マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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切幡の社日のミトマツリ

2016年10月05日 09時17分46秒 | 山添村へ
この日の相方は滋賀県の民俗行事を主に取材している写真家のKさん。

矢田原の子どものねはんの取材を終えて、空いた時間を有効的に活用したく、ここら辺りの民俗を漫遊してみようということになった。

今年の社日(しゃにち)はすでに終わっている。

春の社日は年によって小幅に動く。

社日は祈願の中日に最も近い戊(つちのえ)の日である。

今年は3月17日になる。

社日は土地の産土神を祭る日。

土地に感謝する特定日に農の祭りごとする地域がまれにある。

とはいっても地域行事ではなく農家の風習ごとである。

稲作に一番大切な土地は田んぼ。

そこに祭る諸々は家によって異なるが、奈良県内ではモミマキやミトマツリになるようだ。

そういう風習があると聞いている地域はこの日訪れた山添村切幡がある。

当地は3軒あると聞いているが、1軒だけは家は判っているものの田んぼの位置が掴めていない。

社日のミトマツリは切幡以外に奈良市の東山間部もある。

一つは旧都祁村の上深川町。

もう一つは北村町。

さらに北上した下狭川町もある。

これまで取材した地域は切幡の2軒と下狭川の1軒。

いずれも「社日のミトマツリ」と称している。

「社日」の日でなく4月初め、土用の入り後の良い日にしていると話していたのは誓多林町の人だ。

平成24年4月17日だったから1カ月後になる。

同家のミトマツリは萬福寺で行われるオコナイのウルシ棒がある。

祈祷された牛玉宝印の書を巻き付けている。

煎ったハゼゴメをその辺りに落として彼岸講ノオコナイで豊作を祈祷されたごーさん札を立てる。

ハウスになったがそこで祭って拝んでいたのはN婦人だった。

今でもしているだろうと思って伺ったが、である。

ご主人が出てこられて天に昇っていったという。

なんということだ。

誓多林で生まれ育ったN婦人は母親がしていたことをそっくりそのまま継いでいた。

いくつかは簡略化されたが豊作を願い農家の在り方をずっとしてきた。

毎年、実施されていたそんな在り方を教わること、多し、だった。

知人のカメラマンさんも同家を訪問、取材していた。いくたびも「最近はけーへんな」と私のことを心配してくれていた。

たしかにここ2年間は無礼をしていた。

婦人の声を聞いた最後の日は平成26年9月24日だった。

取材したかったカキヌキのアカメシ御供だった。

蒸すには手間がかかるなどあれこれあって断られた。

対面した最後の日は平成25年3月24日だった。

取材させてもらった十九夜さんの写真を手渡しに立ち寄ったときだ。

まさか、まさかの死去はつい一カ月前。

気になっていたがもう会えない。合掌。

そして訪れたのが山添村切幡のT家。

T家は今時珍しくなった三世帯住宅。

働き者の息子家族に孫さん家族も。

家族揃って素麺を製造しているし、稲作もある。

平成26年の3月18日には同家がされた社日のミトマツリを拝見したことがある。

たぶんにしているだろうと思って訪れたのだ。

以前に拝見した同じ場所に立ててあった。

親父さんも息子さんもこの日は休日を楽しんでおられた。

一年ぶりにお会いする家族に歓迎される前にはとにかく写真。

目の色が輝いていた相方は奈良県で初めて見たのかミトマツリの状態。

盛んにシャッターを押していた。

同家は昨年に自宅を改造された。

いわゆるリフォームである。

「外観だけだよ」とおっしゃっていたがそうでもないように思える。

その玄関に立てた日の丸の旗。

この日は春分の日の祝日である。

苗代田の畔に立てていたのは正月七日に行われた極楽寺のオコナイで祈祷されたごーさん札である。

元々は上出垣内は極楽寺、下出垣内は常住院。

それぞれの垣内は垣内の寺でオコナイをしていた。

ずいぶん昔に常住院は廃寺となりオコナイ行事は極楽寺一本になった。

オコナイ行事に僧侶は登場しない。

二人の村神主が寺世話を担う。

ローソクを灯したお堂に集まってしばらくすればごーさん札に押した朱印を参列者の額に押す。

赤いマークが額に残る。

スタンプではなく朱肉だから風呂に入ってごしごししないと消えないぐらいに残存率が高い。

かつてはこのごーさん札を挟むウルシの木の棒もあった。

山に行けばあるところにはあるらしいが、入手は難しくなってきた時代にウルシの木は登場しなくなった。

お札だけが残ったのである。

僧侶もいないオコナイに祈祷を終えたお札は家に持ち帰る。

これを今でも苗代に立てているのは3軒ぐらい。

自前で採取してきたウルシの木の棒に挟んで畑の土手の水口に立てる。

花をつけたヤマツバキの枝木も立てる。

傍に半紙を広げて洗い米と小豆を供える。

その場を離れたら狙っていたカラスが飛んできて食べてしまったと云う。

重さをなくした半紙は風に飛ばされて隣の田んぼにあった。

かつてはこの場にオンダ祭で授かった杉苗もあった。

オンダ祭は諸事情で中断した。

そういうことから懐かしいという話だけが残った。

(H28. 3.20 EOS40D撮影)


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