天理市南六条町。
喜殿-六条線道を挟んで北方と南方からなる集落がある。
旧南柳生になる北方は三十八(みそや)神社、南方は杵築神社がある。
幾度か両神社行事を拝見していたがノガミ行事は未だに訪れることはなかった。
ノガミの場は街道の西側の小字野神に立つムクノキの一本木さんだ。
行事に関係する大字は北方。
この場は三十八神社のマツリにお渡りするお旅所でもある神聖な場である。
一本木さんの根株に置いてあった根付きのショウブとヨモギ。
傍にカシワモチを供えていた。
これらは前日にアニ若しくはオトウトトーヤ(平成20年に聞いたときはオヤ・コ頭屋だったが・・・)が供える。
総代が云うには御供は午前中、ショウブとヨモギは午後でも構わないという。
三十八(みそや)神社の年中行事はアニ・オトウトトーヤが月々交替する。
今年は仕事の関係でオトウトトーヤがつとめたそうだ。
今では和菓子のカシワモチに移ったがかつてはコモグサで包んだチマキだった。
小川に生えていたコモグサは消えたことにより北方の環濠に生えていたカシワの木の葉で包んでいた。
30数年前まではそうしていた。
当時は数え年17歳の男児が中心となって行う子供の行事であった。
供えた一本木の前で相撲や駆けっこをして遊んだ。
いつしか少子化を迎えてトーヤだけがつとめることになった。
撮影地を変えて、遠くから一本木を見る。
手前の苗代田に祭っているのは3月初めころに三十八神社の祈年祭に奉った松苗。
祭事を終えて村30戸に配られる。
「産土大神」のお札でくるんでいる。
割った竹に挟んで苗の成長を願っていた。
ここら辺りは数日後に田植えが始まる。
根付きのショウブとヨモギにカシワモチを供える三十八神社。
本殿にそれらがあった。
総代の許しを得て拝殿扉を開けて境内社の八阪神社・厳島神社も拝見する。
同じようにノガミの御供を奉っていた。
根付きのショウブ、ヨモギ、カシワモチは一本木、三十八神社だけでなく境内にある享保十一年(1726)鋳造の鐘楼前にある石灯篭や大師講の営みに使用されている会所外窓の大師像にも供えている。
会所は旧興蔵寺。
かつては真言宗派だった北方はいつの時代か判っていないが融通念仏宗派になった。
年に一度は大阪平野大念仏からやってくる如来さんのご回在がある。
それはともかく古くなった会所を建て替える事業が今年度に行われる。
平成20年のことだ。
サカキ立ての直会の際に拝見した会所の蔵に残してあった旧興蔵寺什物の牛玉宝印の版木や宝暦五年(1755)の銘が記された百万遍数珠箱がある。
旧興蔵寺はかつて布留社神宮寺三十二ケ寺の一つだった。
真言宗時代に使われていたと思われる道具類は建て替える際に倉庫に移すと総代が話す。
蔵にあった道具類は相当数。
村の歴史を語る道具類をこの際に整備したいという。
写真記録もある整備に協力を願われた。
時間の許す限り対応する所存であると、思っていたが連絡はなかった。村の対応で済んだのだと思う。
なお、平成13年正月改め頭屋持ち『三十八神社神饌帳』によれば6月5日は「チマキ」だった。
(H27. 6. 5 EOS40D撮影)
喜殿-六条線道を挟んで北方と南方からなる集落がある。
旧南柳生になる北方は三十八(みそや)神社、南方は杵築神社がある。
幾度か両神社行事を拝見していたがノガミ行事は未だに訪れることはなかった。
ノガミの場は街道の西側の小字野神に立つムクノキの一本木さんだ。
行事に関係する大字は北方。
この場は三十八神社のマツリにお渡りするお旅所でもある神聖な場である。
一本木さんの根株に置いてあった根付きのショウブとヨモギ。
傍にカシワモチを供えていた。
これらは前日にアニ若しくはオトウトトーヤ(平成20年に聞いたときはオヤ・コ頭屋だったが・・・)が供える。
総代が云うには御供は午前中、ショウブとヨモギは午後でも構わないという。
三十八(みそや)神社の年中行事はアニ・オトウトトーヤが月々交替する。
今年は仕事の関係でオトウトトーヤがつとめたそうだ。
今では和菓子のカシワモチに移ったがかつてはコモグサで包んだチマキだった。
小川に生えていたコモグサは消えたことにより北方の環濠に生えていたカシワの木の葉で包んでいた。
30数年前まではそうしていた。
当時は数え年17歳の男児が中心となって行う子供の行事であった。
供えた一本木の前で相撲や駆けっこをして遊んだ。
いつしか少子化を迎えてトーヤだけがつとめることになった。
撮影地を変えて、遠くから一本木を見る。
手前の苗代田に祭っているのは3月初めころに三十八神社の祈年祭に奉った松苗。
祭事を終えて村30戸に配られる。
「産土大神」のお札でくるんでいる。
割った竹に挟んで苗の成長を願っていた。
ここら辺りは数日後に田植えが始まる。
根付きのショウブとヨモギにカシワモチを供える三十八神社。
本殿にそれらがあった。
総代の許しを得て拝殿扉を開けて境内社の八阪神社・厳島神社も拝見する。
同じようにノガミの御供を奉っていた。
根付きのショウブ、ヨモギ、カシワモチは一本木、三十八神社だけでなく境内にある享保十一年(1726)鋳造の鐘楼前にある石灯篭や大師講の営みに使用されている会所外窓の大師像にも供えている。
会所は旧興蔵寺。
かつては真言宗派だった北方はいつの時代か判っていないが融通念仏宗派になった。
年に一度は大阪平野大念仏からやってくる如来さんのご回在がある。
それはともかく古くなった会所を建て替える事業が今年度に行われる。
平成20年のことだ。
サカキ立ての直会の際に拝見した会所の蔵に残してあった旧興蔵寺什物の牛玉宝印の版木や宝暦五年(1755)の銘が記された百万遍数珠箱がある。
旧興蔵寺はかつて布留社神宮寺三十二ケ寺の一つだった。
真言宗時代に使われていたと思われる道具類は建て替える際に倉庫に移すと総代が話す。
蔵にあった道具類は相当数。
村の歴史を語る道具類をこの際に整備したいという。
写真記録もある整備に協力を願われた。
時間の許す限り対応する所存であると、思っていたが連絡はなかった。村の対応で済んだのだと思う。
なお、平成13年正月改め頭屋持ち『三十八神社神饌帳』によれば6月5日は「チマキ」だった。
(H27. 6. 5 EOS40D撮影)