わたしは、蝶ブログを延々と8~9年ぐらい書いているが、ここのところ、ヘン。
なにがヘンかというと、閲覧数が上昇していること。
嬉しいを通り越して、薄気味悪い。不思議でもある。
だれがいったい、読んでくださっているのだろう。
だいたい、想像はついているが、(しかし、確認する術もなく)、前にもこういうことが一時あり、また、一定期間経つと、元に戻った。
さらに、突然、すーっと、昨年、激減の時期を迎えた。
なんだろね、と、得体の知れない、実体のつかめないものは、気にしないようにしていて、
でもやはり気にして、書く気力が衰えた。
長いスパンで見て、閲覧数が、上がったり下がったりは、
ある程度、ブロガーを知ると、読む側は、飽きるか、
あるいは深く知ると、今度は嫌いになるのだろう。
リアルタイムアクセス解析を見てみると、開設、初期の頃のブログを閲覧されているようなので、
そのブログを恐る恐る、ほんとうに、恐る恐る読んでみる。
自慢っぽいものを発見すると、うっ、となる。
鼻をつまみたくなる。
必要以上にキツイものを発見すると、痛っ、となる。
個人情報の範囲が狭まるものを発見すると、特定を緩めるために、ちょっと手を加える。
イヤミなものを発見すると、ああああ、、、となる。
自分の日記に、ヒヤヒヤ。
ヒヤヒヤしない記事は、「展覧」「映画」などの感想が述べられているもの。
(写真を入れたり、かつては今に比べると時間をかけていたようだ)
といっても、映画感想はひとつ記事を読んでみて、長いばかりでおもしろくなかったので、その他は読み返さないけれど。
(例外として、自分のお気に入りは、「夏時間の庭」。これは、ごく、たま~に、読んでみる)
「展覧」で、日本美術鑑賞は、興味深く読んだりする。
たかだか8年ぐらいの間に、自分自身の関心ごとが変化しているようだ。
分野によって、興味がなくなったものや、増して深まってきたものがあるのだろう。
それと、「旅」は、まあ、なんと真面目に写真やレポートを頑張っている。
だが、蝶ブログをご覧になる方は、旅に関しては、もっと素晴らしい他のブロガーさんの旅ブログを訪問するようだ。
蝶ブログには、地名や交通手段など、旅の計画に具体的に役立つ情報が少なく、心象風景が多いからだろう。
(ちなみに、旅だけに特化した、わたしの別ブログは、
1年に1~2回ぐらいしか更新しないのに、いまだに毎日、一定の閲覧数が維持されている)
今では、わたしは、たとえ1週間旅しても、記事はたったの1記事。
エネルギーがダウンしたことが、如実にわかる。
「趣味」に関しては、これまた別のSNSに書いている。
これは、反応がはっきり即座にわかりやすい。
が、そのSNSも、参加登録人数と、実際に書いている人の実数には開きがあり、興味を引き合う人はごくごく少数である。
けっこう、今は、そのSNSには、わたしは退屈している。
自分の楽しいことと、皆さんが楽しいこととが違うので、わたしは楽しくないからだ。
なので、楽しそうに皆さんの日記がアップされ、書き込みの応酬があっても、わたしは、低い温度でシラけている。
水を差すような意地悪なコメントを入れる気もないので、そーっと後ずさりするのみ。
わたしのブログの閲覧数にも(長期的にみて)アップダウンがあるのも、おそらく、そういうかんじなのかなあ・・・と。
前を向いて微笑んだまま、静かに後退。
後退の時期が皆さん、同時だと、数字に跳ね返りやすい。
相手は、不特定の皆さんなので、インターネットの曖昧さを、自分なりに良いところだけを取り入れたらいいのかなあ・・・と。
来るもの拒ます、去るもの追わず。
自分の嫌いな部分もよくわかるし、受け入れるのもよし、諦めるのもよし、開き直るのもよし。
良い部分は、書いたとたんに、「青い鳥」は「黒い鳥」に変身するので、書かないほうが、いい。
長所を自覚して、それを人にアピールするなんて・・・とてもできない・・・などと、かわいらしい謙虚なことを言ったとしても、
そんなこと言っていたら、就職時の自己アピールもできない、積極性ややる気のない人物と評価されてしまう。
(仕事でアピールする時は、実績を淡々と報告した後、熱意を一言添えると、効果的である。
↑いまさら感がある発言)
幸せなことに、人にアピールして自分を売り込まなくてもいい状況にあるので、
もともとアピール嫌いのわたしは、居心地のよい居場所を、長年かけて、結果的に、自分のために自分が築いた。
(これは、ブログのことでは、ありません)
最近は、ブログ記事も、起承転結なしでもいいか~と思っている。
(じゃあ、これまでは、あったのか? ない、ない)
と、いうわけで、晴れやかな日曜日、楽しいブログ作業をして、悦に入っている。