蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

持ち越します

2015-01-26 | 日々のこと

最近、またちょっとブログ熱が復活した。

しかし、ここ蝶ブログに書くのは、じつは、とある別ブログで毒を吐いてから。
そちらでの毒吐きは、30分程度で、一筆書き。ネチネチ、ちまちま、一切なし。
お風呂のお湯に浸かる前に、身体を洗うようなもの。

しかし、わたしは、洗っても洗っても、中身がダーティなので、たいして変わらない。
が、少しぐらいは変わる。
泥まみれだったものが、粗く泥をささっと洗ったかんじ?
先日、いただいた、泥がいっぱい付いた大根みたいなものか。
(しかし、あの大根は、生で食べても超・美味だった)

と、前置きだけで、終わってしまいそうな、わたしのブログ。

へんにすっきり、さっぱりしてしまって、今からゆっくりお湯に浸かろうかという心境である。

しかしながら、残念なことに、今日は、昨日も書きたかったことがあるのだが、
時間切れになってしまった。
また次に、持ち越そう。

 

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心に響くこと

2015-01-25 | 時事&世の中

昨夜、ロンブーの田村淳 氏の対談番組(NHK)を見た。
お相手は、新鋭・デジタル・クリエイター、猪子寿之 氏。

お笑いやトークのプロ、田村淳 氏は、さすがにテンポの良い「しゃべくり」である。
トークのプロではない人が同じテンポで、ぱぱぱっと切り返すのは、無理。
だが、専門分野、光と映像のデジタルクリエイトでの自己表現は、さすがのもの。

淳 氏は、わかりやすい言葉で話してくれて、とても好感が持て、言っていることが理解できた。
小学校でのゲスト講師としての授業も、効果的だったと感じる。
間口の広い、コミュニケーション能力の養い方、コミュニケーションの取り方を
具体的なノウハウを示して、伝える。
相手がなにを思っているのか、なにを欲しているのか、それをくみ取り、リアクションする。
コミュニケーション能力とは、聞き取る力、伝える力。
耳を澄まして聞き、理解しやすく噛み砕いて、伝える。
自分がいったい何を思い、感じているのか、意識していない人も、
相手がそれを読み取り、相手からのリアクションを受け、
はじめて自分の思いを再認識でき、しかも受け取ってくれ、心地よさを感じるかも知れない。
双方が、心が通う瞬間だ。

かたや、デジタル・クリエーター 猪子寿之 氏は、感性で伝える。
口や言葉ではなく、行動や、直接、脳や心に働きかける。
現在の広告は、ひと昔前と違うという。
飾ったもの、表面だけに現れた部分の質を上げたもので、人々の興味や共感を得るのではなく、
本質そのもので、伝える。
他者からの押し付けではなく、自分で感じてもらう。
口下手の人が、自分のことを言葉でうまく伝えられなくても、
別の、例えば、音楽や絵画、得意分野や好きなこと、創造したもので伝える。
無意識の深層感性で嗅ぎ取ってもらう。

淳 氏が「人の心を読み取って、求められるリアクションをする」、というスタンスに対して、
猪子氏は、「自分が面白いと思ったものは、人も面白いと思うに違いない」、と、
相手ではなく、自分に軸がある。
この考え方は、わたしと同じだ。
が、わたしの場合、人の心も気になる。
自分の感性や能力に、そこまで絶対的な自信がない。
そして、受け入れられるかどうか、バランスを考える。凡人だから。

自分は面白いと思うけれど、人は思わないかも知れない。
そこらあたりが、まったくのズブの素人、一般市民。
しかしながら、能力に秀でた人は、多くの人々の賛同、共感を得る。

ただ、一過性のものは、単なるブームである。
一発屋でなく、持続させるのが困難であるが、ひとつの時代を築き上げるだけも、たいしたものだ。
裏打ちされた努力や、研究、技術開発も必要だ。


国際化、情報化が謳われて、かなりの時間が経過した。
今の若手にとっては、インターネットは日常の風景であり、おんぎゃあと生まれたときからパソコンは、生活の一部。
そういう彼らの考え出すことは、(意外に)、現実にとらわれず、夢があったりする。
既成概念にこだわらないモノづくりに対して、
わたしは、ほほぅっと、業界のドン老人のように目を細め、うなずいた。

淳 氏の、まじめに取り組む、コミュニケーション能力も、不可欠で素晴らしい。
(ひとつの道を長く歩いていると、試行錯誤し、そこそこ考えは集約される。
41歳にもなれば、ある程度のものごとは、見えてくるだろう)

が、それにさらに加えて、
クリエーターの創り出すものには、ぽ~っと開いた口がふさがらない感動を覚える。
(実際に現場でリアル体験していないが、想像するに)

創造性というものは、生み出すにはかなりのエネルギーを必要とする。
自分に対しての欲求を受け取り、お返しする、淳 氏と、少し似ているが、似ていて非なるものである。

どうだ!!と、無から投げかける能力は、受けて返すのとは違う。
が、スポンサーがいなくては、仕事にならないし、単なる自己満足になる。

需要と、供給。
自己表現と、影響。
淳 氏と、猪子 氏。
面白い対比になった。

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その後、さらにNHK番組、「知の巨人たち」で三島由紀夫をやっていた。
それを延々、夜中に暖房もつけず見ていたら、底冷えがした。
朝、起きると、なんだか、アタマが騒いでいた。
昨日は日常のルーチンワークしかしていないのに、なんのイベントもないのに、なぜだろう?
誰ともディスカッションもしていないのに、お祭りの後のようなかんじだった。

なぜだ、なぜだ・・・。
と、記憶のページを時間軸で遡ると・・・ああ、そうだった、テレビ!
寂しい老後も、テレビが救ってくれるかも?
いや、そんなことはない、たまたま、あれはニュースソースがテレビだっただけだ。
深夜とは言え、受信料を払っているだけあって、NHKは面白い番組を作る、と、
少し受信料のもとをとったような気になった。

日ごろ、我が家で、だらだら垂れ流される、安モノ・バラエティ番組とはえらく違う。
やはり、同居人とは、別の視点で別々に生きるのが、ベストだ。

 


忍び寄る、ぼけぼけ

2015-01-24 | 日々のこと

最近、そうとう、物忘れの傾向が強い。
なにを考えていたかを忘れるのが、辛い。
順番順番に、思考回路を時間系列を過去に、たどっていかなければならない。


モノを取りにいって、「あれ?なに取りに来たんだっけ?」というのは、皆さんもよくあることのようだ。
深刻さの度合いは、多少なりとも違っても、普通の老化だと受け止める。

わたしは、自己管理ノートのようなマニュアルがアタマにシステム化され、
モノがなくなった時は、○○を探せ、なければ、△△を探せ、のような、手引書があるので、
大概は、それに従うと、どうにかなる。
手に負えないと感じたら、一応、あきらめる。
また、そのうち、笑えるようなところから出てくる。
しかし、自己マニュアルに、例外が、どんどん増えて、体系化しにくくなっている。



話していて、何を話したかったのか、途中で忘れると、ややこしい。
現在、話している内容を話しながら、対話が進行中であるにもかかわらず、話したかったことをずっとアタマの隅っこで考える。
そんなのじゃあ、思い出すわけがない。
単線ならぬ複線・同時進行は、単細胞のわたしには無理。
わたしのする同時進行と言っても、コーヒーを飲みながらテレビを見つつ、家計簿をつけつつ、座位腹筋運動しつつ、ヘアダイしつつ、美白パックする、ぐらいだ。

(後半は捏造)

最近の自分のボケボケぶりには、自分でも驚いている。
せいぜい、良い映画を観たり、趣味に没頭したり、家庭の維持にも努めたり(→このあたり、文字のままではない温度がある)、
良質の時を重ねることぐらいしか、ボケ防止、進行緩和が思いつかない。


自分と語る時間も大切だ。
ブログさまさま、である。



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(今日のブログ、かなり、おもしろくない。くだらない。自覚あり。
わたしのブログは、ボケ防止の一環ではなく、たんなる気分屋だ)



年齢の持つ意味

2015-01-22 | 人生

高校1年のときに、親戚のおばさんに宛てた手紙。

読んで赤面したのは・・・

あれ?
これ、わたし、昨日、書いたの?
ここ、蝶ブログに書いているのと同じこと、同じパターン、同じテイスト。
これに自分でも驚いたわけだ。
昨日の自分は、高校1年の自分と同じだった。

これを進歩がないというのか。
永遠普遍性があるというのか、変わり映えしない、というのか。

子供の頃から、ずっと同じ服を着ているようなものか。

実際には、服の好みは次第に、流行を少し取り入れたり、自分流アレンジをしたり、
母から見ると、まったくどこがいいのか、さっぱりわからないような服もある。
人間の内容も本質は同じだが、少しは苦労をし(他人の説によると、苦労をしていないらしい)
子供の頃とは、多少なりとも違ってきている部分もあると思う。

周りのみなさんがおっしゃる(評価する)わたしが、わたしなのかも知れない。
だとすると、毒吐きは、みなさんが知らないだけで、わたしの一部ではあるけれど、
人物評価のなかには、入っていないかも知れない。

別に、毒やホンネをあえて表面に出す必要はまったくないのだし、
黒いはらわたを自分なりに消化すれば、外側は善良な大人しい一般市民なのであれば、それでもいいかなあと。

しかし、わたしは、大人しい優しい人をアタマから信じていない。
その実例、Aさん。女性。
30年もの長い間、少し離れたところから観察してみると、本質が徐々に現れて、それが見えてくる場合がある。
本人も、その自分の本質に気がついていないだろうと思う。
自分も周りも、優しい従順な人当たりの良い人だと評価していると想像する。
徐々に本人も気づかないうちに変化しているのだろう。
優しい従順な人当たりの良いAさんが、実は人を操っている黒幕の人物であると感じた、
わたしのセンサーこそ、長年のうちに養われたものであることに気づく。
Aさんの毒は、即効性はなく、長い間にじわじわ時間をかけて効果を発揮すると思われる。
Aさんは一生をかけた長期戦向けの、目に見えない、痛みを伴わない武器を持っている。
周りは、その戦法に気づいていないようだ。
わたしとは、遠い遠い関係なので、所詮、人ごとである。

生きていると、いろんなことがある。
わたしも、人に、どう思われているかもわからない。
が、そんなことを考えていては、生きていけない。
他人のために生きているのではなく、自分のために生きている。


テレビのニュースを見ると、国際的に日本も知らん顔が出来ない、恐ろしい雰囲気が漂う。
自分のことを自分で守れるのは、平和だ。
自分のことも自分で守れない、そんな事態が起こらないよう、願うばかりだ。
日本は、平和ボケしていると感じる。
それと同時に、わたしも。

わたしの年齢、世代は、同じ世代の人には共通するものがある。
が、ひとつ世代が上下すると、他人事のような気がしてしまう。
たとえば、40代の人のエッセーのタイトルを見ても、年齢のなせる業、と感じたり、
当時は自分もそういうことに興味があったけれど、今はもう卒業・・・と思ったり。
60代の人は、しっとり、しっくり。落ち着いている。
積み重ねる年齢に、感性や思考、嗜好は反映される。

・・・だとすると、あの高校生のわたしは、どうなる?
年月が経っても、芯の部分は同じってことだ。

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それとも、今のわたしが高校生なのか、高校生当時のわたしが、50代後半なのか。
キモチ悪い若作りの年寄りか、ひねた高校生か。


家族の肖像

2015-01-17 | 人生

親戚の人に、昔の写真を見せてもらった。
昨年、他界した肉親の遺品整理をしていたら、大量の写真や手紙が出てきたそうだ。

わたしの祖父母や両親が、長きに渡って、かなり親しく関わりがあった、その親戚(年長女性)に宛てた手紙もあった。
1通は進学祝いをいただいことに対する礼状だった。私は当時、高校1年生。
母親に催促されて、渋々、嫌々、礼状を書いたようすが、ありあり。
字は丸っこく幼いし、内容は、非常識。
いくら親しみをもって書いているとは言えど、かつての高校生だった頃の自分には失望した。

もう1通は、その人の息子さんの結婚と、お子さんが生まれることに対するお祝いの手紙。
これは、ペン習字を習ったような筆跡で、丁寧に書かれていた。
内容もきっちり、しっかり、安心して読むことができ、成人女性らしい手紙に、ほっと胸を撫で下ろした。
(多少、途中で、ハラハラドキドキしたものの・・・)
当時の私は26歳。

もう30年以上も前である。

さて、今ならどんな手紙を書くだろう。
メールが簡単、便利、速い。
が、手紙には手紙の良さがある。
筆跡には、こころの込め方や、筆圧で当時の状況を推し量ることもできる。

なによりも、そのおばさんが、礼状とはいえ、わたしが送った、ひどいレベルの手紙を、大切に保存していたことに驚いた。
過去の自分に、不意に出会い、赤面した。
と同時に、おばさんの人生の一コマに、入れていただいたことを実感した。


セピア色の写真も、当時を偲ばせる。
80年近く前の写真も、いっぱいあった。
昭和10年頃の制服姿や晴れ着での記念写真、家族写真、結婚写真。
幼い頃、学生時代、青春期、青年期、熟年、壮年、老年の、親戚たちの顔、顔、顔。
わたしの顔も、ちょこっと入っているものがあった。
母(現在87歳)の母(母方の祖母)の若かりし頃の写真もあった。
なかなか、りりしく、整った顔立ちで、すらりと背が高く、スタイルも抜群。
わたしの知っている、あのおばあさんとは、違った顔だった。
父の出征直前に撮った思われる家族写真もあった。
両親である、祖父母の思いは、どんなだっただろう。
家の前で撮られたその写真の背景は、今、現在もまったく同じ姿をたたえている。
激動の時代を超え、時だけが移ろいでいっている。

その時々は激しく、しかし、今となれば静かに、絶対的な時間の経過を感じさせる。
一族、家族の歩み。
とても貴重なものだと、しみじみ見入った。

やがて姿を変え、時代に合ったかたちで継承されることだろう。
が、消滅していくものもある。
残るもの、残らないものは、自然淘汰される。

時の流れ。
そうとう強力なものでもない限り、時代の波には抗えない。
強い意志や、力がないと、次代には遺せない。
やがて、家も風景も変わり果て、ついには消滅し、シンプルに血だけが受け継がれる。
その血でさえ、途絶え、つなぐことが困難な時代になっている。

あの懐かしい写真を見て、ひとつの時代が終わったような気がした。
過去の幻が消えたように。
だが、こころの中には、しっかり残っている。いつまでも。

しかし、わたしがこの世から消える時とともに、その思いも消え去ることだろう。
せめて、遺せなくても、思いを伝えたい。
そういう気になった。

 

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貴重な黄金をくだらなく使う

2015-01-09 | 日々のこと

昨日の朝は、一昨日の夜の「温おかず、お残し事件」で、気分が良くなかったものの、
自分の書いた「『あほ』の爽快」を読んで、ああ、そうね、そうのとおり、と、
まるでバイブルのごとく、自分のむかつきが抑えられたような気がした。
やはり、この「蝶」ブログは、自分向けの、自分救済のブログなのだ、と。
爽快な確信を得た。

が、まあ、とりあえず、日記の感覚で、一昨日の「温おかず、お残し事件」のことをメモっとこう、
と、軽いノリで書き始めた。
書き始めると、もうだめだ。バイブルの効力は、吹き飛ぶ。
はらわたは、一昨日のことだけではなく積年のウラミが追加される。

で、書いた後、思った。
あ~、同居ばたばたを続けていたら、こんなことを書く暇も気力もなく、
ぜーぜーはーはー、息も切れ切れに頑張っていたのに・・・
同居は解消されたからと、自分のはらわたを世間の見ず知らずの方々に晒す(さらす)結果になった。
そのまま同居していたら、頑張るババで、家の外側にまで、醜さを露呈せず美しく保てたのに・・・。
余裕の時間は、ろくなことを創り上げない。
その典型的例。

とまあ、同居は解消・・・といっても、少し彼らの寝室が離れたところにある、といった按配。
さきほども、いきなり鍵を開けて長女がリビングに入ってきた。
あれ?いたの?
わたしは、昨日も子守と食事作り。あまり変わらないではないか。

でもでも、マスオさんは解消された。
が、長女曰く「夫の育児分量が増えただけ」と。
ああ、脱マスオさんは、恐妻イクメンに戻っただけなのか・・・。
お気の毒である。

育児子育て中は、だれかが、お気の毒になる。
ハンカチ落としのハンカチを、誰の後ろに落とすか。
落とされた人は、そそくさと次の人に落とす。
そうやって、毎日を慌しく、子育てをシェアしながらやっていかないと、
ひとりで抱えていては、ノイローゼになる。

「祖母にも育児休暇が必要やね」と長女の弁。
はいはい、そうですね、そうですね。ふう。
あなたは、絶対にノイローゼにはなりませんね。

・・・と、
気がつけば、いつも愚痴をつらつら連ねているわたし。
やはり、くだらない余裕の時間なら、無いほうが良いのかも。

 

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良妻になりたかった・・・が。

2015-01-08 | 日々のこと

昨夜のわたしの、黒い、はらわた。

その前に、今更、書くまでもないが、わたしは料理嫌い。

で、・・・だ。
でも料理はする。

昨夜も夫は、コンビニで自分の食べたいモノを買って帰ってきた。
わたしは、数の子と奈良漬(頂き物)、納豆のほかに、自分が作ったモノを温めて出した。
わたしは、温かい物は温かいうちに食べて欲しいと願うタイプ。
冷めないうちに、と。

ほわんほわんの湯気に包まれた温まったモノを前に、彼は、まず、自分の買ってきた、冷サラダ2種を食べた。
あ、冷めるなあ~と、わたしは、せっかく温めたモノをちらちら。
納豆は、コンビニ袋の下に隠れて見えにくくなっている。
これは、ひょっとして、納豆は気づかず、顔にかかる湯気のものを食べるか?と思いきや、
次に、袋の下から、ひょいと納豆を出して、納豆に手を付ける。

く~、また冷たいモノを・・・。
(納豆は通常常温だが、冷蔵庫に入れていたので、冷たくなっている)

ビールは、2本目おかわり。
もうこりゃあかんわ、と、観察するのを放棄し、後片付けに着手した。
食器を見てみると、すき煮(野菜だけのスキヤキのようなもの)は食べていたものの、
大根の煮物と、具たくさんの味噌汁は手つかず。

本人曰く、
「すみません。お腹いっぱいになったから、もうごちそうさま」

お腹いっぱい、たって、手作りの温かいモノを無視して、買ってきた冷たいものを先に食べたからでしょう?
嫌いなら「嫌い」、って言えばいいじゃない。

そして、そのあと、甘いお菓子やら、おせんべいを食べていた。
先々月は、アーモンド入りの大袋チョコや、豆をどっさり買い込んで食後に食べていた。

このパターンは、毎度のことである。

そして、お高い、やせる薬とやらを服用している。
ダイエットや食生活には気を使っているつもりらしい。


本人のライフスタイルは、本人の人生。
わたしは、自分の思いは、毎度毎度、言わない。
「他人の領域」と見ぬふりをしている。
口出しするよりも、あきらめが先に立つ。
しかし、目の前で、その光景が繰り広げられると、神経を逆撫でされるようで、その場には居たくなくなり、
わたしは、どんなに早い時間であろうが、先に寝る。


世の、良妻に恵まれたご主人は、長生きするだろう。

 

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「あほ」の爽快

2015-01-07 | 日々のこと

夫とはいつも不穏の風、溝。深淵。

戦火を切らないだけで、平和を維持させる努力をしている。たぶん、お互いに。

奥歯の歯茎がストレスが重なると腫れるように、状況によっては、なにか、どうでもいい些細なことで、
突然、臨戦模様に転じることもある。
晴れ のち 突然 嵐。

なにか言われ、カチンと来る。
言われた内容は、なんだったかも忘れる。要は、なんでもいいのだ。
カチンときて、火蓋を切りたい、常にスタンバイ状態のわたしがいる。

だが、先日、火花が散った時のこと。
「わたしは、今まで自分自身のことを『賢い』、って言ったことがある?
一度もないはず。一度もそう思ったことがないんだから。生まれてきて一度も。
結婚して一度たりとも、あなたより賢いと思ったことはないよ」

そう言って気が付いた。

他のことなら、発言しても、ひょっとして、発言したことをぼけて忘れてしまっているかも知れない。
あるいは、ホンネを言わない、ごまかす、ねじまげる、逆のことを言う、そういうことがあるかも知れない。

だが、この「賢くない=あほ=アタマが悪い=頭脳が優れていない」ということだけは、
胸を張って(ここで、胸を張るところではないのが哀しい・・・)
自分には自覚も実績もある。
貫き通してきている。生まれてきてから今日まで。残念な思い出がズラリ。
相当きつい、ジョークのようだけど、そうなのだ。
かっこわるい、が、そうなのだからしかたない。

わたし、あほなんです。
ホンネでそう思っているし、生まれつきの性質なので、隠そうとか、直そうとか、そういう努力も特段していない。
ましてや、夫より頭脳が優れているなどとは一度たりとも、これっぽっちも思ったことは無い。

そうすると、夫は、ひるんでしまった。(ように感じる)
その面(あほ)をそれ以上、追求できなくなってしまった。
「あほ」は弱者なのだ。
わたしはそれに気が付かなかった。

「弱い」と思わないところが、天然たる所以なのか・・・。
恥ずかしいことを恥ずかしいと思えないってことか・・・。

しかし、すかさず夫は、「でも、性格が強い」と、取り合えず言うだけ言って、もたもたと反撃してきた。
その反撃内容があまりにも、パンチ力が弱いせいで士気が下がり、わたしは、その日のけんかを降りた。

なんだか、「あほ」に救われた。
わたしは、自分のあほに対して、救済してやろうとか、闘おうとか、気合がまったく入っていない。

あほって、肩になんにも載ってない。
重いものが、ずしっと載ってない。
だから毎日、わたしは熟睡できるのだろう。


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厨房・給仕係のお正月

2015-01-06 | 日々のこと

結婚して以来、年末年始は夫の実家で過ごすのが恒例。

今回の年末年始は、非常に疲れた。
なぜなら、いつもはサボっているわたしが、4世代の家事、といっても、主に2世代分の食事作りだが、
それを一気に引き受けたからだ。
姑は、完全引退。
(家族の食事以外は、完全引退ではない)

「お節料理」という主婦には正月ぐらい楽させてあげよう、というシロモノがある。
それに助けてもらう・・・といっても、ささやかな量。
毎度毎度、お雑煮とお節料理、お餅では飽きてしまう。
しかし、ブランチはお節、夜は鍋・・・この組み合わせも、飽き飽き・・・のよう。
(わたしは、用意する側なので、飽きようが飽きなかろうが、食べるものを準備するのにふーふー、それだけで力尽きる)
しかも夫の実家は、いつも姑一人で生活しているので、台所、食堂は、とても使いにくい。
椅子様式のわたしの家のダイニングキッチンの半分ぐらいのスペースで、しかも床にべたっと座る様式。
大人数になると、わたしの席が無い。

まだ救われるのは、高齢の姑が、自分の食べる分は自分で作ってくれることだ。
これには、とてもとても助かった。
我々への食事作りのヘルプはないにしても、自分のことは自分でできる自立型なので大いに素晴らしい。
(食事以外も、生活全般すべて自立)
孫たちは、まだ乳幼児なので、食事といってもわざわざ特別に作る必要がない。
つまり、大人世代のみの食事。

はるばる遠方から、息子が帰省してきたので、大きな大人が一人追加。
あと、娘婿は、マスオさんで小さな口、おちょぼ口で食べるにしても、やはり成人男性。
わたしの夫も成人男性。
そして、成人女性が3人。
たったこれだけなのだが、年末年始、外食もままならない(近くでは営業していない)、毎度毎度の食事は、
日ごろ、細々と、ほとんど料理らしきことをしたことがないわたしには、プレッシャーだった。

どうにかこうにか、お正月も無事済んで、やれやれ、安堵の日々を迎えた。
なにが一番の安堵かというと、全員、元の場所に帰省後、長女一家は我が家から引越し、マスオさんが解消されたこと。
核家族は、さらに無事、核分裂した。

昨夜、仕事の帰りに長女一家の家を通って帰ってきた。
灯りがついている家をぐるりと外から回って眺め(中には入らず)、やれやれと胸を撫で下ろした。
ちょっとだけ、小さく、じーんとした。

これで、わたしの役目は、ひと段落。
でも、まだまだこれで終わったわけではない。
しかし、とりあえずは、やれやれである。


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