蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

衝撃!! いまごろ、はじめて知った、ブログの感想

2013-02-28 | ブログ

とあるブログを読んだ。

悪口をさんざん書いたあと、
「自分は成長過程で、一生勉強です」
「今日の記事は、自己嫌悪を感じる、つまらない記事になりました」
みたいなかんじの、自己弁護的なことを書くのはけしからん、お品がないとのこと。

ちょっと、衝撃を受けた。
そうなのか・・・。

わたしは、誰かれとなく文句を言っているのか???
(自分に対しては、年がら年中、文句を言っているような気がする・・・)
あまり、自分が書いたブログの内容を気にしたことはなかったが、
(書いたあと、スッキリして、内容をころっと忘れるのだろう)
確かに、「一生勉強」みたいなことは、常に思っているし、よく結びの言葉として書いているような心当たりがある。
そういう、自分に向けての励ましやエールを込めた言葉も、人から見ると、
吐き気がするほど嫌なものだったのか・・・。
(誰に対してと名指しはされていないが、結びの言葉は、わたしは、しょっちゅう使うので・・・)
どうやら、そういった一連の言葉の流れは、こころのバランスを取る、という作業らしい。

わたしの、問題点は・・・唯一、最大の問題は・・・
書いた内容を忘れているということだ。
これは、いちばん、ひどい。
書いた瞬間、忘れている。
書く一方で、その内容を読む方がいる、ということすら、視野、念頭にない。
自分のことで、精一杯。
吐き出すことで、精一杯。
だからといって、「関西人特有の自己チュー」と追記しても、決して自己弁護にはならないだろう。
自分自身の感情は救済もできても、世間に対して自分を正当化はできない。

いやはや、いろんなモノの見方、感じ方があるものなのだ。
どれが正しいわけでも、悪いわけでもないだろう。
ただ、自分ではまったく気付かずに、人に不快感を与えている可能性もある、という、
そういうことを、初めて実感として感じた。


時の権力者も、総理大臣も、世界屈指の大金持ちも、有能な武将も、有名女優も、
誰一人からも不満をもたれていない人、そんな人など、存在しないと思う。
たとえ、慈善家や崇高な聖職者でさえも。
身近にいる、家族、恋人、子供でさえも。

聖職者も、毎日、自分の未熟さを見つめ、一生かけて乗り越え克服しようと、祈っているかも知れない。
慈善家は、ひとに尽くしすぎて、自分も死んでしまったりしたら、どうするのだろう?

ひたむきに祈れるひとは、まだいい。
義母は、お経を唱えながら、今晩の献立を考えていることもある、と言っていた。
宗教の時間、自分と向き合う純粋な時間も、主婦ともなれば、時間に追われて、たいへんなのだ。
(わたしも、ちょっと前、洗濯機の完了音が聞こえ、洗濯物を干さなければ・・・と、焦っている)
ひとことで言えば、それを「雑念」という。

生活をしていると、雑念と共に暮らすことになる。

(が、雑念がない状態も、結果を追い求められたりして、けっこう苦しいものである)


あれこれ考えると、なにも書けない。
抽象的なことばかり書いても、ちっとも自分は面白くない。
かといって、超まじめな、誰が見ても、なんの落ち度もないことを書いても、自分もつまらないし、
それよりも、第一、読んでいる人は、そんなのが面白いのか?

仕事として、お金をいただいて、あちこち取材して客観的物証や確証を取り揃えて、記事を書いているわけでもない。
しょせん、無料のブログ。お遊びだ。
目くじらを立てるのも、どうかと。

いちいち、人のこころの声を詮索、気にしていては、なにもできない。
自分は、雑菌だらけのこの世で生きている。

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放課後の一人遊び

2013-02-27 | ブログ

今朝のブログ散歩は、さんざん。ひどい。
なぜかというと、時間がない。
で、どのブログも、ざざざーっと。
ああ、もったいない。ちゃんと読むべきものを。

時間が確保できるときに、読もう。
でも、映画や本を結論から観たり読んだようなかんじになってしまっている。
それなら、読まなきゃいいのに。

で、突然、ひらめいた。(おおげさ)
いつもは空の、わたしの郵便受けポスト。だが、なにか予感がした。
今朝は、まだブログ編集画面、コメント管理を開いていなかった。

放課後、一人で石蹴りして遊んでいるような、わたしのブログに
買い物帰り?に立ち寄ってくださった方からコメントいただき、なんだか、うれしい気持ちになっている。

「はやく帰らないと、おかあさんが心配するよ」
「は~い。(でも、おかあさん、いないし・・・)」

みたいな、あいかわらず、いい加減なわたしのブログ。
強豪のみなさまの中で、ときには、息抜きもアリかも。
(その割には、文章、長い・・・です)

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確執は、ごめんだ

2013-02-26 | ブログ

ブログ村、次から次へと登場する新しい方々。
かたや、抜けていく方々。
いろいろだ。

ごくごく最近、思ったのだが、
ブログ村というのは、ブロガーさんたちのためにあるもののようだ。
はじめの頃は、わたしは、そう思わなかった。
いろんな方々のブログを一方的に読むだけだった。

長く続けていると、また、新しい局面が見えた。
ブログ村は・・・
ブロガーさん自身が、なにかを求めて、しっちゃかめっちゃか、あてもなく、大きな大きなネットを彷徨うのではなく、
各フロアー、商品が取り揃えられている、手っ取り早い、ブログのデパートみたいなものか。
買うあてがなくても、ぶらぶらウインドウショッピングをしてみたり、
ひとのブログを読んで、興味を抱いたり、交流を持ったり、
波長や価値観が合うブログ探しには効率がいい。

ネタが、ころがっていることが多い。
ひとのブログを読んで、イマジネーション、インスピレーションを感じて、自分のブログを書く場合もある。
ただ、読むブログ数が多いと、自分も書く時間が必要だし、制限時間が限られていると、
訪れるブログは、必然的に、かなり絞られる。

それにしても、みなさん、書きなれておられる。

あとは、書くほうも、読むほうも、勢いづいて飛びついたものの、どこまで続くか、だ。

ブロガーさん同士の熱が伝わる。
いい意味でも、悪い意味でも。
あんなに熱くなったのに・・・あれよあれよという間に冷えていったり・・・。
急接近、急離脱。
デパートの大売出し、衝動買いみたいなもの?

なかには、ブロガーさん同士の根の深い確執とかもあるようだ。
わたしは、もともと、あまり交流を持つ派ではないので、けっこう、ひとのことはどうでもいい。
いずれにしても、なにごとも常駐、停滞すると、澱みが生じる。
リアルな世界で、ちゃんとした人間関係を築くことができない人は、ネットでも、無理だと感じる。


と、今日は、どんなことを書こうかと、うでうで、うだうだ、していたら、
こんな、どうでもいいことを綴ってしまった。

 

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深夜は、眠くて、寒くて、ろくなことがない

2013-02-25 | 日々のこと

わたしは、基本的に、関西人の典型で、自己チュー。
だから、人のことは、気にならない。
キライな人のことも、じつのところ、そんなに気にならないのだ。

自分の庭(脳内)のなかで、ひとりで遊んでいるのが、いちばん、楽しい。
キライなことなんか、考えないで、楽しいことだけ考える。

ご近所さんと、日曜日の朝、ウォーキングした。
彼女は、こう言っていた。
「一生懸命、頑張っている人をみると、尊敬するわ。
それに比べて自分はなにもしていないから、落ち込むの」

「人は人。
自分のペースで、楽しいことだけを見つけて、これから先、やっていけば?」
そう、無責任なコメントを発した、わたし。
「苦手なことを克服するよりも、得意なことを楽しむほうが、ストレスがたまらなくていいよ」
と、お気楽・発言。

と言いつつ、わたしは、今朝、夢を見た。
卒業以来、一度も会っていない、学生時代の同級生が出てきた。
夢の中では、彼女は、コツコツ勉強していたが、わたしは、まったくしていなくて、
理解できないままの状態で長い期間、それを積み重ね、放置し、
試験なんて、絶対に受からなくて、単位も取れなくて、落第、間違いないという内容だった。
いまさら、付け焼刃で勉強しても、どうしようもない、手遅れの、絶望的な展開の夢だった。
朝起きて、夢だとわかって、こころの底から、ほっとした。

なにもしていないことに対する、自責の念、ストレスの表れだと思う。
人には、あんなことを言っておきながら、自分だって、なんにもやっていなくて、それを気にしているのだ。
夢になって出てくるぐらいだから、無意識にプレッシャーを感じるぐらい、気にしているのだろう。

しかしながら・・・
人は、プレッシャーで生きているようなものだ。
だから、それでいいような気もする。

なにもなければ、糸の切れたタコみたいになってしまう。
ほどよい緊張感が大事。

今夜は、そんな夢を見ないで、安らかな安眠タイムが確保できるよう、祈っている。


ブログをイレギュラーに、深夜に書いてみた。
そして、ひとさまのことを噂していたら、罰が当たるような気がしてきた。
なので、人のことには、触れないようにしよう、と、あらためて思った。

そんなことを真面目に思っている割には、もう瞼が重く、眠くなってきた。
反省しきらないうちに、また、うとうと、夢に突入しそうだ。
悪夢の再現は、避けたいところだが、さあ、どんなことになるのやら・・・ 

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置き去りの恐怖

2013-02-24 | 日々のこと

わたしは、誰と、特定のブロガーさんを指したわけでも、ブログ名を明記したわけでもなんでもない。
「怨念さん」だけで、話が通ってしまう、この、おもしろ不思議さ。
あくまでも、わたしと、コメントしてくださった方の、たまたま通じたエスペラント語だが。
わたしには、そういう意味では、隠ハンドルが、つけにくいことだろう。
「蝶」を入れるとわかってしまうので、「腸ブログ」とか?

ブログでは、ビフィズス菌の話ばかりしていそうだ。
今後、「ビフィズス・ブログ」とか、「ヨーグルトさん」とか、そういう文字を見つけたら、ビクっとしよう。
それ以前に、わたしのブログなんぞ、気休めはもちろんのこと、
箸休めにもならないので、話題には上がることもないだろうから、なにごともない平和な時代を感じることにしよう。

いま、パソコンの背後で、うなっている人物がいる。
はらはら、どきどき。
いつ、なんどき、ブログ入力・中断を余儀なくされるか、気が気ではない。

というのは、上娘が、新生児をおいたまま、検定試験を受けに行ってしまったのだ。
上娘は、母乳なので、泣いたときは、ベビーを秘密兵器で、だまらせることが出来るが、
わたしは、もちろん、母乳なんぞ、出るわけもなく、泣いたらどうしよう・・・と、戦々恐々。

おろおろ。
置き去りにされた、ババとマゴ。

本格的に泣き始めそうだ。
土砂降り、一歩手前。
今日のブログ、早めに、引き上げることにしよう。

泣く子と地頭には勝てぬ。

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怨念の積み重ね

2013-02-23 | ブログ

とあるブログ。

とても教養高く、古今東西の文学をはじめ、芸術のことを幅広く、
さらっと、ときにはユーモアをまじえ、紹介されている。
その幅の広さ、すいすい、すらすら、あふれんばかりに湧き出る教養・・・
素晴らしすぎて、憧れを通り越して・・・
いくつもいくつも続けざまに、読んでいると、眠くなってきた。

つまり、わたしのアタマは、教養は、ぱらぱらっとフリカケる程度、アクセサリー程度だということだ。
ちょっとアクセントに、見栄えがいいように、ちらつかせる程度で、中身はない、ということが、よくわかる。
教養だけでなく、社会の出来事や、その他、モノ識り系は、
すべて、ちょちょいっと、うわっつらだけを、どこかから盗んできたような、そんなかんじだ。
外側が薄く、中身はほとんど無い。

なので、しっかり中身の詰まったものに憧れる。
しかし、がっつり向き合うと眠くなる。
わたしの人生そのものだ。
これをミーハーという。

教養のエッセンスをぎゅぎゅっと詰め込み、きりっと〆たいのに、ぜんぜんだ。
スカスカ、締まりがない。
もともと教養の中身がないのに、多用、引用したがることで、墓穴を掘っている。
いちばん、わたしが恥ずかしいと感じることを、自分自身がよくやっていて、
しかも、マチガイに気付かず放置していることも非常に多々ある。

一日中、スカートのファスナーや、背中のボタンを止め忘れ、開けっ放しで、大勢の人の目に触れ外出しているようなものだ。
家に帰ってきて、顔から火が出る・・・が、もう、時遅し。
そういうこと、思い出しただけで、すこぶる、いっぱい、たくさんあり、顔が熱くなりすぎて、
最近では、同じアツい顔でも、厚顔に変更しつつある。
(いや、厚顔は、生まれつきでもある)

努力をしないで、見かけだけカッコをつけている教養や行動に関しては、
べつに、「あほで~す」でも、どおってことないのだが(自意識レベルが低い)、
最近、社交ダンスの頭打ち、停滞で気付いたことがある。(・・・遅い・・・)

ほんとうに、うわっつらだけでなく、中身を充実させるには、自分と向き合い、苦しい努力が必要なのだ。
人に頼る、依存の精神こそが、わたしの弱点だということ、
それを克服するには、人に教えてもらう、とか、導いてもらうのではなく、自分が努力するしかない。
社交ダンスを通して、自分の人生を通しての弱点が見えた一瞬である。
「依存からの脱却」、死ぬまでにできるかしらん・・・???


ところで・・・

怨念ブログ、なぜ気になるのか、自分で追究してみると・・・
たんなる怖いもの見たさ。
しかし、即、毒性や攻撃性を感じて、そそくさと逃げ帰る。
やっぱり、わたしには無理。手に負えない。

わたしは、人を攻撃するのが好きでない。
自分の毒を出す場合、自分に向ける。
刃物は、人に向けない。
もちろん、攻撃されるのも好きでない。
だから、そういうところには、行かないのが一番の安全策。

そんな負の、おどろおどろしいものよりも、
「にんまり」、「うふふ」、「ピリリ」、「ドキリ」、「え~っ?」、「なるほど・・・」、「ステキ」、「尊敬、脱帽・・・!!」
などなど、元気や、熱意、やる気、エネルギーみたいなものをもらえると、滋養強壮によろしいかと。
ときには、「そりゃあ違うやろ!」と突っ込みを入れたくなるのも、刺激があって面白いが、
怨念をもらっても、なんにもいいことがない。
疲れた体が、ますます疲れるだけで、さらに、怨念が蓄積したりしたら、たいへん。(しかも、他人の)
弱った心身に、補助健康食品みたいに、ひとの元気をもらってリフレッシュするほうが、ずっとずっといい。

ただし、わたしの場合、教養に関しては、服用が多すぎると、眠くなるのが難点だ。
5分で、ころり。
読書も、そう。

脳キャパ、容量の小ささったら、ほんと、かわいすぎて、いとおしいぐらいだ。
 

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2013-02-22 | ブログ

さあて、と、自分と向き合う時間。
本日は、15分。
これは、くせものだ。
校正していたり、気になるところを書き換えたりすると、必ず、時間オーバーになってしまう。
その後の、バタバタは、もう、うんざり。
目に見える。

恒例、朝のブログ散歩。
キライなブログは、やはりキライで、
好きなブログは、やはり好きだ、ということが、今朝の数分ぶらりで判明した。
時間が極端に少ないときは、好きなブログをチョイスするしかない。
つまり、内容を見て、ちゃんと読む、読まないをふるいにかける。
じつに、失礼なことである。
が、ブロガーさんの文章力が、キラキラ、がんがん、ここで、パワーを発揮する。

基本的に、わたしは、どうも、短いものより、長いもののほうが好きな傾向にあるようだ。
なので、こういった、時間制限のある時は、ジレンマに陥る。
ざざざーっと斜め読みしたあと、また、本気読みする。
あとのブログは、ざざざーのまま、またの機会に。

そして、アタマに残るのは、本気読み(二度読み)したものと、
やっぱりキライだと感じた暗いブログ。
しかし、まあ、この時間がないっていうのに、わざわざキライを確かめに行くということは、
ある意味、それだけで、もう、そのブログが気になっているのか。
どのブログ、とか、わたしは、まったく明言してないので、
読んでおられる方々は、読み間違い、勘違い、早とちり、誤解のないよう、お願いします。

で、自分のブログを書く順番が来た。
あらららら、でも、もう、時間。
厳密には、あと5分あるが、今から書き始めると、遅刻間違いナシなので、
今朝は、自分との対話は、なんにもナシで、終了いたします。

 

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結婚の条件

2013-02-21 | 日々のこと

「明日から、義父さんの介護と、貧乏な豆腐屋暮らしよ」
と、連ドラの登場人物が酔ってホンネを言った。


ホンネの中身もさることながら、
お酒飲まない、タバコ吸わない、って、言ってたのが、ウソだったから破談になったわけ?


虚偽の申告が、結婚相手となる人に受け入れられなかったということだが、
旦那さんになる人も、もし、お父さんの介護と貧乏を隠していたとしたら?
あの男性は、正直に言ってたけれど。


条件の悪い人は、結婚市場では、不利だ。
テレビで中国の婚活事情が紹介されていたが、男性は、かなり厳しい条件を突きつけられている。


日本でも、ひと昔まえは、家付、カー付、ババ抜きなんて、言われていたが。
「愛があれば・・・」なんていうのは、恋愛市場でささやく言葉であって、
実際は、「愛」というほど純粋なものでなくても、「相性が合えば」「算段がつく」ぐらいか。


お互いのバランス。
見合って、見合って。
これまた、ひと昔まえは、3高(高学歴、高身長、高収入)時代。
男性は、経済力、女性は家事。


今は、イクメン登場で、少しは変わってはいるものの、極端に変わっていないかも知れない。
男性とまったく同じ条件で働ける、女性の職場が限られていると思うから。
かなり優秀な女性でも、職を捨てて、旦那さんの赴任先についていく奥さんたちもいるし。


・・・

豆腐屋は、朝が早いし、冷たい。

高校の時、同じ学年で、豆腐屋の息子さんがいた。
VANのアイビー・スタイル、ブラバスのオーデコロン。(時代を感じますね)
面長の可愛い顔、細身で、飄々(ひょうひょう)としていた。
田舎の、のどかな学校だ。


都会の私立とは違って、垢抜けないけれど、純朴路線。
同じ地域に住んでいても、都会の私立に通う子と、田舎の地元学校に行く子がいた。
私立にも、有名優秀私立校と、いわゆるお嬢さん校があった。
お嬢さん校に行っていた人は、時代も変わり、あとが、たいへんだろうなあ・・・。


・・・


ちなみに、
唐突ですが、

パリに「「エロチシズム博物館」がある。
館内は、どういう展開になっているのか、
度肝を抜くような、びっくりするような展示だと、おろおろしても困るので、
ひとりで行く勇気がなかった。
下ネタがお好きな方は、そういう方向で研究されてもいいかも?


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お上品で、良家の子女

2013-02-20 | 日々のこと

フルスピードで、ブログ散歩をして、あるブログで、ぴたと止まった。
いやはや、おもしろい。
そして、その内容に反応したモノを書こうと思うのだが、あらら、またまた、あと時間は10分に。
もっと早起きして、読み、そして、書きたかったが・・・
今日は、起きたらお日さまの光りが、すでに射していたので、もう、遅い。


若い頃と、今は、違う。
ほんとうに、全然、違う。
人間って、生物、動物なんだと、ひしひし感じる。
そして、自分だけのことに関してだが、バージョンアップし続けると、初期化に近い状態になる。
満足たっぷりの初期化なのか、壊れてしかたなくリセットして強制的に初期化なのか、ひとそれぞれ。
でも、みんな老化する。
経年劣化。
これが、けっこう、いい味を醸し出す。


ぎんぎんの欲も、最終的には、お金と食べ物になるようだ。
認知症の症状として顕著なのは、そのふたつ。


あと、「色ぼけ」とされるものもあり、その症状に接すると、家族がなんともいえない思いをするが、
それも症状のひとつ。
知り合いの、お上品で、良家のお嬢様(現、おばあさま)も、その症状を見せた、とお嫁さんが驚き、仰っていた。


リセットされる前に、それらの道を、どうにか自分なりに浄化、初期化に近い美しい状態にしておかないと、
知らない自分が、たとえ症状で、まわりが認知症状として理解してくれるとはいえ、
とんでもないことになると、おそろしい。


自然なかたちで、消えて、いずれ土にかえるのが理想。
でも、いまどきは、火葬だから、土にかえるまではスピードアップされ、一瞬で、人工的ではあるけれど、
遺された人の手間隙を考えると、いたしかたない。
こころも、脳も、自然なかたちで、進んで、・・・終わればいいなあ。



・・・と、ここで、5分遅刻。
さて、日常、ルーチンワークのスピードアップを余儀なくされた。
ばたばた、しよう。


 


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あいかわらず、「言う」だけ

2013-02-19 | 暮らし

書き始めからアップまで、制限時間10分で書く記事のほうが、2時間かけて書く記事より、閲覧数が多い・・・。
これは、どういうことか。

ま、自分が書きたいことだけを書く、ということで、このスタンスで、まいります。

ブログって、おもしろいものだなあ・・・と、最近、ひとさまのブログを読んで、そう思う。
なぜかというと、ブログでご自分の好きなように、独り言を綴っておられるのだが、
それをずっと読み続けている人が、傍らにいて、いろんな感想を持つからだ。

ブロガーさん自体は、自分の気分次第でやっていることで、
アップした瞬間、アウトプットして、吐き出して、おそらく、それで終了なのだろうが、
読む側にとっては、ちょっと違う。

お人柄って、伝わる。
性格が、とてもよく出る。
もちろん、いい意味でも、悪い意味でも。
感心したり、失望したり。
それは、へなちょこブロガーとしてのわたし自身にも言えることだから、
ひとさまのことは、まったく言えないのが、哀しいところだ。

わたしの肉親や家族、何十年来の親友(いないけど)なんかよりも、
わたしのブログをお読みになる方のほうが、何百倍もわたしのことを深くご存知だ・・・
これは、ある意味、恐ろしいことでもある。

しかし、ある方がブログで紹介されていた、こころに残った、有名作家の言葉がある。
(スロー語に、書き換えあり)
「日常に、本当にあった出来事を書いてもなにも面白くない。
作った出来事を書くから面白い。

日常に起こったことは、話さなくても、すでに起こっている。
芸術は、話さないと、なにも始まらない。(存在しない)」

つまり・・・芸術は、ウソから生まれたようなものなんだ、ということか。(わたし流・解釈)
日常に、演出(「ウソ」とも「創作」とも言う)を加えるのは、悪いことではないってことだ。
わたしのブログは、「事実」に、「わたし」というフィルターを通している。
このフィルターが、クセモノだ。

つまり、偏見、色眼鏡、先入観、偏愛、えこひいき、自分勝手、自己チュー、などなど、
かなり、キツイ色、ニオイをべとっと、ぺったりと、つけている。
あるいは、まったく、故意に、つけていないときもある。(でも、行間から、はみ出している・・・はず)

義母の話は、とても、そのフィルター効果が顕著で、じつに面白い。
自分の進んできた道を肯定するあまり、アタマから「自分教」を信じているあまり、偏見のカタマリになっている。
ほかにも、360度、まわりを見渡せるが、見えても、見ない。
地球上にゴマンと(死語?)情報は氾濫しているが、聞こえても聞かない。
その、偏見のカタマリで、攻撃の矛先をこちらに向け、
「あんたは、サイテイだ!!」と、ののしられるのなら、困りものだが、
そんなことはまったくないので、(誉め殺しはあったとしても)まるっきり全然、わたしは被害は受けていない。

なんでもかんでも受け入れていたら、バイ菌もすんなり受け入れ、くらげ人間、ぐにゃぐにゃ人生になってしまう。
なので、人は多かれ少なかれ、フィルターというものを常備設置しているのだろう。
フィルター=抗体付き・色分け識別機能付き・清浄機、か。


話は、変わって・・・
ちなみに・・・

共通言語も、興味深いものだ。
エスペラント語もそのひとつだが、言葉とは限らない、互換性のある共通ツール。
見知らぬ人同士とコミュニケーションをとる、あるいは、知っている人との距離を縮める、共通の互換媒体。
音楽・絵画・文学・映画・スポーツ・イベント・活動・勉強会・趣味のあれこれ・・・

社交ダンスも、そのひとつ。
まったく知らない人でも、ルールに則った踊りで、コミュニケートする。
リズム、スピード、アップダウン、タイミング、強弱、方向、歩幅、立ち位置・・・各々、少しずつビミョーに違うし、個性がある。
相手に合わせきるのではなく、自分を持った上で、自立しつつ、共存共栄をはかる。
音楽(合奏)なんかも、こんなかんじかと想像する。
家族や、職場、仕事仲間、学校、教室なんかも、いろんな人と共に進んでいく様が似ている。

趣味の場で、お会いしたある方、Fさんは、リタイアしたばかり。
仕事という義務から解放され、これからは自由に生きたいと、
ゆったりした、束縛されない時間を楽しむ生活に方向転換されている。
いまはそういう時期だろうけれど、そのうち、解放ばかりでは、退屈で面白くないと思うが、
とりあえずは、リタイアしたばかりなら、今までの疲労・アカを落とすのに、ある程度、時間がかかることだろう。

たかだか、趣味の世界とはいえ、その道の歩み方には、人間性や、これまでの人生が出る。
いろんな局面で、いろんな人と、コラボ。
いろんなハーモニーが楽しめる。

わたしの目標は、「依存からの脱却」→「自立の確立」→「自立と共存」→「共存共栄」。
一生を通して、その実現に向けて、頑張りたい・・・(あくまでも無理しないで)

今のところ、偏狭フィルター付きであるものの、くらげ人生で、まだまだ無理。
一生ということは、死ぬまで、ということで、まだまだ時間はある・・・

・・・なんていって、いつも努力や実践は、先送り。
いやいや・・・結果を焦らず、と、のんびり構え、・・・結果は、生きているうちには出そうもなく、
そのうち、年だから・・・と、努力の先を「生きること、生き永らえること」自体に方向を変え、
さらに、くらげ人生は最期を迎え、その瞬間、さてさて、なにを思う・・・?

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