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桜井市の山間にある和田。
かつては2月23日に頭屋家でオコナイが行われていた。
かつてというよりも平成24年が最後だったのである。
頭屋家の座敷に集まってごーさん札を作る。
文字は和田の氏神さんの高おかみ神社と書く。
そこに朱印を3カ所押す。
採ってきたカワヤナギに稲穂を括りつけたごーさんである。
苗代時期に挿して豊作を願ったと話すN夫妻。
たいそうになってきたことも一因。
頭屋受けをする家もないようになった。
村に住む人が少なくなったようだ。
和田は神社近くが上垣内、道路側が下垣内。
オコナイもマツリも村行事である。
頭屋家ではご馳走を作ってふるまい接待。
それがたいそうだと云う。
オコナイの作法をすることもなくなったが2月11日には神社で宮司による神事があると云う。
祈年祭と思われる日程である。
宮司は桜井山間の数カ所において勤める。
なにかと日が重なるそうだ。
かつては頭屋家でゴクツキもしていたがそれもなくなったオコナイは祈年祭とともに行われる神社祭祀となったようだ。
秋のマツリもしているが随分と質素になったと云う。
そんな話をしてくださったN家は80年前に引っ越してきた。
村を一旦出ていた分家。
今でも本家が上のほうにあると云う。
高おかみ神社下には会所がある。
そこは浄土宗の新福寺。
窓ガラスを割られて泥棒に仏像を盗まれたことがある。
和田には閏の年の庚申講があると思っていた。
昨年の6月に拝見した庚申さんのオソナエ。話をすればそれは中谷の庚申さんだと云う。
和田の庚申さんは川向こうの山の中にあるという。
引っ越してきた頃、入講したいと申し出たが断られた。
そんな庚申講は今では下垣内で3軒。
確かめたくて歩いてみた。
橋を渡って右へ行く。
山のほうに上がる道がある。
崖っぷちに沿った道である。
小高い丘のように見えた山。
そこにあった庚申の石仏には青面金剛の文字がある。
和田村講中が寄進した石仏に違いないが年代は判読できなかったが、竹製のハナタテとゴクダイとおぼしき形が残っていた。
後日に史料で確認した年代は「寛政六年寅年(1794)」、「閏十一月吉日」であった。
(H25. 2.23 EOS40D撮影)
かつては2月23日に頭屋家でオコナイが行われていた。
かつてというよりも平成24年が最後だったのである。
頭屋家の座敷に集まってごーさん札を作る。
文字は和田の氏神さんの高おかみ神社と書く。
そこに朱印を3カ所押す。
採ってきたカワヤナギに稲穂を括りつけたごーさんである。
苗代時期に挿して豊作を願ったと話すN夫妻。
たいそうになってきたことも一因。
頭屋受けをする家もないようになった。
村に住む人が少なくなったようだ。
和田は神社近くが上垣内、道路側が下垣内。
オコナイもマツリも村行事である。
頭屋家ではご馳走を作ってふるまい接待。
それがたいそうだと云う。
オコナイの作法をすることもなくなったが2月11日には神社で宮司による神事があると云う。
祈年祭と思われる日程である。
宮司は桜井山間の数カ所において勤める。
なにかと日が重なるそうだ。
かつては頭屋家でゴクツキもしていたがそれもなくなったオコナイは祈年祭とともに行われる神社祭祀となったようだ。
秋のマツリもしているが随分と質素になったと云う。
そんな話をしてくださったN家は80年前に引っ越してきた。
村を一旦出ていた分家。
今でも本家が上のほうにあると云う。
高おかみ神社下には会所がある。
そこは浄土宗の新福寺。
窓ガラスを割られて泥棒に仏像を盗まれたことがある。
和田には閏の年の庚申講があると思っていた。
昨年の6月に拝見した庚申さんのオソナエ。話をすればそれは中谷の庚申さんだと云う。
和田の庚申さんは川向こうの山の中にあるという。
引っ越してきた頃、入講したいと申し出たが断られた。
そんな庚申講は今では下垣内で3軒。
確かめたくて歩いてみた。
橋を渡って右へ行く。
山のほうに上がる道がある。
崖っぷちに沿った道である。
小高い丘のように見えた山。
そこにあった庚申の石仏には青面金剛の文字がある。
和田村講中が寄進した石仏に違いないが年代は判読できなかったが、竹製のハナタテとゴクダイとおぼしき形が残っていた。
後日に史料で確認した年代は「寛政六年寅年(1794)」、「閏十一月吉日」であった。
(H25. 2.23 EOS40D撮影)