マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

筒井町・北垣内東の地蔵祭り

2023年12月10日 08時12分17秒 | 大和郡山市へ
知人のNカメラマンが、FBに伝えていた「・・大和郡山市のある地区の一角。三叉路真ん中のお地蔵さま・・」

実に狭い三叉路の道に、愛車の通行に無理がある。

そう、気がつかずに通り抜けようとしたが、通行禁止だった。

その三叉路の地蔵尊に地蔵祭りをしている、とわかった。

翌日の2月1日に控えていた取材先は、大和郡山市筒井町菅田比売(すがたひめ)神社境内で行われる地区の大とんど

ご挨拶に伺った日は平成27年の1月31日。

大和郡山市にある二ノ正月とんど撮影に遁走していた。

菅田比売(すがたひめ)神社境内の大とんども二ノ正月とんどに入る伝統行事。

大和郡山に多くある二ノ正月とんどの取材日に出逢えたのが三叉路に立地している地蔵尊だった。

不思議な場所にぽつん、とあった地蔵尊に手を合わせていた女性を見た。

思わず、その姿に手持ちしていたカメラのシャッター。

急いで駆けつけて、名刺を渡し、お礼を伝えた。

なんでも、今日は辻地蔵の清掃。

月当番に掃除していたそうだ。

そこで尋ねた地蔵盆。

ここの地区では、毎年の9月1日にしている、と。

いつかは訪問したい辻の地蔵さん。

その年の7月、突然に発症した心臓の大手術。

退院したもののリハビリ運動の毎日。

今も欠かせないリハビリ運動に、あれこれしているうちにコロナ禍に突入した。

発生から、2年の経過。

未だ収まらないコロナ禍であるが、こういうときだからこそ、地蔵さんの祭りは、もしかしたらされているかもしれない。



そう、思って早めに家を出て、着いた三叉路に建つ辻の地蔵さん。

午後4時半の地蔵さんには、どなたもおられない。



ただ、提灯を掲げているから、そのうち・・

10分ほど待っていたら何人かが来られて、一輪車に載せてきた供物を置いていく。



ここは、筒井町の北垣内。

組単位で廻りしている地蔵さんの当番。

そのときの当番していたMさんらが動く。

本来なら子供もやってくれる数珠繰り。

地藏堂の前にゴザなどを敷いて行う数珠繰り。

また、法要を終えてからは、専念寺本堂にてビンゴ・じゃんけんゲーム。

帰りにお菓子をもらう子どもたちの楽しみ。

昨年に続いて、コロナ禍の地蔵祭りは法要のみの実施を決めた。

月当番も掃除をしているが、ここすぐ近くに住まいされているM家にD家の高齢婦人が、なんと、近くだからと云って毎日に掃除をしている、という。

また、この辻の地蔵さん5体は、土中から出現した、という。

えっ、と驚くが、市内の地蔵さん。

地蔵盆取材によく聞く地蔵さんの出現。

土砂崩れの山から、或いは洪水の際に、川の上流から流れついたとか・・

土中から出てきた、というのは土地の開発に道路拡幅などの工事から出没したのかもしれない。

また、出現したそれぞれの地蔵さんを、まとめて建てた地蔵堂に収めるケースも多い。

地藏堂を建てた年代はわからないが、傷んだ屋根の補修は昭和61年8月吉日とあったから、その当時は、8月23日、24日に地蔵盆を営んでおられた、と推定したが、違った。

9月1日なら、八朔行事では、と思ったがそれも違っており、以前は7月23日にしていた、という証言にすっきりした。

地蔵さんの涎掛けは、毎年に新しく掛けかける。

今は赤だが、次は白色に替えるようだ。

午後5時半ころに法要していただく浄土宗専念寺のご住職。

実は、かつて専念寺住職は尼僧であったが、亡くなられたそうだ。

後任に就いたご住職は、近い親戚筋にあたる方。



地蔵祭りの準備が整ったので、お呼びにあがる。

毎月の1日に、夕方5時から本堂で朔日詣りをしている浄土宗寺院称名山専念寺



地藏堂から南に歩いてすぐ近く。

当番の女性が案内してくれた境内にある石仏は地蔵菩薩立像。



なんでも、室町後期の作風。

高さは128cm。

像高が66cm。

肉厚彫りの地蔵立像に笠石をもつ




支度を整えたご住職を、地蔵堂まで案内に就いた当番さん。

そして、はじまった法要に、地蔵菩薩真言を唱えられる。

毎月の朔日詣りもしている今日の当番の女性とMさん。

その日は、朝5時に出かけて参るようだ。



コロナ禍にマスクを着用し、手を合わせていた。

地蔵堂を建てた地に生育した大きな樹木はモチノキ。

毎年に赤い実をつけるようだ。



十数分の法要時に、この通りを往来する人たち。

車に単車、大型バイク、自転車で往来する人多いが未だに衝突事故など見たことがない、という。

たしかにそれほど多い交通量に散歩する人もおれば、白い杖をついて行き来する人たちの姿も見られた生活道路。



かつては賽銭代わりに白いおにぎり飯と赤飯(赤ごはんかも・・)を供えていた人の姿もあったそうだ。

元々は賽銭という考え方がなく、昔の人は米の方が大事と考えて、ご飯を供えていたのであろう。

法要を終えて解散。



今日は、雨が降らんでよかった、といいながら、あと片付けにも忙しい当番役に、念のため聞き取りした砂の道の習俗。

と、いうのも筒井町に住んでいる何人かの人から、教えてもらった砂の道は、してたで・・・

ずいぶん前のことであるが、この日の当番者だけがしていたという。

砂はどこから運んだかわからないが、家の前の道から、家の庭、玄関前まで撒いた砂の道は、氏神さんの菅田比売(すがたひめ)の神さんが通る道でしょ、と話してくれた。

(H27. 1.31 EOS7D 撮影)
( R3. 9. 1 SB805SH/EOS7D 撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。