蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

しょーもないこと、しー(→「くだらないことをする人」の意味)

2012-10-31 | ブログ

とりあえず、今日は、ブログ更新から時間を使ってみよう。
さあ、書くぞ!! 時間は確保した!!

そう思って、パソコンの画面に、前のめりになりつつ、イスから上体を近づけ、やる気むんむん。

・・・・・

いざ・・・!!
となると、わたしは、ダメなタイプだ。
時間がなくなって、時間に追いかけられないと、走れない。
人生、何事も受身タイプ。

今日で有効期限が切れるマイレージが、ある。
あれを先に手続きしようか。
小説、下書きしてるものを手直しし、続きをちょっと書こうか。
それから自分のブログ更新に行ってもいいよね・・・
なんて、ブログ更新の順序を後にすると、やはり、ブログ更新は、終了時間をオーバーしてしまい、
そして、バスに乗り遅れ、タクシーとなり、乗車運賃の高いほうの電鉄会社利用になり、さらに・・・
さらなる遅刻は、お金では穴埋めできないことになって・・・(これは、昨日、書いた)

じゃあ、帰宅してから更新すればいいじゃない?
なのだが、わたしの楽しみは・・・・なんと、行き帰りの電車の中で、自分のブログを読むことなのだ。
べつに、超・ナルシストでもないし、自意識過剰でもないし、自己顕示欲の塊なわけでもないのだが、
自分の考えを整理したものを、ふむふむと、改めて、また読み直す。
「自分」の感じたこと、思ったことを、「自分」にわかりやすいように、うまく表現で来ている。
あたりまえだ、自分が、自分のことを書いているのだから。
取材も、聞き取り調査も、なにもいらない。
直接、考えたり感じたりしている人と、筆者が、同一人物なのだから。
第三者の手に委ねられていない。

こりゃあ、便利だ。
産地直売みたいなものだ。
流通コスト、ゼロ。流通、手間隙、ゼロ。
しかも、自分のことを書いているので、
よくも、書いたな、あばいたな、誹謗中傷だ、と、訴えられることもない。

ただし、脳内・変換ソフトがいる場合もある。
こう思っているけれど、うまく表現できない、言葉が思いつかない、そういう場合。
えっと~、えっと~、ええっと~、なんだっけ、どういうんだっけ~
ちゃかちゃかちゃかと、チャチな脳内・検索が始まり、即、終わる。
容量が少ないから、結果がすぐ出る。
「わかりません」「見当たりません」「検索結果→ゼロ」となると、飛ばすか、別の言葉に置き換える。
少々、言いたい意味がずれても、時間がないので、こだわる余裕もなく、決行。次。GO!
なので、ブログ完成度は、とても低い。

書き直したり、戻ったり出来ないので、すごいスピードで、書くだけ書いて、書き散らして、
慌てて、家の中でモノを足で引っ掛けて、散乱しても、元に戻す余裕も時間もなく、すっ飛んで家を出る。
そして、電車の中で、誤字やら、マチガイやらを発見する。
所詮、自分のブログなので、どんなにレベルが低かろうが、文句を言うのは、自分しかいない。
文章に関しての自意識は、ほぼないのだ。

だだだ・・・と思っていることをキーを打って、あとは、ああ、すっきりした!!となる。
そして、いつも、「遅刻ギリギリ」と「本当に遅刻」の中間あたりで、冷や汗をかいている。
ああ、よかった、あの厳しい時間で、どうにか、遅刻ギリギリで済んで・・・と、ほっとする。
その、最後の段階で気が緩んで、バスに乗り遅れることもある。

で、ここまで、無駄な文字を打ったところで、今日の書きたいことが、ふと、アタマから、もわっと出てきた。
今までの入力分は、削除して、本来は、ここから、アップするのが筋だ。

↑というふうに、時間があると、こういう無駄なことに時間をうだうだ使うばかり。
ちっとも、建設的でもなければ、濃度が濃くなるわけでも、完成度が上がるわけでもない。
余裕の時間をすべて、助走の時間に使いきってしまう。


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ふと浮かんだ、書きたいことは・・・現在の自分の居場所について。
自分というものが、はっきり見えた瞬間について。(これ、昨日、ある瞬間に、突然、見えた)

これを書いたが、この後に続けるのはやめた。
ここまでの文章の流れから、さらに引き続き読んでいただくには、もう、けっこー、げっぷ、
だろうなあと、へんに気を回した。


ちんまり、想定内の生活

2012-10-30 | 日々のこと

この残り時間からすると、ブログ更新は、絶望的だ。
なぜなら、推敲を含めて10分では、いったい、何が書ける?
それをオーバーすると、食事タイムは当然、カット、出かける時間がずれ込み、バス予定がタクシーになり、
電車も、いつもの安いほうではなく、高い電鉄会社を利用することになり、時間をお金で買うことになる。
それでも、遅刻すると、もはや、時間をお金では買えない、穴埋めできないことになる。

そこまでして、更新する必要はあるのか?
答え・・・は・・・
「必要ありません」。

まあ、趣味っちゅうか、そんなもんであるが、
時間内に収まる、お利口な趣味が、一番よろしいかと。

なんでも、予定内に収まるのがよろしい。
時間、予算。
そうすると、つまらんものが、できる。
制限って、越えないと、おもしろいものは出来ない。
枠って、はみ出さないと、動きがない。
人間の芸術の源になるモノモノも、そう。例えば、愛。
規格・想定内は、安心だが、ダイナミズム、面白みに欠ける。
モノを生み出すのは、破壊、否定から、スタートする。


予定通りの想定内は、安心だけど、定時に終わるお役所勤めみたい。

だが、毎晩、最終電車に間に合うか、合わないか、ギリギリの仕事に、駅から、延々遠い宿舎、、、、
都会でお役人をやっていた、中学時代の同級生が、嘆いていた。(今は、天下りしている・・・)
役人のイメージ、世間の人は、都合のいいところしか見てないって。

ちなみに、地方のお役人さんも、農繁期は忙しい。
秋とか、大変。家は、親御さんが農家。

と、関係ないことを書いていると、時間がやってきた。

わたしも、生活が大事な小市民なので、趣味のブログをほっぽって、ここで強制終了いたします。

 

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あら、ブ○だったわ、わたし。

2012-10-29 | 無題

わたしの「文章の師匠」から、コメントを引き続き、いただいた。
「『師匠』は、やめて」とも、おっしゃっていたので、
「文章、あこがれの人」に、しようかと思うが、ネーミングセンスが終わっている。

「天性の文章人」・・・これでは?
意味不明か。

「こころの文人」・・・これでは?
作りすぎ?

「文章の達人」・・・これは、平凡で、いかん。あかん。

「文章せんせい」・・・これでは?
「梅ちゃん先生」も放映が終わったことだし、タイムリー感、新鮮味、旬っぽさがない。

一目置いている人・・・これを漢字や熟語で、なんと言う?
リスペクト オブ ワード オア センテンス  (せめて、英文字で書けって・・・はい・・そうですね)

あいかわらずの、ダサダサ アイデアしか思い浮かびません。
(しかも、文法、はずしてるし。
これは、作為的なのだが・・・と説明するのはメンドー&卑怯なのだが)

まあ、なにしろ、師匠ご本人が、やめてくれ~と、言っておられるのだから、やめる。

で、前置きはさておき、なにが、話の本題かというと・・・
(エッセーなのに、こんなに無駄に文字を使ってしまって、
もはやエッセーでもなんでもない、単なる書き散らし、はた迷惑、ゴミいっぱい)

わたしの一方的な、どきっ、どぎまぎ、ぎくり感情で、せっかくお寄せいただいたコメントを非公開にしてしまい、
さらに、リスペクトして止まない方に、「気分を害するようなことを書いてしまったらごめんなさい」
と、コメントを追加していただき、恐縮を通り越して、どういったら、いいか、とても申し訳ない気持ちになっている。

もうおひとり、あたたかい直球コメントをいただき、その方も、非公開でお願いします、とのこと。
すみません。気を使っていただいて。
わたしの、へんな、どきり、ぎっくり、のせいで、・・・。

どっきり、ぎくっ・・・は・・・ですね、
ああ、書きたいけれど、書けない・・・


そもそも、わたしは、そんじょそこいらの、元ネ~チャン(現オバちゃん=年代別・一般総称)でありまして・・・
掃いて捨てるほど、わんさかわんさかいる、ごくありふれた、ソバカスたっぷりの元ネ~チャン(現オバちゃん)、
なんですけれど、これがまた不思議なことに(なにが不思議なのか、まったく意味不明であるにしても、だ)
そんな、ゴヒャクマンといる、ありふれた、いち、元ネ~チャン(現オバちゃん)であるということ、

それを、これでもかっっ!!というぐらい、一瞬にして自覚した。
自分が、どんな面(つら)してるんか、知ってる?
カエルの王子様みたいな、そんなかんじ。
はっとした。
そうだ、わたしは、村の鎮守の森に行って、村中を探し回って、なにをしてたんだろう。

文章に関しては、自意識は、ほとんどといっていいほど、ない。
顔だって、アタマだって、全然だ。


つい先日、とある男性から、
「僕は、女性の顔は、まったく、気にしません。顔は、ついていたら、いいんです」
と、言われた。
「へえ~、カラダが左右にふらふらしないように、風に飛ばされないように、重しとして、首の上に顔がついてたら、いいんですかね~」
「うん、そうやで。
目が3つ、鼻が4つ、とか、そんなんで、なければ、通常、一般的な数、場所についてたら、いいんや」
(だんだん、関西弁になっている)

明らかに、その男性は、わたしの顔をまじまじと見て、そう言った。
わたしは、言った。
「わはっははは。そりゃあ、ウソでしょう?」
「いや、ほんま」

まあ、いいですけれど。


それはそれとして・・・

わたしは、見かけも、内容(アタマ、精神、性格)も能力も、自信がないわけだが、
それをころっと忘れるときがある。
いきなり、スーパーマンになって、空を飛ぶ。
ああ、雲の上って、気持ちいいなあ・・・

あれ? なんか、キレイなお姉さんたちが、いっぱい、いる・・・
ソバカスで、おデブで、まんまるダンゴ鼻は、わたしぐらい?
いや、もっと、ぶっさいくな人もいる。なにしろ、人数が多い。
わーわー、キャーキャー。えらい騒ぎ。
どこからか、演奏が聞こえる。鎮守の森コンサート。

そして、突然、あっ、そうだった・・・なんて、ばかなわたし・・・
と、愕然となる。
あとは、急降下で墜落、激突。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日は、まともに、真面目に書く予定です。
でも、エッセーなんかじゃなく、日記です。
幼稚園の絵日記には、純粋な気持ちが足りないし、
小学生の作文には、観察力や感動が足りないけれど。

かといって、オバサンの悪あがき日記は、卒業した。
じゃ、なに?

空を飛ぶ日記も、けっこう楽しい。
けど、たぶん、そんなのは書きません。

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超・個人的メッセージ

2012-10-27 | ブログ

ちょっと、この場を個人的に使わせていただきます。
といっても、このブログ全体、まるまるが、超個人そのものなのだが。

わたしの「文章の師匠」からコメントをいただいた。
とても洞察力のある、ヨミの鋭い内容で感動した。
が、ぎくりと、した。

で、大変申し訳ないのだが、非公開とさせていただきたい。
あまり説明を加えると、なんだかんだ言っても、根が正直なわたしは、
本音ばかりをべらべらと話してしまう可能性がある。
なので、この件に関して、本日をもって終了とさせていただきます。

「ですます」と「だ、である」が、混合となっておりますです。

 

文章って、こわい。
とても、そう思う。

たんなる文字じゃないんだ。
血や肉、心臓の鼓動、、、
そういう生きている人間が、パチパチとキーを打っている。

 

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卑怯って、気楽でいい

2012-10-26 | 趣味

そうか・・・

素人と玄人の定義は、とても難しいようだ。
お金をもらっているか、もらっていないか。
生業にしているか、していないか。

売れない芸人や、芸術家は、どうなる?
文芸モノではなく、商品のコピーや、ライターさんは、どうなる?

専門分野にいる人は、分野外の人よりも、その世界がよくわかる。
分野外の人は、わあわあ、すごいすごい、って言ってるだけだけど。
内側にいる人は、どの程度のすごさか、わかってしまう。

でも、医学や化学、物理、自然科学などと違って、芸術系って、モノサシが、とっても曖昧。
というか、わたしが、芸術の外側にいるので、よくわからないのだ。
ミーハーなのだろう。

そういうと、シンコ弟は、「姉ちゃん、僕のこと、頑張れって、言ったやん!」
と、ふて腐れるかも知れない。

わたしは、しょせん、生活者なのだ。
表現者ではない。
表現者として、到底、プロなどの足元にも及ばないし、同席することも、並ぶことすらない。
なので、自分は自分で、横っちょに置いておいて、
どういう表現をしようが、その現れ方よりもさることながら、もっと、芯の部分を見る。
ところが、芸術系の人は、芯の部分そのものが、複雑怪奇で、素人には、ようわからん。
数式や図式で説明するという手もあるのかも知れないが、よけい、わからん。

素晴らしい表現に出会うと感動するが、こちらは受け手であって、表現側ではないので、
ただただ感動するのみ。
だから、自分と比較したりして落ち込むことはない。
(似たようなレベルだが、ちょっとだけ上の人に出会うと、落ち込むが)
同じフィールドにいる人は、1周目を走っている人と、5周目を走っている人が、
同時に横で走ってたりして、レベルの違いをひしひし感じたりするんだろうけれど。
(わたしも、低レベルで、そういうことは、よくある)

東京藝術大学を主席で卒業して、第一線でやらなくったって、
風呂屋のタイル絵をやってたって、
大きな映画の看板で、似ても似つかぬ、俳優の顔を描いてたって、
パティシエでもなんでもなく、全然、どおってことない、せんべいを毎日焼いてたって、
それはそれで、いいんです。

第一線、第一級であるかないか、わかってる、目利き能力があるってことも大事だけれど。
普通、それぐらいの目は、あるだろう。
まあ、ない人も多いかも。まったく興味ない人も多いみたいだし。
才能なんてのは、評価の仕方が難しいし、光が当たる人は、ほんの一握り。

駄文であろうがなかろが、それで食べている人もいる。
アートも、そう。
自分が表現したいモノではなくても、クライアントの意向に沿い、かつ、プラスアルファが要求される。
商業デザイナーとかでも、それで食べることができるのは、ほんの一握りの人だ。

生活者は、卑怯にも、ここで、開き直る。
魂を悪魔に売ってでも、食べていかなければならない。
理想を追求していては、餓死する。
そうやって、自分の才能がないことを生活のせいにしたりする。
でも、わたしは、まったく、そもそも芸術者じゃないので、へーき。
見る側の人間。
表現側ではないので、気楽でいい。
ああ、卑怯って、気楽だな~。

疑問に感じたり、問題点を整理したり、
思ったことを素直に書くところは、やはり兄弟だけあって、弟は、わたしに似ている。
同じ親から生まれただけは、あるなあ。

ということで、お姉ちゃんは、あくまでも弟を応援している。
わたしは、末っ子ではあるが。

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情報貧乏

2012-10-25 | 人生

秋は、どんどん深まり、昨日より一枚も二枚も多く、衣服を重ねている。
庭の紅葉は、まだまだ緑色。
葉っぱのほんの先っぽだけが、予告編のように、赤茶っぽく色が変わっている。
家に居ながらにして紅葉が眺められるのは、オツではあるが、あの、大量の葉っぱが、厄介でもある。
いま、枝々にゆっさゆっさと付いているものが、全部すべて、落ちるんだもの。
結構な量になる。

 

今週も忙しいなあ・・・
でも、ちょっと、同じパターンの行動に、酸っぱみが加わってきている。
はじめは、新鮮だったことも、繰り返し、繰り返し、行うことによって、
あんなに狂喜して感動していたことが、徐々に感激は薄れ、次第に、飽きはじめ、さらに色あせ、
感謝の気持ちさえも薄れてくる。

 

濃厚な芳醇な香りを発しなければいけないところが、発酵を通り越して、酸っぱい。
ヨーグルトような爽やかな酸っぱさなら、よろしいが、なんか、不純物が混じっているかんじ。
この不純物こそ、わたしの、「慢心」であろう。
「スランプ」というのかも知れない。

 

踊り場現象の期間が長すぎて、同じところに停滞したまんま、
前にも後ろにも行かず、つっかえているところに、
それでも後ろから、順次、次々と定期的に押してくるものがあり、目をシロクロして、苦しんでいる。

 

この次々に押してくるものは、時間であったり、人であったり、する。

 

時間よ、止まれ。
しかし、時間が止まっても、わたしも止まるだけで、なんの解決にもならない。
時間が止まっている間に、わたしが、せっせせっせと精進するとか、努力する、働く、というのならわかる。
その、止まっている時間、わたしが、休憩する、という手もある。
時間を止めて休憩した後、するすると、うまくコトは進むのだろうか。

 

努力しないといけない段階で、努力の休憩をしたり、先延ばしにしたりして、
それって、サボってるだけで、ちっとも休憩になんか、なってない。
休憩というのは、目一杯活動した後、心身を休め、労働の再生産に向けてパワーをチャージすることをいう。
なにもしないで、さらに、その後、休憩をしたら、よけい、沼の底にずぶずぶ落ちていくだけだ。

 

なんで、波があるんだろう。
心臓の鼓動は、音楽のビートと連動しているように、人間には波がある。
心身ともに、良いときや、悪いときがある。
運も良い時と悪いときがある。幸運、不運。
波に任せるしか、仕方ないのか。

 

とは、いいつつ、実は、今朝の、ずしっとアタマが重いのには、れっきとした原因がある。
その原因は、自分で作った。自覚症状、ありあり。
で、いま、自業自得パターンに陥っている。
(これを日本語で、「反省」ともいう)
決して気分の良いものではない。
自分の落とし前は、自分でつけるしかない。

 


話変わって、・・・

いろんなブログがある。
わたしは、「好き嫌い」と、「自分との関わり濃度」で、読むブログを選択する。
こんなことがあった、こんな所に行った、毎日の犬猫、毎日の庭、毎日の道、毎日の空、木々・・・
淡々と日常のことを綴っているだけであっても、力強さをいただくブログもある。
同じ内容でも、書き方で違ってくる・・・と、昨日のブログでも書いたような気がするが、
そのブロガーさんに共鳴するかどうかで、
同じ、空の写真がアップされていても、どこか、違う。

 

どんなにキレイな写真であっても、逆に、どんなに、ピンボケ写真であっても、
いかに美しく見せるかに力を注いでいるものと、そうでないものがある。
わたしは、あまり、ごちゃごちゃ飾り立てない、素朴なものが好きだったりする。
かといって、自分はひね曲がっているので、あんまり、シンプルな、野に咲く花や、夕焼けやらばかりを
肩の力を抜いた、清らかな純粋目線で、ナチュラルに表現されても、ひね曲がり根性には、あまり響かない。

 

ああ、そうですか。
で、終わってしまう。

開拓者フロンテア精神(言語だぶってる)みたいな、飾り気のない力強いものは、好きだったりする。
押し付けがましくないけれど、芯の強いもの。
こういうのも、好きだったりする。

 

不幸ブログへは、まったく行かない。
なにも得るものがないし、不幸な因縁をもらってきても、つまらない。

 



家にパソコンがない、パソコンは使えない、
ケータイでメールが打てない、そんな人とお知り合いになった。
完璧なる情報弱者である。
が、ご本人は、いたって満足げで、弱者などとはまったく思っていない様子。
面倒なものやら、なんやら、かんやらから、ごちゃごちゃとしたものから解放され、膨大な時間も確保でき、
幸せな人だなあ・・・と、本気で(ある意味、うらやましく)思ったりもする。
多くの情報や、選択肢の中から、厳選するための、手間隙や迷いの時間も、一切ない。
いいなあ・・・

 

わずかばかりの損得に振り回されることもない。
あふれる情報のシャワーを浴び、世の中のいろんなことを知り、
チマチマと、お金や時間、人に、振り回されないで済む。
いいなあ・・・

 

情報貧乏(情報を取り入れすぎて、かえって、せせこましい人間)となりつつある、わたし。
パリ一人旅も、日本の我が家のパソコンのあるダイニングルームを一歩も出ずに、
すべて、指だけのキー操作で手配、準備した。
飛行場までの行き方、電車・バスの時刻表、空港施設内の様子も、事前にネットで調べた。
(20年前の、飛行機乗り遅れ未遂の、汚名挽回、リベンジ、トラウマ払拭のため)

これも、ある意味、なんか、恐ろしいというか、昔、昔の、SF小説みたいだ。
飛行機はもちろん、一度も会ったこともない人とのやり取り、寝泊りする所、現地で借りるケータイ電話、
などなど・・・
ステイ先への行き方、駅周辺の道も、グーグルのストリートビューで念入りにチェック、予習した。
初めて行った場所だけど、そうでもないような・・・いいような、悪いような・・・

ニセモノとホンモノが、入り混じって重なり合って、パイ生地になって一体化したような、
予習しすぎによる副作用が、現れた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


じつは、ケータイ電話で、記事タイトルを修正したら、後半の文章が消えていて、
修復、もう一度書き直す気力がなく、もういいか・・・と、ほんのちょっとだけ書き加えて、
中途半端で終わることにする。
最後は、「旅におけるニセモノとホンモノの考察」のような、つまらん、マトメ、〆があったのだが。

文字数を一定量オーバーすると、ケータイで作業すると、飛んでしまうので、要注意!
お読みになる人は、とっとと終わって、ほっとされているかも知れない。

 
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このブログのせいもあって、時間がオーバーして、ジムをさぼることになってしまった。
ジムで汗流しているのと、じっとして動かず、コーヒーやお菓子ばかり食べているのとでは、
雲泥の違い。
反省しても、もう遅い。


いつも、タイトルには非常に困っている

2012-10-24 | ブログ

今日は、ちょっと個人的なメールをしていたら、時間がなくなった。


この展開は、とても嫌なムードだ。
先週も、このパターンで、時間がなくなり、バスに乗り遅れ、タクシーもなく、
わたしは強い雨のなか、ずぶ濡れ、べちゃべちゃになり、悲惨な目に遭った。
さらに、目的の案件には遅刻し、雨と遅刻で気が動転し、アタマはちっとも回らず、悪い方向に事態は進み、
いいことは、まったくなかったのだ。


それと同じようになってはいけない、と、トラウマが、ちらちらしかけている。
アラーム、黄信号ちかちか。


 


話は、突然、いきなり変わって、
どんなブログを読むか。


ケーキが美味しい。(写真つき)
・・・よかったね。


友だちとケンカした。
・・・あっそう。


どこどこに行った。(写真つき)
・・・へー。


こんなことがあった。
・・・そうでっか。


どんなことを書いても、その切り口というものがある。
真正面から見る、横から見る、斜めから見る、中身だけをくりぬいて見る、CTスキャンする、輪切りする、
人体の科学展みたいにして見る、・・・・

この切り口は、そもそも、真正面から正確に見ることができ、さらに、次のステップに進むのが良い。
基本なくして、応用に進むのは、良くないと、わたしは考える。


なので、へんてこなことを言っている、けったいな見方をする人がいても、
その人の、モノのみる目の基準、原型は、どんなのか、というのが大事。
なにも知らないくせに、知ったかぶりをするのは、よくない。(→わたし)


それと、その人物を好きかどうかで、なんでもアリなんてことになる。
人間は、理屈ではないのだ。
矛盾して、なんぼ、の生き物だ。


ウケることだけをひたすら考えて、ネタを練る。
お笑い系じゃあるまいし、でも、それが趣味なら、どうぞ。
ウケなんか、どうでもいい。
自分が興味あることをひたすら寝食を忘れ追究して、結果が、「なんも、中身はなかったわ」でもよい。
ウケようが、ばかか、と思われようが、べつにどうでもいい。



おっと。。。どんなブログを読むか、だった・・・


考察が浅いブログは、ごてっとコケる。
いとも深そうな記事タイトルに魅せられ、読んでみると、なんじゃこりゃ?みたいなのがある。
しかも、何度も同じブログを前にも読んでいる。しかも、記事タイトルに惹かれて。


同じような年代なら、夢見る若い人じゃないんだし、まあ、こけないだろう、と思っていても、
こける。
単なる好みの違いだろう。
そんな記事も、ブログ村の人気記事の上位に堂々ランキングされている。
だから、ブログ村は・・・・
(信用できない。選択基準に根拠がない)


好みが違うんだから、行かなきゃいいのに、ついつい、行ってしまうことがある。
またまたがっかりして、落胆を再認識したくて、行く、自虐的な面もあるのか。


わたしが、キライなのは・・・(わざわざ発展的でない、キライなことを書くな、と言われそうだ)
うわすべりの、うわっつらだけのもの。表面オンリー。皮だけ。
ものの考え方、追究の仕方が違う。違った方向に向けて、エネルギーを注いでいる。
根本的に思考の違いだ。
まあ、それだけのことなんで、べつに、なんの問題もなく、なかったこととしてスルー。


日常生活(リアル)においても、そういう人種とは、深く関わりはもたない。
でも、自分と同じような思考回路の人なんて、あまりいない。
孤高の人になってしまう。(良く言いすぎ)
なので、あまり、そういうことは、生活する上では、こだわらず、ざっくり、いくべきだ。
趣味の世界で、追究すればいい。


芸術の鑑賞の仕方、哲学の仕方、そのほんの一片、そのヒントを、
シンコ弟から得た。
モノの見方、感じ方は、ひとそれぞれであって、表現の仕方も、ひとそれぞれだ、ってことだ。


モノにも、モノごとにも、人間にも、いろんな面があって、いろんな交差で、何色にも見える。
面白い。


秋深し、隣はなにをする人ぞ。
と同時に、落ち葉や枯葉で焼いた焼き芋の、ほっくり感が、蘇ってきた。
どうして、おんなは、芋タコ南京なのだろう。


 


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そういえば、いつも挙動不審

2012-10-23 | 脳内パリ

わたしは、パリになぜ、行きたかったのか?

そんじょそこらの、おねえちゃん、おばちゃんと、なんら変わることなく、
いや、もっと低いレベルで、

だってえ・・・パリって、さー、なんか、カッコイイやん

と、思ったかどうか・・・

じつは、そうではない。

わたしは、一人旅をしたかった。
なぜだか、今までを振り返ると、自分のちっちゃな人生の節目節目に、一人旅をしている。
これは、計画を立てたわけでもなんでもなく、偶然なのが、わたしの、いい加減なところだが。
偶然とはいいつつ、本人にあまり自覚がないだけで、やはり、因果関係はある。

いつも、なんでも依存性の高いわたしは、何十回と海外に行っていたとしても、
飛行機の乗り方ひとつ、知らなかった。
いつも、同行者の上着の裾を背後から、ちょこんとつまんで、うしろをついて行くだけ。
一人では、一生、行けない、と思っていたが、べつにそれでも問題はなかった。

それでも、よかったのか・・・?
そうでも、なかったようだ。

もうひとつ前の、一人旅は、もう20年以上前になるが、一人で飛行機に乗った。
が、出発で、まず、手続きの仕方を知らず、飛行機に乗り遅れそうになり、
乗り換え地点で、これまた乗り換え飛行機に乗り遅れそうになり
(緊急措置として、ミニカーで、飛行機が停まっているところまで航空会社スタッフに連れて行ってもらった
・・・ああ、親切。でも、冷や汗は、滝のようだった。
乗り遅れた場合の危機管理は、ゼロ。
誰に何をどうしたらいいのか、さっぱりわからなかった。
現地空港に迎えに来てくれる人に会えなかったら、そこで、オシマイ、強制終了)

そこまで、知らないまんま、海外に出るってことが、驚異的である、と、今さらながら自負したりする。

英語も、ひどい。
フランス語なんぞ、ボンジュールと、シルブ・プレ、だけ。

あ、その、定期的に押し寄せる、一人旅願望の波は、なんだかよくわからないけれど、
内から出るなにかに、踊らされて、操られて、行かされているかんじであって、
自分では、よくわからない。

ミーハーが、年をとって、ミーハーの上に、違う色の何かを塗ったくっているだけで、
本性は、ミーハーだろう。
パリを選んだのは、徒歩で、移動できそうだったから。
時間が余り余っても、どうにか一人遊びできそうだったから。
短距離電車(地下鉄)も使いこなせたら、どうにかなりそうだったから。

行く前に、日本で日本企業にも勤めていたことのある、パリ生まれ、パリ育ち、パリ在住の、
パリジャン、オススメの、本を買って読んだ。
「パリのルール」だったかなあ?(タイトル、間違ってたらごめんなさい)
けっこう、文字数は少ないが、濃かった。
それよりも、シンコ弟の書くフランス事情、とても面白くて、ニッタニタだ。
シンコ弟、そっちの方面で、本が書けるかも?
楽しみが増えた。

「それでも住みたいフランス」という本も買ったが、まだ実は、四分の一しか読んでいない。
じっと定位置を動かない、お利巧で、静かな、反応のない文字、キライかも?

・・・・・・・・・・

まあ、今日は、例の大義名分である、時間制限があり、ノッてきたが、そろそろ時間切れになってきた。
明日も、このノリが続くかどうか。
定かではない。

あきらかに、書き足りない。



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卑怯な大義名分

2012-10-22 | 日々のこと

シンコ弟も、無事、平常生活に戻ったようなので、姉のわたしは、遠くから見守ることにする・・・

さて、・・・

昨日は、小説の続きを書いた。
ここのところ、週一ペースで、書いている。

内容が、けっこう、ひどい。
そもそもエッセーもそうだが、小説も、自分が気持ちよくなれる、ハイになれる、うっとりできる、
そういう状態に持っていくための、サプリメントか点滴みたいな役割を持つのではないかと思っているのだが。

その目的をまったく、果たしていない。
逆である。
なぜ、こんな内容を延々と書くのだろう・・・自己分析に苦しむ。
こんな人間になりたくない、という、そんなものでもない。同じ価値観の中に位置していない。
こんな人もおらんやろ・・・でもない。
なぜなら、登場する一部の人は、実在の人物なので。

人間の本性なんて、一皮むけば、皆、同じ・・・ってことが言いたいのか?
上品ぶっても、カシコぶっても、正論を主張しても、清きことを言っても・・・

逆に、これ以上エグイ人はいない・・・と思えるほど、えげつない人は、それは、本性なのか?
いい部分もあるのか?
育ちや環境のせいで、そうなったのか?


などなど・・・
まだまだ、書きたいことの、助走部分なのだけれど、
哀しいかな、今日は、時間がない。
月曜の朝は、ここまでが、限度。
昨夜、書いて、朝、アップすればいいのだろうけれど、
そういうものでもないのが、わたしの、中途半端な脳・機械。

・・・・・・・・

「シンコペーション」という概念、もっと、勉強してみよう。
でも、きっと、玉ねぎの皮、外側と同じで、
剥いても剥いても、中心の真ん中に何かがあるわけではなく、
皮そのものを食べるように、

勉強したり、研究したり、分析したりすると、
どんどん、シンコペーションから遠のいていきそうだ。

今朝は、ここで、時間はもう限界!(限界を10分超している)
時間がないってことは、とても、いい言い訳になる。


 

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あふれる涙は、カスピ海より、しょっぱい

2012-10-21 | ブログ

仏・乳兄弟が見つかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦渦をくぐりぬけつつ、必死で探していたが、行方がわからなかった。
遺体なきまま、葬儀も執り行った。
その後に、彼の、愛用のABCマートの靴の片方と、いつも着ていたユニクロのスパイダーマン・コラボシャツが、
パリ郊外の廃墟となった建物の中で見つかった。
悲しみに暮れ、乳兄弟を想って流した涙は、琵琶湖になり、やがてカスピ海となった。

ところが・・・あやつ・・・、おったんですわ。いてはったんです・・・。

何者かに連れ去られ、アマゾンの奥地に逃げ隠れていたところを探検隊に見つけられ、無事、保護された。
オオカミ一族に、オオカミ少年として育てられ、立派な四足歩行のオオカミ成人となっていた。
しかし、オオカミは、アマゾンに生息してしているのか?
もっと、寒い地域じゃなかったんですか?
記者会見での、週刊朝丸の記者のするどい突っ込みに、しどろもどろ、宙に浮く目。

じつは、アマゾンのあと、養子に出され、イヌイットの一族に引き取られていた。
そして、彼は、狩を覚え、3キロ先のアザラシも、一発の銃弾で仕留められる腕前を持つようになっていた。

テレビで報道されている彼の姿を見て、驚いた。
アザラシの生肉を、口や手を真っ赤な血で染めながら、むしゃぶりついていた。
ああ、まるで、昨夜、見たテレビをそのまま、ぱくっているかのような光景だ。

オオカミ少年が、オオカミ青年、そしてイヌイット熟年となった乳兄弟と、わたしは劇的、再会を果たした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼は、なぜか、絣((かすり)のアンサンブルに、まんまるメガネをかけていた。
これから、仕事は二足のワラジだそうだ。
昼は、狩、夜は、作家。原稿はインターネット送信。

原稿料は、バルタン星に、寄付するらしい。
地球生活を送ったあと、リタイア生活は、バルタン星で送ろうと、
地球に潜入していたバルタン星人の、きらきらお目目のフィアンセと固く約束しているそうだ。

このバルタン・フィアンセは、あくまでも、きらきらお目目ではあるが、要求は、けっこう厳しい。
その実体は、・・・
彼が、水平線に落ちようとする真っ赤な太陽が、しわしわタクワンの如く黄色く見えるほど、
へろへろになるまで、骨と皮になるまで、最後の一滴まで、全てを吸い尽くすバンパイアだった。

乳兄弟よ、はやく、逃げて!!
そして、そんなところに行かずに、地球で、原稿を書いて、おくんなまし。

乳兄弟の身を案ずる、知(痴)を分けたわたしは、こころの底から、
純真に、、、、、
いっさいの打算もなく、願うのであった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつも、訪問していただいている皆様へ


なんのことだか、さっぱりわからん、と、お怒り、ため息、ブーイングの嵐・・・

すみません、死んだと思っていた仏・乳兄弟が、生きて発見されたものですから、
舞い上がってます。
得たいの知れない病に、感染しています。
いましばらく、治療に専念いたしたいと思います。
悪しからず、ご了承ください。

次は、ちゃんとしたリアルな路線で、参ります。きっと・・・。 
お見捨てなきよう、よろしくお願い申し上げます。


あくまでも、小市民であるわたしは、ツライ・・・

 

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全然、関係ないけれど、・・・わたしは、イケメンより、味のある顔のほうが好きである。
なんでか、わからないけれど。
わたしの美に対する感覚が、人とズレてるのだろうか・・・・・
いや、顔の表面の奥にある顔を見るからである。