放送から14年も経って、やっと見れた
前編後編、最後の作品、撮影は2001年だったんだろうか
2002年といえば、私達が上京して2年目で
アタシ的には、もっとも精神的に辛い1年だった(体力的には前年)
泣きながらイヤイヤ旭川空港から飛び立ち、それでも郷にいては~で
頑張って都内の暮らしに慣れようとはしていたが、なかなかきつく
おまけに、まわりの環境に感化されやすいオットは
すっかり都会のリズムになって、変わらないアタシを責めたてた
傷が深ずぎて、北海道のニュースも、北海道からの中継も見ることが出来ず
ましてや、懐かしい麓郷や道東が舞台になっているドラマなんて辛すぎて
いや本当は見ようと思っていた、だけどその夜、私達は酔って大喧嘩となり
勢いでアタシはオットにぶっ飛ばされ(殴られたのではない)ひどい一夜となった
なので、それ以来再放送も見れず、北海道の話が平気になって関東の暮らしを
エンジョイできる状態になってもまだ、苦い思い出が沸いて見られなかった
んでやっとっ2016年初冬、見れました
懐かしい懐かしい、まだアタシが住んでいた頃の北海道が映っていた
先月チラッと札幌へ帰って、秋空を仰いだ時も思ったけど
このドラマを見ていたら、やっぱり北海道へ帰ろうと思った
いっときは、定年後も関東で~なんて思ったりもしたけど
ご無沙汰している「長くて厳しい冬」も、すこし怖いけど
やっぱり帰ろうと思う、そのうちにだけど
・・・遺言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
純、蛍、オレはおまえらに残してやるものは何にもない
でも、おまえらにはうまく言えんが、残すべきものはもう残した気がする
金や品物は何にも残せんが、残すべきものは伝えた気がする
正吉や結ちゃんには、おまえらから伝えてくれ
俺が死んだあとの麓郷はどんなか
きっと何にもかわらんのだろうな
いつものように、春 雪がとけ、夏 花が咲いて、畑に人が出て
いつものように、白井の親方が夜遅くまでトラクターを動かし
いつものように、でめんさんが働く................
きっと以前と同じなんだろう
オオハンゴウソウの黄色のむこうに、ゆっこ叔母さんやすみえちゃんの家があって
もしもおまえらが、その周辺に拾ってきた家を建ててくれると嬉しい
拾ってきた街、が本当にできる、アスファルトの屑を敷きつめた広場で
快や孫たちが遊んでいたら嬉しい
金なんか望むな 幸せだけを見ろ
ここには何にもないが、自然だけはある
自然は、おまえらが死なない程度にはじゅうぶん毎年食わしてくれる
自然から頂戴しろ、そして謙虚に、慎ましく生きろ
それが父さんの、おまえらへの遺言だ
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というのがドラマの最後、父さんの遺言として流れる.............
遺言書きの先生から、何度も何度も叱られては書きなおした結果だ
ま~メルヘンだ(笑)、あんな厳しい自然だけで生きていけるほど
北海道の冬は甘くない、これは「南国」でしか通用しない考えだ
まず金だっ、金がないと凍死する(笑)食料も買えないし越冬は無理だべ
しかしいいのだ、これは物語なんだからな
それにしても、どうして正吉はあれだけしか出番がなかったんだろう?(回想シーンのみ)
ゆっこ叔母さんの息子もどうなったんだろう?尻切れとんぼで気持ち悪い..........
あと、本当に流氷の上に乗って撮影したんだね、びっくりしたぁ
それから上京する蛍たち、ふつう汽車には乗らないよね~車の方が早いぜ(笑)
羅臼の鱈工場の撮影も、さぞかし生臭かったろ~な~、地吹雪も痛かったろう
って感じで、道産子には解りすぎちゃって色々こまった
そして邦衛さん、お元気なんだろうか