理由が哀しい。
若い夫は、「自分の子供が欲しい」と。
不貞だとか、DV、ギャンブル狂などならわかるが。
責めることができない、かといって、子供が産めない年齢の、自分の要望を通すわけにもいかない。
子供好きな男性ならきっと優しい人なんだろう。
結婚生活7年のうちに、妻が急病を発症した際の夫の対応、サポートで重篤になることを避けられたエピソードもある。
それで感謝してやまない、らしい。
いつかこんな日が来ると覚悟していたかも知れない。
親からはぐれた野生の動物の赤ちゃんが、自立後は野生の森に帰っていくように。
愛情をかけて大切に育てた子供が自立していくように。
楽しい時間をありがとう、という気持ちだろう。
最初からわかりきっていることだったが、人は微妙に変化するのも想定内。
受け入れるしかない。
ちなみに、わたしなら、24歳年下男性と結婚するほどの甲斐性も魅力もない。
わたしは超サボりなので、自分が年上というシチュエーションは、選ばないだろう。
結婚や、異性の対象とは見なさず、介護やサポート、執事、用心棒、召使いの対象に選ぶかも知れない。(限りなく上から目線)
男性であれ、女性であれ、身近にいると信頼も生まれるが、裏切られる可能性も大きい。
血が繋がっていても、紛争やトラブルが起きるのだから、他人ならなおさら。
ビジネスと割り切った、からりとした関係のほうがマシか。
が、人材は要。
優秀な、自分と相性の合う人材を確保、維持するのは並大抵ではない。
件のタレントさん、7年も、ふた回りも年下の男性と楽しい時間を過ごせて良かったではないか。
でも、楽しさには必ず終わりが来る。
これは、動かしようがない。
楽しみの内容や、質を工夫して変えていかない限り、未来永劫に同じ状況をキープするのは不可能だ。
それがわかった上で楽しむと良いのだが、人間だもの、割り切れない。
竜宮城にいつまでも、いたい。
自力で岸に泳ぎ着く自信があるならいつまでも竜宮城に留まるとよいが。
岸への無料バスが出ている間に乗っておいたほうが、リスク回避だ。
自力を過信すると、後で自分が大変である。
何事も一歩手前で終わるのが理想。
しかし、そうは行かないのが、人生だ。
C'est la vie.
自分の子供が欲しい夫と、子供が産めない妻の場合、他にも解決策はあるはずだ。
だが、代理出産だとか、人工的な方法では困難があり、そこまでしたくない人も多いだろう。
となると、子供をあきらめるか、別れるか、二択か。
相手の要望のために身を引くのは、ある意味、美徳。出来た人だ。
24歳もの歳の差婚は、男性が上ならともかく、女性が上だと、もともと無理がある設定だったかも知れない。
運命のイタズラだとして、それも彩りか。
バリエーションを楽しむのも、ひとつのメリハリだ。
楽しいパーティは、いずれ終わる。
お祭りは、終わる。
ぱっと咲いて、ぱっと散るのも潔い。
楽しめない人生より、楽しめる人生。
別れても、また、次の出会いがあるはずだ。
さあ、次。
次、行こう!
きっと次には、さらに輝く幸せが待っていると信じて。
【おまけ】
だが、いつもアンハッピーエンドの流れの人は、そういうことに必然的になる体質である。
ハッピーエンドを想定しない選択を常にしているという側面を持つ。
価値観それぞれ、人それぞれである。
モチベーションの強さは、高いパワーを発揮する。
庶民レベルでは?
男性の経済力、女性の美貌。
生まれた子供は、父親似の容貌と、母親似のパープリン頭。
しかし、実は男性はお金儲けには長けていても、打算以外の私生活では純粋?
一方で、パープリンに見えて、したたかな女性、実は夫を手玉に取っている。
でも、男性は物理的に美女を手に入れたらそれで満足だから、深くは考えない。
生まれた子供は、父親似の単純な単細胞と、母親似の非純粋性を合わせ持ち、強烈なキャラになるか、あるいは単にスポイルされたアホになるか。
男性は夢を見ている。
釣った魚に餌をやらないのは、女性である。
自分で食事ぐらいしてね!と、夫を置いて出掛ける妻。
歴史に名を遺すレベルの大金持ちなら、食事ぐらい、自分で出来るんだろう。
一般庶民でも出来る。
出先からの帰りに好物のカップ麺とヨーグルトを買って自宅で、くつろぎながら食べる男性。
それも良いと思うけど。
ある例会で、税理とは全く違う話になった。
少子化を食い止める策を力説する。
一夫一妻制が良くないのだと。
一人の力のある男性に多数の女性。
アフリカを例に取る。
未婚の若い10代女性が望む結婚相手は、牛30頭持っている男性。
たくさんもっている男性は、たくさんの女性、子供を囲う。
女性は優秀なDNAを残そうとする。
男性の魅力は経済力だったり、運動能力だったり、戦闘能力だったり、女性が求める能力を持っている。
一人の能力が高い男性を父親にして、それぞれの女性が子供を産む。
父親は、責任をもって、それぞれの子供の養育費を支払う。
そうすれば、どんどん子供は増える、と。
キリスト教の影響色濃い、一夫一妻以外、婚外は不倫で背徳であるという道徳観を排除すべきだ、と。
どうせ恋愛感情なんか3年もすれば冷めて、次に移り、また冷めて、また移り、次々延々と繰り返す。
次々に子供が生まれる度に養育費を払い、子供を増やしていけばよい、らしい。
しかし、現実的に考えると、
男性が死んだらどうする?
多額の養育費を払ってないまま。
税理士Kは、多額の保険をかけているから分配すればいい、と言う。
誰が分ける?
実務的な仕組みは?
まだ詳細は詰めていないようだが、なにしろ、不倫を糾弾する世論がダメだそうだ。
深読みしてみると、
彼の私生活で、複数の女性をどう納得させようかと考えてのことではなかろうか。
女性たちを説得するためには、魅力ある力ある男性には、複数の女性がいてもいいではないか、と。
男女不公平になってはいけないので、魅力ある、力ある女性も複数の男性がいてもいい、と付け加えていた。
力もないくせに、不貞を働くから叩かれるのだそうだ。
力があれば、不倫は不倫ではない説を例会お開き時間が来ても延々と訴えるK税理士。
色々議論の余地はあったが、不毛と見なされ、司会者がうんざりして強制閉会と相成った。
彼自身の自己肯定、自己満足に付き合わされただけの時間となった。
わたしは面白かったけど。
とあるブログを、初めて読んだ。
素晴らしく文章がキリリと冴え渡っていた。
思考回路、目線にしびれた。
それよりも、なによりも、表現の仕方よりも、中身。
お料理も見かけも大事だが味。人間も然り。
その中の、「雀のお宿」の、本当は怖いグリム童話・日本昔話版を読んで、無性に書きたくなった。
本妻と妾。
妻妾同居は、かつて、国の福祉政策代わりに、おカネのある人がやっていた。
国家のおカネを歳出するのではなく、個人のおカネで救済していたと見る。
まあ、それはよいとしよう。(よくないが)
女性が夫と男妾と同居している例は、あまりない。
文豪同士で、元女房をやりとり、交換していた例はあるようだが。
芸術家の岡本太郎のお母さんも、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、芸術を爆発させる元を作っていたのか?
一人の女性に複数の男性。重複・同時進行型。
まあ、それはよいとしよう。(人は人)
愛を勝ち取るための、冷静な戦略。
これは、すごい。
愛でなくても、国盗り物語風の、国家戦略とか、逆に、国を牛耳るための策略とか、
自分の思いを遂げようとすると、情熱だけではなく、知恵と理性と策略と実践力がいる。
強力な優秀ブレーンがいると五重マル。
一時の嫉妬や激情に振り回され、理性を失うのではなく、じっくり自分のもとに夫が帰ってくるような冷静な判断ができる思慮の深さこそ、
これがホンモノの愛だ!!なんてことになるのだろうけれど。
わたしは、策略を練る余裕のある(男女の)愛なんて、クビをかしげる。
愛は常に狂気を伴うものだと思っているからだ。
冷静な慈愛に満ちた愛は、男女間の愛には、ちょっと違和感を感じる。
恋のライバルを蹴落とす方法を、刃を研いで練る、というのも、わからないでもないが。
策略を練るシーンとしては、わら人形系がぴったり、しっくりする。
まあ、それはよいとしよう。
自分のもとに戻ってくるための、緻密な計画を練り、冷静沈着な人って、怖くないか?
善人なのか?
(確かにヨミは鋭いが)
しかも、良い人、素晴らしい人、よく耐えた人、という絶賛評価つき。
狂って、はちゃめちゃしている人のほうが、人間らしくてかわいいような気もする。
物語は、たいがい、「頑張った人にご褒美」というコースが用意されている。
そのほうが、読む人が安心するからだろう。
自分が辛い立場にあっても、地道に努力を続けていると、神様が見てくれている、と思いたい。
うまいことやった、要領の良い人が、のうのうと幸せをつかむストーリーは、不公平で腹が立つに違いない。
なので、気の毒だった人が、頑張って、乗り越えて幸せになる筋書きに、人は惹かれるようだ。
意地悪人間が、はじめは勝っていても最後は、負ける、そういうのが好きらしい。
水戸黄門さま的勧善懲悪が、日本人は、毎日の安心ご飯か。
まあ、それはよいとしよう。
賢い知恵者に対して、いささかの胡散臭さを感じてしまう。
それもそうだが、雀のお宿(本当は怖いグリム童話・日本昔話版)の、最後は奥さんのもとに帰ってくる夫、
このハナシ、出来すぎ。
元妾はもちろんのこと、奥さんにも見放されるほうが、ハナシとしては現実味があり、活気があると思う。
「あんた、いらん。お払い箱」
ぽいっ。
そこからストーリーが始まるほうが、面白い。
(いまや、そういうのも、斬新さや新鮮さに欠けるかも知れないが)
ふと思った。
カネ目当ての元妾が、とっとと逃げていった、あの展開、
「カネ目当ての妻がとっとと逃げていった」にすると、笑うに笑えない、ストーリーになるのだろう。
(第一生命のサラリーマン川柳で優秀作品があった。
「退職金もらった瞬間、妻ドローン」)
元妾は、カネ目当てではなく、愛情を抱いていたとすると、これまた平凡な、お仕着せ倫理ストーリーになって、温度が下がる気がする。
愛情ではない、なにか、ということにすると・・・?
なにか、って、なに?
いったい、どんな展開がいいって言いたいの?と自己ツッコミ。
う~ん・・・
人の数だけ人生はあるけれど、読み物と現実は交差してるのか?
みなさん、自己責任で各々の幸福を追究してください。