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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

泣きたいのは、こっち

2021-09-19 | 子育て
昨日のブログに書いた、ギャン泣きベビーと少し遊んで、家をあとにした。
ギャン泣きちゃんは、今日はちょっとはマシ。
泣かない時は、いっときも止まることなく、手足をばたつかせていた。
のほほんとする瞬間がない。
たった生後2ヶ月でも個性があるようだ。
夜は寝ると全く起きない。
なんとオン、オフ、わかりやすいメリハリ。

それにしても、子育ては大変だ。
自分ながらよく3人も育てたものだ。
若いから出来たのだろう。
今なら、ギブアップ、中途リタイア。
子供を育てるより、自分を育ててやらないと、へなへなになっている。

赤ちゃんから子供に、子供から大人になる時期は、成長期。(思春期、含む)
大人から老いるまでは充実期。(子育て期、含む)
老いてからは、自分を終わらせる終末期。

子供を育てた後も、自分もまだ成長し、さらに充実しながらも、先は終末を視野に入れる。
視野には入れるものの、わたしは今は終末期ではないようだ。
ではあるが、子供を育てるエネルギーよりも、自分を持ち越す、維持するエネルギーのほうが大きくなってきそうだ。

自分が成長する時期は完全に終わったと感じる。
これ以上、伸びないので、負荷もかけられない。
負荷を乗り越えるどころか、負担となる。
なので、ギャン泣きベビーは、必ずしも世話しなくてもよい、というわたしの勝手な論理。
役に立たなくて悪いなあという、後ろめたい気持ちになる必要はない。
頑張れる人、頑張るのが好きな人、頑張るのが生き甲斐の人は頑張ればよい。
わたしのように、頑張るのが苦手な人は、自分を押し殺し、ねじ伏せてまで、頑張らなくてもよい。

次女が育児ノイローゼにでもなったなら、あるいは、なりそうなら、頑張って世話する。
が、今のところ、大丈夫そうなので、見守るだけにさせてほしい、、、。
頑張れないばあちゃんからの、お願いです。


ギャン泣き孫の子守、無理

2021-09-18 | 子育て
次女。一日中、子守。
よく鬱病にならないなあと思うぐらい、根を詰めている。
ずっとずっと世話をしている。
赤ん坊が眠る時も身体の上に載せていたり、抱っこしたままだったり。
(夜はしっかり朝まで寝るようだが)
この赤ん坊、悪魔の落とし子で、ギャン泣き、ギャンギャンギャン。
シグナル発信として普通に泣けば周りはわかるのに、すごい声で泣く。
一体、何事が起きたのだろう?大事件?大事故?大惨事?断末魔の叫び?というような声。
ギャアーーッ!

しかし、こんな迫力ある声を出せるのも能力の一つだろう。
充分、武器になる。
人を意のままに動かせるマインドコントロールだって出来る。
強力なツール。
ちょっと知らん顔、スルーするだけでギャンギャンギャンと力の限り泣かれるため、ご近所から虐待を疑われる可能性もある。

このギャンギャンギャンは、抱っこするとおさまる。
おさまらない時は、眠い時。こればかりはどうしようもない。
打つ手なし。
ひたすら泣き続ける。

眠い時と空腹時以外は、一応、抱っこさえすれば泣き止むという、非常にわかりやすい欲求をギャン泣きで表現する。
わかりやすいのではあるが、四六時中、抱っこしろ!という要望は無謀である。
ちなみに、わたしの子供たちは、大変大人しく、2歳になるまでは何の問題もなかったので、まだ首も座らない赤ん坊に手がかかる状態が想像できない。
次女が大変な目に遭っているのに気持ちをシェアできない、感情移入できないのは次女がかわいそうなので、理解しようと頑張ってみるのだが、、、。
赤ん坊は十人十色で、自分の子供がやたら大人しかったからといって、他の赤ん坊も大人しいものであると決めつけるのは良くない。
なので、孫はわたしの子供たちとはまた別のようで、何しろ手がかかる。
一日中、抱っこしている次女がかわいそうになる。
替われるものなら替わってあげたいのだが、あのギャーギャーギャン泣きは、わたしの脳波をMAX乱す。
た、す、け、てーーー!
こっちが、ギャーー!!となる。

なので、わたしの精神的被害が大きすぎて、替わってあげられない。
役に立たない、頼りにならない、ばあちゃんである。

もし、何か特別な事態にでもなればお手伝いや協力は惜しまないが、平時では避けた気持ちだ。

ということで、子守サポートはちゃんと出来ていない。
わたしはあまり無理をしない主義なので、出来ることしかしない。
自分が鬱病になってまで、人助けをしない。
期待されてないと思うが、落胆しないでね。
自分が潰れたら元も子もない。

眠いので、もう寝ます。


暑い暑い夏休みスタート

2021-07-21 | 子育て
「18:30お迎え行ける?」
長女からのLINE。
孫、下2人、保育所組のお迎え要請が突然あった。
行ける状況だったので、長女宅経由でベビーカーを持ち出し、あたふた保育所に向かった。
この(長女宅に置いている)ベビーカーは、携帯重視の小ぶりタイプで、前には3番目孫のお迎えの時に使っていた。
3番目孫は、このベビーカーを見ると自分が乗っていたその時の様子が瞬間的にフラッシュバックし、自分が乗ると主張する。
駄々をこねる。

前回の雨の降る日、「これは下の妹(1歳)用だからね」となだめてもギャン泣きして、家に帰らないと言い出された。
またその展開かとひやひやしたものの、今回はベビーカーを押したいと言う。
保育所からの帰り道は、坂道なので、彼女(3番目孫、4歳)の運転に任せるわけにはいかず、またまた一悶着。

どうにかこうにか長女宅にたどり着き、鍵を開けてみると、上2人の兄ちゃんたち(小学生チーム、小1と小3)は爆睡中。
なかなか起きない。
そうこうしていると、1番下(1歳)がお腹が空いて泣き出す。

食べさせるものはあるのかな?と、キョロキョロしたらバナナがあったので、やれやれ、、、ではあるが、他の子も、もう夕食の時間。
兄ちゃんたちは、起き出し、お腹が減ったという。
長女からは何の連絡もなし。
ピピピと炊飯器の音がした。
ご飯はタイマー予約されていたようだ。
ご飯だけは確保されたものの、オカズがない。連絡もない。
それより、わたしが突然、激しい空腹に見舞われた。(腹痛でないところが喜劇だが)
どこを探してもわたしが食べるものがない。
ぎゃーぎゃーわめく子どももさることながら、わたしも、ぺこぺこへろへろ。
それ以前に、家、めちゃくちゃ暑い。
よくこんな暑いところで居るなあ、と。
後から汗は引いたものの、汗がだくだく、ぽたぽた。
食材はないのかと、長女にLINEすると、冷凍庫から適当に出して使って、とのこと。

ハンバーグを出そうとすると、下から2番目の複雑なお年頃孫が、ハンバーグは嫌、チーズ入りフライがいい、と、うるさい。
それより、1歳児、ギャン泣き、本泣き。
バナナを食べさせながら、ハンバーグを用意し、野菜を電子レンジでチンして、、、
下から2番目には、「ママが良かった」と泣かれ、
上2人からはお腹減ったと急かされ、
1番下はバナナごときではおさまらず、ギャン泣きはさらに本格的に。

下から2番に、「ハンバーグ嫌、ばあちゃん嫌い、帰って」と言われ、
わたしは「ばあちゃんは1番下を連れて帰る!」とキレかかると、上2人に、「お腹減った、ばあちゃん帰らないで」とせがまれ、、、
ミルクを用意した1歳児は、すごい勢いでミルクを飲み干し、とても足りない、とギャン泣き更に続行継続。 

もう、何がなんだかわからなくなってくる。
お皿はどこ?
サランラップはどこ?
お箸はどこ?
1歳児、首ツッコミ体勢で、勢い余ってミルクこぼしたけど、タオルはどこ?
どこどこどこ?

人の家は、よくわからない。
電子レンジの使い方ひとつ取っても、やり方が違う。
同時、四人の四重奏がガンガン鳴り響く中、汗だく。
自分のお腹が減ったどころではなくなった。
娘からは相変わらず連絡はなし。
指示待ちは、許されないようで、自分で考えて自発的に動かなければならない。
うちも、じいちゃん、仕事から帰って来るんですけどーー。
じいちゃんにご飯の用意しないといけないんですけどーー。

なんやらかんやら、食後のオヤツタイムまで無事終了して、パパが、やっとこさ帰ってきて、20:30には、やれやれ、解放された。
ああ、しんど。
娘は、お迎え要請がばあちゃんオッケーだった時点で、少し遅くなるのではなく、思いっきり遅くに帰るつもりにしたようだ。
子どもたちはどうにか切り抜けたようなので、もう急ぐ必要もないと踏んだと見た。
確信犯。
パパ、ママ両方、お互いに相手がやってくれそうなので、自分はゆっくり帰宅。
両親のどちらか一人の相手ではなく、対応は、ばあちゃん!!だ。
まあいい。
そういう日もある。

いや、たまたまではない。
昨日は小学校は終業式。
今日から夏休み。
そう言えば、夏休みは週に2日間は、ばあちゃんちで預かるんだった。
考えただけで、暑苦しくなってきた。


仕事と子育ての両立

2021-07-18 | 子育て
娘たちの仕事関係のことを聞いているとアタマが痛くなった。
わたしには到底出来そうもない。
だからとらいって、子育てサポートは引き受けるから、仕事に全力投球してちょうだい、とは、言い切れないわたし。
LINEでのやり取りも、無難なものに落ち着く。
受け皿を用意しないで、どんどん飛躍させるのはいいが、跳び上がった後のフォローを誰がするのか。
昔の大黒柱システムならどうにかなっても、幼い子供をたくさん抱えての全力以上の仕事への取り組みには、応援したくても手が緩む。
娘婿も共働き、イクメンを全力でやってもフォローしきれないだろうから、結果的には親元にしわ寄せが行くとすると、、、。
どちらか一方が仕事を辞めて専業主婦(夫)にならざるをえないか、あるいは、子育てを諦めるか。
もう子供は既に存在するわけだから、産む前に計画すべきなのだろうけれど。
厳密に念入りに緻密に計画しても、その読み通りに行かないこともある。
ある程度、場当たり的な流れや勝負も必要になってきそうだ。

子育てか、仕事か。
身を裂かれる思いで仕事をしている人、子育てをしている人も大勢いるだろう。
そんな思いはしたくない、手枷足枷が嫌だ、と、子供を作らないとしたら、、、。
少子化は自己実現の成れの果てか。
何かを達成するために、何かを犠牲にする。
子育ての代わりに、介護というのもある。
が、介護はお金でどうにかなる。(例外もあるとしても)
しかし、子育てはお金の力を借りたとしても、お金だけだと、あきらかにマンパワーが不足。
次世代を担うまでのプロセスはかなり重要だ。

と、アタマではわかっていても、理想と現実はシーソーゲーム。
個人差もあるし、さじ加減も難しい。

と、死にものぐるいで必死になって子育てに専念したことが成功するとは限らない。
親が仕事と子育ての間で苦悩するぐらいのバランスが案外良いのかも。
とは言え、自由時間、プライベートタイムも確保したいし。
仕事オンリーの人は、寝ずに仕事するのか。
わたしの両親は高度成長期を支えるモーレツ(死語)世代だったので、ほぼ休みなく仕事だったが、その背中を見て育ったわたしが、こんなサボりなんだから、なんとも言えない。

仕事も家庭も子育ても、混じりに混じって人生、味が出るのではなかろうか。
応援はするが、わたしは自分の身体を削ってまで無理はしない主義。
無理をして自分の器を大きくする成長期は遠に過ぎた。
それで身体を壊したりすると、サポートする側からサポートされる側に転じ、娘たちに逆に迷惑をかける。
というか、(一緒に旅行したりすると)、余計なことはしないで自分のことは自分でしてね、と娘に釘を刺されている。
自分の能力を考え、出来る範囲内で協力する。
そこそこ、望みの第二志望ぐらいが叶えば御の字だ。


ちなみに、一番上孫。
家で電子ゲームをさせてもらえない。
小学校の同級生たちは、ゲームで遊んでいるが、話題に付いていけないようだ。
母親(長女)はTVに対しても厳しい。
うち(ばあちゃんち)に来たら、微動だに身動きもせず全身全霊でTV子ども番組を見ている。
あの集中力を勉強に活かせたら、それはそれは優秀な子供になるのだろうが、わたしの孫なので期待するほうがマヌケである。
が、退屈しのぎにダラダラ見ないところは、わたしは悪くないと思っている。

話は元に戻る。
娘の仕事も応援したいが、まあそこそこで手を打つのは、なにも負けたことではない。
多大な犠牲を払って手に入れたいことかどうかは、娘の胸に聞くしかない。



元教育ママゴン

2021-02-24 | 子育て
楽しいのは、どんな時?
わたしは、自分が楽しめる文章を書いて、何度も読み返してニヤニヤしている時が、愉快。
外から見ると、最高に不気味だろう。
究極の1人遊び。
自分で作って、自分で遊ぶ。
友達がいなくても平気。なんともない。
とか言いながら、寂しがりなんだけど。

姉は小学生の時、友達がいなくて、休み時間は図書館に籠っていた。
図書館中の本、全部を何周も何回も読んで、読む本がなくなっていたそうだ。

わたしは、、、と言えば、小学4年の頃に友達と家に集まり、GS(ザ・タイガースのファン)のレコードを聞いたりして、担任の先生に呼び出されて注意を受けた。
そういうのは、ダメなんだそうだ。
変なのー、先生、なに言ってんだあ?と思いつつ、まじめに素直に先生の指導に従った。
不良になるかも知れない芽は、早くから摘むのだろうか?
レコードで不良になったら、えらいことだけど。
ミュージシャンは不良の成れの果てなのか?

最近、髪の毛の色が茶色なのは、教育指導上、良くないから染めろ、と学校に言われ裁判を起こした女子生徒がいる。
髪の毛の色が天然か否か?が裁判の争点?
半世紀も前、わたしが高校の頃は公立校でも私服、私立でも私服の学校があった。制服でもオッケー。
経済的ゆとりのない家庭の生徒は、制服を着ていたそうだ。
それと、ダサい子。服を選ぶセンスが欠如しているため、制服。
あと、「ダサい」など価値観の範疇に存在しない、ダサいセンスの子も私服。
こっちは、貧富の差は関係なかった。
高校の時から私服だった子は、大学で一斉に皆んなが私服になると、すでにセンスが洗練されていて、ひとつアタマ、抜きん出ていた。
制服校出身の子は、初めての私服通学なので、最初は服選びに戸惑ったようだ。
だが、その後の歩みでまた変化する。

わたしは制服校で良かった。
私服は、なにかとめんどくさい。
学校に行くまでの時間を服装選びで煩わされるのが目に見えている。
こんな年齢になっても、行き先はスポーツ系でも、UNIQLOヘビーユーザーでも、悩むのだから。
(ただし、UNIQLOはアウターには着ない主義)

半世紀前の当時、私服の学校は問題があったか?
私服オッケーなのだから、髪が肩にかかると束ねろ、なんて校則も当然存在しない。
ガチガチに縛り付けるのが教育指導だとすると、自由な学園に転校させたい。
と言っても、今のわたしにはそんな年齢の子供はもういないが。
孫たちは公立校。その後はどうするのか知らない、関与しない。
わたしは教育ママゴンだったが、今の教育はまた違うようだ。
子供3人を全員、東大理3に入れた母親の本がベストセラーとして書店に平積みにされたものを目にした。
その類は昔からあり、現在、精神科医?として活躍されている人のお母さんも過去に書いていたような、、、。
今回、(表紙だけ)目にした本は子供3人とも同じ大学、同じ学部ではツマラナイかも?
偏ってないか?
と、捕らぬ狸の皮算用。
そんなこと言ってる暇があれば、週末に控える案件に向かって整理整頓、掃除でもすれば?と、自分に言われそう。

「自分のことだけしてね」と、身近な師(長女)に言われている。
これは、人の役に立とうとして失敗してかえって迷惑をかけるな、という意味。
器以上のことはするな、無理はするな、ということだろう。

「人のことはいいから、まず、自分のことは自分でしてね」
なかなか良い大人に成長してくれた。
乳幼児を含め4人も子供を抱える、猫の手も借りたい多重タスクの渦中の長女に諭されるなんて、、、ねえ、、、
期待されない身の軽さ。
でも、あちこち目移りして気が散って、自分のことぐらい、、、が、なかなか出来ないものである。

えこひいき

2020-07-15 | 子育て
「あなたは母親を大切にするのよ。
母親を愛しなさい」

わたしの長女は、彼女の幼い長男Aを抱っこしてそう語りかけていた。
彼はまだ乳児の時だったので、言葉の意味は通じていないと思う。
わたしは、おもしろいことを言って聞かせているなあと、興味深く見ていた。
わたしは、そんなことは子供には全く期待していなかった。
ただただ安全に事故のないよう、目の前の日課をこなしていくのに精一杯だったように思う。

その長男Aは今では小学2年生。
まあ母親にキツく怒られている。
みっちり管理されている。
わたしは、この孫Aが一番好きなのだが、長女に「おかあさんはAに甘すぎる」とお叱りを受ける。

いや、そうでもない。
母親がキツイからちょっとかわいそうになる部分もある。
それと、この孫A、「こんな大人、いるよなー」の典型のようで味がある。

トランプなどのゲームではズルをする。
(負けず嫌いの露見方法が悪い)
食べ物は1ミリでも大きい多い方をいち早く取る。
怖がり。
遊びの中で、誰がどう見ても弟Bに理不尽な要求を突きつける。
弟に口でダメなら手が出ることもある。

1歳7ヶ月年下の弟Bは、これまた不甲斐ない。
嫌なら意思を示せばいいのに、ビービー泣きわめくだけ。
目で訴えて大人に助けを求めてくる。

母親はこの弟Bが好きのようで、いつも庇っていたり、点数が甘い。
わたしの好みとは逆だ。
わたしは、この弟Bを見ているとイライラする。

反逆しろ!
叩き返せ!
踏み返せ!
頭突きしろ!

そう思うが、泣きわめくだけ。
身体もだんだん兄弟間でそれほど大きさも違わなくなってきているのだから、一方的に負けることはないと思うので、反逆してもよさそうなもの。
弟Bは優しいのだが、弱い。
しかも、へんに気難しい面があり、こじれると超めんどくさくて、わたしの神経に障る。

好き嫌いは相性なのだろうか。
だが、兄Aはあんな風だと外で友達と仲良く遊べないのではないかと心配する。
しかし、頭隠して尻隠さずの兄の悪事の数々は、知恵がなくて単純で、じつにおもしろい。
大人になると、内面は悪いヤツでもカモフラージュしたり作戦を立てたり、なんらかの策を練る。
だが今はまだ、そのままストレートに姑息な面が丸出しなところが、わたしの目には可愛く映る。
ただ、あのまま大人になって、「子供の時からそうだったよね」なんて言われかねない。
兄A=ねじれ曲がっていない、純真なワル。
弟B=ねじ曲がった、純粋な善人。
どっちもどっちか。
ちなみにわたしは、ねじ曲がったワル。
オーマイゴッド、、、

弟Bは成長して戦略で兄に勝って欲しい。
兄Aも成長して、負けたらそれを克服してほしい。
年齢が近い同性の兄弟は何かと目の上のタンコブなんだろうなあ、、、

これに気のキツイ、アタマがよく回る妹Cがいる。
これにさらにもう一人加わるとどうなるのか、、、

「お孫さん、可愛いでしょうねえ」
と言われるが、可愛いことには違いないが、ややこしい。
巻き込まれると頭から湯気が出る。
長女も時々、鬼のようになっているが、みんな喉元過ぎれば熱さ忘れる。
自分もそうだったように。
衝撃的なことや自分に都合のいいことしか覚えていない。

と、ここで、蛇足。
全く話の次元はころっと変わる。

認知症ケアはその点、報われないと感じる。
認知症の当人は、悪い感情しか残らないそうだ。
脳は正常に働くとは限らず、意のままに制御出来ない。
が、正常人は無意識でコントロールされているのだろう。
自分の記憶や感情も、客観的事実と照らし合わせて整合性をチェックすると、正確な時もあるし、メチャクチャな時もあり、あてにならない。
あんまり突っ込んで追求しても、意味があるような、ないような。
おヒマならどうぞ、というかんじか。

理屈や理詰めでは解決できないことがいっぱいある。
科学の力に頼り過ぎても、良いとは限らない。
何が何でも、、、なんてことは、徒労に終わることがある。
が、そういうことが好きな人は、一生、徒労を享受するのだろう。
それはそれで、その人にとっては満ち足りた一生だ。

で、またまた話が元に戻る。
うんざりされた方はお見捨てください。

孫Aは中学からは私立学校向けかなあと、なんとなくぼんやり思う。
孫Cは、公立学校かな、と。
孫Bは経過観察というところか。
色々条件もあり、選択肢はあるようで、ないようで、あるようで、、、

子供の教育は難しい。

何がなんでもイヤ

2020-07-08 | 子育て
昨夜未明から早朝にかけて、バケツの水を窓に何度も思いっきり叩きつけられるような暴れ雨。
怖くて睡眠不足になった。
もっと激しい豪雨による災害に見舞われた地はさぞかし恐怖だった事だろう。

さて、いきなり、話はコロっと変わり、、、

一生懸命にガムシャラに頑張って得た成果。
それには飛び上がらんばかりに狂喜する。
だが、見合う評価が伴わないと不平不満が生まれる。
やる気をなくす。

大概は、頑張る→成果→評価→頑張る→成果→評価→∞
時には、伸び悩むこともあり成果に陰りが出る。
スランプ。
また頑張って乗り越える。
継続は力なり、なんてことが言われる。
そうやって人は成長する(ようだ)。

わたしは、全然だ。
残量99パーセントを残したまま、ぐーたらしている。
この状態が小学2年孫Aに、そっくり。
彼の宿題をしない姿勢とまるで同じ。
あり余る時間を持ちながら、刻一刻と残り僅かになった宿題タイム持ち時間を無駄に費やしてしまっている。
最後の最後まで時間を使いきり、あらん限りのエネルギーを宿題をしないことに使い果たす。
ついに宿題をしないままにタイムアウトとなり、母親にしこたま怒られている。
重い罰則も与えられているが、泣いて喚いてあがき抵抗する。
ちょちょいのちょいと、彼の力量の1パーセントにも足りるか足りない程度のエネルギーで、その宿題はこなせる。
あの嫌がり方、抵抗は何なんだろう?
嫌なものは嫌!!テコでもしたくない!!というものか。
厄介な時期である。

誰にもそんな時期はあるのだろう。
息子にも、頭が痛い時があった。
孫Aと似たような年頃。
当時、息子はマヨネーズが大嫌いで大の苦手。
何が何でも食べない、食べられない。
実母は、好き嫌いの芽は幼いうちから摘まなければならないという信念、使命感を持ち、否応なく力づくで羽交い締め状態で、床に幼稚園児を引きずり回してまでも、嫌いなものを食べさせようとした。
あの母、毒親だ。
自分の子供たち(わたしたち)にだけ毒親ぶりを発揮すればよいものを孫にまで強制措置は及んだ。
わたしは、あっけにとられてポカンと見ていたのではなかろうか。
(洗脳DVの結果の無抵抗ではない)
よくまあ人の子供(=孫。しかも他人の血が混じっている)に、日頃育てているわけでもないのに、手を出し足を出し、何の権利があって、、、と。
動物園で檻の中の動物がケンカしているような光景か。
別に母を止めるわけでもなく、ただただ茫然としていた。
ああ、この母、、、オーマイゴッド。
こういう動物に育てられた狼少女のわたしは、理性のカケラもない反面教師を目の前に、自分の道を歩いたんだろう。
(多少、自虐脚色、入ってます)

嫌いなものでも食べなければいけない。
NHKテレビアニメ「忍たま乱太郎」に出てくる「食堂のオバチャン」の決め台詞「お残しは許しまへんでぇ〜」
あれそのものであるが、悪いことは言ってないと思う。
この方針。

ちなみに、話が途中で逸れるが孫Aは、何でもかんでも嫌いなものでも全て食べる。
かなり親の教育が行き届いているように思う。
食べない時は病気の時だけなので、体調管理のバロメーターになる。

と、それはさておき、、、
息子は(彼の祖母からの)虐待にも近い体罰を受けながらも、マヨネーズは断じて口にしない。
たぶん、マヨネーズを食べないことが許されないのではなく、マヨネーズがかかっていた食べ物を食べなかったから母は根性を叩き直そうとしたのではないかと想像する。
母は、言って聞かす理詰め説得タイプではなく、口より先に手が出るタイプ。
主張は悪くないが、方法が悪い。
母は考える葦ではない、直情型野蛮人そのものである。
(機会さえあれば噴き出す、いまだ癒されぬ傷を持ち続ける怨み節、、、)

息子はマヨネーズが大嫌いだったが、地域の子供会でイベントがあった時に、マヨネーズが入ったハンバーガーを食べる機会があった。
それを食べられなくて、さらに、店員さんに「マヨネーズ抜きにして下さい」と要望を言えず、にっちもさっちも行かなくなっていた。
わたしが関与しない事なのにピンチに陥るといつも「お母さんのせい!」と言ってありったけの不満をぶつけてくる。
ぼかぼか足で蹴ってくる。
家庭内暴力の小さな芽?
小学1年から2年ぐらい、ずっとややこしい時期だった。
反抗期なんだろう。
とても鬱陶しい時期で困っていた。
子育てでもっと苦労されているお母さんから見ると、取るに足らないようなレベルだと思うが。

その当時の息子の姿と孫Aが重なる。
心身の成長過程で自分ではコントロールできない何かに反抗しているのだろう。

パイプにモノが詰まったような状態で、水がジャーっと流れず、四苦八苦。
流れないのに更に続く圧力。
詰まったモノが溶けるか分解されるか、はたまたパイプが太くなるか、しばらくは水を流さないか、なんらかの変化が生じたら、また元のように流れるようになるのだろう。
そうでなければ、壊れてしまう。

誰にでも成長期には色々ある。
孫Aも宿題をまともにするには、1年ぐらいはかかるかと思う。
コロナ自粛で3ヶ月も学校が休みだったから、子供たちもストレスが溜まっていることだろう。

逆に息子は、勉強は何の抵抗も摩擦もなく素直にすんなりスラスラ行った。
人には人の、子供には子供の特性があるようだ。
脳の中身が少しイビツなのは当たり前。
ましてや、子供。
1年に10センチ以上背は伸び、目に見えて体は大きくなり、成長しているプロセスには、いろんなラグみたいなものがあるだろう。
無いほうが恐ろしい。

娘も娘婿も根気よく感情に左右されず子育てしているのを見ると、頭が下がる。
サジを投げて甘やかすほうが、ずっと楽だ。
いやはや、負うた子に教えられ、である。



権力の味

2020-05-22 | 子育て
5歳の孫B。
彼は昨日、武器を携えてきた。
彼の武器は、歯ごたえのあるお菓子のグミ。

Bは、1歳7ヶ月離れた、小学2年生の兄Aがいる。
そして、3歳離れた妹Cがいる。
兄Aは、我々にとっては初孫、わたしの長女夫婦にとっては初めての子供だった。
大事に扱いすぎて、一人っ子のような長男A。
さらに、男、男と続き、待望の女の子である3番目の孫C。
このAとCに挟まれ、しかも次男。
兄妹間においての位置は想像の通り、厳しいものがある。

ちなみに、わたしの子供は年子で3人、Bと同じく上下に挟まれ真ん中に男の子がいた。
下に妹がいたのも同じ。
上が女の子(長女)であったところが大きく違うところだった。
すぐ上に姉、すぐ下に妹に挟まれていたが、舅姑たちが待ちに待った待望の男の子だった。
生まれた時から大歓迎ムード、何をしても、何をしなくても、目に入れても痛くないほど愛されていた。
誕生の瞬間から既に大きな愛を周りから注がれていた。
(愛は期待とセットになり、後に彼はそれが重圧となることが予想される)

と、Bは同じ第2子で男子という条件は変わりはないが、たった一人の男の子なのか、2番目の男の子なのかで随分違う。

しかもBの兄は、かなり性格が悪く、悪政を強いる。
自分勝手な振る舞いをするし、弟が従わないと強引な手段、方法、時には暴力で強行する。
いつもBは、訴えるような目で涙をポロポロ流し大泣きして、周りの大人に訴えてくる。
わたしはそれが可哀想に映るのではなく、不甲斐なく映ってしかたない。

不条理の解決を大人にしてもらうのではなく、自分で兄にぶつかっていけ!と思うのだが、ただただ泣くだけ。
5歳と7歳の兄弟。
やり返せ!兄に向かって行け!
と思うが、いつも泣くだけのBに切なくビービーメソメソ泣かれるとイライラする。
(わたしの真ん中子供は、そんなことはなかった。
上は姉だったし、リーダーシップを取ってきょうだいを引っ張って行っていた。
Aは、リーダーシップゼロの暴君。悪政に苦しむB。弱すぎる、、、)

Bが、もっと小さい時、娘婿(Bの父親)が、「Bは高校を卒業したらとっとと家を出て行くような気がします」と言っていた。
妙に納得した。
兄Aは、いつまでも実家に居そうだとも。

何しろ、悪ガキAを兄に持つBは、残念で弱い日常を送っているのだが、、、。


これは前書き。
Bについてのそれまでの説明であり、ここからが、本題である。

昨日、Bは、自分専用のお菓子のグミを持ってきた。
最近自分に与えられたものを取っておいたものだろう。
おそらく、兄Aはとっくに自分の分は食べてしまっていると思われる。
あるいは、兄Aが納得する条件のもとで与えられたものかと想像する。
特別な権利があるグミである。

オヤツは一つ、と親に厳しく言われているせいか、わたしが食後のデザートパフェを用意したのに、要らないという。
今日はグミを食べるから、パフェを食べたらグミ権利が剥奪されると危惧したのだろう。
食事時だけ横にいた長女(Bの母親)に、「パフェもグミも食べていいよ」と言われ、それならと安心してパフェを食べていた。

グミを持っているBは強い。
威張るわけでも、卑屈なわけでもなく、何かにつけ、グミを引き合いに出して交渉しようとする。
いつもより堂々とし、なにかしら威厳さえ感じる。
自分に有利になるためのカードとしてグミがBに力を貸してくれる。

「そんなことしたらグミあげないよ」→駆け引き、強要
「グミあげるから〇〇して」→依頼
「グミあげてもいいよ」→余裕、優越感
「グミあげようか?」→親切心
「さあグミ食べようか」→提案、主導権

グミはお金と同じ?
石器時代の石の貨幣の役割?
交渉を有利に進める切り札?
権利、権力を使える魔法の杖?

Bは決して権力乱用はしていなかった。
優しく大切に丁寧にグミを扱い使っていた。
自分も食べたいし。
ただ、一袋にグミは10粒以上入っているので、食べるタイミング、グミ権力の使い方、配分は、Bの采配にかかっている。

話は変わるが、小学生になると一定のお金を持たせて投資スキルを磨く勉強をさせる教育もある。
日本ではまだあまり浸透していないようだが。
お金は悪いもの、悪用につながると見なされているからだろうか。
実際のお金ではなくても、自分の等身大以上に味方してくれる力を使える、、、
ただし、この魅力にはまり過ぎると犯罪に走ったり、嫌な人間になったり、、、と良くないが、良い方に使う、使い方、効果を実感出来るといいなあと感じた。

不条理を恨めしい目で泣きながら訴えるより、自分の力を別の形で行使できることに目覚めると、次の発展につながるだろう。
弱い立場を知恵を使って克服し、さらに成功への階段を上る、、、
うまく繋げられたらいいが、、、。
またまた根性悪のA兄に悪どくやられないか心配であるが、A兄の存在は一生付いて回りそうだ。
悪ガキA兄は、周りの大人にコテンパンに非難されても落ち込むどころか、へっちゃらなところが、That’s why A is.である。

まだ成長過程のAB兄弟。
これに強烈な無敵の妹がいて、これまた一人天下。
さらにまた下が生まれると一騒動は間違いない。


だが、大人になってからまた位置関係、力関係が変わることもある。
わたしの兄は、姉のほうが歳下なのだが、いつの間にか、姉が実質的には上になっている。
たぶん、周りの皆もそう思っているだろう。
そして、わたしの息子は、きょうだい間では真ん中であるが、今は、年齢序列から外れ、別枠になってある。
育った環境には性格を形成するには大きく影響を受けるが、自立後の歩みで、またそれぞれのキャラクターが色付けられる。


Bのグミ、あと数粒残っているが、本日もその続きから始まる。
Bはグミがなくなっても、グミに変わるものを少しずつ見つけていくだろう。

蛇足。
ちなみに、Bは、
「ばあちゃん、グミあげる」と、貴重なグミの中から、青リンゴ味のグミをくれた。
これは、ボーナスが出た直後の太っ腹気分みたいなものか?
ありがたく、おこぼれを頂戴した。
緑色の小さな甘酸っぱいグミだった。







走らない馬を走らせる、走らない馬

2020-01-22 | 子育て
わたしの息子。
遠い日が、今の孫の年齢と重なる。
あんなこと、こんなこと、あったなあと。

わたしはサボりなので、一歩間違えると放任主義を通り越してネグレクトになるのかも知れない。
なにしろ、節だけ、ポイントだけ押さえて、あとは、ほったらかしにしていた。
これは、他の子供たちも同じ。
遊んでやった記憶などあまりなく、子供同士、きょうだい仲良く遊んでいた。
年が近いし、同じ家に住んでいるし、なにしろ親が同じだから便利。
長子である長女が、誰に似たのかさっぱりわからないほど、しっかり者だったので、安心のお任せ丸投げだった。
(が、しっかり者は、なにかと、うるさい)
当時、長女が下の子供たちの手を引いて幼稚園に通う姿を見て、お母さんの姿を見たことがないけれど、いったいどんな人なんだろうと、ご近所ママたちの間で噂されていたそうだ。
(わたし、透明人間ですから)

この息子。
小さい時は、多少の癇癪は持っていたが、まあ手のかからない大人しい子供だった。
これも、他の子供もそうだったが。

今、思えば、手をかける余裕がなく、隅々まで目が行き届かなかったのではなかろうか。
イクメン不在の時代、ワンオペで3人年子は、わたしのキャパを超えていた。

大人しくて従順で、なんでも親の言うことを聞いていた。
と書けばどんなに大人しいのだろう、と思われるが、よくよく考えてみると、わたしは、ほとんど規制やルールを設けず、本当に本当にダメなことしか、ダメ!と言わなかったのではなかろうか。
生命の危険を冒すようなこと、などの。
放牧場は、とてつもなく広く、柵がなかったように思う。
でも、鼻歌混じりで境界線あたりを駆けていると、無線の電流柵があったかも知れない。

まあそれはいいとして。
電流は、一度も流れなかったんだからよしとしよう。
しかし、子供は見抜いていて、電流の下、隙間を上手に出入りしていたのかも知れないが。

その息子。
幼い頃から小学生の頃、勉強はやらせると、やる。
やらせないと、やらない。
ずっと前にも蝶ブログに書いた覚えがある。
問題集の練習問題、横にわたしがついていると、スラスラこなす。(わたしは口は出さない)
横についていないと、やらない。前のところで止まっている。
わたしも忙しかったので、自分ひとりでやりなさい、と促しても、ひとりではやらない。 
が、横にいると、なにしろ、スイスイすらすら。
勉強は苦痛ではないようだが、決して好きではない。
自動的に自主的に勉強は望みすぎ。
わたしの導きひとつで、すごく勉強をする子になるのに、せっかくの持って生まれた能力を引き出してやれない、、、それはもったいないと思った。
塾の先生にバトンタッチするまでの半年間、わたしは頑張った。
息子は別に頑張ってない。わたしが頑張ったのだ。
息子にしてみると、勉強するのも、しないのも、あまり変わらないようだった。たいした負荷はかかっていなかったように思う。
わたしが、しんどいだけ。
荷物を背中に乗せた馬の手綱を引いて、砂漠をとぼとぼ。
砂漠ならラクダが良いが。
馬なら草原が良いが。
走れば走る馬。荷物をたくさん乗せたら乗せられる馬。
走りたいとも、止まりたいとも、嫌だとも、なんにもさして要望はなさそうだった。
ただし、自分では走らない。
馬の能力を引き出す方も、けっこう疲れる。
先生に渡すまでの辛抱だと思って、自分こそ走らない馬そのものであったわたしは、自分を走らせて、息子を走らせた。
あ〜、疲れた。

彼はその後も、たいして自分の要望も持たず、親の言いなりになった。
大人しく親の敷いたレールを走り、社会人になった。
親のレールといっても、別に特別なことはなにもせず、自然体だったが。
大学時代は、実家を出て、大学のある地に住むことになった。
彼が出て行った、ガランとした部屋で、午後の柔らかな陽射しを浴びながら、わたしは、しばし、ぼーっとした。
わたしは、これでお役目終了!戦争は終わった。
肩の荷が一気にすーっと降りた。
大事な預り物を無事、無傷で目的地へのフライトにとりあえず乗せた。
あとは知らん。
とは言っても、まだ翌年も次の子供の受験が続いていたが。

息子は社会人になったら、あっさり親の元を離れた。
バイバイ。
それ以来、戻って来ない。

一年に一度、はるか遠方から帰省し、顔を見せてくれる。
それで十分だ。十分すぎてお釣りがくる。
ただし、母親の家事に文句を言う、うるさい姑みたいになっているが。

集中力

2019-12-12 | 子育て
いきなり、、、の話題。
息子が高校2年の時に、自宅を建て替えた
年子である長女は、まさに受験期真っ只中、高3の夏に仮住まいに引っ越し、試験直前の1月に新築された家に移った。
受験勉強は、山積みされた段ボールの隙間でやっていた。
子供の大事な時期、デリケート状況を全く配慮しない、わたしのマイペース計画だった。
ごめんね、みんな。

まあ、勉強なんて、綺麗にキチンと状況を整えたから出来るものでもない。
現に、騒がしい喫茶店やコンビニの飲食ルームや、マクドなどで、勉強している受験生らしき学生をよく見る。
サイ○リアなどの価格の安い店は、学生が低年齢化している。
おしゃべりしに店に来ているわたしなのに、声を小さく気を使わざるを得ない。
なんで、家で勉強しないの?
と、そんなヤボな疑問は持たない。
なぜなら、「勉強したくない病」には、長年、持病としてお付き合いしてきた、わたし。

わたしは彼らの背景を想像する。
小さなきょうだいが、いっぱいいて、家で落ち着いて勉強する雰囲気ではない、、、というのは、昭和の話。
今はきょうだいも最小人数、家には母親は不在で(働いてます)、ひとり静かな環境、、、
よけいに勉強できないと思う。
どんな環境であれ、勉強はする気にならなければ、しないということ。
わかりきっている。

昨日、ポスティングされていた某証券会社の営業印刷物。
担当者の自己PRに、「偏差値40から浪人して早稲田に入った私の頑張りをぜひお役立てください」と、書かれていた。
これは、ひとつの売りになる。
というか、偏差値40って、、、、そっちのほうがすごかったりする。

やる気を出せば出来る見本みたいなものだが、実社会では勉学では図りきれない不条理もあるから、たいへん。
学者でさえもそう。
派閥があったり、研究費確保があったり。
楽しいだけのことなんてない。楽しくないこととセット。けど、いいんじゃない?
自分がやりたいことをするためには、犠牲や我慢はつきもの。

話はころりと変わるが、、、、、
我が息子。
当時、新築するにあたり、自分の部屋の好みのリクエストを問うと、なんと、畳の和室が良い、とのこと。
わたしは、夫の実家も、わたしの実家も昔々の純和風建築なので、生まれた時から、うんざりするほど和風には馴染みすぎて、それは避けたかったのに。
息子は、変わっている、、、が、そのおかげで、わたしは息子が家を出て行ってから使ってなかった彼の部屋をわたしの寝室にして、とても良い調子。
息子よ、ありがとう、和室にしてくれて。

息子が新築に移った高校2の終わりから高3の終わりまでの、たった1年しか彼は自室を使わなかった。
その1年は、、、畳の地模様が全く見えない、全面、本、プリントで埋め尽くされていた。
その隙間で寝転がって、受験勉強をしていた。
あのカオス、すごい。
どこに何を置いているのか、よくわかるなあと。
足の踏み場もない、ぐちゃぐちゃなのに、脳の中には整理されて入っていたようだ。

その後に、2回、彼の住まいを訪れたことがある。
1回目は、学生時代。わたしと見に行って探した賃貸物件。
2回目は、社会人になってから。彼が自分で探した、とても不思議な住まい。
あの子は、ちょっと変わっていてユニークだ。
少しわたしに似ているところもあり、複雑な心境になる。