この日は特に水口まつりを調査しに行ったわけではなかった。
目的地は吉野町の小名であったが、やはりというか、ずいぶん前に消滅していた卯月ヨウカのテントバナである。
何度か取材で世話になった総代の話しによれば、それなんやというぐらいだった。
代わりといえばなんであるが、榛原萩原の玉立(とうだち)に小鹿野(おがの)地区。
榛原ではもう一カ所の笠間で拝見した水口まつりに設える藁束である。
あれは「マクラ」だと云っていたのが嬉しい。
榛原から南へ下った吉野町の小名でも水口まつりをしていたという証言である。
「マクラ」の呼び名は大宇陀の平尾もそうであった。
地域を離れて同一表現があったのが嬉しい。
吉野町を離れてもう一つの目的地は明日香村の桧前。
着いた時間は午後6時半。
訪ねる家が見つからず断念した。
その代わりといっちゃあなんだが、桧前に来るまでに見つかった苗代田のイロバナ。
場所は稲渕である。
前年、取材したドウコウ(堂講)のお札は今年もあった。
もう一つ取材した苗代田は荒れたまま。
そこより少し離れたところにあった苗代田のイロバナ。
飛鳥坐神社のマツノナエもないが、イロバナがあっただけでも嬉しいのだ。
(H29. 5. 8 EOS40D撮影)
目的地は吉野町の小名であったが、やはりというか、ずいぶん前に消滅していた卯月ヨウカのテントバナである。
何度か取材で世話になった総代の話しによれば、それなんやというぐらいだった。
代わりといえばなんであるが、榛原萩原の玉立(とうだち)に小鹿野(おがの)地区。
榛原ではもう一カ所の笠間で拝見した水口まつりに設える藁束である。
あれは「マクラ」だと云っていたのが嬉しい。
榛原から南へ下った吉野町の小名でも水口まつりをしていたという証言である。
「マクラ」の呼び名は大宇陀の平尾もそうであった。
地域を離れて同一表現があったのが嬉しい。
吉野町を離れてもう一つの目的地は明日香村の桧前。
着いた時間は午後6時半。
訪ねる家が見つからず断念した。
その代わりといっちゃあなんだが、桧前に来るまでに見つかった苗代田のイロバナ。
場所は稲渕である。
前年、取材したドウコウ(堂講)のお札は今年もあった。
もう一つ取材した苗代田は荒れたまま。
そこより少し離れたところにあった苗代田のイロバナ。
飛鳥坐神社のマツノナエもないが、イロバナがあっただけでも嬉しいのだ。
(H29. 5. 8 EOS40D撮影)