かつては矢田坐久志玉比古神社と同じ日に祭りをしていたが、矢田のふるさと祭りが盛況になったことから祭事日を替えることになった矢田町の山田原。
なだらかな田園が広がる。
大和郡山市の矢田町は北に矢田坐久志玉比古神社が鎮座する。
矢田丘陵の東側にある里山だったが、40年前に大規模開発されて新興住宅が広がる田園都市のような状況になった。
新しい町は矢田山町に泉原町。
山を崩して開発されたように聞く。
それより南側にある地区が山田原。
さらに南へ下れば山田町になる。
大和郡山市の矢田町は市内で「いちばん広いんや」と山田原住民は話す。
矢田郷は北矢田、横山、南矢田、岡、丸尾、新(しむら)の六ケ大字。
北に航空祖神を祀る矢田坐久志玉比古神社がある。
南端になる山田原も矢田郷中にあったが、諸事情で「ずいぶん前に脱けた」やに聞く。
北と南に挟まれる山懐は40年前に大規模開発された新興住宅が建ち並ぶ。
この日のマツリは山田原の祭り。
鎮守社の白砂子(しらすなこ)社に集まる。
その地の小字は白砂子である。
氏神さんは京都の愛宕神社から分霊を遷された火伏せの神さんに八百萬の神々。
山田原の五穀豊穣、家内安全を願って百十数年にもなると伝わる。
タイやコンブ、スルメ、ドロイモ、ナスビ、サツマイモ、キャベツ、ダイコン、ピーマンや果物のカキやキウイを供える。
宮司曰く、タイなどの魚は腹側を神さんに向ける。
コイは背中側になるという。
祓えの詞を唱えてからは祓えの儀。
神事を経て村を巡行する神輿の無事を願って宮司がキリヌサを撒いて祓い清める。
神輿と呼んでいるが形は赤、黄、紺の三層からなる布団太鼓である。
そして白砂子大神に祝詞を奏上する。
祝詞は神輿の安全な巡行を願って安全祈願もされる。
玉串奉奠は自治会代表(この年は事情で副会長が代行)に老人会代表や子供会代表も、である。
一同拝礼されて警蹕・閉扉で終える。
奉ったサカキの幣は神輿に取り付ける。
太鼓台は神輿に転じたのである。
やや小型の神輿は子供が太鼓を打ちながら村内を巡行する。
人数は少ないが先頭で綱を曳く男の子はとても元気だ。
青空が抜ける矢田丘陵が美しい。
ぐるっと南下して戻ってきた神輿。
後方にある住居は新町の泉原町だ。
ここは山を切り崩して開発された。
途中に出合った村の人はご祝儀を手渡す。
神輿はまたもや南下して隣村の山田町の境目まで巡行していった。
この日は山田原コニュニティセンターで採れ立ての地元産野菜などを格安で販売している。
一人で何個も買えばすぐになくなってしまうからと後先を考えて購入される。
村人思いの買い方だ。
この日は急がねばならない。
来年こそは買っておきたい採れたて野菜に思いを残して桜井市の山間に向けて出発した。
(H26.10.26 EOS40D撮影)
なだらかな田園が広がる。
大和郡山市の矢田町は北に矢田坐久志玉比古神社が鎮座する。
矢田丘陵の東側にある里山だったが、40年前に大規模開発されて新興住宅が広がる田園都市のような状況になった。
新しい町は矢田山町に泉原町。
山を崩して開発されたように聞く。
それより南側にある地区が山田原。
さらに南へ下れば山田町になる。
大和郡山市の矢田町は市内で「いちばん広いんや」と山田原住民は話す。
矢田郷は北矢田、横山、南矢田、岡、丸尾、新(しむら)の六ケ大字。
北に航空祖神を祀る矢田坐久志玉比古神社がある。
南端になる山田原も矢田郷中にあったが、諸事情で「ずいぶん前に脱けた」やに聞く。
北と南に挟まれる山懐は40年前に大規模開発された新興住宅が建ち並ぶ。
この日のマツリは山田原の祭り。
鎮守社の白砂子(しらすなこ)社に集まる。
その地の小字は白砂子である。
氏神さんは京都の愛宕神社から分霊を遷された火伏せの神さんに八百萬の神々。
山田原の五穀豊穣、家内安全を願って百十数年にもなると伝わる。
タイやコンブ、スルメ、ドロイモ、ナスビ、サツマイモ、キャベツ、ダイコン、ピーマンや果物のカキやキウイを供える。
宮司曰く、タイなどの魚は腹側を神さんに向ける。
コイは背中側になるという。
祓えの詞を唱えてからは祓えの儀。
神事を経て村を巡行する神輿の無事を願って宮司がキリヌサを撒いて祓い清める。
神輿と呼んでいるが形は赤、黄、紺の三層からなる布団太鼓である。
そして白砂子大神に祝詞を奏上する。
祝詞は神輿の安全な巡行を願って安全祈願もされる。
玉串奉奠は自治会代表(この年は事情で副会長が代行)に老人会代表や子供会代表も、である。
一同拝礼されて警蹕・閉扉で終える。
奉ったサカキの幣は神輿に取り付ける。
太鼓台は神輿に転じたのである。
やや小型の神輿は子供が太鼓を打ちながら村内を巡行する。
人数は少ないが先頭で綱を曳く男の子はとても元気だ。
青空が抜ける矢田丘陵が美しい。
ぐるっと南下して戻ってきた神輿。
後方にある住居は新町の泉原町だ。
ここは山を切り崩して開発された。
途中に出合った村の人はご祝儀を手渡す。
神輿はまたもや南下して隣村の山田町の境目まで巡行していった。
この日は山田原コニュニティセンターで採れ立ての地元産野菜などを格安で販売している。
一人で何個も買えばすぐになくなってしまうからと後先を考えて購入される。
村人思いの買い方だ。
この日は急がねばならない。
来年こそは買っておきたい採れたて野菜に思いを残して桜井市の山間に向けて出発した。
(H26.10.26 EOS40D撮影)