![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/7a/e56802d7294ef2d7ef9e9bacda51c188.jpg)
先週に伺った柳生の地。
住まいするI宮司が話してくれた奈良市東鳴川町の神社行事がある。
宵宮の夜八時。ゴボウ、ニンジン、ダイコン、コンブ、シイタケの五菜の生神饌を一括りにして供える。
それらは御供箱に入れられる。
他にコンニャク、ホウレンソウの箱もある。
稲は早稲、中稲、おくもを一老、二老が一人ずつ本殿に乗せる。
半紙にシトギ。それは大きなもの。
トーヤがすり鉢でコメを摺る。
かつては生きたコイも供えていた。
トコロの根はコンブに代わった。
藁にギンナン、カヤの実、タチバナ(コウジミカン)に生サバと吊しカキが並ぶらしい。
話しを聞いてから7年も経ってしまったが、良き機会に取材をさせていただくべく東鳴川町を訪ねる。
神社もお寺もはっきりと認識している場所は平成22年の3月19日の映像である。
村の人が見当たらなくて途方に暮れた。
時間も夜が迫る。
諦めて帰路についたことを覚えているが、今度こそ村の長に会って取材許可を得ておきたい。
そう、思って7年ぶりに再訪した東鳴川町。
目的地の神社やお寺がある地は急な坂道を登ったところにあるが、停める場はなかった。
仕方なく狭い道でハンドル切り回し。
県道に下りて不空羂索観音坐像を見学される方のために作られた駐車場に置かせてもらう。
そこからは歩きの山道登り。
車でも相当な角度の道に足はどんより。
なんとか登り切って神社に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ac/57b3165045163061b1220afc43a92724.jpg)
この道で良かったのだとあらためて認識したが、辺りには人影が見られない。
民家が建つところまで歩く。
屋内から人の声が聞こえたから、大声をあげてみた。
何事かと思ったようなお顔でお会いした人に聞けば、3年任期の村神主家を教えてもらい、さらに登っていく村の道。
歩きは心臓病いのリハビリにもなる。
そう思って足を踏みしめて登り下り。
ようやく見つかった村神主家。
声をかけたら出てこられた奥さんに取材主旨を伝える。
それなら、と電話で呼び出したご主人が戻ってこられた。
同じように取材主旨を伝えて行事の在り方をお聞きする。
宵宮に出されるゴサイ(五菜)はニンジン、ダイコン、ゴボウ、シイタケ・・と話されるご主人は座の一老。
宮総代でもある。
一老、二老、三老の長老が3人。
一老は特に忙しく、毎月の清掃が欠かせない。
つい先日の台風余波の強風が吹き荒れて、せっかく清掃した神社境内、階段には折れた枝に葉っぱが散乱した。
普段でも半日かかる作業であるが、今回はまる二日間もかかったそうだ。
神社の年中行事は8回ある。
1月1日は正月座。
12月10日は亥の子座。
その行事のときに役目の入れ替わり。
生のカマスに生ダイコンを半紙に乗せて座中に配膳する。
配膳するのは座中の若い人が役目する。
カマスもダイコンも小さく切ったもの。
かつては座のときに酒の肴に食べていたようだが、半紙に包んで持ち帰るものでもある。
持ち帰ったカマスにダイコンは家で調理をされて食す。
お下がりであるから持ち帰ってもらうように要請するが、今では持ち帰る人が少なくなったという。
生活文化の在り方の変化がここ東部山間にもみられる時代。
20、30年前は和装で座に参列していたが、現在は正装姿にしているそうだ。
座中に入れる年代が決まっている。
数えか満年齢か聞き損ねたが15歳になった長男だけが資格持ち。
直径家族の代継ぎは長男と決まっているが、男児がいなくて婿入りする場合もある。
それも長女が対象になる婿入りが村入り。
それから座入りを認められて座中が務める行事に参列できるのである。
座入りは座中の儀式である。
上座に座る一老こと宮総代が口上を述べて、座中一同の賛同を得なければならない。
逆に嫁入りがあった場合はお嫁さんを披露する「嫁ひろめ」と呼ぶ振る舞い行事がある。
嫁入りがある家は村人を招いてご馳走をふるまう儀式でもある。
行事はその他に2月11日の祈年祭もあれば11月の新嘗祭もある。
これらはマツリも含めて柳生下町在住のI宮司が祭祀をされる。
行事の一つに風ノ祈祷があったが、日曜日の8月20日にされた。
マツリもそうだが、ほとんどが土曜、日曜の祝祭日に移った。
移したものの日曜日は家の都合も重なることが多く、参加もできない逆の事情になっているという。
座中は23人。
長男であっても仕事先の関係で転勤せざるを得ない。
遠く離れた地に住まざるを得ない。
マツリは戻ってくる人も多いようだが、おおよそ半分になっているようだ。
そういった事情もあるが、前述したゴサイ(五菜)や神饌御供を調達、調理、調整をするのは年番のトーヤ(当家)である。
トーヤには次の年にその次のトーヤを務める予定の人も加わって、3人が務める。
シラモチ作りに提灯架けもあるマツリの日は粳米で作るモッソもある。
モッソは四角い桝に蒸しご飯を詰める。
そのモッソは2段重ね。
それを四つも作る。
ゴサイ(五菜)も四つ作るというから、たいへん手間のかかる作業である。
これらの作業は神社横に建つ仮屋で行われる。
東鳴川町のマツリに特徴がある。
マツリのどの時点で行われるのか、現実に拝見しなければわからないご神木へのお神酒を供えである。
あの向こうに見える山の尾根。
雑木林が並ぶところのある一点に空間がある。
その間に立っているのがご神木になるという。
山道を歩いてどれぐらいかかるのかわからないが、まま遠い地である。
こういった行事話しを聞けば是非とも拝見したいとお願いすれば、農小屋に準備中の御供を見せてくださる。
刈り取ったばかりの稲の穂は三種類。
早稲、中稲、晩稲の稲穂である。
これらは本社殿の屋根の庇に挿して供えるという。
県内事例にあるショウブとヨモギを供える節句行事がある。
その話しを聞いて思い出した地域は宇陀市大宇陀の野依である。
毎年の5月5日に行われる「節句のオンダ」に登場する。
その三種の稲穂を準備していたのは一老であるが、供えるのはトーヤのようである。
さまざまな在り方を話してくださった東鳴川の神社行事の取材許可。
ありがたく受けて、10月初旬に伺うことにした。
宵宮にマツリは、準備作業も含めて記録させていただくことになるだろう。
(H29. 9.24 SB932SH撮影)
住まいするI宮司が話してくれた奈良市東鳴川町の神社行事がある。
宵宮の夜八時。ゴボウ、ニンジン、ダイコン、コンブ、シイタケの五菜の生神饌を一括りにして供える。
それらは御供箱に入れられる。
他にコンニャク、ホウレンソウの箱もある。
稲は早稲、中稲、おくもを一老、二老が一人ずつ本殿に乗せる。
半紙にシトギ。それは大きなもの。
トーヤがすり鉢でコメを摺る。
かつては生きたコイも供えていた。
トコロの根はコンブに代わった。
藁にギンナン、カヤの実、タチバナ(コウジミカン)に生サバと吊しカキが並ぶらしい。
話しを聞いてから7年も経ってしまったが、良き機会に取材をさせていただくべく東鳴川町を訪ねる。
神社もお寺もはっきりと認識している場所は平成22年の3月19日の映像である。
村の人が見当たらなくて途方に暮れた。
時間も夜が迫る。
諦めて帰路についたことを覚えているが、今度こそ村の長に会って取材許可を得ておきたい。
そう、思って7年ぶりに再訪した東鳴川町。
目的地の神社やお寺がある地は急な坂道を登ったところにあるが、停める場はなかった。
仕方なく狭い道でハンドル切り回し。
県道に下りて不空羂索観音坐像を見学される方のために作られた駐車場に置かせてもらう。
そこからは歩きの山道登り。
車でも相当な角度の道に足はどんより。
なんとか登り切って神社に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/ac/57b3165045163061b1220afc43a92724.jpg)
この道で良かったのだとあらためて認識したが、辺りには人影が見られない。
民家が建つところまで歩く。
屋内から人の声が聞こえたから、大声をあげてみた。
何事かと思ったようなお顔でお会いした人に聞けば、3年任期の村神主家を教えてもらい、さらに登っていく村の道。
歩きは心臓病いのリハビリにもなる。
そう思って足を踏みしめて登り下り。
ようやく見つかった村神主家。
声をかけたら出てこられた奥さんに取材主旨を伝える。
それなら、と電話で呼び出したご主人が戻ってこられた。
同じように取材主旨を伝えて行事の在り方をお聞きする。
宵宮に出されるゴサイ(五菜)はニンジン、ダイコン、ゴボウ、シイタケ・・と話されるご主人は座の一老。
宮総代でもある。
一老、二老、三老の長老が3人。
一老は特に忙しく、毎月の清掃が欠かせない。
つい先日の台風余波の強風が吹き荒れて、せっかく清掃した神社境内、階段には折れた枝に葉っぱが散乱した。
普段でも半日かかる作業であるが、今回はまる二日間もかかったそうだ。
神社の年中行事は8回ある。
1月1日は正月座。
12月10日は亥の子座。
その行事のときに役目の入れ替わり。
生のカマスに生ダイコンを半紙に乗せて座中に配膳する。
配膳するのは座中の若い人が役目する。
カマスもダイコンも小さく切ったもの。
かつては座のときに酒の肴に食べていたようだが、半紙に包んで持ち帰るものでもある。
持ち帰ったカマスにダイコンは家で調理をされて食す。
お下がりであるから持ち帰ってもらうように要請するが、今では持ち帰る人が少なくなったという。
生活文化の在り方の変化がここ東部山間にもみられる時代。
20、30年前は和装で座に参列していたが、現在は正装姿にしているそうだ。
座中に入れる年代が決まっている。
数えか満年齢か聞き損ねたが15歳になった長男だけが資格持ち。
直径家族の代継ぎは長男と決まっているが、男児がいなくて婿入りする場合もある。
それも長女が対象になる婿入りが村入り。
それから座入りを認められて座中が務める行事に参列できるのである。
座入りは座中の儀式である。
上座に座る一老こと宮総代が口上を述べて、座中一同の賛同を得なければならない。
逆に嫁入りがあった場合はお嫁さんを披露する「嫁ひろめ」と呼ぶ振る舞い行事がある。
嫁入りがある家は村人を招いてご馳走をふるまう儀式でもある。
行事はその他に2月11日の祈年祭もあれば11月の新嘗祭もある。
これらはマツリも含めて柳生下町在住のI宮司が祭祀をされる。
行事の一つに風ノ祈祷があったが、日曜日の8月20日にされた。
マツリもそうだが、ほとんどが土曜、日曜の祝祭日に移った。
移したものの日曜日は家の都合も重なることが多く、参加もできない逆の事情になっているという。
座中は23人。
長男であっても仕事先の関係で転勤せざるを得ない。
遠く離れた地に住まざるを得ない。
マツリは戻ってくる人も多いようだが、おおよそ半分になっているようだ。
そういった事情もあるが、前述したゴサイ(五菜)や神饌御供を調達、調理、調整をするのは年番のトーヤ(当家)である。
トーヤには次の年にその次のトーヤを務める予定の人も加わって、3人が務める。
シラモチ作りに提灯架けもあるマツリの日は粳米で作るモッソもある。
モッソは四角い桝に蒸しご飯を詰める。
そのモッソは2段重ね。
それを四つも作る。
ゴサイ(五菜)も四つ作るというから、たいへん手間のかかる作業である。
これらの作業は神社横に建つ仮屋で行われる。
東鳴川町のマツリに特徴がある。
マツリのどの時点で行われるのか、現実に拝見しなければわからないご神木へのお神酒を供えである。
あの向こうに見える山の尾根。
雑木林が並ぶところのある一点に空間がある。
その間に立っているのがご神木になるという。
山道を歩いてどれぐらいかかるのかわからないが、まま遠い地である。
こういった行事話しを聞けば是非とも拝見したいとお願いすれば、農小屋に準備中の御供を見せてくださる。
刈り取ったばかりの稲の穂は三種類。
早稲、中稲、晩稲の稲穂である。
これらは本社殿の屋根の庇に挿して供えるという。
県内事例にあるショウブとヨモギを供える節句行事がある。
その話しを聞いて思い出した地域は宇陀市大宇陀の野依である。
毎年の5月5日に行われる「節句のオンダ」に登場する。
その三種の稲穂を準備していたのは一老であるが、供えるのはトーヤのようである。
さまざまな在り方を話してくださった東鳴川の神社行事の取材許可。
ありがたく受けて、10月初旬に伺うことにした。
宵宮にマツリは、準備作業も含めて記録させていただくことになるだろう。
(H29. 9.24 SB932SH撮影)