仕事を終えて向かった先は大和郡山市下三橋町の風神社。
簾型の注連縄飾りを拝見したときにはどなたもおられない。
おそらくこの日の午前中に済ましたのであろう。
神社鳥居にはやや太めの注連縄。
太い房を飾り付けて幣も垂らした注連縄である。
拝殿前に立つ鳥居の前には門松があった。
砂を盛った門松には松、梅にクマザザも添えていた。
肝心かなめの簾型注連縄は本殿に、である。
美しい姿の注連縄の心棒は笹竹。
葉は左側にあった。
風神社には数々の常夜燈が建之されている。
いくつか年号が刻まれていた。
万延元庚年(1860)もあれば宝暦戌年(1754若しくは1758)九月、天保二年の銘記もある常夜燈。
まさかこういう年代もあるのかと思ったのは、慶長十一年(1605)九月吉日と印された常夜燈だ。
それには「奉 寄進 風宮天大明神 御宝前 添上□□□□」とある。
大阪冬の陣、夏の陣よりも数年前の時代である。
当時の郡山城主は総堀普請をした増田長盛のあとを継いだ大久保長保である。
皇紀2600年を祈念して建てた常夜燈には宮座十人のうち一人である寄進者の名があった。
当時は十人衆で祭祀されていた宮座中の連名である。
(H25.12.26 EOS40D撮影)
簾型の注連縄飾りを拝見したときにはどなたもおられない。
おそらくこの日の午前中に済ましたのであろう。
神社鳥居にはやや太めの注連縄。
太い房を飾り付けて幣も垂らした注連縄である。
拝殿前に立つ鳥居の前には門松があった。
砂を盛った門松には松、梅にクマザザも添えていた。
肝心かなめの簾型注連縄は本殿に、である。
美しい姿の注連縄の心棒は笹竹。
葉は左側にあった。
風神社には数々の常夜燈が建之されている。
いくつか年号が刻まれていた。
万延元庚年(1860)もあれば宝暦戌年(1754若しくは1758)九月、天保二年の銘記もある常夜燈。
まさかこういう年代もあるのかと思ったのは、慶長十一年(1605)九月吉日と印された常夜燈だ。
それには「奉 寄進 風宮天大明神 御宝前 添上□□□□」とある。
大阪冬の陣、夏の陣よりも数年前の時代である。
当時の郡山城主は総堀普請をした増田長盛のあとを継いだ大久保長保である。
皇紀2600年を祈念して建てた常夜燈には宮座十人のうち一人である寄進者の名があった。
当時は十人衆で祭祀されていた宮座中の連名である。
(H25.12.26 EOS40D撮影)