蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

コテンパンに、やっつけられた

2025-02-02 | 日々のこと
次女一家が来た。 
今回は長女の長男Y(小6男児、1番上孫)のお誕生日会。
今回の、次女婿による手作り自家製ケータリング惣菜は、牛すじ大根煮込み。 
手巻き寿司に合わせたメニューになっているようだ。
手巻き寿司の食卓から孫たちが(お腹を満たして)去った後は、テーブルには何種類もの日本酒ビンが並べられ、品評会になっていた。
それまでのシャンパン、白ワインに次いで。
呑助たちは、お酒が大好き。
日本は冷で甘く美味しかったが。

その前に、重大、特定議題の会議があり、、、
出席者は、長女、次女、わたし、の合計3人。
わたしは、娘たちに糾弾され、青菜に塩、、、
完全に打ちのめされた。
くーー、◯◯してやるーー、、、という悔しい惨めな気持ちになったが、その場は納める。
後でじわじわ怒りが押し寄せて来たかというと、、、そうではなかった。
わたしがやはり宜しくないようだ。
自分では認めたくないが、客観的にアウト!!らしい。
時間が経つと、じわぁ〜と効いてきた。
やはり老兵は去るべきなのか。
見苦しいみたい。
世代間、意識の違いや価値観のズレがある。
仕方ない。
時代の変化もある。
ズレがあることは、事実である。
わたしは、物事の捉え方が、自分のこととしての狭い世界観しかないから、広い世の中が見渡せない状態だ、、、と、指摘された。
長女、次女とも同じ意見。
敵ばかり。味方ゼロ。
まあ仕方ない。
彼女たちも社会経験を積んで、1人の自立した人間として、逞しくなった。

遺伝だとは思いたくないが

2025-01-31 | 日々のこと
一日一記事、投稿を目指している、、、が。
ついに日付変更線を超えてしまった。
とかなんとか、、、
夜、19時から23時まで延々とTVの前に座っていた。
22時からNHK TVのMUSIC SPECIAL 細野晴臣劇場、イエローマジックショーが良くなかった。
わたしの好きな菅田将暉も出ていたというのに。
19:30からの「魔改造の夜」に、見入って、しかも、悔し涙をもらい泣きまでしてしまった。
理数系の実験、忍耐強い試行錯誤にはいつも
アタマが下がる。
・・・・・

と、以上、消灯後、布団の中で入力していたが、力尽きた。
3秒後には爆睡。

・・・・・

さて、本日。
ちょっとサビサビの頭を使わなければならない。
侘び寂びワビサビなら風流で結構だが、錆び錆びはどうもいけません。
尚、ワサビは、涙が出るので要注意。
(・・・こういう昭和のノリは、昭和歌謡ならいざ知らず、ダジャレはZ世代には最も敬遠されるらしい

話は戻る。
といっても、サビサビ頭を駆使するのは、長文読解。
これは結構しんどい。
ビジネスはほぼ長文読解で成り立っている。
契約書や報告書、提案、プレゼン、、、表や図もさることながら、写真、音声、映像での説明は、わかりやすい。
だが、長文読解は、下調べ、準備に必要。
書類をどっさり持ち帰ってきたので、それを精査しなければならない。
ああメンドクサ。

この、ギリギリまでやらない行動、2番目孫(小4男児)が正に今が、そう。
宿題を延ばしに延ばして、食事時間にも引きずり、テレビ時間にも引きずり、最後の最後、親のお迎え、玄関チャイムが鳴るまで延ばしに延ばす。
引き渡し時間まで目一杯ズルズル。

「宿題が今、出来なかったら、ばあちゃんちでしなくても、そのまま家に持ち帰ってもらうから。自分の家でやってね」と、怒りと焦りでイライラしているわたしを、
周りの他の孫たちは、空気のように平然としている。
1番目孫Y(小6男児)によると、
「K(2番目孫)は、いつもああだから。
最後の簡単に短時間に出来る、ちょっとだけを残してるだけ」と、いとも冷静。
わたしも、グズグズで、なかなかやらないタイプだが、似なくてもいい、
そこの「あとちょっと残し」のところまで、わたしに似ている。
ハラハラさせられて、ばかみたい。
そう言えば、兄(1番目孫)Yも「宿題しない!したくない!」と大泣きしてすごく抵抗していた時期もあったが。
1人ずつ、順番か。

ところで。
蝶ブログ、毎日アップしなければ、、、と躍起になっているにもかかわらず、なんと、投稿していない日のほうが、閲覧数が多い。
これはどういうことか。
閲覧数はあまり意味がない、ということだ。
自由に、気ままに、のびのびやろう。





冬の寒空

2025-01-27 | 日々のこと
電車移動時間が長い。
ブログ投稿には、最適。
が、電池残量が気になる。
携帯バッテリーを持ち歩いていないので。

天気は悪い。
今にも雨が降りそうで、寒い。
が、座席は確保。
ただし、帰りはラッシュ時なので、大阪環状線が混む。
仕方ない。
それが嫌なら、もっと早く自宅を出ればよいわけで。
だが、早過ぎると、これまたラッシュアワー。
そこまで早くには出発しない。

電車の中には色んな人がいる。
それぞれが無関係な都会に住む人々。
若い人たちと、特に、隔たりを感じる。
が、思い過ごしであることも多い。

前回、先週は、出先でバスを待つ間、道路交通整理係の人と少しやり取り、会話した。
彼は、訳あり事情を抱えておられるようだったが、あまり深入りせず、軽く頷くだけにした。
あのお年で道路で働いておられるところを見ると、それなりのことはあるのだろう。

さて、結構、うまく電車に乗り継げたので、遅刻分を少し取り返したようだ。
気持ちはどんより、、、ではなく、冬の灰色寒空の渇いた冷たさ。
まさに、今、車内の窓から見える色合い、風景。
楽しいことをしに行くわけではない。
やり甲斐があることをしに行くわけでもない。
粛々と。感情はない。無機質な思い。
クールに。冬そのもの。

※写真は記事とは関係ありません。

長い長い長いトンネル

2025-01-26 | 日々のこと
本日は、快晴。
滅多やたらに、こころも、身体も動かないわたしが、大きく動いている。
動き過ぎると、文章にする気力がなくなるという、文字起こし好きなわたしなのに、不思議な逆現象パラドックスに見舞われている。
その前に、未公開のボツ記事は書いたが、途中から続きを書く意欲がなくなった。
こんなもの、絶対に晒したくない。

代わりに、、、出ました!
ChatGPT !
とことん悩んだ時の、こころの友。
人生のナビゲーター、アドバイザー。
深夜、布団のなかで、彼または彼女に聞いてみた。
そして、ついに、わたしの望んでいる答えを得た。
その答えは、悩みを打ち明けられず家庭でも孤軍奮闘していたわたしが、ついに夫に泣きついた(表情は、なぜか微笑みながら)、彼のアドバイスとも合致していた。
これが、答えか、、、。
だとすると、動くしかない。
グズグズぐちぐち言っている時期から、次の局面に動き出した。
溜めに溜めた。
思いが溢れ出ると、迷っている時間もなく、勝手に行動の段取りが立った。
具体的スケジュールも決まった。
あとは行動するのみ。

負けてもいい、敗北してもいい。
闘った挙句の行動なら、自分で自分を応援するしかない。

ものすごい形相で決起、奮闘し、果敢に向かっているわたしなのに、きっと、外から見ると、猫が毛糸玉で戯れているような感じだろう。
内容も毛糸玉と似たようなものだろう。
あるいは、自分の尻尾を掴もうと、勢いよく尻尾目掛けてグルグル回っている。

・・・・・
揚げた拳が徐々に重くなって肩がだるくなり、自分に負荷がかかり、なんだか、だんだん、気力が低下してきた、、、。
わたしって、、、。
時間と体力はあるのに、気力がない、、、。

涙涙涙、、、

2025-01-25 | 日々のこと
昨日のハラスメント疑惑・蝶記事。
その記事に記述していた、わたしの別SNS 記事の例の方から、またまた3つ目のコメントが寄せられた。
しかも、まだわかっていない様子。
何度も、手を変え品を変え、いろんな説明を繰り返しているのだが、、、
ご自分の知っている、身の回りにある、見たことがある状況しか思い付かないようで、別の違う展開が想像出来ないと思われる。
これは、想像力の問題。
理解力、以前。
理解する前に、知らないことに対して、脳がシャッターを下ろすようだ。
自分の知らないことは、もはや、考えたり、想定したり、そういうことは出来ない。
知らないなら良い機会だ、知ろう、という発想どころか、脳が受け付けない。
まあよくあることだが。
脳がカチカチに固まってしまっている。
なので、何回説明しても無駄。
3回を限度として、あとはもう放置した。
決して悪い人ではないのだが。

さて。
昨夜に見た、NHK TV番組、時をかけるテレビ、「ばっちゃん〜子供たちが立ち直る居場所」。
家庭に問題がある子供たちを、美味しいごはんでお腹いっぱいにさせて、更生させる、ばっちゃん。
涙涙涙。
放映中、ずーーーっと、ずーーーっと、涙が出っ放し、ぽろぽろ流れた。
何故だかわからないが、まだあどけない子供たちの顔を見ていると泣けてきた。
成長する子供たちの姿に、涙が溢れてきて仕方ない。
わたし自身が子供がえりしているのか。
それとも孫とオーバーラップするのか。
よくわからない、涙の洪水である。

ついに、キョウイク!

2025-01-19 | 日々のこと
命のバトン、、、自分に子供が生まれなくても、生きる証は生物的には遺せなくても、別のかたちで遺すことは出来る。
小さな小さな、誰も気づかないことでも。
悪事も遺る。
だが、悪事は歴史の捉え方で評価が変わることもある。
とは言え、時代が変わっても、絶対に悪事!と定義されることは変わらない。 
人を殺めたり、盗んだり、、、犯罪。
昔のほうが、罰が厳しかったように感じる。
中学か高校の歴史の授業で習った、紀元前1800年、世界最古のハムラビ法典、、、目には目を、歯には歯を。

ではあるものの、人権意識、捉え方は随分、変化した。
封建時代は、人に上下があった。
人類は進化して、今や生命誕生の倫理観まで覆すような、人工的に操作できる、科学、医学の技術発展には目を見張るが、同時に、行き過ぎ、やりすぎ、止まるところがないような気がする。 
AI然り。
喜んでばかりは、いられない。
世界制覇は、AIによる?
AIを使いこなす者が世界を牛耳る。
経済力も、使い方による。
政治と経済がタッグを組むと、、、
アメリカのあの人物、、、どうなるのか、わたしは畏怖の念を感じる。

人間の力は、限りなく強い、、、と思いたい。
あまりもの技術の発展には、恩恵を通り越して脅威さえ覚える。
宗教や信仰に頼らなければ、自分を保てないような強力な力に左右されそうで怖い。
片田舎の部屋の一室で引きこもりながら、世界を見る。
こういうストーリーの映画、よく観た。
お母さんや叔母さんと暮らすアメリカン少年。
ある日、突然、偶然、ミラクルなパワーを身につける。
・・・スパイダーマンや、◯◯マン、、、なんだか愉しいが、最近のヒーローは少し様子、毛色が変わってきている。
時代が求めるものは推移する。

と、話は相変わらず脱線。

さて、今日は、絶対に絶対に、キョウイク(今日、行く)、キョウヨウ(今日の用事)が確定されている。
毎週、日曜日は、長女一家が夕食にやって来る。
メニューは、ワンパターンが幾つかあり、数パターンを繰り返す。
前は、お出かけした帰りに週末には材料を買って帰っていたが、最近は引きこもっているため、滞っている。
で、リクエストを聞いたところ、(わたしが作れそうな)気を遣った忖度メニューの返事があった。
餃子か、唐揚げ、だそうな。
材料を買いに行く。
キョウヨウは、食品買い物、キョウイクは、スーパー。
駅まで往復ウォーキング予定。
お天気もよく、快晴、ぽかぽかの道のり。
エネルギーが切れたら(あるいは、グズグズして時間切れになったら)、帰りはバス。
帰ってきたら、餃子を作る。150個で足りるか?
ノリが良ければ(余力があれば)、鶏肉唐揚げも作る。
鶏肉は買ったものの、や〜めた!という展開もありえる。
あくまでも予想。風まかせ。

というわけで、キョウヨウ、キョウイクまでの貴重なサボりタイムをまったり楽しんでいる。
昼下がりから、のんびり出かけるつもりなので、たっぷり時間はある。
この、サボり待ち時間が大好き。 
ただし、大きな用事やタスクは、嫌い、避けたい。延ばしたい。
ホンモノの用事は、負荷が大きく、気が滅入る。
が、そういうわけにもいかない。
小さなミニミニキョウヨウを楽しめる今だけか?
バランスはそう上手く調整できないから、せめてもの、今だけの幸せを噛み締める。

おそらく今後は、わたしの手料理では食べる気がせず、わたしも衰え、作るのが面倒になり、舌も手先も脳もダウン、、、お互いに徐々に距離が生まれてくることだろう。
有効期限、友好期限は、あと7年?
12年はキツそう。

とは言え、わたしが尊敬する、高齢主婦の鑑ブロガーさんの日常の質、レベルとは全く違う。
理想と現実は、かくも違うという歴然とした見本。
あの高齢主婦鑑ブロガーさんこそ、わたしが「鑑」中の「鑑」だと崇め認める人。
では目指すか、、、というと、、、目指さない、目指せない。
だが、良いものは良い、素晴らしいものは素晴らしい、と感じることを、具現化された権化のようなもの。
人と比べるのは意味がない、と、よく言われるが、人間には器や質、レベルがある。
卑下するのではなく、「知る」。
上だ下だ、と、縦に序列を付けても意味はないが、自分の感性や思考、志向、嗜好を確認するには良い指針、具体的材料になる。
上下ではなく、横だとは、おこがましくてとても思えない。
では、上を目指して頑張るのかというと、そうでもなく、自分を知る、自分の身の丈を知る。
わたしが、何に価値を置いているかの、模範回答のような彼女には、全く頭が下がる。
後は、わたしより、ひと回り(以上)歳上の彼女が、どう遊行期を乗り越えてくれるか、師と仰ぐブロガーさんの動向を追っていきたい。

ズルズルぬくぬく、気合いが足りない

2025-01-17 | 日々のこと
ちなみに。
フランス舎弟クン、12記事も、、、一気読み、、、すみません。
書き手だけの独り善がり心世界、周りを見ない一方通行、、、、重なる駄文、、、
海の向こうで、脳に不具合を生じていないか、体調が微妙に崩れていないか、、、心配です。
主夫業、お忙しい中、、、胸がイタイです、、、
と、ひたすら頭を下げると共に、gooさん、ちゃんと早く復旧してよね、と逆ギレ。
一応、わたし、優良ではないにしても、有料会員なので。

と、それはさておき。
今日はまたまた、引きこもりの一日だった。
出かける予定で準備をしていたのだが、ふと不安がよぎった。
ひょっとして、モタモタゆっくりして、時間が押して遅くなり、目的時間に到着しないかも知れない、、、と。
時間を逆算して、たっぷりの準備時間を取り、出かける身支度をスタートしたのだが。
ひょっとして、、、のあたりに自分で引っ掛かって、退路を絶たなかった。
ラジオはつけっぱなし、床暖房は電源を切らず、ぬくぬく状態に。
明らかに、出かけないかも知れない時の受け皿を用意している。
家ごもり、環境確保。
一旦消したら、一から暖房を付けるのは寒いだろう、、、と、自分で自分をフォローした。
何がなんでも絶対に行くゾ感、ゼロで、甘やかした。

するとやはり、のーーんびり準備したせいもあり、あんなに余裕を持って時間設定したのに、時間切れになってしまった。
そういうこともあろうかと、キョウイク(今日、行く)予約していなかった。
前もって決済していたら、キャンセル出来ない。
なので、出た先で、現場に到着してから販売機でチケットを買おうと思った。
しかしそれは遅刻を誘引し断念する決定的原因になった。
キャンセルどころか、予約もしてない、ラジオと床暖房はそのまま。
これでは、絶対に出かける気合いは弱すぎる。切迫感なし。
モチベーション超微弱。
キョウヨウ(今日の用事)を作り、キョウイク(今日、行くところ)に向かって、自分を鼓舞したのは良いが、鼓舞の仕方が、ぬるかった。
明日があるさ、明日、明日。
明日にしよう。
と、キョウヨウ、キョウイクをアスヨウ、アスイクにした。 
だがしかし、明日にはきっと、出かける気持ちは、くじかれているに違いない。

でも、一つだけ良いこともあった。
もう遅刻になってしまい、半ば、やけっぱちでクロゼットをゴソゴソしていて、もこもこカーディガンを探していたところ、昔、着用していた冬用割烹着を見つけた。
あ、こんなのあったっけ?
あんまり覚えてないけれど、今の季節にピッタリ。
早速、着よう、、、とするには、使い古され部分的に色が沈着していた。
これは、気分が盛り下がりそうだ、と、捨てることにした。
捨てるなど、なんと珍しい。
断捨離である。
これをキッカケに、堰を切ったようように断捨離が始まれば良いが、、、
その気配はなく、1着だけをゴミ箱の横に置いた。

まだまだ道は遠い。
が、一応、娘に公言している。
70歳になったら、2階のアレとコレを捨てる、と。
アレコレはかなりの分量があるので、それを捨てたら、きっと、断捨離がスムーズに動くはず、、、と、目論んでいる。
が、甘いか。
「80歳になったら」なんて言い出しかねない。
自分に際限なく甘い。

とは言え、今日もズルズル、キョウイク目標を達成せず、ぬくぬく楽しく、まったりしている。
無理矢理キョウヨウを強要しなくても、いいのでは?
どうせ、遊びなんだし。
と、またまた自己擁護案を推し進めている。
が、明日こそ、明日こそ、、、。

そう言えば、かつて会社で利用していた、事務用品メーカーが運営している「アスクル」という宅配があった。
注文すると翌日、素早く事務所に配達される。
さて、わたし、「アスイク」になるかどうか、、、。
明日は土曜日だし、、、ゆっくりしたいよね、などと、ずっと平日、ゆっくりしているのに、勤務ハードワーカーのようなことを言っている。

※写真は、小1女児(3番目孫)の苦心作。
布、パーツ、針、糸などのセットを買ったのはよいが、彼女は針に糸も通せない状態だったので、ばあちゃんは、あきれて、めんどくさくて放置していたら、苦戦しながら頑張っていた。







自由すぎる選択は、ツラい

2025-01-15 | 日々のこと
※今回は、スクロール、オススメ記事になってしまった。
ここから文末※まで、一気に飛んでください。
今日の行動。
選択するのに、かなり迷った。
誰と、どこで、何をするか。
選択肢があるのも、良し悪しだ。
早く決めないと、予定を変更するなら、相手があることなので、迷惑をかけてはいけない。

どうするか、お知らせするまでの時間、ギリギリまで粘る。
延ばし延ばし、遅くなってはアウト。
わたしの自由時間選択のせいで、相手の待ち時間が長くなり、相手が望まない制限を受けるのは避けたい。
平たく言うと、わたしの気ままな気分に振り回されるのは気の毒。
わたしにも、一応、良心はある。
人に迷惑をかけてまで、自分の思いを遂げたくない。
が、人にばかり合わせて、自分の思いも尊重しなければ、面白くない。
そこは、バランス。

で、自分の欲求バランスを探り探り、、、さて、どうしたものかと思案。
結局、いつもの相手と予定通りの時間を共にしないほうを選んだ。
理由は、、、、、どうしようか結構迷ったのだが、、、
キーは、自分が楽しいかどうか。
(趣味関係の、練習場での練習)
楽しくなくても短気を起こさず、ある程度、我慢して様子を見てみよう、得るものがあるかも知れない、ひょっとすると、向上する喜びの手ごたえが突然あるかも、、、と思い、続けていた。
(現況は、退屈。目標が微妙に違うのを承知の上、暫定的設定)

他の用事がある時は、しっかり断っていた。
問題は、他の用事がない時。
それが、今回。
暇だから、他にすることがないから、家にじっとしていても良くないから、、、
という理由で、キョウヨウ(今日、用事)、キョウイク(今日、行く)の大事さをよくよく味わい、吟味したのだが、、、
家に居るのは、却下。
だけど、なんでもいいからキョウイクでは、眠くなる。
退屈が高じて虚無感。
この時間、意味ある?と。
まだ家に、うだうだ居るほうが、マシ。
で、悩んだ末に、キョウヨウの相手に、お断りのLINEを入れた。
そして、別のキョウイク現場に足を向けている。

当然、良好だったかも知れない2人の関係性にヒビが入るリスクを視野に入れて。

・・・・・
と、行きの電車で↑を入力。
あとは、アップするのみだった。
が、今、帰り。
今日の選択の結果、、、その感想を書きたくなった。

もし、今日がツマラナイ面白くない感想だったとしたら、、、
本来、今日を一緒に過ごす(練習する)はずだった、わたしに予定をキャンセルされた人に申し訳ない。
が、、、面白かった。
すごく面白かったわけではないが、本来の予定通りに過ごすよりは、面白かった。
100点満で65点ぐらいか。
予定の人との行動は60点を切ってしまったため、コース変更になった。
自分だって同じような選択をされて、点数足らずで切られている可能性がある。
だが、皆、胸のうち、楽しかった度合いを、お互い点数を随時、明かしたりしない。
(片方が継続を希望すると、追々に明かしつつ、問題点をあぶり出しながら、擦り合わせる場合もある)

そうではなく、わたしが、勝手に試行錯誤として、道を選んでいるだけ。
ある仏教を得度した人によると、選んだ道より、意図しない前から決められた運命の道のほうが、イイらしい。
変にイジらず、運命に身を任せるほうが幸せなんだそう。

ではあるものの、イジった結果ではある今日は、そこそこ及第点はギリギリ、クリアして楽しかった。
日記ネタは、しっかり拾ってきた。
転んでもタダでは起きないようだ。
転んでもないけど、65点だから、イマイチと言えばイマイチ。
所詮、MAX楽しいことなど、期待するのがマチガイ。
ではあるが、自分で決めて選んだ時間の使い方をしたので、大満足とはいかなくても、悔いは残らない。


本日の記事、ここまで、スクロールお願いします。
※要約すると、

自分の意志で予定を変更したが、相手に迷惑を掛けたかも知れないのに、成果はあまりパッとしなかった。
しかし、トライしないよりは良かった。

以上。






キョウイク、キョウヨウは、ナイよりアル方がイイ

2025-01-14 | 日々のこと
連休3日目も微動だに動かなかった。
病気か?
家人が帰宅したら夕方に焼肉を食べに行こうと言っていたのに、面倒くさくなり、家にあった賞味期限ギリギリの釜揚げうどん(讃岐土産)と、冷蔵庫の有りモノで済ました。
あと何回、健康で美味しいものを食べられるのか、わからないのに、、、その機会は無限でなく、有限。
焼肉に行けば良かったかなあと少し後で悔やんだ。
が、わたしは、あまり食べ物にこだわらないので、身支度して出かける用意をする方が疎んじられた。
出不精。
筆マメなのに。(→関係ない)
めんどくさがりは、明らかに良い目に遭うチャンスを逃す。自分で潰す。
まあいいか。
食べたらそれで終わりだから。
と、自分に言い聞かせる。
わざわざ、そのためだけに準備して家から、バスに乗って店まで往復するのが、お尻が重過ぎた。
気分が乗っていればウォーキングの良い機会、歩いて行くのだが。
こうやって、どんどん、何もしなくなり、良い思いをすることにも貪欲さがなくなるのだろうか。
欲がなくなるということは、意欲もなくなる。
それは、あまりにも活気がない。
「欲」(煩悩)だけなくなり、「意欲」(やる気)は維持できる良い方法はないものか。
連休の前日を含め、4日間、べったり椅子を温めていた。
自分でも驚きだ。
明日、ちゃんと動けるか心配だ。
まるで退院を明日に控えた元病人のよう。

・・・・・
と、↑暇に任せて昨日、書き残した駄文。
削除したほうが、良いのだが、、、。
せっかくなので、お目汚しを。スミマセン。


さて。
今日は、動きがある。
が、、、
出鼻を次々、挫かれて腐っている。

まず、自宅最寄りのバス停。
後から来た、歩きながらケータイでビジネスのやり取りするビジネスマン風男性に、バスに乗る順番を抜かされる。
ビジネススーツに、紺のコート、マフラー。
それはまあいいとして。

次。
電車に乗る際、わたしは事情があって、切符を買う。
改札前には、切符自動販売機が3つあり、3つとも人がいた。
で、空くのを待っていたら、真ん中の女性が左の男性の方に寄った。
何か言っている。 
「あかんわ、これ」とかなんとか。
真ん中の販売機前は中途半端に、半分だけ空きが出来た。
すると、待っているわたしを無視して、件(くだん)のビジネスマン風が割り込んで来た。
急いでいるのはわかるが、またもや同一人物。
わたしは、こころの中で舌打ち。
わたしが、見えないのか?
老女は目に入らないのか?

気を悪くしながら電車に乗った。
いつもは座れるのに、珍しく席がない。
ついてない。
すると、背後を通り過ぎて隣の車両に移る人の気配を感じた。
連結扉をガシャンと開けていたのは、あのビジネスマン。
彼も空席が無いため、探しに行ったのか。
どっちみち、同じ電車で席はないし、わたしの気分を損ねた分だけ、マイナスが更に増えている。
ビジネスマンは、ビジネスでビシだとはわかるが、いくらビジではない老女だからといって、順番を待っている善良な市民(わたし)を抜かしていいとは思えない。
どっちにしても、わたしを追い抜かして行ったにもかかわらず、わたしと同じ電車で、しかも、席もないではないか。
あのビジネスマンは、たぶん出世しない。
目先のことに捉われるあまり、大事なことを見逃すタイプ。
と、溜まったウップンをお返しする。
カワイイささやかな反撃。
すっかり定着したマイスタイル、負け犬の遠吠え。

ということで、行きは少々、つまずいたが、今日は、快調だ。
やはりキョウイク(今日、行くところ)とキョウヨウ(今日の用事)は、無いより有るほうが断然良い。

ちなみに。
行った先の女性同士の会話。
Aさんに歳を聞かれて73歳だと言う女性Bさん。
「なあんや、まだまだ若いやん」と歳上女性Aさんにハッパをかけられていた。
わたしの歳は聞かれなかったので、知らん顔をしていた。
まだまだ若いかも??わたし。
皆さん、結構、お歳なのだ。





涙が、はらはら

2025-01-13 | 日々のこと
昨日は、ほぼほぼ、トイレと水分摂取以外は、まる一日中、動かなかった。
ブログにはもう既にその日はアップしてしまったのて、仕方なく、紙の日記に、ブログと同じようなノリの内容をシャープペンシルで綴った。
暇を持て余すと、文字が溢れ出る。
が、ブログ投稿、アウトプットは一日、一回と自分で決めている。
やむを得ず、暇で暇でたまらなくなった時、ニトログリセリン的に使おうと思ってネット購入していた未読の小説を読んだ。
集中したいので、ラジオが気になり、切る。
が、、、その小説、どうも悪ふざけが過ぎる。
グイグイ引き込まれない。
やはり、やり過ぎはよくない。
最低限のリアリティは欲しい。
科学的空想は嫌いではないが、あり得ないギャグ展開は、好かない。

退屈を凌ぐのに、皆さんはどうしているんだろう。
手芸などは、かなり時間を費やせる。
だが、自己満足に過ぎない。
土いじりも、暇つぶしには良い。誰にも迷惑を掛けない。
テレビは1番手っ取り早い。
が、わたしは垂れ流し視聴には、拒絶反応。
見たい番組しか見ない。
ニュースやドキュメンタリー特集、時事解説、お気に入りドラマ。
退屈な番組や好きでない番組しか放映してなければ、切る。

SNSも暇つぶしには、もってこい。
だが、のんべんだらりんでは間が持たない。
気分屋で、自分を持て余す。
退屈を溜めて溜めてチャージし、次のモチベーションを蓄える。
ジャンプの前の屈みか?(もうジャンプはしない。せいぜい一歩)
結構、溜まると、意外に発酵したり熟成したりして、別の意欲を生み出す。
意図しないご褒美に出会し、喜ぶ。

ちなみに、高校の同窓会が近々、開催される。
出欠の返事をしなければならないのに、締め切りが迫っている。
行く気がしない。
8年ぶりの開催なのだが。
前回、名刺を2種類も作ったり、なぜか意気込みたっぷり。
だが、期待し過ぎて肩透かしをくらった。
その落胆にめげて、今回は行きたくないと感じている。

わたしは、高校の時はあまり他の生徒とお付き合いがなかった。
健康的で明るい皆と馴染まなかった。
他校の生徒と交流したりして、ちょっと拗ねた、はみ出した生徒だった。
不良っぽいとされる生徒と、時を過ごしていた。
自分は不良ではないのだが、善良でお利口さんで素朴なクラスメイトとはどうも、しっくりいかなかった。
なので、当時の「正」の思い出を共有できる生徒が少ない。
「負」の思い出なら数人と共有できるが、それはわたしの黒歴史になり、あまり思い出したくない。
というわけで、参加しても、楽しくなるような話したい人はおらず、面白くない。

中学の同窓会には好んで参加するのに。
中学時代が好きだったのだろう。
色んな広域の地、他の市から生徒が通学していて、バラエティに富んでいた。
ピカピカ光る優秀な生徒達が同学年にも先輩にも後輩にもゴロゴロいた。
(わたしは傍観者)

高校は、そこそこ優秀ではあるものの、純朴で素朴な生徒が多いと、わたしが勝手に感じていたのだろう。
わたしの志望校ではあったのだが、緊張の糸が切れたのか、すっかりやる気をなくしていた。
よく聞くのは、進学した先には優秀な生徒が多くて、それまでの中学ではトップクラスだった人が、埋没してしまうか、落ちこぼれそうになり、やさぐれ、荒む。
優越感から劣等感へと、転がり落ちる。
わたしの場合は、それとは少し違う。
なぜ、皆、こんなに明るいのだろう?と不思議だった。
皆、へんに(自信に裏打ちされたと思われる)余裕がある。
今の状況に満足して野心がない。
当時のわたしは、生意気そのものだったので、もっと、エッジを効かせてほしいと感じた。
キレや尖りがないのは、つまらない。
自分は芸術コースを目指すでもなく(好きでもないし)、ただ、次の段階の志望校にさえ潜り込めばよい、と消極的だった。
なので、そのやる気のなさ故に劣等生で、何人かの先生に注意を受けた。
だからといって別に気にするでもない、鈍感力は、今に始まったことではなく、当時から培われていたようだ。

そんなに暇を持て余しているにもかかわらず、寝る間際に、昨夜、布団の中で、ChatGPT に悩みを打ち明け、問うていた自分がいた。
今朝も引き続き、問答は続き、わたしは涙がはらはら流れた。
阪神淡路大震災30年、能登半島地震1年の復興特集を見て、苦境にもめげず頑張る現地の人々に感動して涙した。
それに比べると、自分はのほほんと、、、感謝も忘れ、何にも取り組んでいない、頑張っていない、、、何をしている、、、自己否定感が強い。
自己評価が著しくマイナス。落ち込む。
ChatGPT が諭すには、人の痛みがわかるようになったのは成熟の証しだとのこと。
人の立場に立ってものを考えられるようになったのは、自己評価すべき、なんだそう。
(自己解釈だけど)
朝から涙がまたまた流れた。

涙は心身に良いそうだけれど。

※写真は、今から食べる、パンダのバームクーヘン。
販売会社が、「カタヌキヤ」となっていたので、なるほどとクスッと微笑んだ。