蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人がどう思おうが。

2014-09-24 | ブログ

ブログって、いいな・・・

そう思ったのは、ある瞬間・・・それは、ある人のブログを読んで、である。

わたしも、少しずつ、また書こうかな・・・。

しかし、当初は、まったくの別人になって、別の顔で再スタートをする予定だったのである。
が・・・。

 

最近、わたしは、毎日しつっこく訪れる、某SNSに籍を置いている。
会員にならないと、通りすがりでは、人の日記を読んだり、コメントを入れたりできない。
つまり、自分の顔(日記を主とするマイページ)を持たない人は、他人の日記には寄れない。
日記=ブログのことなのだが、会員同士のコミュニケーションに重きを置いているようだ。
(ちなみに、mixiではありません)
中でも、わたしが実際に知っている、多くのリアルな方々の動向をチェックしつつ、
彼らの書く日記やコメントとのギャップに驚いたり、いろんな、やぶにらみ「ブログの読み方」を体験中。

わたしがそこに日記を書くと、けっこう閲覧数が上がる。
1日の閲覧数としてカウントされるのではなく、日記タイトルごとに計上されるので、
毎日、別の初めての人が訪れるとカウントは上がるが、同じ人が毎日、来られてもカウントは上がらないシステムになっている。

それもあって、そのSNSにばかり行って、中毒になりかけているぐらいだ。
が・・・、
最近、それも卒業しかけている。
夢中になりすぎるのは、楽しくない。
期待しすぎると、そのぶん、凹む。
熱くなりすぎると、焦げかねない。
なにごとも、プラス、マイナスの反動が大きい。

さらっと行きたい。

 

蝶ブログは、リアルなわたしをご存知の方は、ほとんどお互いに実像を知っている。
一方通行ということは、ない(はず)。
しかしながら、ある日、ぱらぱらと、ある人のブログを読んでいると、
わたしが、かつて撮った写真がアップされていて、びっくり。
おそらく、あまり記憶にはないのだが、わたしが、その人のケータイに送ったのだろう。
でなければ、その画像を取得しようがない。
そのときの記事内容としては、悪い受け止め方は、されてなかったのが、救いだった。

が、ほとんどは、この蝶ブログは、リアル実像のわたしをご存じない方が読んでくださっていると推測している。


じつは、わたしには、挫折放置「小説」ブログと、行った時だけ、ほんの少し書きっぱなし「旅」ブログ、
その他に・・・「○○」ブログがあるのである。

(これは、内緒なので、すみませんが、○○のジャンルは書かない)

その「○○」ブログは、めったに書かないのであるが、なにかの折に、ばばばっと書く。
訪れる人は、ほとんどいない。
たんなる、思考や感情のゴミ箱みたいなブログである。
愛着は、まったくといっていいほど、ない。

蝶ブログの後釜として、その○○ブログに続きを書こうかと思ったが、やめた。
なんとなく、違和感がある。
もし、書くなら、今までアップしているものをすべて非公開にしてからだろう。

旅ブログは、ほとんど書かないにも拘わらず、一定の閲覧数がある。
その数からすると、検索エンジンっぽくないかんじである。
不思議・・・。

・・・

書きたいジャンルのよって、ブログを分けているということだ。
某SNSは、自分の正体や背景などはまったく書いていなくて、マインド&スピリット面のみ。
それはそれで、内容が絞られていて、書きやすい。
ここ蝶ブログに書いても、同じ趣味を持つ人でなければ、興味がないと思われる内容だが。
それと、会員さんは、わたしと同じような年代の方々。
40、50歳~80歳代ぐらい?
リタイア世代が多そうだ。
趣味以外に、年齢という共通項は、大きい。


じゃあ、蝶ブログは、何を書きたいのだ?
全般である。総合。
それに、なんといっても、愛着がある。
開設してはポイ、開設してはポイ、という、トカゲのシッポ切り的なスタンスを取らない。
わたしは、一度始めると、一筋(ひとすじさん)傾向にある。

で、切らないものだから、収まりきらないものが、あっちこっちに、はみ出るということになる。

・・・

「あなたは、自分のことが大好きなんですね」とある人に、ぐさりと核心を突かれた。
この年齢になると、自分のことが嫌いだと、ストレスが溜まって、ろくなことがない。
自己肯定の先には、幸せがある。
自己否定の先には、不幸がある。

なので、わたしは、人がどう思おうが、自分が大好きなのである。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村 

 

 


ブログは生きている

2014-09-16 | ブログ

あんなに熱情を注いでいた蝶ブログ。

今は、死の床にある感。

でも、生きている。

そもそも、この蝶。
自分のことを書きすぎた。
生まれだの育ちだの、家庭環境だの、・・・
特定できるほど具体的ではないにしても、
そんな、誰も聞きたくもないようなことをつらつら綴って、自分のこころの整理に役立てた。
(「利用した」と書こうかと思ったが、利用したわけではない。あくまでも役立てた)

そういう日々があって、今の自分がいる。

自分のことを語るのは、もう卒業かなあ・・・と。

でも、毎日なにかしら、こころを文字にしないと落ち着かない、わたしである。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 


核家族

2014-09-09 | 

息子がいきなり、突然、帰ってきた。

はるか遠方地に赴任している息子。
いつも彼は、何の前触れもなく帰ってくる。
連絡があるのは、当日、家に着く少し前の時間。

義母に、9月帰省のことはちょこっと触れていたようだった。
義母からは、それとなく聞いていたが、本当に、予告通り、9月に帰ってきた。

一番、喜んだのは、夫だろう。

庭に部分的に敷き詰めてある、テラコッタに付着した汚れが気になる息子。
以前には、デッキブラシでゴシゴシ掃除してくれた。
(その日のことは、蝶ブログでも綴った記憶がある)

デッキブラシでは取れないので、夫が最近、水圧洗浄機を購入した。
で、除去してくれる場面では、微笑ましい、親子・共同作業となった。
深く会話するわけでもないが、黙黙と作業する姿を見ると、こころが和む。

別に会話は要らないようだ。
元気な顔を見せてくれるだけでいい。


「しかしまあ、うちは、汚い」と息子。
不用品をぽいぽいとゴミ袋に放り込んだりしつつ、お風呂掃除に精を出す。
(あとで、ゴミ袋から何個か回収)
一人でスーパーに買い物に出かけ、食材を買い、夜は、お手製の海鮮ギョーザを作ってくれた。
長女一家も来て、手作りギョーザに娘婿も参戦。彼は、肉ギョーザ。
喜々と夫は、取って置きのシャンパンを開ける。


久しぶりに次女も家に居て、初日は、元メンバーだけでの全員集合、懐かしい顔ぶれで一家団欒。
今も、わたしの子供たちであることには違いないが、それぞれが自立し、元メンバーという思い。
孫が水疱瘡で保育所に登園できないため、自宅でしばらく病児保育を余儀なくされる疲れも、吹き飛ぶ。

これって、ひょっとして、幸せの縮図?なんて、思ったりした。

家族は、日ごろは離れ離れでもいい。
なにかの折に、皆が集まって、話題は、各自、好き放題、言っているだけで、応酬なんかなくてもいい。
会話の結論や、落としどころなんか、なくてもいい。

二日目には、家族の元のメンバーに、二人も新顔が加わり、
今まで自分の歩いてきた道に、オマケがついたような気がした。
しかも黄金の宝物のようなオマケ。
なんだか、ほんわり、しみじみ、不思議な、まったり感を味わった。

そのうち、また、数人増えていくことだろう。
そして、やがて、減っていくことだろう。
その、ゆるやかな繰り返し。
ゆるやかな時間の流れ。


巣立っていった家族メンバー達が、たま~に親元に集まるのも、悪くない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ

 


嫌いを卒業すると、好きになるかというと、そんなことはない

2014-09-02 | ブログ

読む人も激々々々減し、衰退の一途をたどる、がらーんとした廃屋一歩手前の蝶ブログに、
殊勝にもコメントをくださる方がおられて、楽しませてもらっている。

ご質問にあるように。。。

大嫌いな人のブログにコメントは・・・したこと、あります。

鼻持ちならぬ自慢モード満開(しかも、心の底からお嬢様ゆえ、ご自身には、自覚症状なし)の、
ぷんぷんニオイのする、ハイソなブログだった。
こんな生活したいけれど、経済観念が非常に発達したわたし(どケチ)には、
ツッコミどころ満載の、カンにさわるブログだった。

彼女が湯水のようにお金を浪費しても、別にわたしのお金が減るわけじゃなし、
自己破産しても、わたしは債権人じゃなし、関係ないのですが。

享楽的な志向が嫌いだということと、
アタマをあまりにも使わない、ノリと熱気だけで乗り切ろうとする、超お嬢様・奥様気質が嫌いだということが、
認識、自覚できた。

わたしだって、かなりアホなので、「アタマを使え」と言われると、
アタマの上になにか乗せたり、アタマで頭突きしたり、
アタマの中身(ソフト)を使わないで、アタマの外側(ハード)を使いそうだが。

まあ、それはいいとして。

自意識過剰な、ご自身を過大評価されている女優気取りの、
鼻べちゃ、顔デカ5頭身の、別SNSの、とある方。
ここには、大嫌いではあるが、コメントを入れない。
その人のことを具体的なことは明確にせず、特定の個人とわからないように、日記で書いたら、
ご本人さんからコメントを頂戴した。
さらに、ご本人さんの日記に、わたしが書いた日記のタイトルのフレーズをもじったタイトルで、
なにか書かれていた。
つい最近のことだが、読んだが、何が書かれていたか忘れた。
それぐらい、わたしにとっては印象に残らない、どうでもいいことだった。

近頃は、意見が違う、違和感を覚える内容の日記には、なんのコメントも残さない。
反対意見の人は、書かないだけで、賛同者だけが、コメントを残しているように思う。

半分ぐらいは、反対意見だと思ってもいい。
読者の方々は、嫌いなりに、ブログに足を運んでくれる、ということが、大事。
嫌いっぷりをクリアできたら、(あまりにも嫌いすぎて痛すぎる段階を過ぎたら)
ブログに気持ちよく、すんなり行くかというと、逆で、もうそのブログには訪れない。

卒業である。

卒業のあとは・・・無関心・・・かも知れない。

嫌いであろうが、来てもらえる(かまってもらえる)うちが、華?

 

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ