マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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ネギとともに天から降ってきた翁面は面塚に舞い降りた

2016年06月30日 08時59分19秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市小林町の田んぼに径数メートルほどの塚がある。

その塚を村の人は面塚と呼んでいる。

昔、昔のことじゃ。

翁の面が天から降ってきて塚に落ちた。

面を見つけたのは隣村の今国府町に住む人が見つけたそうだ。

土地の所有者は小林町、見つけた人は今国府町。

降ってきた面は共有することになった。

今もなお、天から降ってきた翁面は両村共有というわけで、両村の秋のマツリに登場する。

マツリに使われた面は一年ごとに交替していたが、現在は先に今国府町、翌日に小林町、という具合だ。

マツリに登場した翁面はそのまま小林町で保管される。

一年後の今国府の人が面を預かって村のマツリのお渡りに面を被った姿を見せる。

一方、小林町では面を被らずに手で抱えるという。

その面塚の風情を撮っておきたいと思ってから数年間も経った。

普段の塚は雑草が生える。

田主は草マメシになれば雑草刈り。

塚は大切にと思ってこれまでずっとそうしてきた。

田植えをしてから4か月後。

塚の周りは稔りの時期を迎えた。

田主が耕す田は一丁。

主たる稲作の品種はヒノヒカリだそうだ。

稔った田は黄金色になっていた。

仕事帰りにばったり出合った田の所有者夫妻は朝から息子に応援頼みの稲刈り作業をしていたそうだ。

稲刈り機械が全面稼働するまでは奥さんの出番。

機械が入らない田の端っこの稲の下株を左手で掴んで右手に握った鎌でザックリ伐る。

刈った稲束は田の周辺の歩道に置いていく。

昨年はそうしていたが、腰がどうも動かん。

親父さんも腰が曲がっている。

昼過ぎまで作業をしていたが身体がもたんと云って午後は休んだ。

そうとは知らずに足を運んだ田は機械を置いて、そのままにしていた。

稲刈り作業をしている状況を撮ってあげたいと思っていたが叶わなかった。

翌日は継続的に受診している診察日。

その翌日も仕事がある。

逃せばまたもや一年後となる。

翌年に持越しすれば後悔する。

そう思って面塚に出向いて写真を撮っていた。

田主は休息中。

稲刈り作業の続きは翌日に廻されたと聞く。

面塚の向こうに小林町のマツリが行われる杵築神社の森が見える。



右手は他家の稲刈り作業があったのでなんとか収まった。

後日に写真を見た田主が云った。

「これは孫だ。黒い帽子で判った」と。

来年は田植えをしてから数日後の雨が降っているときに撮ってみたいと思った。

面塚を撮って戻ってきた旧村の小林町集落。

たった300mの距離が遠くに感じる。

重さ8kgのカメラ機材を肩に下げて歩くのはしんどい。

田主と仲がいいS婦人の家は駐車地のすぐ近く。

付近には数軒がかたまるように集中する農家の住処。



田主の家は農小屋から吐きだすように膨らんだ袋が外に出ていた。

道を挟んだ向かい側にある農小屋に収穫したタマネギを干していた。



色づく柿の色はさえないが、時期がくれば吊るし柿にするであろう。

耕した田の畝には何を植えるのだろうか。

そんなことを考えながら戻ってきたら、「一服しぃ」と云われてウスヒキを済ませたばかりの婦人宅の小屋で一休み。

叔父とともに作業していたウスヒキの機械は小まめに清掃しなくては・・・、と話していた。

婦人が耕す田は七反。

六反が粳米のヒノヒカリ。

残りの一反は糯米のアサヒモチ。

結構な量の稲作をしている。

それからの2週間後。

婦人から電話があった。

「収穫・ウスヒキした玄米のヒノヒカリをあげるからこっち来ぃ」ということだ。

ありがたい言葉に釣られて車を走らせた。

待っていた婦人は30kgの米袋を抱えて車に載せてくれた。

玄米は食べる分量、だいたいが10kgを計量して近くにある精米所でしたらいいという。

100円コインで10kgの玄米を精米しれくれるという。

我が家にとってありがたーい新米。

ネギは付いていないが天から降ってきた翁面のようだと思った新米は粳米のヒノヒカリ。

6反も作っているが、うち1反は餅米のアサヒモチを作付けしているという。

ちなみにH家も同じ作付けのヒノヒカリ。

一丁の田を耕している。

粘りがあって甘いと話していた。

(H27.10.14 EOS40D撮影)


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