4日前、法事を行った。
当然ながら、わたしは主催者サイドであるので、婚家でのことである。
(実家で法事があるなら、わたしは主催をすることは決してないため、常に招かれる側になる)
義父と、義祖母の法要。
呼んだのは、ごくごく身内の親戚のみ。
最初、義叔父(夫の父の弟)の奥さんが、出席を断ってきた。
それを、義母が、「今回偲ぶ人のうちの一人である、おばあちゃん(=義祖母)に、
嫁として、いちばん、かわいがられたあなたが出席しなかったら、おばあちゃんがかわいそうだ」、と、説得した。
義叔父の奥さんは、「主人が出席するし、なにもお手伝いもしないわたしまで、出席するのも悪いと思って・・・」
と理由をおっしゃっていたが、義母の要請に応えるかたちで、出席となった。
この理由、わたしは、そのまま言葉どおりには受け取っていないけれど、理由なんかどうでもいいのだ。
要は出席したくないという意向だ。
1年も前から言われていたら、よっぽどの具体的な動かない事情でもあげない限り、断る理由を探すのは難しいだろう。
でも、よくよく深く考えると、お客さんでなければ、出席したくないということか。
かつての記憶をうんとさかのぼると、
このお方、仏事行事では、主催者側の末席で、兄嫁2人の下で、争うように気働きしておられたが、今では堂々たるもの。
仕えなければいけないものが吹っ切れて、じつに、けっこうなことだ。
他の出席は、義父の娘夫婦(=義祖母の孫夫婦でもある。わたしから見ると、小姑夫婦)、
あとは、義父の孫(=義祖母のひ孫)二人。ついでに、夜叉孫も一人追加。
(これ、わたしの娘たちと孫。息子は仕事のため、先週、代りに帰省した。同日、娘婿も。)
開催1時間前にはすでに集まり、お坊さんを待つ。
(わたしは、別に一日、準備日をもうけ、当日は当然ながら、もっと早くからスタンバイ)
お坊さんが家の仏壇の前でお経を唱え、焼香、墓に出向き、そこでまた読経。
皆は、お墓にぞろぞろ着いていき、手を合わせ、その後、料理屋で食事。
食事スタートから2時間ぐらいで解散。そして、各々、家路に着く。
一言で言うと、楽。
このシンプルさは、出席メンバーによる。
うるさい親戚がいない。数がごくごく少数。義理の間柄の人は、いない。(配偶者以外は)
今回は、東京の親戚たちを呼ばなかったことが、非常に非常に非常に、楽だった。
これは、お互いに、だろう。
往復の交通費、労力、時間を使って、出席する側も、出席したくないだろう。
身柄は移動させず、御供えや粗供養などの相互間、郵送にとどまっていた。
(義母が、していた)
おそらく、東京陣を呼ばなかったのは、
そのうちの一人が、娘一家の海外赴任先に長期滞在していて不在だったこともあるのだろう。
もう一組も、配偶者が老いて弱っているので、「呼ばない行かない」、の提案に喜んで便乗したのだろう。
残念ながら、というカタチはとりながら、喜んで、欠席なのだろう。
おたがい、おおきく、喜ばしいことである。
こんなに円満に、法事を縮小できて、わたしは、とても嬉しく思っている。
同じ法要でも、一周忌などであれば、こんなに簡略化はできないだろうけれど、
その他、亡くなってうんと時間が経っている法要は、カンタンにしないと、あと、引き継ぐ気がしない。
歴史の浅い、造成されたばかりの人工的な地域(いわゆるニュータウン)であれば、
冠婚葬祭のルールなど、地域色は、各自に任せて、透明であろう。
逆に、古い歴史伝統地域は、長々と伝えられることがあり、
受け継ぐ者は、よほど賛同しない限り、鬱陶しくて限りなくブルーで渋々嫌々、無理やりか、逃げ出すか、であろう。
一旦、嫁に行って出て行った人間が、実家のことをあれこれ、うるさく言うケースがあるようだ。
婚家に関しては、それはまったくない。
おそらく、義母が、とてもこころを砕いて、親戚の隅々にまで完璧に心遣いしているのだろう。
それと、トラブルにならないよう、いろいろ、実質的な面で、割り振り、振り分けをしている。
結果的には、共存共栄になっている。
わたしの順番が来て、気の回らない嫁になった・・・と、陰口をたたかれたところで、
わたしは、親戚づきあいは、極力、本当に芯の部分の人しかする気がないので、
(もう、共存共栄のあとは、自力で自立していただく)
枝葉の人々のお付き合いをしなくなったら、彼らの声を吸い上げる機会がないだろう。
第一、遠縁の親戚たちも、どんどん年をとっていくし、
先方も若い人、次の世代に親戚付き合いをバトンタッチしないだろうから、お互い縁が切れていく。
文句をいうお年寄りたちは、時の経過とともに、自然消滅するのを待つばかり。
次世代とは、もう付き合わないので、そこで、おしまい。
人も時間とともに、新陳代謝していく。
うるさい年寄りは、この世から去り、次世代は、過去の風習から、すくい上げた伝統なり習慣なりだけを踏襲していく。
やがて自分も、どんどん年をとり、自分より年寄りはあまりいなくなる。
同じ地域でも、昔流のやり方をまるまるそのまま踏襲している次世代がいれば、
それはそれで、やっていただくのは、立派なことだ。頭が下がる。
手抜きとなれば、不義理な家だ、そんな家は(精神的に)村八分だ、と、
近隣・同世代から、ブーイングということもあるだろうが、ブーイングを伝える手段、キーマンは、誰になるのだろう?
ごく近くに住んでいる次世代親戚か?
当家の本人だけが知らなくて、まわりからは、大いなる大批判を受けているかも知れない。
反対派の思惑を気にしていたら、改革はできない。
もともと、その地にべったり住むつもりがない、そういう割り切った捨て身の気持ちが、
ご当地の慣わしをそのまま受け継がない強気を生み出すのかも知れない。
地域で課せられる義務(寄付や自治会費、自治会での役割)には、負担するつもりであるが。
長年、代々、同じ地に住み続けるには、その地域がよほど好きなのか、他を知らないのか、よそに移る術がないのか、
先祖代々の土地があるから、職業柄そうなのか、はたまた、そんなことは、考えたこともないのか。
住み分ける意識のある人々と、そうでない人々と同じ価値観を持つこと自体が難しい。
いろいろ、知った上で、最後は故郷に帰ってくるという考えもある。
定年を迎えた旦那さんと、奥さんは、ここで分岐点を迎える。
二人の意見が一致すれば、同じ道を歩み、同じ地に住む。
一致しなければ、レールは、分かれる。
別れたくても経済事情や、介護事情で、こころは別々でも、いがみ合っていても、別れられない事情もある。
ときには、夫婦間で殺人に発展する、そんな悲劇さえ生み出すこともある。
仲むつまじく、同じ地に住んで、
そのまま同じ地かどうかは知らないが、同じ建物、同じ老人ホーム、同じ部屋なんてこともありえる。
・・・・・・・
それはそうと・・・
延々、大昔からの、時代をさかのぼった親戚、いくらなんでも、もう切ってもいいはず。
切ってもらう側も、嬉しいはず。
なにがよくて、そんなに延々とお付き合いしているのか、わたしには、まったくわからない。
せいぜい、叔父、叔母、彼らが弱って来れないときは、その子供(甥、姪)
シンプルなラインだけでいいと思う。
家系図をもとに関わりを図式にしないと、アタマが、いまだにこんがらがる、そんな複雑な親戚たち、って?
(義母から聞き取り、メモみたいなものを何度か書きなぐるのだが、それをすぐ紛失してしまう・・・
と同時に、アタマの中からも消えてしまう・・・)
わたしは、義母の代りに、遠い親戚の法事に顔を出すが、呼ばれる側は、くたくただ。
とは言うものの、遠い親戚とは、法事で会食でもしない限り、葬式で顔を合わす程度なので、
まあ、コミュニケーションをとるということは、悪いことばかりでもないような気も、しないではないが。
(もって、まわった言い方)(はやいハナシ、悪くないってこと)
わたしの手抜きサボりの性格は、生まれて死ぬまで続くことだろう。
いかに、手抜きを正当化するか、この作業ばかりに重きを置いている。
そんなことをする暇があれば、母の日にこころのこもったサービスでもしろ、と。
今日は、お昼から、義母の家に向かって、法事の後片付けをする。
ま、サボり人間は、ぼちぼち、ぼつぼつ、一歩ずつ。
急には働き者にはなれません。
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