知人のSさんの了解を得てご自宅に伺う。
毎年の8月13日は、ご先祖さんを迎える盆の日。
S家の在所地は、山添村の勝原。
村の伝統行事に子供の涅槃がある。
平成21年は2月21日。
該当する対象年齢の子供がいなければ、その年は行われない。
8年ぶりに伺った平成29年は2月11日だった。
ご縁を得て、村行事を取材させていただいた。
取材の一環にあがらせてもらったご自宅に、吊るしていた初めて見る形式に不思議を感じた。
後日、あらためて取材させていただいたまじない願文が「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」。
まず拝見することのない、貴重なお家のあり方だった。
そのときに話してくださった、S家のお盆。
先祖さんに供える朝、昼、晩の食事。
付随するサシサバも供える、と連絡をいただき伺った。
勝原は、13日が先祖迎えで、14日に早くも戻られる。
奈良県内では、一般的に13日が迎えで、15日が戻りであるが、勝原は、14日に早くも戻られる。
その理由は、後世に伝わらず、比較してはじめてわかった期間日程の件は、さておき、お迎えした先祖さんが戻って食べる朝、昼、晩の食事を教えていただく。
Sさんの母親が、話してくださる。
今年の迎え日、前日の12日。
法要に来ていただくお寺さんは朝。
お参りされて他家にも参られる。
本来は13日であったが、都合があった関係でお供えも前日になった。
仏壇の前に並べた先祖代々の位牌。
左横に配置したお供えの数々。
カボチャに黄マッカ、トマト、茄子、ニンジン、キュウリ、かぶら、万願寺トウガラシにゴーヤなどの野菜と乾麺タイプのソーメンは、サトイモの葉に載せている。
県内事例の数々を見てきた皿代わりの葉は、地域に或いはお家によって異なる。
ここS家は、サトイモの葉であるが、一般的にはハスの葉。
集落付近に蓮があれば、その葉をもらって、供えていると話す取材先もあれば、近くに蓮がないものだから、代わりにサトイモの葉をしているという取材先もある。
平坦であっても、山間地であってもサトイモの葉を敷くお家は多いように思える。
大きな西瓜は丸ごとのまま。いずれもS家の自家栽培の野菜、果物。
朱塗りの角盆に載せて奉っている。
その手前の角盆は母親手造りのおはぎ。
一枚の柿の葉におはぎが1個。
先祖さんに食べてもらうための箸はオガラ。
折って短くしたオガラは一膳ずつ。
六つあるから先祖さんも6人と思いきや、位牌が6柱です、と云われた。
なんでも、S家の先祖代々は江戸時代から続く家系。
たくさんある位牌を、一度、きちんと拝見してみたいと思っていましたから、と云われて御開帳。
母親と、ともに拝見した過去帳位牌の数々。
数えてみれば16柱。
尤も1柱は「惣法界菩提」だから、さらに古い、歴代の先祖さんを纏められた歴代碑であろう。
知人の母親とともに並べた歴代年順。
右から順に延宝五年(1677)、宝永元年(1704)、宝永二年(1705)、宝永四年(1707)、天明元年(1781)、天明四年(1784)、天保九年(1838)、天保十二年(1840)、文政八年(1825)、文政八年(1825)、萬延元年(1860)、嘉永六年(1853)、嘉永七年(1854)、明治十二年(1879)。黒ずんだ位牌の一部は判読不能だったが、少なくとも350年以上も前の位牌。
それ以前は不明なだけに惜しまれるが、建ててから300年にもなる、というお家は大和にどれくらいあるのだろうか。
取材地で聞くリフォーム。
すっかり様変わりした新しいお家に残したのは位牌だけのような話もある。
さて、モチ米で作ったおにぎりに餡子を塗したおはぎである。
昨今の隣近所は、おはぎから転じたアンパンと家もあるようだ。
また、おはぎでなく白い餅の家もある。
家それぞれのあり方である。
実は、本来晩に供えるおはぎであるが、取材のために用意してくださったのと、お昼にシンコをおましたから合わせて用意してくださったようだ。
おはぎは、同じように柿の葉にのせて、屋外裏カドのガキンドウに供えるが、食べ物だけにパックに入れてお供え。
オガラの箸も添えてやる供える時間帯は夜になる。
なお、おはぎは、13日、14日の両日とも供えるが、カギサンのおはぎは13日だけ。
14日は、ソーメンにお漬物にする。
仏壇から出した位牌の前にはおっぱんと呼ぶ御飯を三杯並べる。
その前もまた三杯のお茶であるが、お水は一杯。
これもまた、同じように両日ともおます。
お茶は、三度の食事ごとに、新しいお茶に入れ替え、古いほうのお茶は縁の下に捨てる。
14日の朝は、五つの野菜を入れたオカイさん(お粥)。
昼はソーメンにする。
朝に出かける墓参り。
14日の夕刻。
3本の竹に取り付けた藁松明に火を点けて、先祖さんを送る。
翌日の15日。盆棚に供したものは川に流していたが、それは昔のこと。
今は、セキトウバカ(石塔墓)に収めている、と話す。
(H30. 8.13 EOS7D撮影)
毎年の8月13日は、ご先祖さんを迎える盆の日。
S家の在所地は、山添村の勝原。
村の伝統行事に子供の涅槃がある。
平成21年は2月21日。
該当する対象年齢の子供がいなければ、その年は行われない。
8年ぶりに伺った平成29年は2月11日だった。
ご縁を得て、村行事を取材させていただいた。
取材の一環にあがらせてもらったご自宅に、吊るしていた初めて見る形式に不思議を感じた。
後日、あらためて取材させていただいたまじない願文が「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」。
まず拝見することのない、貴重なお家のあり方だった。
そのときに話してくださった、S家のお盆。
先祖さんに供える朝、昼、晩の食事。
付随するサシサバも供える、と連絡をいただき伺った。
勝原は、13日が先祖迎えで、14日に早くも戻られる。
奈良県内では、一般的に13日が迎えで、15日が戻りであるが、勝原は、14日に早くも戻られる。
その理由は、後世に伝わらず、比較してはじめてわかった期間日程の件は、さておき、お迎えした先祖さんが戻って食べる朝、昼、晩の食事を教えていただく。
Sさんの母親が、話してくださる。
今年の迎え日、前日の12日。
法要に来ていただくお寺さんは朝。
お参りされて他家にも参られる。
本来は13日であったが、都合があった関係でお供えも前日になった。
仏壇の前に並べた先祖代々の位牌。
左横に配置したお供えの数々。
カボチャに黄マッカ、トマト、茄子、ニンジン、キュウリ、かぶら、万願寺トウガラシにゴーヤなどの野菜と乾麺タイプのソーメンは、サトイモの葉に載せている。
県内事例の数々を見てきた皿代わりの葉は、地域に或いはお家によって異なる。
ここS家は、サトイモの葉であるが、一般的にはハスの葉。
集落付近に蓮があれば、その葉をもらって、供えていると話す取材先もあれば、近くに蓮がないものだから、代わりにサトイモの葉をしているという取材先もある。
平坦であっても、山間地であってもサトイモの葉を敷くお家は多いように思える。
大きな西瓜は丸ごとのまま。いずれもS家の自家栽培の野菜、果物。
朱塗りの角盆に載せて奉っている。
その手前の角盆は母親手造りのおはぎ。
一枚の柿の葉におはぎが1個。
先祖さんに食べてもらうための箸はオガラ。
折って短くしたオガラは一膳ずつ。
六つあるから先祖さんも6人と思いきや、位牌が6柱です、と云われた。
なんでも、S家の先祖代々は江戸時代から続く家系。
たくさんある位牌を、一度、きちんと拝見してみたいと思っていましたから、と云われて御開帳。
母親と、ともに拝見した過去帳位牌の数々。
数えてみれば16柱。
尤も1柱は「惣法界菩提」だから、さらに古い、歴代の先祖さんを纏められた歴代碑であろう。
知人の母親とともに並べた歴代年順。
右から順に延宝五年(1677)、宝永元年(1704)、宝永二年(1705)、宝永四年(1707)、天明元年(1781)、天明四年(1784)、天保九年(1838)、天保十二年(1840)、文政八年(1825)、文政八年(1825)、萬延元年(1860)、嘉永六年(1853)、嘉永七年(1854)、明治十二年(1879)。黒ずんだ位牌の一部は判読不能だったが、少なくとも350年以上も前の位牌。
それ以前は不明なだけに惜しまれるが、建ててから300年にもなる、というお家は大和にどれくらいあるのだろうか。
取材地で聞くリフォーム。
すっかり様変わりした新しいお家に残したのは位牌だけのような話もある。
さて、モチ米で作ったおにぎりに餡子を塗したおはぎである。
昨今の隣近所は、おはぎから転じたアンパンと家もあるようだ。
また、おはぎでなく白い餅の家もある。
家それぞれのあり方である。
実は、本来晩に供えるおはぎであるが、取材のために用意してくださったのと、お昼にシンコをおましたから合わせて用意してくださったようだ。
おはぎは、同じように柿の葉にのせて、屋外裏カドのガキンドウに供えるが、食べ物だけにパックに入れてお供え。
オガラの箸も添えてやる供える時間帯は夜になる。
なお、おはぎは、13日、14日の両日とも供えるが、カギサンのおはぎは13日だけ。
14日は、ソーメンにお漬物にする。
仏壇から出した位牌の前にはおっぱんと呼ぶ御飯を三杯並べる。
その前もまた三杯のお茶であるが、お水は一杯。
これもまた、同じように両日ともおます。
お茶は、三度の食事ごとに、新しいお茶に入れ替え、古いほうのお茶は縁の下に捨てる。
14日の朝は、五つの野菜を入れたオカイさん(お粥)。
昼はソーメンにする。
朝に出かける墓参り。
14日の夕刻。
3本の竹に取り付けた藁松明に火を点けて、先祖さんを送る。
翌日の15日。盆棚に供したものは川に流していたが、それは昔のこと。
今は、セキトウバカ(石塔墓)に収めている、と話す。
(H30. 8.13 EOS7D撮影)