『のぼうの城』を観て、思い出したことがあります。
佐藤浩市演じる正木丹波守利英が、夏八木勲演じる和尚に、
馬上から声をかけるシーンがありました。
和尚は笑いながら「僧に向かって上から話しかける奴がどこにおる」 。
それで思い出したのが『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』。
数カ月前、職場でミャンマーを研究のフィールドとする先生と話したとき、
私が観てから間もなかったこの映画の話をしました。
そうしたら、当然すでにご覧になっていた先生は、
「非常によくできた感動的な映画だったけれども、
ミャンマーでは絶対にあり得ないシーンがあった」とのこと。
何のことやらわからず、「え、どこですか」と尋ねたところ、
スーチーさんが邸の扉の上から、群衆に向かって挨拶するシーンなのだそうです。
ラストでは大勢の僧も集まってきており、
いくら彼らから出てくるように請われたとしても、あれはあり得ない。
頭上から挨拶することなど、如何様なことがあろうと絶対にないのだと。
リュック・ベッソン監督がそのことを知っていて
あえてそんなシーンを撮影したのかどうかわかりませんが、
『のぼうの城』では「あり得ないであろうこと」をフォローする和尚の台詞。
なんだか微笑ましい光景でした。
佐藤浩市演じる正木丹波守利英が、夏八木勲演じる和尚に、
馬上から声をかけるシーンがありました。
和尚は笑いながら「僧に向かって上から話しかける奴がどこにおる」 。
それで思い出したのが『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』。
数カ月前、職場でミャンマーを研究のフィールドとする先生と話したとき、
私が観てから間もなかったこの映画の話をしました。
そうしたら、当然すでにご覧になっていた先生は、
「非常によくできた感動的な映画だったけれども、
ミャンマーでは絶対にあり得ないシーンがあった」とのこと。
何のことやらわからず、「え、どこですか」と尋ねたところ、
スーチーさんが邸の扉の上から、群衆に向かって挨拶するシーンなのだそうです。
ラストでは大勢の僧も集まってきており、
いくら彼らから出てくるように請われたとしても、あれはあり得ない。
頭上から挨拶することなど、如何様なことがあろうと絶対にないのだと。
リュック・ベッソン監督がそのことを知っていて
あえてそんなシーンを撮影したのかどうかわかりませんが、
『のぼうの城』では「あり得ないであろうこと」をフォローする和尚の台詞。
なんだか微笑ましい光景でした。