で選択しないと、振り回されることになりかねない。

旅先で出会った光景、ふと見たテレビの特集番組、なにげない会話のなか・・・、
知識が、実像や映像に結びついたときに、新たな感動を覚える。
知らなかったことを知った驚き、とても新鮮だ。

まだまだ知らないことが山ほどあるので、
楽しみが、いっぱい残っている。






もやもやの霧のなかで

2009-04-29 | 読む人々には興味ない話

自分への疑問解消が続きます【Ⅲ】
いつになれば、「ぜひお読みください」という内容になるのでしょうか・・・
いつものようにスキップモードで、どうぞ。


豊かさとは?
国の豊かさ。インフラ充実、教育、保健・福祉、あれこれ、国民の快適な暮らし
生活の向上による、こころの豊かさ。
→自治体が発行する冊子のような内容になってしまってます。

もっと具体的には?

個人によってまちまち、それぞれ。
価値観によるところも大きいが、経済的背景も大きい。
価値観は、そもそも経済的背景ぬきでは語れないのでは?
きれいごとでは、すまされない事柄がいっぱいあり、
あえて、政治家や金持ちはそれをほじくろうとしない。見て見ないフリ。

社会の色々な人々が幸せを感じる、こころを救済するには、宗教しかないのかも。
個人ブログで、こんな差し障りのないことを言っても、
なんの発信にもならないし、効果もない。
第一私は、形式はさておき、実質的にはほとんど無神論者だし。

私は、なぜか怒っている。ご機嫌ななめだ。
しかも、どうでもいい、自分には全く関わりのないことで。
そんな自分の感情の理由が知りたい。
また分析癖が始まった。

前置き、長すぎて、ごめんなさい。(いつも、こう)


私は、あるブログに接すると、いつも気分を害する。
甘すぎるケーキを食べたような、女性週刊誌を読みすぎたような、
自分でも分からない、気分の悪さを感じる。
なぜ?

幸せの尺度が、「似て非なるもの」だからだろうか。
いっそ全く違っていると、気にならないし、むしろ刺激、起爆剤になる。
それなら、見なければいいのに、なぜか見てしまう。
気になるのだろう。
なぜ、気になるのか? 堂々巡り。

ほぼ理由はわかっている。
だから、ご機嫌ななめになる。
認めたくないのだろう、その理由を。自分がミジメになるから。
自分の生き方、方法は一般的でないと感じるから。

自分は自分。
人と比べてどうこう思うなんて、この年になって、お笑いだ。
でも、いくつになっても、頭のなかみ、小さい人は小さい。
それが自分でもあるのだが。

気分の悪いものには近寄らなければいいのだ。
あやしい食品は、食べないのが賢明、と同じ。
悪人やキケン人物、キケン地帯には、近寄らないのと同様に。

もやもやは、はっきり解決しないまま、文字数ばかり、いたずらに増えるので
とりあえず中途半端に撤退、ということになりそうだ。
と言いながら、なんとなく、もやもやの原因が見えてきた。
冷静に、冷静に、冷静に考えてみよう・・・・どこが気に入らないの??

うわべ、見た目、表面は、素晴らしいのだが、カンに障るところが数箇所。
その根っこにあるものが、見え隠れするとき。
驕り。
自分では謙虚な表現をされているが、それは自分でも気付いていないだけ。
無意識下の驕り。
しかし、そういったものは、人間にはどんな人にもあるだろう。
表面に出てないだけ。あるいは、出る機会、きっかけがなかっただけだ。

そして、冷静に考えてみると・・・
私にも明らかに驕りがある。
驕りは自分の意識下にあり、公に曝け出すには、嫌悪感を抱かれる醜いもの。
なので、その驕りのある分野は
あえて不特定多数の人々が見るかも知れないブログでは話題にしない。
不適切だと感じるからだ。
驕りと自信、自慢と自負は、微妙に違う。


なあんだ、そういうことか。
なんとなく、胸につかえていたものが取れたような気がした。。。。















押し付けは、よくない、たぶん。

2009-04-26 | 映画

引き続き「自分向け内容」で、お読みになるには面白くない話【Ⅱ】です。
スキップお願いします。



感激して見た映画「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド主演)の感想を言った。
ある人も、同じ映画を見たらしい。
そこで、意見、感想の交換。

その人の感想・・・
「主演俳優が好きだから、その映画は良かった」
とのこと。

私の感想は、
俳優が素晴らしいのはもちろんのこと
ストーリーは、時代背景を興味深く物語っていること、
人物設定の中に盛り込まれている作者の意図、
ストーリーを通して作者の伝えたいメッセージ(人生哲学、美学)、
なぜ、脇役にあの無名俳優を起用したかという憶測、
などを述べた。

そうすると、その人は、
「勝手に決め付けるな。感想は人それぞれだ。自分はそんなことは感じなかった。」
と、キレた。

私は、とっさに、
「あ、そうですね。これこれのことを私は勝手に感じたというだけで、
作者の意図だと断定するものではありません。
作者はそこまで汲み取ってもらって嬉しいと思うのか、
本当はそんな意図はなく偶然だ、と苦笑いするのか、
はたまた、深く詮索しすぎ、的外れだと意外に思うのか、わかりませんよね。
受け手も十人十色ですし」
と言って、さきほどの感想の文末「~です」という断定形から、
「~だと思います」に訂正した。

訂正しつつも、不満が残った。
好き、というのはストレートで、強く、大事な感性、感情だ。
戦争だって、相手の宗教や考えが、好き、嫌いから発している。
領土問題や利権の争いもあるだろうが、
話し合いのテーブルにつくか、つかないかは、好き、嫌いのところに根があると思う。

好きか、嫌いか。
それはとても強烈で、何にも負けない理屈抜きの感覚、気持ちだということは、よくわかる。
ただ、私はそれだけでは物足りない。
それはベースとして底流にあり、プラス、あれこれ肉付けするのが好き。
ただただ好きだけでは、ハナシが一瞬で終わってしまう。
どこがどう、好きか、掘り下げが欲しい。ほんの少しでもいいから、考察が欲しい。
感情に理屈などいらないのだろうけれど。
ちなみに、私は恋愛のときは、理屈抜きで、感情に突っ走る!!)


作者は、どこでどう、何を言いたいか、とか、そういうことをフカヨミするのは、
実は小学校の国語の授業で、いつもやらされた。
それが身についてしまったのか???
それが良いのか、悪いのかわからないが、「キミは理屈っぽいネ」と、昔から受けが悪い。

フカヨミするにはある程度、最低限度の知識は必要だ。
知識がほとんどなく直感だけでは、一定のところまでしか進まないと思う。
私は別に高度な知識など望んでいない。(自分が基準だから)
小学校~中学校、オプションとして、高校で習う程度の知識で充分だと思っている。
義務教育中に習うようなことなのだから、たいがいの人は、知っている知識だ。
すっかり忘れたとしても、一度は通過した知識。
ちょっと突っつけば、すぐ思い出すし、思い出さなくても、調べたらカンタンにわかることばかり。

そういう、基本周辺の私なので、高度なレベルの人には、到底ついていけないが。
高度なアタマの人から、「ハナシが通じない」と落胆された経験もある)

感性、知識、理屈も、人それぞれ。
その人、その人の歩みがそれぞれ違うので、ぴったり合うことなんかないのが普通だろう。

幅広い人々が、映画を楽しめて、いい時間が持てたら、それでいい。









むかつくのは、なぜ?

2009-04-24 | 読む人々には興味ない話

今回は、自分の疑問解決、頭の整理のためだけに、綴りました。
読んでくださる側には一切立っていませんので、長いだけで全然面白くありません。
しかも生活に全く関係ないことです。
スキップされることをオススメします。




驚いたり、感動したり、不快感を感じたり、絶賛したり、・・・
人それぞれ、感性は違う。

特に、芸術に関しては、生活に密着していないので、触れることがあまりない。
全く芸術に関心のない人もいるし、
芸術愛好家であっても、感性、好みはそれぞれ違う。
芸術にもいろいろある。
ヘビメタが好きな人、クラシックが好きな人、音楽は嫌いな人、無関心な人
言い出すとキリがない。

絵画もそう。
動かない平面的な絵など、つまらないと感じる人、人生をかける人、無関心な人、
好き嫌いがある人、その他いろいろ。
芸術だけでなく、どんな分野も、同好の人と感想を語り合うのがいいようだ。

私は、芸術はド素人。
小学校、中学校の授業で、ザザッと習った程度の知識。
見識が浅く、鑑賞歴も短く、専門性は全くなし。
同好の人と語る、というレベルにも達していない。
なので、鑑賞したものを自分のブログに書き記して、コレクションしているだけのことだ。
その方法は、今の私には適しているし、まあ気に入っている。

へんに、ほんの少しだけ好きなものだから、自分と同じ低レベルの人が気になる。
例えば・・・


数年前(調べてみると9年前)、3~4時間も暑い中(季節は夏)、
西洋人有名画家の絵を見るために、大阪市立美術館に並んだというTさん。
「何という作家ですか?」
と聞いても「忘れた」と答える。(9年も前だから無理ないか?)
「感想は?」
「ポスターみたいな大きさで、あまりにも想像より小さいので、びっくりした。
遠くで、しかも、ぞろぞろ人の波の中、ゆっくり、近くで見ることはできなくて、
あまりよく見えなかったけれど、遠路わざわざ運ばれてきて、そこに実物がある、
という(物理的)存在感に感動した」
とのこと。

かの有名なフェルメールなのだが、(といっても、私もたいして深くは知らないが)
絵は、サイズの小ささにびっくりした以外には、絵自体がどうこうというのではなく、
絵の内容より、本物が目の前に置かれている、という事実に感動したという。

膨大な時間、体力を消費して得た感動は、人それぞれ。
絵を見に行ったのに、絵はたいして見えなかった。
それは本人のせいではないから、仕方ないとして、
作者の名前も忘れるような、そんな熱情って、なに?

まあ、それはいい。それはそれとして、
「私は、目も悪いし、ルーブル美術館でモナリザを見たときは、
(Tさんの見たフェルメールと同じように)あまり見えなかったから、
感動もなにも、絵、そのものがちゃんと見えなくて、鑑賞以前の問題でした。
Tさんは、そんなに時間をかけて見られたのなら、作者の名前ぐらい覚えておかれては。」
と言うと、Tさんは、突然、キレた。
「目が悪い、なんか、知ったことではない。作者の名前を覚えてなくて、どこが悪い。」

目が悪くて(遠くて小さくて、混んで押し流されたこともあるが)あまり見えなかった私と、
遠くて、押すな押すなで、あまり見えなかったTさんとでは、
見えないという点では、そう変わらない。
私はよく見えなかったので絵をしっかり鑑賞できなかった、と感想を言っているのに、
Tさんは、自分も絵そのものの鑑賞ができていないことには触れず、
人のハナシは聞かない。
会話にならない。

むかついた。

作者の名前を覚えていないことを指摘した私が、悪いのだろうか??
他人と、ここまで会話が続けば、まだマシなのかも知れないが。

生きる激しさ~片岡球子

2009-04-21 | 展覧
昨年、103歳で亡くなった、生涯、絵描き人、片岡球子。
北海道の裕福な商人の家に生まれ、東京の女子美術専門学校に進学。
職業婦人は少ない時代。
卒業後、小学校の教師になり、仕事に追われ、絵を描く暇がなくなった。
「子供たちを教育するのは、絵を一枚一枚描くのと同じぐらいの価値がある」
と悟ってからは、
そのイライラ、ジレンマから解放され、心が落ち着いたそうだ。

80歳を超えても、毎年、毎年、作品を発表。
84歳で、文化勲章受賞。
描かなかればいけない。
描くことがあるから、休んでいられない。
死ぬなんて、とんでもない。
突き動かされるエネルギーが筆を握らせる。

富士山の絵が多い。
四季折々、違った表情を見せる富士山。
富士山に、感謝の気持ちで、献花の意味を込めた花々を添える。
真っ赤な富士山は、強烈なイメージだ。
展示会場で、私は、青い富士山の前で足が止まった。
惹き付けられた。

他にも、歴史上の人物を、彼女の目を通して、造り上げ、肉付けする。
芸術を創造した人々に、とりわけ興味があった球子は、
同じ稼業の人々を尊敬の念を込めて描く。
私は、生き様そのままの顔もさることながら、
着物の色や柄に、目が釘付け。

片岡球子は、日本画専攻だそうだが、独創的タッチ。
ダイナミックな魂の色に、こころ揺さぶられる思いがした。
理屈や技法では,語り尽くせない、生きる力がみなぎっていた。


個人情報べらべら・・・は、いけません

2009-04-15 | ご近所さん
今年は自治会の班長の役が回って来た。
年度明けの総会のあと、各自治会員さんから自治会費を集めに、一軒一軒回った。

同じ班のOさんのお宅の玄関前で、会費をいただいているところに、通りすがりのTさん。
私は一度に徴収をすまそうと、ここぞとばかりに、ついでにTさんに会費を請求した。

すんなり会費はいただけたものの、ここからが長い。
Oさん、Tさん、私の三者会談になってしまい、話が一気に花咲いた。

このTさん、以前にも私が班長をしていたとき、
隣の班の班長さんとして、ご一緒させていただいた方。
去年から,班が合併され、同じ班になった。
道でお会いしたら、ご挨拶ぐらいはしていた。
ちょっとお化粧が濃い人だなあ、と思っていた。
皺が深く刻まれているのが、よけいに目立つ。

その日の話から、彼女は軽く80歳を超えていたことがわかった。
まあ、それはいいとして、この方、長く生きておられるだけあって、
ご町内の人々の情報をものすごく詳しくご存知だ。

うちの真隣のKさんについて。
ご主人の出身地、職業の変遷、奥さんの出身地、職業、子供たちの学歴(大学院まで)、
子供の学区越境遠距離通学、各々留学経歴、ボーイフレンド、結婚の有無、
子供たちのそれぞれの勤務先、住まい、・・・、
うちのお向かいのSさん宅、息子さんの離婚話、
隣の隣の人の勤務先、勤務地と転勤事情、出身地との関連、・・・
その他、あっちこっち、ご近所さんのあれこれ。

まあ、貴重な個人情報がぎっしり。
なんであんなによく知っているのだろう。
Tさんとのお付きあいのなかで、こっそり打ち明けた方は、お気の毒。
他の人にあれだけ、べらべらしゃべられたら、たまったものではない。
帝国データバンクなみ。
出身地、学歴、職業、勤務先、家族構成、経歴、年収(これは会話内容から予想するのみ)、
豊富な個人情報だけに、取り扱いはたとえ同じ町内といえど(いえ、町内会だから、なおさら)
厳重に漏らさないようにしていただきたいものだ。

おしゃべりしていると、Oさんのお向かいのお宅の奥さんの姿が見えたので、
さっと私は会費集めに走り、やっと情報漏洩会談から抜け出せた。


桜日和

2009-04-07 | 人々の風景
昨日の昼下がりの靱公園、
夜とはまた違う、明るいお花見の光景。

ママ友&オチビちゃんグループ、
美味しそうなお弁当を広げ、べちゃくちゃおしゃべりに夢中。
ママたちのおしゃべりになど、おとなしく付き合ってなんかいられない
元気に遊ぶオチビちゃんが、手を振ってくれる。

学生グループ、飲食店スタッフ仲間同士グループ、わいわい
椅子やらテーブル、食べ物あれこれ、いろんな器具を持ち込み、徐々に盛り上がり中。

営業マンの午後のひととき、
長い時間のんびりしてるが、時間調整か、はたまたサボリか?
若いビジネススーツの男女ペア、仕事? 恋人?
腕まくりのサラリーマン、立ったり座ったり、携帯で仕事のやり取り、難航しているのか。
鞄をベンチに置いたまま、木陰に入ってしまったり、また戻ったり。(鞄が心配)
悩みを抱えていそうな熟年サラリーマン男性、桜の下でも暗い顔。

まだ午後3時なのに、もうブルーシート&畳1畳大のテーブル(3つも!)を設置し
席を陣取り中の若手サラリーマン。



お弁当をぱくつく老母&中年息子さん、
手にスタバコーヒーの若いファッショナブルな二人連れ、
若い女性仲良し組や、一人でまったりの人、・・・。

ワンちゃんをお散歩させる人々、ワンちゃん同士お見合い中、
ぬいぐるみを大きくしたような、まるで機械仕掛けで動いているかのような、
もこもこ超大型犬も、みんなの視線を浴びていた。

「バーベキュー、火気厳禁」の看板を無視して、バーベキュー中の若いグループ、
煙もくもく、炎は20センチぐらいになっていた。

お昼の靱公園に、平和な時間が流れている。


上村松園 凛とした美 

2009-04-05 | 展覧
上村松園[明治8年(1875年) - 昭和24年(1949年)]は、努力の天才日本画家。
男性中心の明治時代の画壇で、パワハラも渦巻いたであろう中、
類稀な才能と気性とで、不動の地位と名声を得た松園。

細かい筆致、美しい色彩で描かれた作品のひとつひとつを丹念に観た。
四季折々の情緒深い風景や、草花、構図、ポーズ、仕草、
着物の色や模様、髪型、かんざしなどのヘアアクササリーはとても興味深く観察した。
たおやかな中にも、芯の強さを感じさせる、凛とした女性美。
時代を越えて、ひしひしと心に伝わってくる、永遠の美を感じた。

明治という時代は、女性は学問はもちろん、手に職などつけず、
嫁入りし、妻として家のために尽くす、とういのが善しとされていた。
幼い頃から発揮していた松園の才能を見抜き、絵画の世界に導いた母。
その生き方は、親娘ともに、世間の非難を浴びたという。

松園の父は、松園が生まれる2ヶ月前に他界したが、母は女手一つで松園を育てた。
その影響もあってであろうが、女性一人でも、職業を持って立派にやっていけば、
別に夫は必要不可欠ではなかったと言える。
だが、まだまだ男尊女卑の精神が根強く残り、家父長制度の時代としては逆風が吹いたであろう。
そんな時代の中、まして、松園は、(最初の師匠だという説がある)妻子ある男性との間に、
私生児を生んでいるわけで、それは風当たりが強かっただろう。
しかし、その私生児こそが、松篁である。
松篁の子供が、淳之。
後の世にも、芸術の功績を残した人たちを残し、美を伝承したのだから、
私生児であろうがなかろうが、やはり子供は生んでおくべきだ、とつくづく思う。
まして、特に才能のある人のDNAは、後世のためにも。

そんな松園も、40歳代の頃、うんと年下の男性に、大失恋をしたという。
その時の作品が、今までの松園のものとは思えないほどの、
怨念や情念の込められた、鬼のように恐ろしい女性の姿を描いている
『焔(ほのお)』(1918)

その後は、しばらく出展はしなかった時期を経て、憑き物でも落ちたように、
微動だにしない、内面に確固たる強さのある、女性美の世界に到達したといえる作品を残している。
その作品が、この『序の舞』(1936)である。
激しい動きの直後の、それまで何もなかったような静止、静寂。
着物の袖が、腕に巻きついている様子から、その一連の動作の美しさが見て取れる。
心の地獄を潜り抜け、苦しみ抜いたその後に得た、松園のひとつの悟りなのだろう。
その作品までには、20年の年月が流れている。

燃え上がり、湧き上がる、芸術の創作意欲を生み出し、醸成させる原動力として、
「恋」は欠かせない重要エネルギーとなる。
ピカソも然り、だ。

上村松篁(長男) 「熱帯花鳥」


上村淳之(孫) 「雁金」



夜桜の饗宴

2009-04-04 | 人々の風景
今夜は、雨が降るとか。
桜が散らないといいけれど。

桜が散る前に、今!今週末を逃がすな!とばかりに
昨夜は、靱公園(大阪市西区)は、花見のピークを迎えたのか、すごい人、人、人。
中には、ホームコタツを持ち込んでいるグループも。
外国人グループもいた。
近くに、外国語教室がある関係もあるのだろう。
ビジネス街にある靱公園は、花見客もビジネスマンが多い。
4月からの新社会人。新人は、まず、席取りからスタートする。

陣取りブルーシートの上には、食べ物、飲み物で埋めつくされ
まさに宴会、真っ最中。
コンビニへおでんを買いに走る人、あれこれリーダーシップを取る人、
職場もさることながら、それ以上に、頑張っておられる。

夜ともなると、少し冷えるがなんのその。
でもトイレの前は、長蛇の列。
アルコール類、特にビールを飲むと、頻繁にトイレに行きたくなるが、
その度に、あの列でじっと順番待ちというのは、ちょっとタイヘン。

桜、桜、桜・・・、この週末は、桜の饗宴。
皆さん、また格別なお酒になったのでは。
ちなみに周辺の飲み屋さんは、ちょっと客足が減少することを憂っていた。
桜の下だけでは飽き足らず、帰りにまた、寄る道する人もいるかもしれないが。

靱公園は、この季節だけではなく、
お天気のいい日は、お弁当を持ち込むOLや、お昼寝のサラリーマン、
犬を散歩させる人、ジョギングの人、読書する人、
静かで平和な時が流れる。
長い年月、ここに親しんでいると、
私にとっても、まるで生活の一部のように、馴染み深い空間になっている。
桜の季節は、昼、夜ともに、特に賑わう。
毎年、こうして季節は移ろっていく。

家庭の中の女性、家庭の外の女性 【4】

2009-04-01 | 仕事
仕事に疲れ果て、仕事のない世界(家庭)に逃げ込む人もいる。
家庭に入るのはいいが、仕事がなくなると同時にお金も入らない、となると、
家庭は理想的な逃避先になり得るのか?
それまで稼ぐために使っていた労力を、家事労働に切り替え、夫から労働賃金をいただく。
満足感たっぷりに暮らすには、家庭内労賃もたっぷり必要だ。
そうすると、労賃をたっぷり貰えるだけの、金額に見合った質の高い家事労働も必要だ。
希望通りに行かない低賃金になる可能性も、大いにあり得る。
相手によっては、共稼ぎでなければ、やっていけない場合もある。

「行ってらっしゃい」から「お帰りなさい」までのオンタイム。
「お帰りなさい」から「行ってらっしゃい」までの、家庭で一緒に過ごす時間。
高賃金に見合うだけの働きをしている奥サマは、どれぐらいいるのだろうか?
夫が汗水流して働いている間、奥サマ方は、高級レストランでランチ。
その一方で、低賃金でも、主婦の鑑のような妻もいる。

高い収入のある人は、ほとんどが、その収入に見合った能力があるからだろうが、
「たいしたこともないのに、高収入」ということも中にはある。
奥サマも、そう。
ステイタスに相応しくなるように、自らを律して、高める、自助努力が必要だ。

奥サマ、お嬢サマは、世の中の荒波に揉まれず、美しいまま時を重ねる。
それを真の美しさだと自負している方もおられる。
それはそれで結構なことなのだが、一歩間違えば、大きな勘違いになる。

ハナシが元に戻るが、
仕事の苦しさから逃げ出して飛び込んだ家庭も、お金のあるなしで、天国と地獄。
こんなことでは、仕事のほうがまだマシ、と、また仕事に復帰することもあるだろう。
またまた額に汗して、あくせく労働の毎日。
ああ、やっぱり仕事を辞めたい。でも、お金が必要。辞められない。
そして、苦しみ、もがいて、仕事を続け、気付く。
仕事をしているのは、なにもお金のためだけではないのだと。
その時にはじめて、奥サマや、お嬢サマには味わえない爽快感、達成感を味わう。
登山家は、山があるから登るんだそうだが、
登る苦しみを乗り越え、達する喜びがあるから、困難に挑戦し続ける。
奥サマや、お嬢サマは、仕事をしている人を気の毒に、と思っているかも知れないが
仕事をしている人は、逆に、
奥サマや、お嬢サマのことを、可哀想に・・・と思っているかも知れない。

あるいは、そんな達成感など微塵もなく、職場環境も最悪、いいことが一つもない、
ダイっ嫌いな仕事をし続けないといけない人生が、ほとほと嫌になる場合だってある。
その時は、奥サマ、いえ、お姫サマになりたいと願う。
そうやって駆け込んだ家庭が、また、思い通りには行かず、ああ、仕事の方がマシ・・・
堂々巡り。

駆け込めるところがある人は、いい。
家庭や仕事、両方でなくても、そのどちらかがある人は、幸せだ。
過酷な労働条件、低賃金で働く人、今日のことで精一杯の人、仕事激減、ハードな時代。
この深刻な不況で、定時制高校の志願者が一気に増えたらしい。
親に泣きつかれて、定時制高校に志望を変えた子供の気持ち、親の気持ち。。。
進学は、将来の仕事にも、大きく関わっている大事なことだ。

そんなにやたら大きな夢や、たくさんのお金がなくても、
ささやかな日常でも、平和に暮らせる基礎があれば、それでいい。
心身ともに健康であること。前向きであること。
その土台の上に、いろいろな花が咲く。