蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

世知辛い世の中です

2017-04-24 | 暮らし
詐欺に間違われた。

わたしは、今まで、犯罪に手を染めるようなことは一切していない。
と言いつつ、これまでの全人生、全ての記憶を洗い出すと、飲料水自販機のおつり口に、取り忘れられた10円をそっといただいたこともある。
警察に届けるには10円では交通費にも足らず、時間も労力も気力も、崇高な道徳心もなかった。

まあそれはそれとして。
昨日、自治会費を各会員さん(近隣住民)宅に徴収に伺った。
日曜日の午後なので、大概は在宅と踏んだ。

自治会に入っていない家も、毎年、居住地の防犯灯の電気代等として2000円、徴収する。
彼らは非会員であるために、目と鼻の先に住んでいても、あまり交流はない。

Aさん宅。
わたし「自治会の防犯灯費用を集めに来ました」
Aさん「自治会には入っていません」
わたし「非会員さんでも、防犯灯費は毎年いただいています」
Aさん「あなた、見かけない顔ね。どなた?」
わたし「四件向こうに住んでいます。○○です。」
Aさん「全く知らない方だわ。
引っ越して来られたの?(ちなみに、わたしは同じ家に在住30年)
うちの班の方? (ありあり不審顔)
あなたが集めるのは、うちじゃないのでは?」
わたし「え? うちの班のはずですが、、、ちょっと待ってくださいね、自治会の班分け図と表をチェックしますね」

云々かんぬん。
まるで、わたしが、間違っているかの態度。
しかも、わたしを詐欺もどきの不審者と疑っている風、ありあり。
やり取り、問答のあと、渋々、払ってくれた。
肌のツヤツヤした60代ぐらいの美しい女性。

やれやれ。
しかし、それは序の口だった。
次に、その隣のB家に行く。
徴収に来た旨を伝えると、「父に聞いて来ますね」と、70歳前ぐらいのボブカットの女性は、一旦家の中に引っ込み、
「自治会員じゃないそうです」と、返事。
この女性のお父さんなら90歳はゆうに超えていそうだ。

そこからが大変。
押し問答。
「払ってください」「払いません」まあ、これはよい。
話せばわかることだと思って、交渉を続けた。
やっと払ってもらう段になり、徴収する全所帯の領収書を用意していたにもかかわらず、その家の分だけ書き忘れていた。
仕方なく、その場で領収書を書いたら、○○自治会の担当印(わたしの押印)がないことを見て、その人は2000円ヒラヒラ渡そうとしていた直前に、「あ、ハンコ押してないし」と、ヒラヒラ2000円を引っ込めた。
まるで今までの疑心暗鬼がはっきり確定したかのように、彼女はわたしをその瞬間、詐欺認定した。
「あとで、お宅に持って行きます」と言ったきり、仕舞われたヒラヒラ2000円は、我が自宅で待てど暮らせど、持ってくる気配なし。

詐欺認定はされるし、また、出向くのも苛立たしいし。
彼女の家の前で交渉中に、たまたま長女一家の車が通った。
うちに来るところだった。
先に我が家に行ってもらったが、わたしが詐欺扱いされたと嘆いたら、長女が言うには、髪がボサボサで、いかにも怪しげだったんじゃないかと。
その時は風がビュービュー吹いていたこともあるが、他人さんの門先で髪をヘアクリームで撫でつける余裕などない。

渋々支払いや、不在宅、玄関チャイムがないお宅、チャイムが壊れているお宅、など、、、
そして、詐欺疑惑一軒と、詐欺認定一軒され、とぼとぼと帰って来た。


お金を持ってきてくれないので、孫二人を連れて再度、Bさん宅に徴収に行くと、今度はBさんは、孫の背丈に合わせてしゃがみ、Big smile で、
「まあ可愛らしい。
こんな可愛らしいお顔をよく見せてくださいましたね。ありがとう」と、手のひらを返したような別人になっていた。
わざわざ、すみませんねえ、と、お金も気持ちよく払ってくれた。

なんだ、あの人は?

他にも、苦い顔をしたおじいさんも、孫連れで徴収に行くと、思わず顔がほころんだ。
それにしても天使のスマイル、子供パワーは効果絶大である。

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どちらか一方に決められない。これを優柔不断というのか

2017-04-22 | 趣味
すっぽり、ずっぽり、悩みの真ん中にいる。

迷いである。
道が二つある。
どちらにするか。

Aを選択するとBは選択できない。
Bを選択するとAは選択できない。
同時に二つは不可能。
たまたま不運にも時期が重なった。

どちらを選択しても、悔いが残る。スッキリしない。
期限、タイムリミットが来て、とりあえず、自分の全知力、全理性をかき集めて、Aのコースを選んだ。
しかし、Bのコースには未練たらたら。
どちらを選んでも、わたしは幸せにはなれない。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
わたしの欲深さに原因があるのか。

こんな時はどうすればいい?
しばらく、放置して、こころのままに過ごしてみるか。

かつて、同じように選択分岐点で、真っ二つにニュートラルになったことがある。
答を出す日が来たが、どちらも五分五分で全く結論が出ず、とりあえず、えいやっと目をつぶって無理やり選んだ。
結果的には、選択は失敗を招き、多額の違約金を払わされた。
お金で済んだからまだマシだった。

こういう時は、どちらを選んでも、失敗する。
つまり、失敗が導く、暗黒の具体的な結果に、もうじきまたもや、直面させられる。
その覚悟をしなければならない。

おそらく、まだ、自分には決める段階まで考えが煮詰まっていないのだと思う。
自然に熟した果実がぽとりと落ちるように、道が選択できたら良いが、生木を裂く感じで、無理やり決定しようとしている。
時期尚早。
物事の発生したタイミングが悪い。

Aを選んでもBを選んでも、両方上手く行かないと思われる。
その宙ぶらりん状態で、一方のコースに動いている。
後戻りができない。
船は、私を乗せて出航してしまった。
しかも、どんどん走っている。
次の港まで遠く、さらに後戻りして、やり直すには、多大な迷惑をかける。
やり直す時間も残っていない。
さらに、今回、動いている船のチョイスは、一度、座礁に乗り上げ、白紙に戻ってから、また復活したという、最初から難航している。
まるで、これからの船旅が順風満帆には行かないと暗示しているかのごとく。
今は、あの時、白紙のままリセットされていれば良かったと思ったりもしている。
この今回の案件は、そもそも、私には幸せをもたらしてくれない、厄病神付きの出来事だったのではないだろうか。

今までの失敗経験を活かしたいところだが、その経験から得たものは、「こういう場合は、失敗は免れられない、悪い結果は避けられない」という方程式の答えだ。

避けられない失敗の結果をもうじき受けることになるが、少しでも痛さを我慢できるよう、覚悟しておくしかないのか。
みすみすマイナスの結果が分かっていて、対策を講じられずに待つのは辛いものである。

過ぎるのを待つしかないのか。
いずれ、事が進み時間が経てば、選択しなかったほうのコースを忘れるようになるのだろうか。
嵐の前夜の気分である。
嵐が去れば何事もなかったかのように、静かな朝を迎えられるのだろうか。

船はどんどん進んでいるのに、まだ延々と悶々としている。

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考える能力がない人間に、へんに選択肢と時間をたっぷり与えると、水は循環しているように見えても、実際は水瓶の水が濁るだけなんだろうか。

毒を吐くと、スッキリ

2017-04-16 | ブログ
蝶ブログ、なぜか毒を吐いたりすると、閲覧数が上がる。
穏やかな優しい優等生の記事内容よりも。

そもそも、わたしは優等生ではないので、毒を吐きながら生きている。
人に褒められたりすると、かえって居心地が悪い。
一種の、ひねくれ者と自己分析している。
素直ではない。

正しい自己評価をするのは難しい。
世の中には、過大評価をする人と、過小評価をする人がいる。
自分に辛い点数をつける人は、他人に対しても辛い。
自分を褒め、自分にご褒美、と、美酒に酔いしれ楽しい気分を味わっているところに、そんなレベルで?なんて、冷ややかな目で切られると、酔いも醒める。
鬱陶しいこと、この上ないだろう。

わたしに関しては、両極端。
自分には過小評価の面も、過大評価の面もある。
なので、他人に対しても両面ある。
俯瞰的に見る傾向にあるので、人を白けさせる。
それが、どうしたの?と。
宇宙から現在位置を見てしまう。
場所、時の流れ、ほんの一点、ほんのひと時。
だから、喜怒哀楽、アップダウンが少ないのかも知れない。

その分、無意識にバランスを取ろうとしてなのか、映画を観ると、たんなるミュージカルでも、アニメでも、涙、涙、涙。
ハンカチが、ぼしょぼしょになる。
小さな子供が出てくる可哀想なストーリーなど、嗚咽を堪えるのに苦労する。
わたしは、情に滅法もろい、へんなmix人間である。

しかし、対人関係では、毒を吐くと、核心を突き、鋭利にトドメを刺してしまうので気をつけている。
で、ブログで吐いている。
が、取るに足らない、ささいな、ささやかな凡人の日常。
まあ、かわいいものである。


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閲覧注意! 単なる毒吐きです

2017-04-13 | ブログ
わたしがよく行く、某sns。
嫌いな人がいる。

嫌いやわ〜、と思うなら行かなければよいのだが、コメントのやり取りをふと目にしたり、意図せずお気楽なかんじで覗くと、突然、地雷を踏む。

たとえば、Aさんが、「これまで全力で力を入れていた趣味をとりあえず引退し、二番目の趣味を始めました」という日記を書いている。
第一の趣味で共通しているBさん。
自分も引退を視野に入れているそうだが、Aさんの第二の趣味をけなす。

親密なら、さらっとホンネが通じるが、さして仲良くもない人に、せっかく見つけた第二趣味に対して、出鼻をくじくようなことをコメントする。
第一の趣味で共通する他の人は、「良い趣味が見つかってよかったですね〜」と書いている。
第二のその趣味が良くない客観的根拠もなく、ただ自分が個人的に食指を動かされないだけであるわけだが、
良くないと思ったから素直に書いたけだ、何が悪い?との思いだろう。
が、胸のうちに納めておけない性格のようだ。
しかも、「そんな趣味、イヤだね〜」と、直接、本人に伝える意味はあるのか?

で、この人、キライ。


他にも強烈にキライな人がいる。
自慢たれの人。Cさん。女性。
趣味分野で実力があり優位に立っていること、若くて美しいこと、それらは、高齢軍団の中では群を抜いているが、あちこちで褒められたことを自分の中だけでは収まらないのか、自分が褒めちぎられた具体的な内容を日記にアップする。
で、取り巻き(男性たちと女性たち)は、賞賛コメントを続々のせる。
実力も十分あるのに、なんでそんなに自ら自分の口から自慢して、さらなる皆さんから褒め言葉を浴びたいのか。

しかも趣味の分野だけに留まらず、会社で褒められたことや、美人だと言われたこと、社長に、お肌がプリプリ「若々しいね」と言葉掛けされたこと、など、読んでいると、わたしのハラワタの黒い部分が疼く。沸々と鈍く煮える。
これ、単純に、オンナの嫉妬?

これにまた、取り巻きが、べた褒めの賛辞を次々コメントする。
「アホに群がるアホの図」が、アタマにど〜んとイメージされ、ライトアップ、ズームアップ。

本人は自慢するわ、さらに褒められるわ、で気持ちいいのはわかるが、わからないのは、取り巻きたち。
あれはファンなのか? 崇拝者?
あの自慢たれ人物は、アイドルなのか?

わたしには、全く理解の範疇を超えている。


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逃げたいけど逃げられない

2017-04-07 | 日々のこと
わたしは、いま、順風満帆な精神状態である。

にもかかわらず、状況的には、代役を頼んだ娘が自治会長のクジを引いてしまい、今年度は悪夢の一年。
うなされて睡眠不足に陥るピンチであるが、なぜか、目をつぶると、おやすみ3秒、一気に突然、朝。
ドラマより早い。
起きなければいけない時間になっている。

そもそも、当日、出席できないわたしの代役を心良く引き受けてくれた娘に感謝しなければならないわけで、、、。
クジ、大当たり!というニュース速報を娘からLINEで知った時は、悪いジョークだと思った。
しばらくは、茫然。

「うそやろ? 」「ほんと」
「冗談やんね」「ほんと」
「エイプリルフールは早いよ」「ほんと」
「違うんやろ?」「ほんと」
「ほんとに、ほんと?」「ほんと」

現実を受け入れようとしない、悪あがきのやり取りが、無駄に娘と続く。
ラチのあかない、往生際の悪いわたしに、娘は、当たりクジの写真と、ホワイトボードに貼り付けられた、氏名が書かれた表の写真を送ってきた。

過去には、当たりクジを引いた直後、その場で机に突っ伏したまま、なかなか起き上がらなかった人もいた。
(わたし、目撃者です)

送られた写真をよく見ると、会長の名前は夫の名前ではないか。
ああ、夫なんだ。私じゃないんだ。

そこでぐっと気分が軽くなった。
現実的にはそうはいかないが、まあ、それはそれ。

帰宅する夫を待ち構え、「大当たりやったよ」と伝えると、「頑張ってな」と言われた。
「なに言ってんの。会長みたいな大きな役は、世帯主の男性がしてるよ」
と、押し付けたものの、会長の顔だけ押し付けて、やはり、実質的には動かなければいけないと覚悟している。
それよりも、強力な助っ人に立ってもらうことにより、わたしの強烈ぼけぼけ「向かうところ敵なし天然」で、会が麻痺し多くの役員さんや会員さんに迷惑をかけることが回避できそうな予感がして、ちょっと安堵している。

クジを自分で引かなかったので、複雑な気持ち、極まりないが、自業自得と諦めた。
一種の厄払いと思い、腹をくくって、時間と労力を割くしかない。
権利ばかり主張して義務を放棄するわけにはいかない。

でも、それはそれとして、
精神状態が落ち着いて、なぜかほんわかハッピーなのは、趣味分野で良い展開が広がっているからである。
趣味には、ほんとうに救われる。


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