オイスター バーは、お洒落なカップルでいっぱい。
カップルではないこと、お洒落ではないこと、という場違いな我々は、
肩身の狭い思いをしつつ、席が空く順番を待った。
しかし、なかなか呼ばれない。
ホストみたいな細身、黒ずくめの店員さんが、ちょこちょこ現れて、
「前のお客さん、もうチャージは終わってるんですけれどね、遅いですね~」
とか、なんとかかんとか、うろちょろ。
辛抱強く、忍耐強く待って、やっとお声がかかった。
あれこれ注文したものの、なかなかアルコールさえ、出てこない。
お洒落なお店で、店員さんも多いのに、どうも、段取りが悪い。
調理するスタッフが、極端に少ないのか?
カッコばっかりいいけれど、こりゃあ、イマイチだと思っていたが
どうにかこうにか、遅遅、アルコールが運ばれてきた。
「ご注文の前に、これを読んでください」と、イケメン スタッフ。
「牡蠣をお召し上がりになる前に」
と書かれたボードを差し出した。
「当店の牡蠣は、新鮮・良質・栄養価が高いですが、
お召し上がりになるのは、自己責任でお願いします」
え?自己責任?
「以下の方は、当店で食されることはおススメいたしません。
妊娠中、授乳中の方
ご年配の方
いまひとつ体調がすぐれない方」
なるほど、自己責任・・・
覚悟して頂くわけなのだ。
オーダーしたものの、切らしているメニューや、
オーダーが通ってないことが最後にわかったメニュー、
あれこれ、不備がちょいちょいあった。
最後に、女性の責任者がお詫びのご挨拶に見えた。
牡蠣は美味しかったが、サービス面で、このお店は、もういいか。。。
という全員一致の感想で、店を後にした。
もうちょっと我々がカッコよくて、素敵なお相手と来るのなら
ハナシは別なんだろうけれど、、、、
カップルではないこと、お洒落ではないこと、という場違いな我々は、
肩身の狭い思いをしつつ、席が空く順番を待った。
しかし、なかなか呼ばれない。
ホストみたいな細身、黒ずくめの店員さんが、ちょこちょこ現れて、
「前のお客さん、もうチャージは終わってるんですけれどね、遅いですね~」
とか、なんとかかんとか、うろちょろ。
辛抱強く、忍耐強く待って、やっとお声がかかった。
あれこれ注文したものの、なかなかアルコールさえ、出てこない。
お洒落なお店で、店員さんも多いのに、どうも、段取りが悪い。
調理するスタッフが、極端に少ないのか?
カッコばっかりいいけれど、こりゃあ、イマイチだと思っていたが
どうにかこうにか、遅遅、アルコールが運ばれてきた。
「ご注文の前に、これを読んでください」と、イケメン スタッフ。
「牡蠣をお召し上がりになる前に」
と書かれたボードを差し出した。
「当店の牡蠣は、新鮮・良質・栄養価が高いですが、
お召し上がりになるのは、自己責任でお願いします」
え?自己責任?
「以下の方は、当店で食されることはおススメいたしません。
妊娠中、授乳中の方
ご年配の方
いまひとつ体調がすぐれない方」
なるほど、自己責任・・・
覚悟して頂くわけなのだ。
オーダーしたものの、切らしているメニューや、
オーダーが通ってないことが最後にわかったメニュー、
あれこれ、不備がちょいちょいあった。
最後に、女性の責任者がお詫びのご挨拶に見えた。
牡蠣は美味しかったが、サービス面で、このお店は、もういいか。。。
という全員一致の感想で、店を後にした。
もうちょっと我々がカッコよくて、素敵なお相手と来るのなら
ハナシは別なんだろうけれど、、、、
「オペラ座の怪人」の有名な歌曲「The Phantom of the Opera 」を
私は、目覚まし音楽にしている。
それと、特定の、ある人物からのメール着信音にも設定している。
これまでに映画でミュージカル版を観たことはあるが、今回は、劇団四季の舞台だ。
1986年にロンドンで初演され、東京でも1988年に劇団四季が上演を開始。
日本でも上演劇場を変えながら断続的に長期公演を行っている。
ということで、さっそく、ハービスエントの大阪四季劇場へ足を向けた。
舞台美術は素晴らしい。衣装も目を見張る美しさ。
さすが、ショービジネス!と、感心した。
メインとなるシャンデリアをはじめ、大道具類にも技とお金がたっぷりかかっている。
展開もテンポよく、舞台を十二分に盛り上げていた。
火薬や、照明をうまく取り入れ、巧みな演出でメリハリを効かせていた。
ゴージャスな衣装、音楽、ダンスは、絢爛豪華な時代を髣髴させた。
ただ、私としては、メインとなる役者
クリスティーヌ・ダーエ 役(苫田亜沙子)&怪人役(村 俊英)には、
満点をつけるところまではいかなかった。
なぜか私の目には、あまり魅力的には映らなかった。
家に帰って、インターネットで彼らの歌声を再生して聴いたら、とても上手に聞こえたのに。
なぜだろう?
映画のほうが、よかったからなのか?
どういうわけか、感性に響かなかった。
主役の女優、男優ともに小さく見え、
迫力、透明感や、ミステリアスな魅力に欠けるように感じた。
何よりも、歌のスキル、テクニックは上手いが、
心に訴えかける部分の歌唱力に問題があるように思った。
他に細かいことを言うと、最初のシーンでの衣装の着方が気に入らない。
主役の女優の胸もとが、やや大きく開きすぎだった。
全く同じ衣装を纏っている他の女優陣たちは、若干もう少し胸の開きが詰まっていた。
衣装の開きが揃っていないとすると、お粗末だ。
それとも、わざと主役を目立たせようとしているのか?
肉感的な面は、すべて排除して、透明感あふれる役作りを私は期待する。
もし胸の大きな女優なら、露出を控えるとか、工夫が欲しい。
西洋人の場合は、そう大して感じないのかも知れないが、
小じんまり見えるタイプの日本人の場合は、
胸が大きく開いたドレスは、私個人の感覚としては、好きではない。
最初にあまりよくない印象を持つと、それ以後も、動作、演技が気になった。
童顔が幼いかんじに映り、ダイナミックさに欠けた。
踊り子たちがバレエを踊るシーンは、好きだ。
クラシックバレエの基本の動きに則って軽快に、静かに、
トウシューズが床を舞う音の耳さわり、
パタパタ空気の回る気流を感じるのが、なぜか私は好きなのだ。
音楽もキレがよかったが、「ウイーン版エリザベート」のように、
生オーケストラというわけにはいかないようで、その分は臨場感は敵わない。
客席は、両サイドに少し空席があった。
今まで私が観た観劇、ミュージカル、ショーや舞台で、空席があったのは、初めてだった。
お客さんのノリもあまり良くないと感じた。
アンコールや、スタンディングオベーションも数回あったものの、
わたしはなぜか、不燃焼。
一緒に行った人は、「お客さんのノリは、それほど悪くなかった」と言っていたが。
あれこれ観るようになって、私の嗜好が、変化したのか?
好みが、はっきりしてきたのか?
感性が、鈍ったのか?
しかし、主役の俳優以外は、飽きさせない演出は良かったと思う。
うーーん・・・主役の俳優のどこが私にとって不完全燃焼なのか・・・・・???
やはり、「ウイーン版エリザベート」と比べてしまうからだろうか・・・
「ウイーン版エリザベート」の歌曲は、今でも耳に残っているような気さえする。
歌唱力が違うのか・・・?
ただし、クライマックスでは、しっかり涙がほろほろと、知らないうちに流れていた。
私は、目覚まし音楽にしている。
それと、特定の、ある人物からのメール着信音にも設定している。
これまでに映画でミュージカル版を観たことはあるが、今回は、劇団四季の舞台だ。
1986年にロンドンで初演され、東京でも1988年に劇団四季が上演を開始。
日本でも上演劇場を変えながら断続的に長期公演を行っている。
ということで、さっそく、ハービスエントの大阪四季劇場へ足を向けた。
舞台美術は素晴らしい。衣装も目を見張る美しさ。
さすが、ショービジネス!と、感心した。
メインとなるシャンデリアをはじめ、大道具類にも技とお金がたっぷりかかっている。
展開もテンポよく、舞台を十二分に盛り上げていた。
火薬や、照明をうまく取り入れ、巧みな演出でメリハリを効かせていた。
ゴージャスな衣装、音楽、ダンスは、絢爛豪華な時代を髣髴させた。
ただ、私としては、メインとなる役者
クリスティーヌ・ダーエ 役(苫田亜沙子)&怪人役(村 俊英)には、
満点をつけるところまではいかなかった。
なぜか私の目には、あまり魅力的には映らなかった。
家に帰って、インターネットで彼らの歌声を再生して聴いたら、とても上手に聞こえたのに。
なぜだろう?
映画のほうが、よかったからなのか?
どういうわけか、感性に響かなかった。
主役の女優、男優ともに小さく見え、
迫力、透明感や、ミステリアスな魅力に欠けるように感じた。
何よりも、歌のスキル、テクニックは上手いが、
心に訴えかける部分の歌唱力に問題があるように思った。
他に細かいことを言うと、最初のシーンでの衣装の着方が気に入らない。
主役の女優の胸もとが、やや大きく開きすぎだった。
全く同じ衣装を纏っている他の女優陣たちは、若干もう少し胸の開きが詰まっていた。
衣装の開きが揃っていないとすると、お粗末だ。
それとも、わざと主役を目立たせようとしているのか?
肉感的な面は、すべて排除して、透明感あふれる役作りを私は期待する。
もし胸の大きな女優なら、露出を控えるとか、工夫が欲しい。
西洋人の場合は、そう大して感じないのかも知れないが、
小じんまり見えるタイプの日本人の場合は、
胸が大きく開いたドレスは、私個人の感覚としては、好きではない。
最初にあまりよくない印象を持つと、それ以後も、動作、演技が気になった。
童顔が幼いかんじに映り、ダイナミックさに欠けた。
踊り子たちがバレエを踊るシーンは、好きだ。
クラシックバレエの基本の動きに則って軽快に、静かに、
トウシューズが床を舞う音の耳さわり、
パタパタ空気の回る気流を感じるのが、なぜか私は好きなのだ。
音楽もキレがよかったが、「ウイーン版エリザベート」のように、
生オーケストラというわけにはいかないようで、その分は臨場感は敵わない。
客席は、両サイドに少し空席があった。
今まで私が観た観劇、ミュージカル、ショーや舞台で、空席があったのは、初めてだった。
お客さんのノリもあまり良くないと感じた。
アンコールや、スタンディングオベーションも数回あったものの、
わたしはなぜか、不燃焼。
一緒に行った人は、「お客さんのノリは、それほど悪くなかった」と言っていたが。
あれこれ観るようになって、私の嗜好が、変化したのか?
好みが、はっきりしてきたのか?
感性が、鈍ったのか?
しかし、主役の俳優以外は、飽きさせない演出は良かったと思う。
うーーん・・・主役の俳優のどこが私にとって不完全燃焼なのか・・・・・???
やはり、「ウイーン版エリザベート」と比べてしまうからだろうか・・・
「ウイーン版エリザベート」の歌曲は、今でも耳に残っているような気さえする。
歌唱力が違うのか・・・?
ただし、クライマックスでは、しっかり涙がほろほろと、知らないうちに流れていた。
半世紀
2009-01-21 | 家
実家で、祖父の50回忌の法要があった。
明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた。
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。
明治時代の生き方。
時代背景も違うし、生活様式も違う。
祖父は、この家で、生活し、同じ場所で一生を終えた。
父もそこで生まれ、育ち、亡くなった。
家から数分の、同じお墓で、みんな眠っている。
私の知らなかった、祖父のエピソードをたくさん聞かせてもらった。
祖父の代は、この家に大勢の人々が出入りしていたようだ。
ご隠居後の祖父のところには、囲碁を打ちに、いろんな人が遊びに来た。
お寺の安寿さん(尼層)も話し相手に訪れ、
誰や彼や来て、ついには駐在さんまで遊びに来たそうだ。
犯罪など縁のない、平和な山間の里、
退屈しのぎにお巡りさんが遊びにくるなんて、のどかな時代だ。
私たちも次々とこの家で生まれ、育った。
私たち兄妹は、小さい時は、あまり母に育てられた強烈な記憶がない。
両親は多忙で、誰か彼か、身近にいた人々に子守りをしてもらったようだ。
法要の席では昔話に花が咲いた。
兄は、遊んでもらったり世話を焼いてもらった、懐かしい人々の話をした。
私は私で、また別の人の名前を挙げた。
女子大生のスラリとしたお姉さんも、
ある時期、家に滞在していて、ピアノのレッスンをサポートしてくれた。
地域の小学校に単身赴任しているハツラツ女性教師も、離れで下宿していた。
私は幼いながらに、聡明でとても美しい人だったと記憶している。
姉は、当時、同じ屋根の下で、我々の世話をしてくれていたTちゃんという人が、
よく作ってくれたドーナッツを食べたことが、いつまでも印象に残ると話す。
私は病気のときに、Tちゃんに食べさせてもらった葛湯を思い出した。
兄妹それぞれ、色んな人に、母親、父親代わりをしてもらっていた。
その中でも、祖母には本当によく面倒を見てもらった。
祖父を献身的に介護して見送った後も、祖母は、最たる縁の下の力持ちだった。
黙々と家のために働く、芯の強い明治の女性だった。
多くの人と接しているにもかかわらず、
今、私はどうしてこんなに非社交的なのか、自分でも分析できないが。。。
若い頃は、なんとも思わなかったこと、むしろ煩わしいと感じていたことが
それが今、この年になって、
不意にズシッとくることに出会ったり、心にじわっときたり、
心の目を通して見える景色が、少しずつ移ろっているのを感じる。
年を積み重ねるごとに、心のヒダが幾重にも増したからなのか。
祖父は、その後の家の動向を、どんな目で見続けているだろう。
静かに見守ってくれているのだろうか。
昔のことを知っている人々が、亡くなっていき、時代はどんどん進み、
過去は忘れ去られようとしている。
時代が変わるにつれ、価値観やライフスタイルは大きく変わる。
その中で、変わらないものもある。
お年寄りたちは、素晴らしい功績を残し、子孫に伝えている。
明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた。
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。
明治時代の生き方。
時代背景も違うし、生活様式も違う。
祖父は、この家で、生活し、同じ場所で一生を終えた。
父もそこで生まれ、育ち、亡くなった。
家から数分の、同じお墓で、みんな眠っている。
私の知らなかった、祖父のエピソードをたくさん聞かせてもらった。
祖父の代は、この家に大勢の人々が出入りしていたようだ。
ご隠居後の祖父のところには、囲碁を打ちに、いろんな人が遊びに来た。
お寺の安寿さん(尼層)も話し相手に訪れ、
誰や彼や来て、ついには駐在さんまで遊びに来たそうだ。
犯罪など縁のない、平和な山間の里、
退屈しのぎにお巡りさんが遊びにくるなんて、のどかな時代だ。
私たちも次々とこの家で生まれ、育った。
私たち兄妹は、小さい時は、あまり母に育てられた強烈な記憶がない。
両親は多忙で、誰か彼か、身近にいた人々に子守りをしてもらったようだ。
法要の席では昔話に花が咲いた。
兄は、遊んでもらったり世話を焼いてもらった、懐かしい人々の話をした。
私は私で、また別の人の名前を挙げた。
女子大生のスラリとしたお姉さんも、
ある時期、家に滞在していて、ピアノのレッスンをサポートしてくれた。
地域の小学校に単身赴任しているハツラツ女性教師も、離れで下宿していた。
私は幼いながらに、聡明でとても美しい人だったと記憶している。
姉は、当時、同じ屋根の下で、我々の世話をしてくれていたTちゃんという人が、
よく作ってくれたドーナッツを食べたことが、いつまでも印象に残ると話す。
私は病気のときに、Tちゃんに食べさせてもらった葛湯を思い出した。
兄妹それぞれ、色んな人に、母親、父親代わりをしてもらっていた。
その中でも、祖母には本当によく面倒を見てもらった。
祖父を献身的に介護して見送った後も、祖母は、最たる縁の下の力持ちだった。
黙々と家のために働く、芯の強い明治の女性だった。
多くの人と接しているにもかかわらず、
今、私はどうしてこんなに非社交的なのか、自分でも分析できないが。。。
若い頃は、なんとも思わなかったこと、むしろ煩わしいと感じていたことが
それが今、この年になって、
不意にズシッとくることに出会ったり、心にじわっときたり、
心の目を通して見える景色が、少しずつ移ろっているのを感じる。
年を積み重ねるごとに、心のヒダが幾重にも増したからなのか。
祖父は、その後の家の動向を、どんな目で見続けているだろう。
静かに見守ってくれているのだろうか。
昔のことを知っている人々が、亡くなっていき、時代はどんどん進み、
過去は忘れ去られようとしている。
時代が変わるにつれ、価値観やライフスタイルは大きく変わる。
その中で、変わらないものもある。
お年寄りたちは、素晴らしい功績を残し、子孫に伝えている。
温泉(スパ)の街「礁渓」、古きよき時代の街「九份」、驚きの国立故宮博物院、
台北ささっと市内観光、身動きできないほどのすごい人、人、人の夜市、
そしていつものように、マッサージやエステ、ショッピング、グルメを現地でプラス。
フットマッサージも程よい刺激で、疲れが取れるような気分(元々、疲れ知らずだが)。
生まれて初めて、オリジナル ネイルアートを施し、イナカモノの私は、ご機嫌。
マッサージ&エステ店では、
「西川きよし、ヘレン」「千昌夫」が訪れた時の写真が、廊下の壁に掛けてあった。
過去形に近い芸能人の写真は別にどうでもよかったが、
ベトナムよりは、あやしげ指数は低く、安心できた。
(ベトナムも一流店のようだったが)
ホテルや専門店のお味も、あっさりしていて美味しかったが、
行き当たりばったりで入った、ラーメン&ギョーザ屋さん、美味、美味。
驚くほどお安くて、大満足。
私は初めての国、台湾で、いろんなカルチャーショックを受けた。
特に国立故宮博物院は、エクセレント!!
ルーブル美術館というよりは、展示品の傾向は、むしろベルサイユ宮殿のノリ。
清のお后様が、お嫁入り時に持参したという、白菜のカタチをしたヒスイ、
西太后の付け爪(ネイルアートですね)、アクセサリー、美白のための真珠化粧品・・・
天然逸品に、息を呑む高度な技を駆使した至宝の山。
たまたま特別展として、「乾隆展」が催されていた。
生まれたときから「美」に囲まれた環境にあった、清時代の皇帝、乾隆が、
彼の美のセンスに磨きに磨きをかけて力を入れた芸術の世界、美しい陶磁器の数々・・・
二日連続で行った。
もともと全て中国のお宝なのだろうが、蒋介石が中国を追われたときに、厳選して持ち出したとか?
60万点も、よく持ち出せたものだ。
全てを一堂に展示することはもちろん不可能。
常設展以外の展示品は、3ヶ月ごとに入れ替わり、全部見るのには8年かかるとか。
李登輝(り とうき 元中華民国総統)氏が、故宮博物院の前のマンションを1フロアーお持ちだそうだ。
仲良しになれば、長期滞在させていただいて、毎日、博物院にも通えるのだが・・・。
悲しいかな、なんのご縁もない。
台湾は小さな面積の国だけに、全体的にまとまっていて、統制が取れていると感じた。
しかし私が、中学の時に歴史で習った程度の大雑把な知識は、蒋介石以後の台湾。
もう少し台湾の歴史を勉強して行けば、もっと味わいが増したかも。惜しいことをした。
勉強嫌いは、損をする。いつも、あとの祭り。
各国、素晴らしい文化がある。
アジアを足元から見詰めようとしたが、逆に、頭の上から、
がさっと、大きな予期しないキラキラしたものが、落ちてきたようなかんじだった。
台北ささっと市内観光、身動きできないほどのすごい人、人、人の夜市、
そしていつものように、マッサージやエステ、ショッピング、グルメを現地でプラス。
フットマッサージも程よい刺激で、疲れが取れるような気分(元々、疲れ知らずだが)。
生まれて初めて、オリジナル ネイルアートを施し、イナカモノの私は、ご機嫌。
マッサージ&エステ店では、
「西川きよし、ヘレン」「千昌夫」が訪れた時の写真が、廊下の壁に掛けてあった。
過去形に近い芸能人の写真は別にどうでもよかったが、
ベトナムよりは、あやしげ指数は低く、安心できた。
(ベトナムも一流店のようだったが)
ホテルや専門店のお味も、あっさりしていて美味しかったが、
行き当たりばったりで入った、ラーメン&ギョーザ屋さん、美味、美味。
驚くほどお安くて、大満足。
私は初めての国、台湾で、いろんなカルチャーショックを受けた。
特に国立故宮博物院は、エクセレント!!
ルーブル美術館というよりは、展示品の傾向は、むしろベルサイユ宮殿のノリ。
清のお后様が、お嫁入り時に持参したという、白菜のカタチをしたヒスイ、
西太后の付け爪(ネイルアートですね)、アクセサリー、美白のための真珠化粧品・・・
天然逸品に、息を呑む高度な技を駆使した至宝の山。
たまたま特別展として、「乾隆展」が催されていた。
生まれたときから「美」に囲まれた環境にあった、清時代の皇帝、乾隆が、
彼の美のセンスに磨きに磨きをかけて力を入れた芸術の世界、美しい陶磁器の数々・・・
二日連続で行った。
もともと全て中国のお宝なのだろうが、蒋介石が中国を追われたときに、厳選して持ち出したとか?
60万点も、よく持ち出せたものだ。
全てを一堂に展示することはもちろん不可能。
常設展以外の展示品は、3ヶ月ごとに入れ替わり、全部見るのには8年かかるとか。
李登輝(り とうき 元中華民国総統)氏が、故宮博物院の前のマンションを1フロアーお持ちだそうだ。
仲良しになれば、長期滞在させていただいて、毎日、博物院にも通えるのだが・・・。
悲しいかな、なんのご縁もない。
台湾は小さな面積の国だけに、全体的にまとまっていて、統制が取れていると感じた。
しかし私が、中学の時に歴史で習った程度の大雑把な知識は、蒋介石以後の台湾。
もう少し台湾の歴史を勉強して行けば、もっと味わいが増したかも。惜しいことをした。
勉強嫌いは、損をする。いつも、あとの祭り。
各国、素晴らしい文化がある。
アジアを足元から見詰めようとしたが、逆に、頭の上から、
がさっと、大きな予期しないキラキラしたものが、落ちてきたようなかんじだった。
遠くて近い、台湾で、お正月を迎えた。
韓国もそうだが、あまりにも近いと、
海外旅行先としては、今までは台湾をマークしたことがなかった。
今回は、同行者の年末年始の勤務体系により、日程が限られたこともあるが、
行ったことがない国、飛行時間が短い、というコンセプトで、台湾にした。
海外として、あまりにも意識しなさすぎた故、
ガイドブックも購入せず、予習も予備知識もまるでなく、
旅行会社に手続きしたまま、いきなり入国した。
機内食を猛スピードで一回食べ、ちょっと居眠りしたら、あっという間に到着。
たった、3時間。時差も1時間。まるで国内感覚だ。
台湾から帰国したばかりの人が、「暖かかった」と言っていたので
薄着で行ったら、台湾着陸時の気温は、10度前後で、冬だった。
コットンの合服ばかり持参していたが、全ての服を何枚も重ね着し、腕が回らない。
ツアーコンダクターなら、こういう失敗は絶対ありえないだろうけれど。
ベトナムに行ってから、さほど経っていないが、同じアジアでも、やはり違うものだ。
ベトナムが、粗けずりで、エネルギッシュ、土ぼこりっぽいのに比べ、
きめ細やかというか、インフラが整い、街もキレイ。
トイレは水洗だが、ホテル以外はトイレットペーパーは流せない。下水圧の関係か?
別のゴミ箱に捨てる。それは、ベトナムと同じ。私は少々抵抗ありの弱虫。
街通りの看板も、漢字なので、ほとんど意味が想像できるし、
もともと日本人と同じルーツをたどってきたのが、よくわかる。
日本人観光客が多く訪れるためか、日本人にはとても友好的で馴染みやすい。
統治時代の日本文化の影響もあるのだろうか?
日本人が欧米に憧れるように、台湾の人々は、
ちょっと先行く日本に、憧れを抱いているように感じた。
しかし実は、それは単に、日本企業が台湾に進出し、
日本製品の購買・消費を煽る戦略のせいかも知れない。
日本企業、日本店舗(吉野家など)、日本のデパート(三越など)、
日本のコンビニ(ファミリーマート、セブンイレブンなど)、
日本のファッションと同じような若者たち(日本に限らず、世界同時ファッション?)
日本製品があふれている。
しかし、高校卒業後、あるいは大学卒業後の18歳以上の男性は
全員兵役の義務が2年間、課される、徴兵制の国でもある。
歴史背景、大国中国との関係や、国際的な立場、複雑なもろもろが絡み合っている。
衛兵交代式が行われていた。
スマートなお人形のような衛兵さんを、追っかけながら、至近距離からパチパチ
写真を撮ったのは、辛亥革命や抗日戦争で戦死した33万人の英霊が祭ってある、
日本の靖国神社みたいなところ。
衛兵は、兵隊さんの中でもエリートだ。
身長180センチ以上で、肥満体はだめ、メガネもだめ、
本人も家族も、犯罪歴などなく、ちゃんとしている家の人が選ばれるらしい。
就職時には、履歴書に「衛兵」だったことを記載すると、ステータスが上がるそうだ。
遊びたい盛りの時期に、国や自分自身に、本気で向き合うことになる。
韓国もそうだが、あまりにも近いと、
海外旅行先としては、今までは台湾をマークしたことがなかった。
今回は、同行者の年末年始の勤務体系により、日程が限られたこともあるが、
行ったことがない国、飛行時間が短い、というコンセプトで、台湾にした。
海外として、あまりにも意識しなさすぎた故、
ガイドブックも購入せず、予習も予備知識もまるでなく、
旅行会社に手続きしたまま、いきなり入国した。
機内食を猛スピードで一回食べ、ちょっと居眠りしたら、あっという間に到着。
たった、3時間。時差も1時間。まるで国内感覚だ。
台湾から帰国したばかりの人が、「暖かかった」と言っていたので
薄着で行ったら、台湾着陸時の気温は、10度前後で、冬だった。
コットンの合服ばかり持参していたが、全ての服を何枚も重ね着し、腕が回らない。
ツアーコンダクターなら、こういう失敗は絶対ありえないだろうけれど。
ベトナムに行ってから、さほど経っていないが、同じアジアでも、やはり違うものだ。
ベトナムが、粗けずりで、エネルギッシュ、土ぼこりっぽいのに比べ、
きめ細やかというか、インフラが整い、街もキレイ。
トイレは水洗だが、ホテル以外はトイレットペーパーは流せない。下水圧の関係か?
別のゴミ箱に捨てる。それは、ベトナムと同じ。私は少々抵抗ありの弱虫。
街通りの看板も、漢字なので、ほとんど意味が想像できるし、
もともと日本人と同じルーツをたどってきたのが、よくわかる。
日本人観光客が多く訪れるためか、日本人にはとても友好的で馴染みやすい。
統治時代の日本文化の影響もあるのだろうか?
日本人が欧米に憧れるように、台湾の人々は、
ちょっと先行く日本に、憧れを抱いているように感じた。
しかし実は、それは単に、日本企業が台湾に進出し、
日本製品の購買・消費を煽る戦略のせいかも知れない。
日本企業、日本店舗(吉野家など)、日本のデパート(三越など)、
日本のコンビニ(ファミリーマート、セブンイレブンなど)、
日本のファッションと同じような若者たち(日本に限らず、世界同時ファッション?)
日本製品があふれている。
しかし、高校卒業後、あるいは大学卒業後の18歳以上の男性は
全員兵役の義務が2年間、課される、徴兵制の国でもある。
歴史背景、大国中国との関係や、国際的な立場、複雑なもろもろが絡み合っている。
衛兵交代式が行われていた。
スマートなお人形のような衛兵さんを、追っかけながら、至近距離からパチパチ
写真を撮ったのは、辛亥革命や抗日戦争で戦死した33万人の英霊が祭ってある、
日本の靖国神社みたいなところ。
衛兵は、兵隊さんの中でもエリートだ。
身長180センチ以上で、肥満体はだめ、メガネもだめ、
本人も家族も、犯罪歴などなく、ちゃんとしている家の人が選ばれるらしい。
就職時には、履歴書に「衛兵」だったことを記載すると、ステータスが上がるそうだ。
遊びたい盛りの時期に、国や自分自身に、本気で向き合うことになる。