お盆の行事に墓参りがある。
10年ほど前に聞いていた山添村大塩の行事。
習俗に「七日盆の墓掃除がある。盆入りに前の7日は、墓掃除、綺麗にして先祖さんを迎える」。
下見に訪れた、この日に出会った村の人。
これまで何度も取材してきた大塩の年中行事に度々お会いしたことがあるKさん。
七日盆の墓掃除の件を尋ねたら、8月初めの日曜日だという。
午前中に墓掃除。
午後に七日盆の井戸替え作業がある。
七日盆から尋ねた、お家の盆行事の刺しさば。
かつては同村、北野の大矢商店で買っていた刺しさば。
両親が揃っていたころにしていたお家の行事。
買った刺しさばは2尾。鰓(※エラ)に差し込んだ刺しさばを供えたあとに食べていた。
両親が健在だったころだからずいぶん前のこと。
いつしかサバからトビウオに切り替えた。
購入先は、割合に近い県境を越えた三重県の上野にあった魚屋さんで買っていたそうだ。
これまで聞いた事例に、刺しさばでなくトビウオ地域があった。
同村の桐山、岩屋、遅瀬に大西。
山添村でなく桜井市の箸中もトビウオだった。
他にもあるのでは、と思っていたところに、ここ大塩もそうだった。
刺しさばを売っていた大矢商店の店主も、「昔はトビウオだった」と・・
地域全体が、そうだと言い切れない食文化。
それぞれのお家によって異なる。
Kさんの事例がまさしく、そうである。
そうだ、お盆の前に調べておきたい三重県特有のトビウオ調査に、さあ、出かけてみよう。
平成23年8月13日に訪れた山添村菅生の庭に設える餓鬼棚。
籠を伏せるような形式は、珍しく貴重な民俗。
そのときに話してくださったお盆に供え、家族が口にする刺しさば民俗があった。
菅生もまたトビウオ文化。
刺しさばもあったといいうから二通りの習俗。
重なった時代があったのだろう。
桜井から来ていた行商が売っていた魚は加工した塩干魚。
塩干のヒダラも売っていた。
伊勢で仕入れた、というトビウオは名張経由の行商。
2尾のサシサバ、トビウオ、ヒダラ。
いずれにしても両親が揃っている家ではそれらを食べていたという。
食する民俗にお盆の習俗が合わさった民俗。
その魚を運ぶ流通、販売。加工に漁港まで遡る文化があったからこそである。
来月に調べたい刺しさば売り場。
三重県名張に足を運んで調査する予定を入れた。
先に訪問、三重県名張の刺しさば調査に出かけるにあたり、店舗の裏で自家製の刺しさばをつくり、お店で売っている都祁白石の辻村商店の店主にご挨拶をしておこう。
ところで、ここ大塩に訪れた行事調査は、他にもある。
この日の午後4時過ぎに訪れた大塩。
たまたま大塩・観音寺の月詣りに来られていた女性に伺った。
墓掃除などをしていた分家のみねだ、という婦人の話によれば、24日は、極楽寺石塔墓地の「盆入り行灯」。
さて、聞きはじめの「盆入り行灯」とはなんだろうか。
山添村に極楽寺がある大字は切幡。
虫送りの出発に極楽寺に灯しているローソクのオヒカリを松明に火移しする寺である。
また、正月はじめに行われるオコナイ、と呼ぶ初祈祷行事を営まれる極楽寺。
そういえば、お盆の行事は、詳しく聞いていなかったなぁ。
また、31日の「水無月」に仏壇素麺供えも聞いたことがない。
盆の三が日に供えるのは、いつも決まっているが、他家とは違うかも。
そこで尋ねたサシサバも知らないという婦人。
家族の一人が亡くなったら墓石を建てるが、某家なんかは30墓もあるもんだから、それぞれにお花や供物を用意せなあかんし、並べるだけでもたいへん。
虫送り祈祷に北谷住職も来られていたが脳梗塞を患った関係で、息子五人は仏僧に。
代わりに先日の大般若経を務めたのは、針観音寺の息子さん。
そういえば切幡は松明で虫送りするが、大塩は北谷さんに書いてもらった虫送りの祈祷札である。
それは川に流す札や、と思い出した農休みの虫送り。
村の周りの四方に竹札を立てるのは大般若経転読法要後の風の祈祷札立て。
立てる場所は4カ所。
実にわかりにくい藪の中にも立てていたことを思いだした。
それから伺った、行事取材に何かとお世話になったYさん。
車を停めて登る坂道は急こう配。
ちょっと登っては休憩。
何度も休憩した集落の入口から、行事なくとも幾度か訪れるようになったお家に向かったが、生憎の不在だった。
そのことを隣家のKさんに伝えたら、さっきに家を出たばかり、電話したらどう、といわれてコールしたら三重県・名張に用事があり、お出かけ中。
久しぶりです、と声をかけたが・・・電波事情が悪いのか、切れた。
そこでKさんに伺ったのが、前述した盆入りの墓掃除に井戸替え作業。
Kさんは、村の行事でお会いしていた方。
話によれば、村にミバカが4カ所もある。
この年は8月1日が日曜日。
午前中に八柱神社の朔日坐があるが。
外してもらい、午前は墓地の掃除に。
午後2時から井戸替え作業をする。
すぐ近くに山の神があるミバカに井戸(※給水槽)替え。
来ていいよ、と云ってくれた。
ちなみにかつては大矢商店で買っていた刺し鯖を供え、食べていたが、いつしか三重県の上野に出かけてトビウオ買い。
刺しさばから、トビウオに切り替えたが、今は何もしていないそうだ。
大塩を離れ、帰路にかけたYさんへの電話。
食事も済ませて、やっと電波の届く位置に移動してきたそうだ。
この年は、大塩の村マツリ。
トーヤ勤めに難儀した、という。
Kさんから許可いただいた井戸替え作業。
上(かみ)の組が、今もやっている、と話してくれた。
そして、尋ねたブトクスベ。
ずいぶん前になるが、Yさんが話してくれたぶとくすべ。
平成17年に亡くなられた母親が畑でしていたぶとくすべは、畑の小屋にたしかあった、と聞いていた。
畑作業に難儀する虫に悩ませる時期。
梅雨明けから秋口まで、腰にぶら下げて使っていたぶとくすべは、母親がつくって遺してくれた農の道具。
今でもあるんやろか・・。
その件については、井戸替えのときに聞いてみよう。
(R3. 7.24 SB805SH撮影)
10年ほど前に聞いていた山添村大塩の行事。
習俗に「七日盆の墓掃除がある。盆入りに前の7日は、墓掃除、綺麗にして先祖さんを迎える」。
下見に訪れた、この日に出会った村の人。
これまで何度も取材してきた大塩の年中行事に度々お会いしたことがあるKさん。
七日盆の墓掃除の件を尋ねたら、8月初めの日曜日だという。
午前中に墓掃除。
午後に七日盆の井戸替え作業がある。
七日盆から尋ねた、お家の盆行事の刺しさば。
かつては同村、北野の大矢商店で買っていた刺しさば。
両親が揃っていたころにしていたお家の行事。
買った刺しさばは2尾。鰓(※エラ)に差し込んだ刺しさばを供えたあとに食べていた。
両親が健在だったころだからずいぶん前のこと。
いつしかサバからトビウオに切り替えた。
購入先は、割合に近い県境を越えた三重県の上野にあった魚屋さんで買っていたそうだ。
これまで聞いた事例に、刺しさばでなくトビウオ地域があった。
同村の桐山、岩屋、遅瀬に大西。
山添村でなく桜井市の箸中もトビウオだった。
他にもあるのでは、と思っていたところに、ここ大塩もそうだった。
刺しさばを売っていた大矢商店の店主も、「昔はトビウオだった」と・・
地域全体が、そうだと言い切れない食文化。
それぞれのお家によって異なる。
Kさんの事例がまさしく、そうである。
そうだ、お盆の前に調べておきたい三重県特有のトビウオ調査に、さあ、出かけてみよう。
平成23年8月13日に訪れた山添村菅生の庭に設える餓鬼棚。
籠を伏せるような形式は、珍しく貴重な民俗。
そのときに話してくださったお盆に供え、家族が口にする刺しさば民俗があった。
菅生もまたトビウオ文化。
刺しさばもあったといいうから二通りの習俗。
重なった時代があったのだろう。
桜井から来ていた行商が売っていた魚は加工した塩干魚。
塩干のヒダラも売っていた。
伊勢で仕入れた、というトビウオは名張経由の行商。
2尾のサシサバ、トビウオ、ヒダラ。
いずれにしても両親が揃っている家ではそれらを食べていたという。
食する民俗にお盆の習俗が合わさった民俗。
その魚を運ぶ流通、販売。加工に漁港まで遡る文化があったからこそである。
来月に調べたい刺しさば売り場。
三重県名張に足を運んで調査する予定を入れた。
先に訪問、三重県名張の刺しさば調査に出かけるにあたり、店舗の裏で自家製の刺しさばをつくり、お店で売っている都祁白石の辻村商店の店主にご挨拶をしておこう。
ところで、ここ大塩に訪れた行事調査は、他にもある。
この日の午後4時過ぎに訪れた大塩。
たまたま大塩・観音寺の月詣りに来られていた女性に伺った。
墓掃除などをしていた分家のみねだ、という婦人の話によれば、24日は、極楽寺石塔墓地の「盆入り行灯」。
さて、聞きはじめの「盆入り行灯」とはなんだろうか。
山添村に極楽寺がある大字は切幡。
虫送りの出発に極楽寺に灯しているローソクのオヒカリを松明に火移しする寺である。
また、正月はじめに行われるオコナイ、と呼ぶ初祈祷行事を営まれる極楽寺。
そういえば、お盆の行事は、詳しく聞いていなかったなぁ。
また、31日の「水無月」に仏壇素麺供えも聞いたことがない。
盆の三が日に供えるのは、いつも決まっているが、他家とは違うかも。
そこで尋ねたサシサバも知らないという婦人。
家族の一人が亡くなったら墓石を建てるが、某家なんかは30墓もあるもんだから、それぞれにお花や供物を用意せなあかんし、並べるだけでもたいへん。
虫送り祈祷に北谷住職も来られていたが脳梗塞を患った関係で、息子五人は仏僧に。
代わりに先日の大般若経を務めたのは、針観音寺の息子さん。
そういえば切幡は松明で虫送りするが、大塩は北谷さんに書いてもらった虫送りの祈祷札である。
それは川に流す札や、と思い出した農休みの虫送り。
村の周りの四方に竹札を立てるのは大般若経転読法要後の風の祈祷札立て。
立てる場所は4カ所。
実にわかりにくい藪の中にも立てていたことを思いだした。
それから伺った、行事取材に何かとお世話になったYさん。
車を停めて登る坂道は急こう配。
ちょっと登っては休憩。
何度も休憩した集落の入口から、行事なくとも幾度か訪れるようになったお家に向かったが、生憎の不在だった。
そのことを隣家のKさんに伝えたら、さっきに家を出たばかり、電話したらどう、といわれてコールしたら三重県・名張に用事があり、お出かけ中。
久しぶりです、と声をかけたが・・・電波事情が悪いのか、切れた。
そこでKさんに伺ったのが、前述した盆入りの墓掃除に井戸替え作業。
Kさんは、村の行事でお会いしていた方。
話によれば、村にミバカが4カ所もある。
この年は8月1日が日曜日。
午前中に八柱神社の朔日坐があるが。
外してもらい、午前は墓地の掃除に。
午後2時から井戸替え作業をする。
すぐ近くに山の神があるミバカに井戸(※給水槽)替え。
来ていいよ、と云ってくれた。
ちなみにかつては大矢商店で買っていた刺し鯖を供え、食べていたが、いつしか三重県の上野に出かけてトビウオ買い。
刺しさばから、トビウオに切り替えたが、今は何もしていないそうだ。
大塩を離れ、帰路にかけたYさんへの電話。
食事も済ませて、やっと電波の届く位置に移動してきたそうだ。
この年は、大塩の村マツリ。
トーヤ勤めに難儀した、という。
Kさんから許可いただいた井戸替え作業。
上(かみ)の組が、今もやっている、と話してくれた。
そして、尋ねたブトクスベ。
ずいぶん前になるが、Yさんが話してくれたぶとくすべ。
平成17年に亡くなられた母親が畑でしていたぶとくすべは、畑の小屋にたしかあった、と聞いていた。
畑作業に難儀する虫に悩ませる時期。
梅雨明けから秋口まで、腰にぶら下げて使っていたぶとくすべは、母親がつくって遺してくれた農の道具。
今でもあるんやろか・・。
その件については、井戸替えのときに聞いてみよう。
(R3. 7.24 SB805SH撮影)