わたしとほぼほぼ同年代(年齢誤差1歳ぐらい)の女性たちのSNS日記を読んだ。
わたしとはほとんど同じ歳なのに、なんとわたしの意識の遅れていることか。
強く強く感じた。時代遅れ。
彼女たち(わたし)は、「虎に翼」時代が親世代、その一世代後から活動している、、、。
先人たち女性の不遇時代の後に、我々の時代がある。
バリバリに男性と肩を並べて社会で働く、わたしと同世代の彼女たちは、夫婦別姓が認められないのは日本ぐらいだと嘆いておられる。
バリバリにも色々ある。
わたしが想像するところの、本当のバリバリである。
優秀な男性と同じレベル、あるいはそれより優秀な彼女たち。
彼女たちの大半はリタイアされているが、リタイア後の生活がまた凄い。
バリバリ現役の活動があってこそのもの。
わたしと同じであるところは、年齢だけ。
まったく、年齢だけ。
ため息が出るが、年は同じでも、そりゃあ個性が違うのは当たり前、、、にしても。
わたしがこれまで書いてきた蝶ブログがとても恥ずかしくなった。
自分を否定するわけではないが、個性の違いだと片付けられない思いが湧き起こった。
それまで堂々と誇らしげに出していたものを静々と引き下げるような、、、。
だが、そんなことを言うと、わたしの次女がわたしに先日、放った言葉を思い出す。
「社会にはいろんな集団・層がある」
人々には様々な色々な活躍があるが、どうしても、わたしが義務教育中に学校で植え付けられた価値観が根っこのところから消えない。
偏差値教育の弊害を引きずっている。
それを乗り越えられない自分は、未熟なまま老いていくのだろう。
柔軟なものの見方から程遠い、凝り固まり。
優秀な男性たちは尊敬する。
それ以上に優秀な女性たちもいて、しかも、同世代!
まったく別の集団であるものの、子供の時から一緒に成長していく過程で、能力に応じてコースが分かれて行った。
これがアスリートだったら、また同じような思いを抱くのだろう。
わたしは、全くアスリートではなかったし、アスリートコースの人たちは周りにいなかったので、何も複雑な思いは感じず、ただただ純粋に、自分とは切り離された人として応援する。
話を戻す。
同世代の彼女たち、優秀なのは頭脳だけではない。
行動力がスゴイ。
自分の能力で得た行動力、お金。
突き抜けた能力、バイタリティ。
わたしのように、同世代であるにもかかわらず、「寄れば大樹の陰」スタンス、人の力で安泰を得て、人の後ろから着いて行くタイプではない。
性格も違うのだろうけれど、やはり能力の違いだと思う。
わたしは、優秀な男性や優秀な女性ではないから、同じ集団にはいないものの。
仕事はリタイアされ、自由な身になっている皆さんの中には、到底、入っていけない。
やはり実力や熱量が同じぐらいでないと、わたしはふにゃふにゃと溶けてしまう。
あんなバリバリの人々とは元来持って生まれたものが違うように思う。
彼女たちは健康優良児で、わたしは虚弱体質。
(本当は弱いのは身体ではなく、頭と精神で、根性なしのナマケモノ)
天性の素養にプラスして、努力して能力を磨き、自分の力だけで、稼げる素晴らしさ。
女性枠の優待座席もなく、頼れるものは、自分の能力だけ。そのバイタリティたるや、、、。
優待枠にあぐらをかいているわたしには、逆さになってもマネできない。
同世代だけど。
最近は電車の優待座席にいち早く駆けつけ、堂々と座っている。
早く行かないと、若者に席を取られてしまうから、高齢者と言えど、見るからに弱々しくないと座席は自力で手に入れなければならない。
と、話は逸れている。
逸れついでに、、、。
草笛光子90歳生誕記念映画、
佐藤愛子、人気エッセイの映画化作品「九十歳。何がめでたい」を観た。
「キングダム 大将軍の帰還」に多くのスクリーン会場を奪われ、1日1回、(しかも午前開場)しか上映されていないにも関わらず、お客さんの入りは良かった。
なんと、(わたしを含め)おばあさんばっかり。
わたしが最年少客かも知れない。
おばあさんは元気だ。
唐沢寿明、痛烈で、明るく面白かった。
三谷幸喜が出ていたので、彼が監督、脚本かと思ったが、そうではなかった。
90歳の草笛光子が演じる90歳役は、まさに実物大と言える。
わたしの姑は、高齢だからと、周りは老いに対して腫れ物に触るように扱い、姑自身も歳を意識して慎重に生活していたが、まだまだ荒っぽく大胆に自分を扱ってもよかったのでは、、、高齢特別優待枠を自分で設けて大切にするあまり、自分を甘やかしすぎて、かえって早めに弱ってしまったのだと思った。
が、転倒して骨折でもすると、年齢がどうこう言えない事態になる。
しかしまあ世の中には、元気なお年寄りもいるものだ。
それは、他人事、わたしとは別もの、、、などと、自分に対しては、きっと自分で自分を過保護にしそうだ。
自分で年齢枠を勝手に設けるようだが、もっと自由に解放して、過保護年齢はもう少し上でもよいのでは、と思った。
が、個人差があるからなんとも言えない。