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夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

『バッド・ティーチャー』

2012年11月19日 | 映画(は行)
『バッド・ティーチャー』(原題:Bad Teacher)
監督:ジェイク・カスダン
出演:キャメロン・ディアス,ジャスティン・ティンバーレイク,ジェイソン・シーゲル,
   ルーシー・パンチ,ジョン・マイケル・ヒギンズ,フィリス・スミス他

数カ月前に劇場で観そびれて、DVD化を楽しみにしていました。
10月初めにレンタル開始になり、すぐに観たのに今頃アップ。

中学教師のエリザベスは、教育への熱意も生徒への愛情も皆無。
目標は早く玉の輿に乗ってこの学校を去ることだけ。
金持ちの男を騙くらかしてようやく結婚にこぎつけたつもりが、
目論見がバレて派手に別れを告げられてしまう。

辞めるはずだった学校に逆戻り。やる気がないのは変わらない。
ところがそこへ現れたのが、イケメンぼんぼん代理教師のスコット。
なんとしてでも彼を落とさなければ。エリザベスの目はランラン。

この歳でライバルに勝つには、もう胸をデカくするしかない。
豊胸手術を受けようと整形外科を訪れるが、予約は前払いが条件らしい。
クレジットカードはすべて使用停止、貯金も当然ない。
手術費用を稼ぐため、エリザベスはなりふりかまわず行動を始める。

最初のうちはまるでいただけません。
40歳になってもキュートなキャメロン・ディアスとはいえ、
これだけ女のやらしさを全開にされるとドン引き。
異性から見ればこれも可愛くて許せる範囲なのかもしれませんが、
同性から見るとちょっと辟易してしまうほど。
とはいうものの、見ていられないこともなくて、やっぱり可笑しい。

生徒が父兄らの車を洗って金をもらうという洗車デーには、
目のやり場に困るいでたちで登場します。
で、通常はこの日の儲けはすべて学校行事に回されるところ、
エリザベスはそのうちのなんぼかをしっかりポケットへ。

公開テストで1位だったクラスには報奨金が出ると聞けば、
担任するクラスの授業は打って変わって厳しいものに。
この授業の様子はかなり笑えます。
いくら頑張ったところで1位は無理だと気づいたら、
今度はテスト内容を事前に知るほうへと方向転換。

アホではありませんから、やることなすことずるくて憎たらしい。
彼女と張り合うリンも最初は気の毒なのですが、
止めておけばいいものを同じ土俵へ上がった頃から、
どっちがマシかわからなくなってしまいます。

エリザベスが唯一心を許しているというのか、
どうでもいいからありのままを見せている相手が体育教師のラッセル。
その役のジェイソン・シーゲルは冴えない男ではありますが、
『寝取られ男のラブ♂バカンス』(2008)もそうだったように、
なかなかイイ奴を演じさせるとピッタリです。
ジャスティン・ティンバーレイク演じるスコットのほうが実はキモく、
ジェイソン・シーゲルがオイシイところをかっさらった印象。

これだけ悪態をついておいて、最後が素直すぎるんだよと思わないでもないですが、
そこがやっぱりキャメロン・デイアス!?
アホくさいけど、観終わったときは爽やかなのでした。

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『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』

2012年11月17日 | 映画(た行)
『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(原題:Poulet aux Prunes)
監督:マルジャン・サトラピ
出演:マチュー・アマルリック,エドゥアール・ベール,マリア・デ・メディロス,
   ゴルシフテ・ファラハニ,キアラ・マストロヤンニ,イザベラ・ロッセリーニ他

梅田ガーデンシネマにて。

ここ10年でとても印象に残っているアニメを2本挙げるとしたら、
『ベルヴィル・ランデブー』(2002)と『ペルセポリス』(2007)です。
好きでたまらなかった前者、おもしろくてたまらなかった後者。
その後者のイラン出身女流監督による実写作品です。

テヘランの上流階級家庭に生まれたマルジャン・サトラピ監督は、
進歩的な両親の意向を受け入れて、14歳のときにオーストリアへ。
フランス語を学んで帰国し、イランの大学で美術を学ぶも、
結婚と離婚を経て今度はフランスの美術学校に入学したそうです。

そうこうしているうちにイランの政治情勢は悪化。
故郷では革新的な発言をすれば投獄されかねず、映画はつくれない。
そんな背景があって、イランには戻ることができないまま。

ゆえに本作はイランを舞台にした作品でありながら、
フランス語で制作されたフランス/ドイツ/ベルギー作品です。
キャッチコピーは、「叶わなかった愛が、いちばん美しい」。

1958年のテヘラン。
妻子と暮らす天才バイオリニストのナセル・アリは、
大事にしていたバイオリンを壊されてしまう。
代わりのバイオリンも見つけられず、死ぬことを決意。
あれこれ死に至る方法を考えるも、どれも決定打に欠けるからと、
じたばたせずに自室にこもってじっと死を待つことに。

ナセル・アリが“アズラエル”(=イスラム教の死を司る天使)に引かれるのは8日目。
まず葬儀のシーンを見せられ、1日目に切り替わり、そこから8日目になるまでが描かれます。

ご覧になる予定の方にはこの先ネタバレになりますのでご注意を。

若くして相当に高いバイオリンの演奏技術を持ち合わせていた彼ですが、
師匠からは酷い駄目だしをされ、その意味が理解できません。
ところが、町の骨董屋の娘であるイラーヌに一目惚れをして恋成就、
イラーヌの父親の猛反対により彼女が去ってから異変が起こります。
忘れられないこの恋がバイオリンの音色に込められたとき、彼の演奏は師匠をも唸らすものに。

ナセル・アリ役のマチュー・アマルリックといえば、
『潜水服は蝶の夢を見る』(2007)が記憶に残っていますが、
『さすらいの女神(ディーバ)たち』(2010)といい、ヒゲがちょっと調子よさそう。
そのせいか、ナセル・アリとイラーヌの恋が激烈とは思えず、
別れのシーンもグッと来なくて。

だけど、何十年も経ってからの再会シーンには胸が詰まりました。
偶然イラーヌを見かけ、嬉々として声をかけるナセル・アリ。
まったく覚えていないと答えたイラーヌは、壁の陰で涙をこらえます。

人は、忘れないように心がけることはできても、意識して忘れることはできません。
みんな、忘れたいのに忘れられない。
叶わなかった恋に苦しむナセル・アリ、忘れたふりをしたイラーヌ、
それに、本当はずっとナセル・アリに片想いしていたのに、
そんな日々を消したかったかのようなナセル・アリの妻ファランギース。

“イラーヌ”はイランを意味すると知れば、
監督の故郷への想いも感じられてじわじわ来ます。
実写とアニメーションを混ぜた絵本のような映像も素敵。

吐息とため息をつかまえることができたら、その音楽は至上のものに。
叶わなかった愛も、こんな形で心に。

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『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』

2012年11月15日 | 映画(さ行)
『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』(原題:Cirque du Soleil: Worlds Away)
監督:アンドリュー・アダムソン
出演:シルク・ドゥ・ソレイユ,エリカ・リンツ,イゴール・ザリポフ

7年前にオハイオで初めて観て、度肝を抜かれたシルク・ドゥ・ソレイユ
そのときの演目は“ヴァレカイ”でした。
なんでもっと早く観に行かなかったんだろうと激しく後悔。
帰国後すぐに、日本で公演中だった“アレグリア”へ。

けれども、ファンタジー系よりマッスル系が好きな私は、
マッスル系が少なめの“アレグリア”にはイマイチ感動できず、
“ヴァレカイ”のほうが断然好きだったなぁと思っていました。

昨年、中之島ビッグトップにやってきた“クーザ”。
とっとと一人でチケットをゲットして、当日は徒歩圏内のお店でひとりランチ、
ほぼワイン1本を空けてほどよく(?)酔った状態で会場へ。
希望に叶うどころか夢見た以上のマッスル系にシビレました。

昔からサーカスと言えばほにゃらら大サーカス。
80歳を過ぎた両親は、もちろんシルク・ドゥ・ソレイユなんて知りません。
「死ぬ前に絶対いっぺん観といたほうがいいよ」とチケットを贈ったら、
その晩、「めちゃくちゃ良かった」と放心したような声で電話がありました。

そんなシルク・ドゥ・ソレイユの映画なので、
観に行っておこうかと思って、帰り道に近所のシネコンへ。
ドキュメンタリーではなく、ストーリー仕立てです。

ある夜、サーカスの会場を訪れた女性ミアは、
空中ブランコショーの芸人、エアリアリストのチラシを受け取る。
興行中のテント内に足を踏み入れ、数々の出し物に息を呑む。

やがてエアリアリストが現れるが、客席のミアと目が合った瞬間、
彼はブランコに飛び移ることに失敗、落下する。
すると地面が割れて砂の海のごとく、エアリアリストは吸い込まれる。
とっさに彼の後を追ったミアも吸い込まれてしまう。

目が覚めるとそこは異世界。
エアリアリストのチラシを片手に、ミアは彼を探しつづけるのだが……。

美しいことは認めますが、残念ながらかなり退屈でした。
さまざまな演目中の出し物が取り入れられているけれども、
ナマで観たときのハラハラドキドキ感がまるでなし。
“クーザ”でシビレまくった大車輪が、こんなにも高揚感に欠けるなんて。

過去に実物を観たことのある人は「こんなもんじゃないよ」と思うでしょうし、
実物を観たことがない人は「こんな程度か」と思うでしょう。
結局、どちらの客も引っ張れないのではないかと。
もうホント、こんなもんじゃないんですから、どうかナマで観てください。

ひそかにワロたのはシンクロナイズドスイミング。
うおっ、「佐清(スケキヨ)」の乱舞や!

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『悪の教典』

2012年11月13日 | 映画(あ行)
『悪の教典』
監督:三池崇史
出演:伊藤英明,二階堂ふみ,染谷将太,林遣都,浅香航大,水野絵梨奈,
   滝藤賢一,山田孝之,平岳大,吹越満,小島聖,篠井英介,岩松了他

三池崇史監督の作品は、それがどんな内容であろうと、
「映画を撮るのが楽しくてたまらない」という気持ちが感じられて大好きです。
いつもかなりぶっ飛んでいて、オッサンのダジャレ的なところもあるため、
マジメに観ていると憤る人もいそうです。

原作者の貴志祐介の著作は好きじゃありません。
だけどものすごく面白くて困ります。
『黒い家』、『クリムゾンの迷宮』、『新世界より』、極めつけは『天使の囀り』
どれも異常な世界で、勘弁して~と言いたくなる場面しょっちゅう。

こんなふたりがそろった本作は観逃すわけにはいかず、封切り日に。
原作はまたしても相当に嫌な感じで、どこにもまったく感情移入できず。
これを三池監督がどう映画にするのか、めちゃ楽しみでした。
その結果、笑える作品ではないはずなのに、ウケてしまった私です。

東京都町田市の私立高校。
英語教師の蓮実聖司は、イケメンで教え方も上手く、面倒見も良い人気教師。
生徒たちからはハスミンと呼ばれて慕われ、
校長をはじめとする教師らからの人望も厚い。

しかし彼は実は生まれついての人格障害者。
他人に共感する能力が皆無で、人の気持ちがまったくわからない。
非常に高い知能を持つため、「共感するふり」は朝飯前なのだ。
そんな彼の本性に気づいた周囲の人物は次々と消される運命に。

ざっとあらすじを書こうとしたら、これでおしまいですね。
原作のほうは、彼の淡々とした日常描写から始まり、
彼が人格障害者であることはずいぶん先まで明かされません。
ただ、淡々としすぎているのがとても不気味で、
いったいこのハスミンはどういう人間なの?と不審に思います。

映画のほうでは、冒頭に映し出される蓮実少年のおどろおどろしい姿。
息子が生来の人格障害者であると気づいてしまった両親を殺そうと、階段をのぼります。
これを最初に持ってくれば、そりゃわかりやすいなぁと感心しました。

教師に生徒にその親と、登場人物があまりに多いため、
多少は人数を減らすべく、原作のエピソードが別の人に移行していたり、
その人はそこでは死なないんですけどという人があっけなく殺されたり。
目ざりなカラス殺害のシーンは、原作ではイメージしにくかったのですが、
「ほ~、こんなふうにやっつけちゃうのか」と目が釘付けになりました。

不幸な境遇があったわけではなく、生まれついての悪魔。
伊藤英明は“海猿”シリーズの好青年とは真逆の役を引き受けてよかったんだろうかと、
観る前は訝っていましたが、
共感能力ゼロのハスミンだけに、こちらも共感することはありません。
したがって、嫌なイメージが植え付けられることもなし。

ところで、私が笑いのツボを捉えられてしまったのは、
美術の久米先生がいきなり殺される辺りから。もうアンマリすぎます。
『のぼうの城』のエラそうな態度が鼻についた長束正家役の平岳大は、
あっちでは痛いおしおきは逃れたようですが、こっちでしっかり喰らっちゃって。

主役級の俳優たち、特に吹越満は首を吊らされ、
山田孝之が女子高生のパンティのにおいをかがされた後にズドンって。(T_T)
こういう使い方も三池監督は楽しんでいるでしょうし、
使われるほうもそれをわかっているんでしょうね。

とっても不自然な登場の仕方だった、名前もわからん同僚教師。
「蓮実先生、期待してますよ。期待、してますよ」という台詞も取って付けたよう。
誰よこれ、と思っていたら、原作者の貴志祐介さんだったようで。
目立ちたがりにもほどがあるけど、あんな異常な小説を書く人が見せるお茶目な一面。

原作のオマケだったすんごいダジャレには目が点になりましたが、
映画版にもやっぱりダジャレが盛り込まれていて、
この展開でそんなオヤジギャク?とやはり笑ってしまったのでした。

……だけど続編は要らんやろ。

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和尚さんの頭の上から〈『のぼうの城』追記〉

2012年11月12日 | 映画(番外編:小ネタいろいろ)
『のぼうの城』を観て、思い出したことがあります。

佐藤浩市演じる正木丹波守利英が、夏八木勲演じる和尚に、
馬上から声をかけるシーンがありました。
和尚は笑いながら「僧に向かって上から話しかける奴がどこにおる」 。

それで思い出したのが『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』
数カ月前、職場でミャンマーを研究のフィールドとする先生と話したとき、
私が観てから間もなかったこの映画の話をしました。

そうしたら、当然すでにご覧になっていた先生は、
「非常によくできた感動的な映画だったけれども、
ミャンマーでは絶対にあり得ないシーンがあった」とのこと。

何のことやらわからず、「え、どこですか」と尋ねたところ、
スーチーさんが邸の扉の上から、群衆に向かって挨拶するシーンなのだそうです。
ラストでは大勢の僧も集まってきており、
いくら彼らから出てくるように請われたとしても、あれはあり得ない。
頭上から挨拶することなど、如何様なことがあろうと絶対にないのだと。

リュック・ベッソン監督がそのことを知っていて
あえてそんなシーンを撮影したのかどうかわかりませんが、
『のぼうの城』では「あり得ないであろうこと」をフォローする和尚の台詞。
なんだか微笑ましい光景でした。

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