鶏肉をカリッと気長に焼いて、出てきた油でほうれん草を炒める
ほうれん草にはお塩をすこしふって炒め、わざとクタッとさせる
ほうれん草の上に切った鶏肉をのっけ、市販のたれをまわしかける
これは、ベル食品の「しゃぶしゃぶのたれ ごまみそ」という商品で
お味噌のおかげかコクがあってとても美味しい...........
あとはコショウを挽いてレモンを添えた
・・・ミスジ焼肉の温玉のっけ・・・
これは牛ミスジを玉ねぎと一緒に、たしか(うろ覚え)めんつゆ・焼肉のたれ
あとは紹興酒とお醤油も足したかな?そんな感じのに漬け込んどいたもの
それを焼いてからスライスし、温玉をのっけてコショウを挽いた
市販のたれは、だるだる怠け主婦には大変な救世主だ、神様仏様だ
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きのうの大雪はおさまり、今朝は雲が多いけど気持ちよく晴れている
う~う~と、遠くに近くに「除雪車」の音がしだして、すっかり真冬なった
昨夜はなかなか熟睡できず(寝る前に実話怪談を読んだせい)、うとうとと
夢をみながらときどき目覚めるを繰り返していたら、すぐ近くを除雪車が除雪しだし
その轟音で目覚め、静かになってまた夢を見ていたら、ぐらぐらぐらぐらと地震だ
震度は小さかったけど、離れていたせいか、やけに大ぶりに揺れてちょっと焦る
直前に見ていた夢が、小さな食堂で食事をしていたら、そこのおばちゃんに
手伝ってくれと頼まれ、ハイハイと次々料理をテーブルに運んでいたんだけど
途中からぐらぐら身体が揺れて前に進まず、お盆の上のものを落としそうになる
ってとこで目覚め、数秒間は完全にネボケていた
ここんとこ地震が多いから気になってTVをつけたら、今度は岩手沖だった
いやだな~怖いよお、こんな季節に数年前のようなブラックアウトになんか
なったら、こんどこそ生きるの死ぬのって状態だから~勘弁してほしいぞ
そういえば、実家がとうとう暖房をエアコンにしたらしい
大丈夫か?と思ったけど、関東で使っているものより暖房が強いみたい
ま~寒冷地用だから当たり前か、40万くらいしたらしい
電化にしたんなら、停電のときのためにストーブは常備しときなよ
とは言っといたけど(持っていた)、主要暖房を電化にするのは
ちょっと対抗あるな~とあたしは密かに思ってた...........
なんせいつ停電になるか分からない、震災のときから電気は信用できない
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年賀状をプリントしてもらった(おっとに)
今年はドライブ先の写真をつかった
おせち料理以外のを使うのは、十数年ぶりかもしれない
しょうじき、も~そろそろ飽きてきたし..........
おせち料理は毎年かわんない、それを繰り返すことに意義があるわけだけど
絵ずらが似たり寄ったりで飽きた、もらうほうも飽きてるだろうし
むかしのプリントごっこや手書きイラストが懐かしいなぁ
楽しかったな、ものすごく大変だったけど.............
親戚がどんどん亡くなっているけど、血筋のほうが鬼籍に入ったら
もうそこのお家とは縁が切れたかなぁ~と思って、年賀状は止めることした
いとこ同士でやりとりしてる場合もあるけど、そうでないお家とは
付き合いがないも同然になるから、もういいかなっと思って
そこんとこを見越してか、自分で書くのが面倒になってなのか
伯母たちなんかは、「子供達(いとこ)」との年賀状のやりとりを
なんとなく勧めてくるんだけど、そういうのも鬱陶しいなって思う
そもそも付き合いがないから、おばやおじ当てだけに出してるんだし
今さらそっちと付き合う気なぞないわけで、強制されることでもない
だから無視している
もうずいぶん前だけど、そんなおばの1人から勧められたのか
付き合いのない従兄弟から、15日も過ぎてから年賀状が届いた
これだけで仰天だけど、同じ街に住んでるのに住所は間違ってるわ
名前も誤字だしで呆れかえったことがある、新年から不愉快極まりない
こんなバカとの付き合いは御免だとばかりに、お葬式であっても無視している
あと関東に住んでるときも、あっち方面の親戚づきあいは一切しなかった
なんで遊びに(挨拶)に来ないんだと、母なんかには文句を言ってた人も
いたようだけどこちらも完全に無視した、だって殆ど知らんもんあたし
それにみんな変な人達だから、付き合いたくないし
お葬式には.....ぐらいの気持ちはあったけど
幸いにして1度もなかったしで、会わずじまいで帰ってきた
いや会わないくらいならいいけど、北海道の実家では顔を合わせる
という、きまず~い状態にはなったが(笑)知らんぷりしてた
亡くなった父が、親戚づきあいを執拗に勧めてきたけど
その理由が「なにかあったときに助けになるから」だった
言わんとしてることは解るけど、今はその理屈が当てはまるかな?と疑問
なにかあったって親戚になんか頼らないと思うし、子供がいたわけでもないし
昔は、助けあって暮らしてきたのかもしれないけどさぁ.....と納得できなかったが
うんうんと、表面はわかったようなフリをして、父の話には逆らわなかった
ずいぶん昔の沢村貞子さんのエッセイのなかに、東京在住の友人の話として
田舎の親戚から、進学する子供を預かってくれと頼まれるが、断った
向こう様が「すべてお任せする」的なことを言うが、とても責任をもてない
そうしたら「東京の人は冷たい」と恨まれた、というため息まじりの話だった
昭和って、こういうことがまかり通ってたのかしら、とゾッとした
まず下宿屋じゃあるまいし、親戚が上京するからって面倒みられっかっだし
未成年を押しつけられ責任もたされるなんて、ふざけるなって話だ
あ~うっとうしい、ありえんわ
今が令和でよかった