天理市の勾田町もそうだが、同市の和爾町に訪れるのも10年ぶり。
2月15日に行われた和爾坐赤坂比古神社の春祭り。
正式な行事名は祈年祭であるが長老たちは今でもおんだ祭(御田植祭)の名で呼ぶ。
「モウー、モウー、ちゃいちゃい」と言いながら牛を曳いて神田を耕す。
それから所作した模擬苗の松苗で田植えの所作。
ざっくばらんな所作がえー雰囲気。
チンチロがある松苗は1本が10円。
村の人に混じってついつい5本も買ってしまった。
その松苗にイロバナを添えて苗代に立てるという人がおられる。
お声をかけたらお電話をくださった。
明日にするけど・・・と伝えてくださったOさん。
ありがたく賜って出かけた苗代作りの場は、天理市楢町区域内。
南北に走る国道169号線の西に位置する田園地帯である。
近くに住む実弟家族とともに作業をするOさんは元鉄道マン。
定年まで勤めて両親がしていた農業を継いだ。
母親は民具の蒐集・研究をしていたという。
かつては直播き用法で育苗していた。
苗田に直接、籾を蒔く直播に燻炭も撒いていたようだ。
育った苗は1本、1本を重ねて数本の束。
これを何度か繰り返して束ねたものを纏める。
ばらさないように藁紐で括った稲苗の束を植えている人の前辺りに投げる。
前の方に投げるのは、苗植えする人が動かずにすむからだ。
その場からあまり動かずに、手にしやすい位置に投げてやる。
いずこかの地でも聞いたことのある投げ方。
雇いの苗取りさんがしていた作業である。
今では機械作業でモミオトシ。
落とした籾は苗箱。
それを苗代田に並べて数週間待つ。
芽が出た稲籾はぐんぐん育って、やがては田植え、という流れである。
ちなみにOさんが云うには、現代的農法の直播きを和爾町の営農センターでしているそうだ。
やがて、その紹介してくださった和爾町営農組合の籾だねカルパーコーティング作業から直播きまでの工程を拝見するのだが、この日からわくわくの楽しみになっていた。
農業を継いだOさん。
教わる、覚える、体験する農法。
毎年、毎年が一年生だと云われる。
O家の作付け品種は粳米がヒノヒカリ。
糯米はアサヒモチ。
アサヒモチは山間向きでないという。
また、稲藁、特に注連縄用途であれば、モチワラが相応しい。
その場合の糯米品種はハブタエが望ましいようだ。
モミオトシ、若しくはタネオトシ、またはモミマキなどの呼び名がある作業は機械化している。
その作業の前にしていた薬剤浸けの下処理。
種籾は24時間も薬剤に浸けて消毒する。薬剤のテクリードは、ばか苗病、いもち病、ごま葉枯病に、細菌病のもみ枯細菌病、苗立枯細菌病、褐条病にも有効な種子消毒剤。
立ち枯れを防ぐ液剤商品の「タチガレ」もあるが、田植え前の芽が揃ったときのようだ。
モミオトシに混ぜておく育苗肥料はスミシード。
水稲培土はヤンマー製。
田植え前はオンゴルなどなど。
モミオトシをする前に作っておいた苗床。
苗代田に水を注いで土を柔らかくする。
泥揚げして苗箱を並べる苗床を作る。
消毒してから24日経った種籾はゴザの上に広げていた。
手で広げた文様に美しさがある。
渦巻紋様でもないが、その幾何学的な紋様に美しさがあると思った。
ゴザに広げていた種籾はチリトリに入れ替える。
その種籾を装填する機械がある。
O家がタネオトシと呼んでいた作業機械はコンマ製作所製。
整列播種機械型番は「KONMA SP-G25T」。
床土入れから覆土までの一連作業ができる機械である。
もう一つある投入口は覆土入れ。
二口ある個所のその向こうにある投入口が床土である。
土入れは2カ所。
種籾は1カ所。
先端は苗箱トレー入れ。
運転開始と同時にそれぞれのパーツが動いていく。
機械動作の順は、床土入れから始まって、均し、鎮圧、両スミ取り、かん水、播種、排籾、覆土、排土・・そして仕上げ、である。
上からバラバラ落ちていく種籾に土が被さってもう見えない。
できた苗箱はすぐ近くに停めた軽トラの荷台に載せていく。
作業は一連だから忙しく動き回る。
毎時、200枚の苗箱を仕上げていく性能をもつ全自動整列播種機。
目を離してしまえばベルトレーンから押し出されて落下。
そんなことも防止できる機械だと思うが、見ていてヒヤヒヤしてしまう動きである。
すべての種籾を落とした苗箱は苗代田に並べる。
荷台に載せた軽トラはバックで移動する。
苗床にまずする穴開きシート敷き。
日焼け、鳥除けの白い幌シートもロール状。
重たいロ-ル運びは力仕事。
がっちり筋肉の息子さんは軽々と肩に載せて運んでいた。
苗床の手前から並べていく。
徐々に伸びていくから苗箱はその都度運び距離が伸びていく。
1枚でも重い。
2枚ならその2倍の重さ。
がっしり堪えるから女性には無理だろうと思うような重さ。
3枚纏めて運びだす息子さんの力強さに惚れ惚れする。
ずっと奥まで運んでいた苗箱の並びである。
O家の苗代田は泥田。
ドロドロの液状でなく、ほぼ固形化に近い。
履いた長靴がずぶずぶ入っていく。
逆に移動するのに抜く力が要る。
ずぼっと入った足をあげるのがたいへんなことだと思った。
もち米も並べ終えたら鳥除けのアーチを仕立てる。
ぐにゃっと簡単に曲がる細いポールを泥田に突っ込む。
反対側に曲げてそこも突っ込んで外れないように立てていく。
もうすぐラストに到着すると思って角地に移動したら、なんと、苗土の一部に穴があった。
それは何だ。
ついさっきにここを通り抜けた飼い犬だった。
ワタシが犯人ですと云ったかどうか・・・抱っこされていたワンコが睨む眼でわかった。
あんたやろ。
それを見計らって水路からポンプで水揚げする。
水源地は東にある白川池。
池水開きは6月10日になりそうだと話す。
苗代田の傾斜は水路側にある。
水を抜くには器械要らず、である。
白い幌掛け。
ロールシートを二人がかりで抱えて伸ばしていく。
風で飛ばされないように幌の上からもポールを仕掛ける。
そして、始まった水口まつり。
予め持ってきておいた松苗付きの稲穂。
半紙で包んで紅白水引で括っていたが、チンチロ松ではなかった。
行事の際に仕掛けていた作業を拝見していたが、すべてにチンチロ松があったわけではない。
直会後に入手された模擬の松苗にはなかった。
若しくは取れて落ちてしまったのかもしれない。
奥さんはハウス向こうにある畑地に入った。
黄色い花にオレンジ色もあるお花に、つい最近見たことのある紫色の花も。
この紫花は同市勾田町のあるお家の庭にもあった「シラー・ぺルビアナ」だ。
水口からはほど遠いが、松苗にイロバナを立てる場は幌シートの先端辺り。
えー芽が出ますように、ぐぐっと押し込んで苗代に立てた。
立てるのは誰でも構わない。
この年の決め事は弟さんがされた。
よく見れば軸の部分を青いビニールで覆っていた。
泥田に汚れないように配慮されたイロバナであった。
(H29. 5. 3 EOS40D撮影)
2月15日に行われた和爾坐赤坂比古神社の春祭り。
正式な行事名は祈年祭であるが長老たちは今でもおんだ祭(御田植祭)の名で呼ぶ。
「モウー、モウー、ちゃいちゃい」と言いながら牛を曳いて神田を耕す。
それから所作した模擬苗の松苗で田植えの所作。
ざっくばらんな所作がえー雰囲気。
チンチロがある松苗は1本が10円。
村の人に混じってついつい5本も買ってしまった。
その松苗にイロバナを添えて苗代に立てるという人がおられる。
お声をかけたらお電話をくださった。
明日にするけど・・・と伝えてくださったOさん。
ありがたく賜って出かけた苗代作りの場は、天理市楢町区域内。
南北に走る国道169号線の西に位置する田園地帯である。
近くに住む実弟家族とともに作業をするOさんは元鉄道マン。
定年まで勤めて両親がしていた農業を継いだ。
母親は民具の蒐集・研究をしていたという。
かつては直播き用法で育苗していた。
苗田に直接、籾を蒔く直播に燻炭も撒いていたようだ。
育った苗は1本、1本を重ねて数本の束。
これを何度か繰り返して束ねたものを纏める。
ばらさないように藁紐で括った稲苗の束を植えている人の前辺りに投げる。
前の方に投げるのは、苗植えする人が動かずにすむからだ。
その場からあまり動かずに、手にしやすい位置に投げてやる。
いずこかの地でも聞いたことのある投げ方。
雇いの苗取りさんがしていた作業である。
今では機械作業でモミオトシ。
落とした籾は苗箱。
それを苗代田に並べて数週間待つ。
芽が出た稲籾はぐんぐん育って、やがては田植え、という流れである。
ちなみにOさんが云うには、現代的農法の直播きを和爾町の営農センターでしているそうだ。
やがて、その紹介してくださった和爾町営農組合の籾だねカルパーコーティング作業から直播きまでの工程を拝見するのだが、この日からわくわくの楽しみになっていた。
農業を継いだOさん。
教わる、覚える、体験する農法。
毎年、毎年が一年生だと云われる。
O家の作付け品種は粳米がヒノヒカリ。
糯米はアサヒモチ。
アサヒモチは山間向きでないという。
また、稲藁、特に注連縄用途であれば、モチワラが相応しい。
その場合の糯米品種はハブタエが望ましいようだ。
モミオトシ、若しくはタネオトシ、またはモミマキなどの呼び名がある作業は機械化している。
その作業の前にしていた薬剤浸けの下処理。
種籾は24時間も薬剤に浸けて消毒する。薬剤のテクリードは、ばか苗病、いもち病、ごま葉枯病に、細菌病のもみ枯細菌病、苗立枯細菌病、褐条病にも有効な種子消毒剤。
立ち枯れを防ぐ液剤商品の「タチガレ」もあるが、田植え前の芽が揃ったときのようだ。
モミオトシに混ぜておく育苗肥料はスミシード。
水稲培土はヤンマー製。
田植え前はオンゴルなどなど。
モミオトシをする前に作っておいた苗床。
苗代田に水を注いで土を柔らかくする。
泥揚げして苗箱を並べる苗床を作る。
消毒してから24日経った種籾はゴザの上に広げていた。
手で広げた文様に美しさがある。
渦巻紋様でもないが、その幾何学的な紋様に美しさがあると思った。
ゴザに広げていた種籾はチリトリに入れ替える。
その種籾を装填する機械がある。
O家がタネオトシと呼んでいた作業機械はコンマ製作所製。
整列播種機械型番は「KONMA SP-G25T」。
床土入れから覆土までの一連作業ができる機械である。
もう一つある投入口は覆土入れ。
二口ある個所のその向こうにある投入口が床土である。
土入れは2カ所。
種籾は1カ所。
先端は苗箱トレー入れ。
運転開始と同時にそれぞれのパーツが動いていく。
機械動作の順は、床土入れから始まって、均し、鎮圧、両スミ取り、かん水、播種、排籾、覆土、排土・・そして仕上げ、である。
上からバラバラ落ちていく種籾に土が被さってもう見えない。
できた苗箱はすぐ近くに停めた軽トラの荷台に載せていく。
作業は一連だから忙しく動き回る。
毎時、200枚の苗箱を仕上げていく性能をもつ全自動整列播種機。
目を離してしまえばベルトレーンから押し出されて落下。
そんなことも防止できる機械だと思うが、見ていてヒヤヒヤしてしまう動きである。
すべての種籾を落とした苗箱は苗代田に並べる。
荷台に載せた軽トラはバックで移動する。
苗床にまずする穴開きシート敷き。
日焼け、鳥除けの白い幌シートもロール状。
重たいロ-ル運びは力仕事。
がっちり筋肉の息子さんは軽々と肩に載せて運んでいた。
苗床の手前から並べていく。
徐々に伸びていくから苗箱はその都度運び距離が伸びていく。
1枚でも重い。
2枚ならその2倍の重さ。
がっしり堪えるから女性には無理だろうと思うような重さ。
3枚纏めて運びだす息子さんの力強さに惚れ惚れする。
ずっと奥まで運んでいた苗箱の並びである。
O家の苗代田は泥田。
ドロドロの液状でなく、ほぼ固形化に近い。
履いた長靴がずぶずぶ入っていく。
逆に移動するのに抜く力が要る。
ずぼっと入った足をあげるのがたいへんなことだと思った。
もち米も並べ終えたら鳥除けのアーチを仕立てる。
ぐにゃっと簡単に曲がる細いポールを泥田に突っ込む。
反対側に曲げてそこも突っ込んで外れないように立てていく。
もうすぐラストに到着すると思って角地に移動したら、なんと、苗土の一部に穴があった。
それは何だ。
ついさっきにここを通り抜けた飼い犬だった。
ワタシが犯人ですと云ったかどうか・・・抱っこされていたワンコが睨む眼でわかった。
あんたやろ。
それを見計らって水路からポンプで水揚げする。
水源地は東にある白川池。
池水開きは6月10日になりそうだと話す。
苗代田の傾斜は水路側にある。
水を抜くには器械要らず、である。
白い幌掛け。
ロールシートを二人がかりで抱えて伸ばしていく。
風で飛ばされないように幌の上からもポールを仕掛ける。
そして、始まった水口まつり。
予め持ってきておいた松苗付きの稲穂。
半紙で包んで紅白水引で括っていたが、チンチロ松ではなかった。
行事の際に仕掛けていた作業を拝見していたが、すべてにチンチロ松があったわけではない。
直会後に入手された模擬の松苗にはなかった。
若しくは取れて落ちてしまったのかもしれない。
奥さんはハウス向こうにある畑地に入った。
黄色い花にオレンジ色もあるお花に、つい最近見たことのある紫色の花も。
この紫花は同市勾田町のあるお家の庭にもあった「シラー・ぺルビアナ」だ。
水口からはほど遠いが、松苗にイロバナを立てる場は幌シートの先端辺り。
えー芽が出ますように、ぐぐっと押し込んで苗代に立てた。
立てるのは誰でも構わない。
この年の決め事は弟さんがされた。
よく見れば軸の部分を青いビニールで覆っていた。
泥田に汚れないように配慮されたイロバナであった。
(H29. 5. 3 EOS40D撮影)