きばなの硝子瓶

呑兵衛夫婦の日々の食卓

冷やしかしわ蕎麦

2015-07-24 | ゴハン・パン・メン

ゆで鶏を使って冷たいお蕎麦、野菜ものっけて栄養のバランスをとる

蒸し暑い晩、ひじょ~に美味しがっていた



◆ゆで鶏

 ・1日ほど冷蔵庫で塩漬けした鶏もも肉(1枚につき塩小1弱)
 ・サッと洗ってから水とともに鍋にいれ、点火する
 ・沸騰してきたら火を弱め、灰汁をとる
 ・蓋をして弱火、10~15分ほど煮たら火を止める
 ・茹で汁に浸したまま冷ます(常温まで)

 ・完全に冷めたら、鶏肉を取り出しスライスする

◆そばつゆ(濃縮)

 ・そばつゆを「茹で汁」で濃いめにのばす
 ・氷を一かけ入れる

※あんまり冷たくすると脂が固まるので、キンキンにはしない


◆オクラ

 ・茹でて冷まして半分に切る

◆なすび

 ・1個まんまラップで包みチン♪する
 ・そのまんま氷水に入れて、急速に冷やす
 ・表面が冷たくなって「色止め」できたら取りだす
 ・ラップを剥がし水分をふいて、縦に切る



※加熱加減はお好み、今回は芯までとろとろだけど半生でもいい
※氷水にはあまり長くは浸さない、表面が冷たくなればOK

◆紫たまねぎ・茗荷

 ・スライスして水にさらし、水分をしっかりとる
 ・叩いた梅漬けと和える(のっける直前に)

※この梅は現在漬けてる今年もの、まっかで爽やかな酸味ですごく美味♪

◆小葱・山わさび・七色



◆蕎麦

 ・茹でて流水に晒し、ヌメリがとれたら氷水で〆る
 ・よくよく水を切る


丼にお蕎麦をよそい、つゆをはり、ゆで鶏・野菜・薬味をのっける


◆キャベツと胡瓜の漬物
◆炭酸水・ウーロン茶


コメント (2)
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人参ごはん・南瓜のおつゆ・・・朝餉

2015-07-24 | 朝ごはん・昼ごはん

今朝は人参を炊きこんだ、おつゆは南瓜、ビタミンたっぷりだ


◆人参ごはん

 ・胚芽米(おきたまコシヒカリ)
 ・塩和え人参(薄塩)
 ・水・にがり

◆南瓜のおつゆ

 ・煮干し・本枯れ・真昆布
 ・手前みそ
 ・ゆで南瓜

◆納豆(小葱)
◆茄子の油焼き
◆梅和え(紫たまねぎ・茗荷)
◆キャベツと胡瓜の漬物


   ・・・

◆ヨーグルト・杏仁フルーツ缶・珈琲
◆海老クリーム雑炊(べんとう)・ハウスみかん・黄キウイ



今日は風がない、暑くなるぞぉ~


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


って覚悟したらすこし吹いてきた、たすかったぜ
しかし梅の土用干しには「風」はいらんのだ、悲しいが

田舎なら風を喜ぶところなんだけど、ここは空気が汚れている

毎日の拭き掃除で、それを嫌ってほど見せられているもんだから
とてもとても、風のある日に梅なんか干す気にはならない

だからって山奥まで運んで干すわけにもいかないから
せめて風がなく油照りのような「恐ろしい1週間」を

ひたすら待っている(笑)



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大原麗子・炎のように

2015-07-24 | 本と映画の話

著者は芸能リポーターでお馴染みの「前田忠明」さんなので
あの知ったかぶりの~と思ってスルーしようと思ったけど
大原さんには興味があったんで読んでみたら............

意外や意外(失礼)、すごく面白かった



亡くなった当時アタシは、彼女が孤独死といわれ「可哀想がられて」いることにすごくすごく憤り
独りで死ねば哀れで不幸だった、ってことになるのか!と、単純で偽善的な世論にはほとほと嫌気がさした

これを読めば、晩年たしかに健全で万全だった状態ではないにしろ
亡くなる直前まで、彼女は彼女らしく「ふつう」に生きていたと解るだろう

惜しい人を亡くしたと、残念に思う気持ちはあっても
けして他人様から憐れまれるような人生ではなかった

最後まで



人がかわったような言動は、誰がみたって病んでいた

弟さんを除いては、ただただビックリするだけで誰も受診を働きかけないあたり
正直いって年代のギャップを感じる、この世代にとって精神的な病はタブーなのだろう

著者の前田さんも非常に驚いていたけど、アタシはぜんぜんだった
なぜなら、同じような人は身近にもいるし、いまではよく聞く話だからだ

もっとずっと早い段階で、適切な治療をしていれば......と思うと悔しいし
長年精神科に自ら通いながら、なぜに医者は気づかなかったのだろうかとか
長いあいだ薬の乱用さえしなければ、亡くなることもなかったのにとか



亡くなる数年前、父があきらかに鬱状態になっているのをみて
精神科を受診させるよう母に話したら、母はものすごい拒絶反応を示した

実の娘にたいし、部外者は口を出すなという態度までとって

あのときのショックはいまだに癒えない、たぶん一生このままだろうし
母との間にもともとあった壁は、あの日を境にいっそう堅牢なものになった

もう壁の向こうへは絶対に行けないし行かない

ただのちのち冷静になって思うと、年代的な考えの違いってもんもあるな~とは気づいた
これを読み、彼女のまわりの反応をみてそのことをまた思い出し、暗澹たる気持ちになった




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