
この年の十五夜は9月24日。
その十五夜の日に、芋を供えて名月を愛でるススキ立てをする、と話してくれたM家。
3カ月前の6月24日は、当屋の神送りを受けたオトウトドーヤを務めたM家所在地の宇陀市大宇陀栗野に居た。
当日、行われた村行事は、岩神社の三大行事の一つである田植え終いの夏祭だった。
祭りの祭典を終えた村行事。
続けて行われた神送り神事。
受け当屋を務めるオトウトドーヤ家に岩神社の分霊を奉る神事である。
その晩は、M家のもてなしお接待。
当主のMさんが話してくれたお家行事に芋名月があった。
滅多に遭遇することのないお家行事。
しかも、十五夜の日に行われる芋名月。
主にされるのは母親。
自家栽培の芋を洗うことから始める。
泥に塗れた芋はサトイモ。
その芋を綺麗にする芋洗い。
道具はバケツに板。
ゴシゴシ廻す泥洗いは、芋の皮も剥ぐ。
その行為は、以前テレビかなんかで見たことがあるが、実態を拝見することはまずない。
その貴重な機会を逃すわけにはいかず、Mさん、母親ともども、もてなしの宴を終えた直後にお願いした民俗取材。
念のためと思って、前日の23日に電話を入れた。
受話器に出られたMさん。
「明日?、そうだったんや。明日の母親はご近所の女性とともに日帰り温泉。大宇陀あきのの湯に出かけるのは、お昼。お願いされた芋名月は、本人が忘れてなければすると思う。するならするで、コイモをたっぷり付けたサトイモを畑から採ってこなあかんな。泥いっぱいつけた芋をばらけさせてから、サトイモのイモノコ洗い。水を入れたバケツに板を沈め、そこにサトイモをごろごろさせて洗ったら皮がめくれる・・・」と話してくれた。
電話を入れてなければ、失念。
そうなったかもしれない。
電話は23日に架けた行事伺い。
一つは、コオリカキ(垢離かき)にそのときに当たる行事当屋の状況である。
受け当屋を務めたMさんの次に受ける当屋である。
既に次の受け当屋は、Sさんに移っていた。
しかもその次の受け当屋も決まり、Kさんが担うことになった、という。
しかも、吉野川の河原に下りてコオリカキも前週の日曜に済ませたそうだ。
取材チャンスは失ったが、もう一つの民俗である芋名月の状況伺い。
Mさんが電話口に伝えた・・「明日が、そうだったんや」。
定期的に行われることのない芋名月は、旧暦の八月十五日。
つまりは十五夜の日である。
新暦カレンダーでは毎年に日が替わる十五夜の日。
そのぶれはおよそ3週間も幅があるから、ある年なんか10月になることも・・。
失念する人はたぶんに多い。
電話をかけて思い出されたMさん。
主に母親がされているから、都合は母親に確認をとらねばならないが、約束事が決まっていた。
ご近所の女性とともに出かける日帰り温泉・大宇陀あきのの湯行き。
芋名月を忘れてなければ、すると思う。
するなら、コイモをたっぷり付けた里芋を畑から採ってこなあかんな、という。
泥いっぱいつけた里芋からコイモをばらして、芋の子洗い。
水いっぱい入れたバケツに、一枚の板を沈め、そこにコイモをごろごろさせながら、洗ったら皮がめくれる。
午後の時間は、温泉帰りの母親待ちにならないよう、遅い時間に向かうことにした。
尤も、この日は吉野町山口で行われる牛滝まつり取材が入っているから終わり次第に栗野へ向かうことにした。
到着した時間は、午後4時過ぎ。
ズイキイモは畑で栽培した青ズイキ。
近くに生えていたススキも抜いてきたが、時期的なズレがあったためにハギ(萩)の花は見つからなかった。
前述したように旧暦十五夜は、年によって3週間もブレることから、どちらかが未熟で揃わないことが多い。
地域によって植生が異なるススキとハギ’(萩)。
結局は、ススキだけになった今夕の芋名月。
先に準備をしていた83歳の父親。
木製の手造り椅子を台に置いた花瓶。
Mさんがわまりをして採ってきたススキを立てた。

家の畑に出ていたMさん。
今日、半日はご近所の奥さまたちと癒しの日帰り温泉。
まわりを済ませてから、宇陀市のコミュニティバスに乗って帰ってきた。
その迎えに出ていたMさんは、バス停に下りた母親とともに帰宅した。
早速の芋洗い。

用意していたバケツに水入れ。
ズイキの親芋からもぎとった芋の子をバケツに入れて洗う。

洗う道具は長方形の一枚板。
波形のない板だから、洗濯板ではない。
その一枚板を芋の子を沈めたバケツに突っ込んでゴシゴシ洗う。
母親は、ゴシゴシといわずにゴジゴジ洗う、という。
ゴジゴジ、ゴジゴジ、両手で掴んだ一枚板を左右、前後に動かして洗う。

洗っては、泥水を洗い流し、もう一度水を入れて、ゴジゴジ、ゴジゴジ・・・。
このゴジゴジ作業を何度も何度も水を入れ替えては繰り返す芋洗い作業。

白い肌を見せるようになったら洗いはとめる。
肌は白くなっても、ところどころに皮残り。
黒い部分の皮は包丁を入れて皮を剥く。

数は多くないからすぐに出来上がった芋の子は、包丁を入れて根切りもした。
芋名月に供える分量は、多くは要らない。
これくらいで充分。
少し黒皮を残した芋の子。

皮を剥いている間に準備した栗。
近くの山にあった実のあるヤマグリ。
今年の実成りは少なく4個になったが、芋の子とともに供えることにした。

そういうわけで、今年も、M家は十五夜の芋名月に十三夜の栗名月も共にした。

ススキにハギ(萩)の花を飾って、栗に芋の子を供える。

そして月の出を待つ。
普段なら夜中じゅうカドニワに出したままにしているが、雨が強い降りなら屋内に供えている。
母親は、茹でたコイモを好む。
皮がつるっとむけるコイモは甘くて美味しい、といつもそういっているそうだ。

採れたての新芋は、皮が柔らかい。
今日のような芋洗いでも皮はするっと取れるが、貯蔵した古い芋は固い。
だから今日のような芋洗いはできない。
皮は古くなれば厚くて固くなるから包丁で皮を剥く。
亥の子のときは、この里芋を粗く潰してご飯とともに炊く。
炊けたらおはぎのように、形をおにぎりにして、餡を塗す。
餡つけのおはぎにして食べるイモモチ。
亥の子の日につきもの美味しいイモモチは、神社に供えることはない。
亥の子の日は11月。
お家で作って食べる亥の子のイモモチも、また取材をお願いした。
今年は11月11日が、亥の日。
今から楽しみにしておこう。
ふと話してくださった栗野のヒナアラシ。

60年前だったか、いやいやもっと前。
戦前かもわからないずいぶん昔。
時の記憶は曖昧だが、村内の各家を巡って雛あられをもらいに行っていた、という母親の記憶。
年齢から推定した時代は、戦中から戦前のようだ。
現在もなお、ヒナアラシをしている地域は、県内でただ一つ。
五條市近内町の町内一帯に繰り広げるヒナアラシの子どもたち。
ひな壇を飾っているご近所さんにやってきて、用意されているお菓子などをもらってくる行事。
ここ栗野はお菓子でなくヒナアラレだった、というからずいぶん昔のようだ。
聞き取りに知った宇陀市本郷の道返寺(※どうへんじ)垣内事例がある。
三つの地区のヒナアラシから考えるに、地区に埋もれているヒナアラシの過去事例は、まだまだありそうな気がする。
(H30. 9.24 EOS7D撮影)
その十五夜の日に、芋を供えて名月を愛でるススキ立てをする、と話してくれたM家。
3カ月前の6月24日は、当屋の神送りを受けたオトウトドーヤを務めたM家所在地の宇陀市大宇陀栗野に居た。
当日、行われた村行事は、岩神社の三大行事の一つである田植え終いの夏祭だった。
祭りの祭典を終えた村行事。
続けて行われた神送り神事。
受け当屋を務めるオトウトドーヤ家に岩神社の分霊を奉る神事である。
その晩は、M家のもてなしお接待。
当主のMさんが話してくれたお家行事に芋名月があった。
滅多に遭遇することのないお家行事。
しかも、十五夜の日に行われる芋名月。
主にされるのは母親。
自家栽培の芋を洗うことから始める。
泥に塗れた芋はサトイモ。
その芋を綺麗にする芋洗い。
道具はバケツに板。
ゴシゴシ廻す泥洗いは、芋の皮も剥ぐ。
その行為は、以前テレビかなんかで見たことがあるが、実態を拝見することはまずない。
その貴重な機会を逃すわけにはいかず、Mさん、母親ともども、もてなしの宴を終えた直後にお願いした民俗取材。
念のためと思って、前日の23日に電話を入れた。
受話器に出られたMさん。
「明日?、そうだったんや。明日の母親はご近所の女性とともに日帰り温泉。大宇陀あきのの湯に出かけるのは、お昼。お願いされた芋名月は、本人が忘れてなければすると思う。するならするで、コイモをたっぷり付けたサトイモを畑から採ってこなあかんな。泥いっぱいつけた芋をばらけさせてから、サトイモのイモノコ洗い。水を入れたバケツに板を沈め、そこにサトイモをごろごろさせて洗ったら皮がめくれる・・・」と話してくれた。
電話を入れてなければ、失念。
そうなったかもしれない。
電話は23日に架けた行事伺い。
一つは、コオリカキ(垢離かき)にそのときに当たる行事当屋の状況である。
受け当屋を務めたMさんの次に受ける当屋である。
既に次の受け当屋は、Sさんに移っていた。
しかもその次の受け当屋も決まり、Kさんが担うことになった、という。
しかも、吉野川の河原に下りてコオリカキも前週の日曜に済ませたそうだ。
取材チャンスは失ったが、もう一つの民俗である芋名月の状況伺い。
Mさんが電話口に伝えた・・「明日が、そうだったんや」。
定期的に行われることのない芋名月は、旧暦の八月十五日。
つまりは十五夜の日である。
新暦カレンダーでは毎年に日が替わる十五夜の日。
そのぶれはおよそ3週間も幅があるから、ある年なんか10月になることも・・。
失念する人はたぶんに多い。
電話をかけて思い出されたMさん。
主に母親がされているから、都合は母親に確認をとらねばならないが、約束事が決まっていた。
ご近所の女性とともに出かける日帰り温泉・大宇陀あきのの湯行き。
芋名月を忘れてなければ、すると思う。
するなら、コイモをたっぷり付けた里芋を畑から採ってこなあかんな、という。
泥いっぱいつけた里芋からコイモをばらして、芋の子洗い。
水いっぱい入れたバケツに、一枚の板を沈め、そこにコイモをごろごろさせながら、洗ったら皮がめくれる。
午後の時間は、温泉帰りの母親待ちにならないよう、遅い時間に向かうことにした。
尤も、この日は吉野町山口で行われる牛滝まつり取材が入っているから終わり次第に栗野へ向かうことにした。
到着した時間は、午後4時過ぎ。
ズイキイモは畑で栽培した青ズイキ。
近くに生えていたススキも抜いてきたが、時期的なズレがあったためにハギ(萩)の花は見つからなかった。
前述したように旧暦十五夜は、年によって3週間もブレることから、どちらかが未熟で揃わないことが多い。
地域によって植生が異なるススキとハギ’(萩)。
結局は、ススキだけになった今夕の芋名月。
先に準備をしていた83歳の父親。
木製の手造り椅子を台に置いた花瓶。
Mさんがわまりをして採ってきたススキを立てた。

家の畑に出ていたMさん。
今日、半日はご近所の奥さまたちと癒しの日帰り温泉。
まわりを済ませてから、宇陀市のコミュニティバスに乗って帰ってきた。
その迎えに出ていたMさんは、バス停に下りた母親とともに帰宅した。
早速の芋洗い。

用意していたバケツに水入れ。
ズイキの親芋からもぎとった芋の子をバケツに入れて洗う。

洗う道具は長方形の一枚板。
波形のない板だから、洗濯板ではない。
その一枚板を芋の子を沈めたバケツに突っ込んでゴシゴシ洗う。
母親は、ゴシゴシといわずにゴジゴジ洗う、という。
ゴジゴジ、ゴジゴジ、両手で掴んだ一枚板を左右、前後に動かして洗う。

洗っては、泥水を洗い流し、もう一度水を入れて、ゴジゴジ、ゴジゴジ・・・。
このゴジゴジ作業を何度も何度も水を入れ替えては繰り返す芋洗い作業。

白い肌を見せるようになったら洗いはとめる。
肌は白くなっても、ところどころに皮残り。
黒い部分の皮は包丁を入れて皮を剥く。

数は多くないからすぐに出来上がった芋の子は、包丁を入れて根切りもした。
芋名月に供える分量は、多くは要らない。
これくらいで充分。
少し黒皮を残した芋の子。

皮を剥いている間に準備した栗。
近くの山にあった実のあるヤマグリ。
今年の実成りは少なく4個になったが、芋の子とともに供えることにした。

そういうわけで、今年も、M家は十五夜の芋名月に十三夜の栗名月も共にした。

ススキにハギ(萩)の花を飾って、栗に芋の子を供える。

そして月の出を待つ。
普段なら夜中じゅうカドニワに出したままにしているが、雨が強い降りなら屋内に供えている。
母親は、茹でたコイモを好む。
皮がつるっとむけるコイモは甘くて美味しい、といつもそういっているそうだ。

採れたての新芋は、皮が柔らかい。
今日のような芋洗いでも皮はするっと取れるが、貯蔵した古い芋は固い。
だから今日のような芋洗いはできない。
皮は古くなれば厚くて固くなるから包丁で皮を剥く。
亥の子のときは、この里芋を粗く潰してご飯とともに炊く。
炊けたらおはぎのように、形をおにぎりにして、餡を塗す。
餡つけのおはぎにして食べるイモモチ。
亥の子の日につきもの美味しいイモモチは、神社に供えることはない。
亥の子の日は11月。
お家で作って食べる亥の子のイモモチも、また取材をお願いした。
今年は11月11日が、亥の日。
今から楽しみにしておこう。
ふと話してくださった栗野のヒナアラシ。

60年前だったか、いやいやもっと前。
戦前かもわからないずいぶん昔。
時の記憶は曖昧だが、村内の各家を巡って雛あられをもらいに行っていた、という母親の記憶。
年齢から推定した時代は、戦中から戦前のようだ。
現在もなお、ヒナアラシをしている地域は、県内でただ一つ。
五條市近内町の町内一帯に繰り広げるヒナアラシの子どもたち。
ひな壇を飾っているご近所さんにやってきて、用意されているお菓子などをもらってくる行事。
ここ栗野はお菓子でなくヒナアラレだった、というからずいぶん昔のようだ。
聞き取りに知った宇陀市本郷の道返寺(※どうへんじ)垣内事例がある。
三つの地区のヒナアラシから考えるに、地区に埋もれているヒナアラシの過去事例は、まだまだありそうな気がする。
(H30. 9.24 EOS7D撮影)