昨夜、ロンブーの田村淳 氏の対談番組(NHK)を見た。
お相手は、新鋭・デジタル・クリエイター、猪子寿之 氏。
お笑いやトークのプロ、田村淳 氏は、さすがにテンポの良い「しゃべくり」である。
トークのプロではない人が同じテンポで、ぱぱぱっと切り返すのは、無理。
だが、専門分野、光と映像のデジタルクリエイトでの自己表現は、さすがのもの。
淳 氏は、わかりやすい言葉で話してくれて、とても好感が持て、言っていることが理解できた。
小学校でのゲスト講師としての授業も、効果的だったと感じる。
間口の広い、コミュニケーション能力の養い方、コミュニケーションの取り方を
具体的なノウハウを示して、伝える。
相手がなにを思っているのか、なにを欲しているのか、それをくみ取り、リアクションする。
コミュニケーション能力とは、聞き取る力、伝える力。
耳を澄まして聞き、理解しやすく噛み砕いて、伝える。
自分がいったい何を思い、感じているのか、意識していない人も、
相手がそれを読み取り、相手からのリアクションを受け、
はじめて自分の思いを再認識でき、しかも受け取ってくれ、心地よさを感じるかも知れない。
双方が、心が通う瞬間だ。
かたや、デジタル・クリエーター 猪子寿之 氏は、感性で伝える。
口や言葉ではなく、行動や、直接、脳や心に働きかける。
現在の広告は、ひと昔前と違うという。
飾ったもの、表面だけに現れた部分の質を上げたもので、人々の興味や共感を得るのではなく、
本質そのもので、伝える。
他者からの押し付けではなく、自分で感じてもらう。
口下手の人が、自分のことを言葉でうまく伝えられなくても、
別の、例えば、音楽や絵画、得意分野や好きなこと、創造したもので伝える。
無意識の深層感性で嗅ぎ取ってもらう。
淳 氏が「人の心を読み取って、求められるリアクションをする」、というスタンスに対して、
猪子氏は、「自分が面白いと思ったものは、人も面白いと思うに違いない」、と、
相手ではなく、自分に軸がある。
この考え方は、わたしと同じだ。
が、わたしの場合、人の心も気になる。
自分の感性や能力に、そこまで絶対的な自信がない。
そして、受け入れられるかどうか、バランスを考える。凡人だから。
自分は面白いと思うけれど、人は思わないかも知れない。
そこらあたりが、まったくのズブの素人、一般市民。
しかしながら、能力に秀でた人は、多くの人々の賛同、共感を得る。
ただ、一過性のものは、単なるブームである。
一発屋でなく、持続させるのが困難であるが、ひとつの時代を築き上げるだけも、たいしたものだ。
裏打ちされた努力や、研究、技術開発も必要だ。
国際化、情報化が謳われて、かなりの時間が経過した。
今の若手にとっては、インターネットは日常の風景であり、おんぎゃあと生まれたときからパソコンは、生活の一部。
そういう彼らの考え出すことは、(意外に)、現実にとらわれず、夢があったりする。
既成概念にこだわらないモノづくりに対して、
わたしは、ほほぅっと、業界のドン老人のように目を細め、うなずいた。
淳 氏の、まじめに取り組む、コミュニケーション能力も、不可欠で素晴らしい。
(ひとつの道を長く歩いていると、試行錯誤し、そこそこ考えは集約される。
41歳にもなれば、ある程度のものごとは、見えてくるだろう)
が、それにさらに加えて、
クリエーターの創り出すものには、ぽ~っと開いた口がふさがらない感動を覚える。
(実際に現場でリアル体験していないが、想像するに)
創造性というものは、生み出すにはかなりのエネルギーを必要とする。
自分に対しての欲求を受け取り、お返しする、淳 氏と、少し似ているが、似ていて非なるものである。
どうだ!!と、無から投げかける能力は、受けて返すのとは違う。
が、スポンサーがいなくては、仕事にならないし、単なる自己満足になる。
需要と、供給。
自己表現と、影響。
淳 氏と、猪子 氏。
面白い対比になった。
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その後、さらにNHK番組、「知の巨人たち」で三島由紀夫をやっていた。
それを延々、夜中に暖房もつけず見ていたら、底冷えがした。
朝、起きると、なんだか、アタマが騒いでいた。
昨日は日常のルーチンワークしかしていないのに、なんのイベントもないのに、なぜだろう?
誰ともディスカッションもしていないのに、お祭りの後のようなかんじだった。
なぜだ、なぜだ・・・。
と、記憶のページを時間軸で遡ると・・・ああ、そうだった、テレビ!
寂しい老後も、テレビが救ってくれるかも?
いや、そんなことはない、たまたま、あれはニュースソースがテレビだっただけだ。
深夜とは言え、受信料を払っているだけあって、NHKは面白い番組を作る、と、
少し受信料のもとをとったような気になった。
日ごろ、我が家で、だらだら垂れ流される、安モノ・バラエティ番組とはえらく違う。
やはり、同居人とは、別の視点で別々に生きるのが、ベストだ。