アルジャディーダの海に面した場所に、ポルトガルの支配時代(1502~1769)の城塞都市があります。
当時アルジャディーダはマサガンと呼ばれ、インド貿易の重要な中継地になっていました。
このメディナ(旧市街)は2004年に世界遺産(文化遺産)に登録されました。
ヨーロッパ文化とイスラム文化双方の街並みとなっています。
城壁都市の前面は濠になっていましたが、今は埋め立てられて道路になっています。
城壁都市のメインストリート
街の中央付近にある50m四方の貯水槽。円柱の美しいゴシック建築で作られています。
1514年に、この城塞の建設が始められましたが、当初は穀物倉庫でした。城壁の外の水が絶たれた時のため、1542年に非常用の貯水槽
として改造されました。地上から 雨水が流れ込み、水がたまるようになっていました。明かりは、天窓から採られています。
この街が作られてから30年もたたないうちに改造されたということは、ポルトガル人は、早くから危機感を持っていたことになります。
入り口が狭く、20世紀になってから、この貯水槽は発見されました。
1769年にモロッコのスルタンによって攻め落とされ、ポルトガル人は、この街を退去しました。城塞は廃墟になりましたが、19世紀に
モロッコの王によって再建されることになりました。
退去したポルトガル人は、本国には帰らず、ブラジルのマザゴンに向かったと言います。
詳しくは、 めいすいの海外旅日記 第9,10日・・・アルジャデーダ をご覧下さい。