平成28年の5月29日、調べていた大宇陀栗野のお垢離取り。
いつにされるのかわからないものだから、翌週の6月5日も訪れた。
その前の5月15日も調べにきていた。
平成29年の5月8日も訪れて調べてみたが・・。
かつての話題提供をしてくださるが、実施日がとんとわからない。
話してくださったお垢離取り。
全容は見えないが、想像するイメージは見えてきた。
聞き取り調査に来てからこの年で3年目。
実際に、今でもお垢離取りをされている方に出合いたいが、そんなに上手く出会えることはないだろう。
縁を求めてやってきた3年目の栗野の地。
どなたかお会いできればと思って当地を散策した。
火の見櫓から少し南に下ったところに数軒の家がある。
声が聞こえるお家に足が自然と動く。
そこにおられた娘さんと父親に尋ねた栗野のお垢離取り。
村から通知が届いた連絡文書に書いてあった日程は6月上旬の日曜日。
一週目か、二週目なのか。実施時間も書いていない通知文だった。
親子で話してくださった下垣内のNさん。
子供のころの記憶によれば、葉っぱにご飯を盛って供えていたそうだ。
70戸からなる栗野に庚申講はあるが、離脱する家もある。
また、解散した別の講もある、という。
講の営みは当番家で行っていた。
当番の廻りは講中の順。
講中を迎える接待が大層になっていた。
現在は数組の講があるらしい。
話してくださったN家は、農家ではないから、垢離取りは86歳になる隠居のN家が詳しいようだ。
家はそこだ、というから訪ねてみたが不在だった。
本人は不在だったが、庭にすごく素敵な山野草鉢がいっぱいあった。
その美しさに見惚れてしばらくは佇んでいたいイワチドリ。
すいぶん前であるが、私もイワチドリを鉢栽培していた。
環境が合わなかったのか、一年ぽっきりだっただけに、蘇る美しさは映像に記憶させてもらった。
そのNさんが、北の方からとぼとぼと歩いてくる。
平成28年の5月15日、神社前を歩いていたNさんである。
2年前にお会いしたときと同じように杖をついて歩いていた。
覚えてはるかな、と思って声をかけたが、「聞こえない」という。
後でわかったが、2年間の経過にずいぶんと耳が遠くになったそうだ。
「お垢離取りってなんですか」と云われたときはショックだった。
逆に言えば、2年前に話してくれた体験談が、実に貴重なもの、と思えるのだ。
Nさんの件は断念。
次はどこに・・。
車道から見える中腹の高台に民家が見える。
なんとなくお家におられるような気配を感じて立ち寄った。
広地に車を停めさせてもらって声をかける。
たしか人影が見えたと思うのに返答はない。
山に登ってしまったのか。
呼び鈴を押せば若い女性が玄関に出てこられた。
お垢離取りの件を尋ねたら、義理のお母さんが詳しい、という。
たしかそこらへんにおったはずだ、というから待っていたら、ひょっこりお顔が見えたFさんに教えを乞う。
出里は隣村の菟田野であるが、垢離取りなんぞはなく、嫁入りしたとき聞かされて驚いたものだった、という。
それから長年に亘ってしてきた垢離取りを「田休みのお垢離取り」と呼んでいる。
中出垣内に住むN家は農家さんだからこそ、すっと口に出る「田休みのお垢離取り」である。
かつては、鳥居を潜って岩神社との間を往復する。
その回数は33回。
垢離取りは、神社に自生する榊の葉、或いは家にある木の葉を33枚摘んでもってくる。
その葉は、神社北裏に流れる小川の水に漬ける。
水に浸した葉を手にして鳥居を潜り、岩神社・社殿に向けて葉についた水滴を飛ばす。
清らかな水で祓い清める作法がお垢離取り。
33回も繰り返すお垢離取り。
いつしか体力的にもしんどくなり短縮することにした。
本来なら、一人で33回も繰り返す作法であるが、しんどくなったら、例えば連れてきた二人の子どもに、或いは孫にも手伝ってもらう。
33回の垢離取り回数を子どもや孫に分担してもらうワケだ。
3人ですれば垢離取り回数は11回でアガリになる、という。
昔は、田植えが終わったそれぞれの家単位でしていた田休みの垢離取り。
F家は田植えを終えたあくる日か、二日ぐらい経った日に垢離取りをしていた。
水で清めた葉をもって神さん参りして、その年の豊作を願っていたのである。
垢離取りには、お神酒と洗い米も持っていった。水に浸けた葉っぱ。
清めたあとに洗い米を盛ってお神酒とともに供えていた、という。
葉に洗米を盛って供える、その場所は社殿下にある一対の花立ての間の祭壇である。
垢離取りの時間は、特に決まっていない。
村の人が揃って一斉に参ることもなく、めいめいが順次参拝する。
F家は朝の7時ころからしている、という。
できれば、F家のあり方を撮らせてもらえばありがたいが、恥ずかしいから、とやんわりお断り・・・。
「岩神社は女の神さんやから」と、いうFさん。
「女は構うことができないので神社行事のすべては男でしていた」が、今の時代そういうわけにもいかなくなった、とも。
岩神社の年中行事に夏祭りと秋祭りに亥の子祭りがある。
栗野の垣内は下垣内に中出垣内。
上垣内にハリガタニ垣内(針ケ谷)垣内の4垣内が廻る当番垣内。
ただ、ハリガタニ垣内の軒数は他の垣内と比べてとても少ない6軒垣内。
その垣内でトーヤ家を選んで祭りを営んできたが、軒数の多い下垣内は軒数分けした2年間の営み。
平成30年の今年であれば秋祭りと亥の子祭りの2回連続の当たりである。
また、中出垣内も軒数が多く、来年の平成31年の夏祭りと秋祭りに当たるそうだ。
(H30. 5.27 SB932SH撮影)
いつにされるのかわからないものだから、翌週の6月5日も訪れた。
その前の5月15日も調べにきていた。
平成29年の5月8日も訪れて調べてみたが・・。
かつての話題提供をしてくださるが、実施日がとんとわからない。
話してくださったお垢離取り。
全容は見えないが、想像するイメージは見えてきた。
聞き取り調査に来てからこの年で3年目。
実際に、今でもお垢離取りをされている方に出合いたいが、そんなに上手く出会えることはないだろう。
縁を求めてやってきた3年目の栗野の地。
どなたかお会いできればと思って当地を散策した。
火の見櫓から少し南に下ったところに数軒の家がある。
声が聞こえるお家に足が自然と動く。
そこにおられた娘さんと父親に尋ねた栗野のお垢離取り。
村から通知が届いた連絡文書に書いてあった日程は6月上旬の日曜日。
一週目か、二週目なのか。実施時間も書いていない通知文だった。
親子で話してくださった下垣内のNさん。
子供のころの記憶によれば、葉っぱにご飯を盛って供えていたそうだ。
70戸からなる栗野に庚申講はあるが、離脱する家もある。
また、解散した別の講もある、という。
講の営みは当番家で行っていた。
当番の廻りは講中の順。
講中を迎える接待が大層になっていた。
現在は数組の講があるらしい。
話してくださったN家は、農家ではないから、垢離取りは86歳になる隠居のN家が詳しいようだ。
家はそこだ、というから訪ねてみたが不在だった。
本人は不在だったが、庭にすごく素敵な山野草鉢がいっぱいあった。
その美しさに見惚れてしばらくは佇んでいたいイワチドリ。
すいぶん前であるが、私もイワチドリを鉢栽培していた。
環境が合わなかったのか、一年ぽっきりだっただけに、蘇る美しさは映像に記憶させてもらった。
そのNさんが、北の方からとぼとぼと歩いてくる。
平成28年の5月15日、神社前を歩いていたNさんである。
2年前にお会いしたときと同じように杖をついて歩いていた。
覚えてはるかな、と思って声をかけたが、「聞こえない」という。
後でわかったが、2年間の経過にずいぶんと耳が遠くになったそうだ。
「お垢離取りってなんですか」と云われたときはショックだった。
逆に言えば、2年前に話してくれた体験談が、実に貴重なもの、と思えるのだ。
Nさんの件は断念。
次はどこに・・。
車道から見える中腹の高台に民家が見える。
なんとなくお家におられるような気配を感じて立ち寄った。
広地に車を停めさせてもらって声をかける。
たしか人影が見えたと思うのに返答はない。
山に登ってしまったのか。
呼び鈴を押せば若い女性が玄関に出てこられた。
お垢離取りの件を尋ねたら、義理のお母さんが詳しい、という。
たしかそこらへんにおったはずだ、というから待っていたら、ひょっこりお顔が見えたFさんに教えを乞う。
出里は隣村の菟田野であるが、垢離取りなんぞはなく、嫁入りしたとき聞かされて驚いたものだった、という。
それから長年に亘ってしてきた垢離取りを「田休みのお垢離取り」と呼んでいる。
中出垣内に住むN家は農家さんだからこそ、すっと口に出る「田休みのお垢離取り」である。
かつては、鳥居を潜って岩神社との間を往復する。
その回数は33回。
垢離取りは、神社に自生する榊の葉、或いは家にある木の葉を33枚摘んでもってくる。
その葉は、神社北裏に流れる小川の水に漬ける。
水に浸した葉を手にして鳥居を潜り、岩神社・社殿に向けて葉についた水滴を飛ばす。
清らかな水で祓い清める作法がお垢離取り。
33回も繰り返すお垢離取り。
いつしか体力的にもしんどくなり短縮することにした。
本来なら、一人で33回も繰り返す作法であるが、しんどくなったら、例えば連れてきた二人の子どもに、或いは孫にも手伝ってもらう。
33回の垢離取り回数を子どもや孫に分担してもらうワケだ。
3人ですれば垢離取り回数は11回でアガリになる、という。
昔は、田植えが終わったそれぞれの家単位でしていた田休みの垢離取り。
F家は田植えを終えたあくる日か、二日ぐらい経った日に垢離取りをしていた。
水で清めた葉をもって神さん参りして、その年の豊作を願っていたのである。
垢離取りには、お神酒と洗い米も持っていった。水に浸けた葉っぱ。
清めたあとに洗い米を盛ってお神酒とともに供えていた、という。
葉に洗米を盛って供える、その場所は社殿下にある一対の花立ての間の祭壇である。
垢離取りの時間は、特に決まっていない。
村の人が揃って一斉に参ることもなく、めいめいが順次参拝する。
F家は朝の7時ころからしている、という。
できれば、F家のあり方を撮らせてもらえばありがたいが、恥ずかしいから、とやんわりお断り・・・。
「岩神社は女の神さんやから」と、いうFさん。
「女は構うことができないので神社行事のすべては男でしていた」が、今の時代そういうわけにもいかなくなった、とも。
岩神社の年中行事に夏祭りと秋祭りに亥の子祭りがある。
栗野の垣内は下垣内に中出垣内。
上垣内にハリガタニ垣内(針ケ谷)垣内の4垣内が廻る当番垣内。
ただ、ハリガタニ垣内の軒数は他の垣内と比べてとても少ない6軒垣内。
その垣内でトーヤ家を選んで祭りを営んできたが、軒数の多い下垣内は軒数分けした2年間の営み。
平成30年の今年であれば秋祭りと亥の子祭りの2回連続の当たりである。
また、中出垣内も軒数が多く、来年の平成31年の夏祭りと秋祭りに当たるそうだ。
(H30. 5.27 SB932SH撮影)