講演を終えて少々なりの北大阪のまつり知識を得てから拝見する展示物。
撮影不可だったのは、フロアーに展示している写真展だった。
平成29年1月7日に行われた能勢町・天王区のキツネガエリ取材後に知った明治36年生まれの写真家である三村幸一氏がとらえた大阪の祭りである。
その一部は編集されたPDF版で公開されていた。
とらえた映像は昭和33年~39年に行われていた民俗行事。
遺された映像はもう見ることのできない貴重な映像もある。
博物館フロアーにて展示してあった映像も貴重な史料であるが、撮影は禁じられているから脳内に記憶・・・はできなかった。
なお、三村幸一が写した大阪・兵庫<昭和の民俗と世相>清文堂出版発刊 大阪歴史博物館・関西大学なにわ大阪研究センター編がある。
入手できればいいのだが・・。
始めに拝見した展示物は天王区のキツネガエリの祭具。
赤い眼に赤い舌が特徴のキツネさんは天王区主催者の岡さんが知らせてくださった。
よくよく見れば、眼も舌もないようだ。
藁で作ったキツネさんはこの企画展のためにあらたに作った。
と、いうのも藁製キツネは行事を終えたら災厄を込めた5円玉を銜えたまま川に流されたから、新たに作りなおさなければならない。
画面下には村の人たちに授けた「フク」も展示している。
秋季特別展は祭り・行事が満載。
どれをみてもワクワクする。
うち、一つは過去に取材したこともある府の無形民俗文化財に指定されている能勢町長谷(ながたに)・八阪神社で行われている御田植祭り。
実働している牛面にキセル・煙草入れも出展された。
他にもマグワ(マンガ)やカラスキにクワも展示。
3点とも寄進された村人、年代が墨書されていたので思わずメモった。
神饌を奉納する際に、である。
女児や女性が頭上にもって運ぶ事例がある。
梅の花紋入り着物を着た女児の頭の上にある祭具は「サンドラ」と呼ばれている。
形状などから「サンドラ」は「サンダワラ(桟俵)」を短く訛ったようである。
行事のときの写真。
展示品の「サンドラ」。
これを見た小学生低学年の子どもは「カッパ」や、という子もいそうだが・・・「サンドラ」はその形状から「サンダワラ」が訛って「サンダラ」から「サンドラ」に転じたと考えるのが妥当だろう。
女児は吹田市岸部・吉志部神社のどんじ(※当屋)祭りに出仕する様相であるが、神饌も特殊な形態があるので見逃せない。
小路地区が奉納する御供の白蒸し台がある。
藁のような造りに見えるが、そうではなく真菰(まこも)である。
丹念な造りは実物を拝見したいものだ。
手前にあるのは「菓子」の名で呼ばれる御供。
串に挿した材は茄子、栗、柿に丸い小餅。昔は果物を「菓子」と呼んでいた、と副館長の藤井裕之氏が解説された。
ちなみに頭上に乗せて運ぶ神饌は、吉志部神社のどんじ祭りの他に島本町の尺代(しゃくだい)・諏訪神社の「オトウ」のシンセンイタダキ(神饌戴)の事例もあれば、高槻市安満・磐手社神社の馬祭りとも称される神輿渡御祭・北御旅所に奉納されるゾウニモチもあり、いずれも和服姿の女性・女児が務める。
なお、吉志部神社のどんじ(※当屋)祭りは博物館に常設しているので、秋季特別展が終わってもある程度は理解できると思う。
奈良県事例で思い出すのは奈良市山町・下山八坂神社の当家祭に神饌御供を奉る和装姿の女児の姿が見られる。
かつては頭上にかかげて運んでいたが、現在は氏子と抱える形になった。
神饌も展示されるが、生ものそのものを展示するわけにはいかない。
なんとか原型らしく見ていただけるように発泡スチロールで成形した複製品で展示する。
これは茨木市車作生保(しょうほ)・諏訪神社の春祭りに奉納される神饌御供。
左側は糯米を炊いて蒸した調理御供。宝珠型の「白むし」御供は「オタイショウ」の名がある。
写真は撮ってないが、「オタイショウ」の他に「ケンゾク」とか「マンジュウ」或いは、本社殿の貫の下に供え、カラス勧請を伝承していると考えられる「カラス」と呼ぶ御供もあるようだ。
粗削りの箸を添えているが、材は何であろうか。
なんとなく柳の木に見えるのだが・・・。
右側の御供は「モッソ」。
三角の木枠に詰めて作る。
形が、三角おにぎりのように見えるのが愉しい。
ちなみに「モッソ」の呼び名は「モッソウ(物相)」が原型。
型枠に押し込み、詰めて作るからその名がある。
奈良県内事例も多々ある。
両手で成形する宝珠型の「オタイショウ」もかつては型枠があった可能性も否定できない。
もう一つの神饌も特徴がある。
茨木市大岩・大蔵神社の元日に供えられる神饌はビワの葉で包んだ白むしである。
ビワの葉は珍しい。
箸も楊枝もクロモジの木で作っている。
北大阪のまつりに「献灯」と呼ぶ行事がある。
その字のごとく「灯り」を献じる、ということである。
左側の写真は茨木市上音羽の「ヒアゲ」。
「火」を上げることからその名がついたのかどうかはっきりとわかっていないと副館長の藤井裕之氏は話す。
例えば、奈良県内事例に神饌御供を神さんに供える場合は「御供上げ」と呼んでいる。
神事を終えて下ろす場合は「御供下げ」だ。
「下げた御供」はありがたく直会で呼ばれる。
「ヒアゲ」は神さんに奉納する献灯であれば、「火上げ」であろう。
ただ、充てる漢字は火を揚げるから「火揚げ」であるかもしれない。
上音羽は天満宮。
「ヒアゲ」道中の際には伊勢音頭を唄いながら向かうようだ。
右側も同じく茨木市であるが、大字は忍頂寺の「ヒアゲ」。
扇型の高灯籠を先頭に宝池寺に向かう様相である。
右手に見える巨大なタイマツが登場するのは、池田市城山町/建石町の五月山(さつきやま)愛宕火行事。
起源が正保元年(1644)の伝統的行事。
山頂に鎮座する愛宕神社は火伏の神さんを祀る京都の愛宕神社より勧請したと伝わる。
タイマツの火は愛宕火。
いつしか、打ち鳴らす半鐘や八丁鉦の音色が「がんがら、がんがら」と聞こえることから、行事名を「がんがら火(祭り)」と呼ぶようになった。
こうした鉦や太鼓の音色から本来の行事名から転じて俗名で呼ぶようになった地区は多い。
奈良県では数多くの特徴的事例がある。
タイマツの規模は極端に小さいが、風情を感じられる村行事は箕面市萱野・白島(はくのしま)の「まんどろ」。
集落の山腹、五月山と同じように京都の愛宕大明神より勧請した愛宕神社に参って、神社のオヒカリを提灯に移して山を下ってくる。
麓の五藤池(ごとういけ)に堤でタイマツに火を移す。
タイマツを抱えた子どもたちは「まーんどーろ 火ぃともせ けーやーせ もーやーせ」を囃しながら行列する。
このときに囃す「まーんどろ」から行事名が「まんどろ」になったようだが、そもそも「まーんどろ」とは何であろうか。
節回しは直接聞かないとわからないが、なんとなく「万燈籠」、それとも「曼荼羅」のような気がしてきた。
火を「灯せ 消やせ 燃やせ」とあるのは、邪魔するなに者かがおったのでは・・。
なんとなく奈良県の桜井市高田地区で行われている伝統行事の「亥の子暴れ祭り」を彷彿する台詞でもある。
なお、萱野では白島の他に北芝、芝地区でもしているらしい。
北大阪だけでなく大阪府下に多くの六斎念仏が継承されている。
秋季特別展に紹介されたのは高槻市富田・浄土宗清蓮寺の念仏講。
道具は「イナ」と呼ぶ導師が調子をとる鉦と数人の講中が叩く鋲打ち太鼓を展示していた。
また、「まんどろ」行事がある箕面市萱野・白島(はくのしま)にも六斎念仏があった。
ここも浄土宗の阿弥陀寺の太鼓念佛講があった。
貴重な「ひっつんつん」、「太鼓念仏」を伝承してきた講中は平成26年を最後に活動休止となった。
残された道具は万延元年(1860)の銘があった撞木や鉦。
実施されておれば、鉦の裏面の刻印を見たかったが、もう叶うことはない。
展示物品はとにかく多かった。
時間をかけてじっくり拝見したかったが、拝観は閉幕の時間切れ。
詳しい説明は省くが、高槻市原・神峯山寺に残されている「寅講」の絵馬もあれば、能勢町大村・山辺区山辺神社所蔵の獅子舞に打たれる太鼓の皮に書かれていた囃し詞章も中途半端になってしまった。
獅子舞関係の祭具も多いし、太鼓御輿の担ぎ手の特徴ある衣装も時間切れ。
館内で上映していた行事映像も見られず、不完全燃焼。
すべて鑑賞するには190分(3時間10分)も要する。
いよいよ閉館の時間が迫ってきた。
(H29.11.23 SB932SH撮影)
撮影不可だったのは、フロアーに展示している写真展だった。
平成29年1月7日に行われた能勢町・天王区のキツネガエリ取材後に知った明治36年生まれの写真家である三村幸一氏がとらえた大阪の祭りである。
その一部は編集されたPDF版で公開されていた。
とらえた映像は昭和33年~39年に行われていた民俗行事。
遺された映像はもう見ることのできない貴重な映像もある。
博物館フロアーにて展示してあった映像も貴重な史料であるが、撮影は禁じられているから脳内に記憶・・・はできなかった。
なお、三村幸一が写した大阪・兵庫<昭和の民俗と世相>清文堂出版発刊 大阪歴史博物館・関西大学なにわ大阪研究センター編がある。
入手できればいいのだが・・。
始めに拝見した展示物は天王区のキツネガエリの祭具。
赤い眼に赤い舌が特徴のキツネさんは天王区主催者の岡さんが知らせてくださった。
よくよく見れば、眼も舌もないようだ。
藁で作ったキツネさんはこの企画展のためにあらたに作った。
と、いうのも藁製キツネは行事を終えたら災厄を込めた5円玉を銜えたまま川に流されたから、新たに作りなおさなければならない。
画面下には村の人たちに授けた「フク」も展示している。
秋季特別展は祭り・行事が満載。
どれをみてもワクワクする。
うち、一つは過去に取材したこともある府の無形民俗文化財に指定されている能勢町長谷(ながたに)・八阪神社で行われている御田植祭り。
実働している牛面にキセル・煙草入れも出展された。
他にもマグワ(マンガ)やカラスキにクワも展示。
3点とも寄進された村人、年代が墨書されていたので思わずメモった。
神饌を奉納する際に、である。
女児や女性が頭上にもって運ぶ事例がある。
梅の花紋入り着物を着た女児の頭の上にある祭具は「サンドラ」と呼ばれている。
形状などから「サンドラ」は「サンダワラ(桟俵)」を短く訛ったようである。
行事のときの写真。
展示品の「サンドラ」。
これを見た小学生低学年の子どもは「カッパ」や、という子もいそうだが・・・「サンドラ」はその形状から「サンダワラ」が訛って「サンダラ」から「サンドラ」に転じたと考えるのが妥当だろう。
女児は吹田市岸部・吉志部神社のどんじ(※当屋)祭りに出仕する様相であるが、神饌も特殊な形態があるので見逃せない。
小路地区が奉納する御供の白蒸し台がある。
藁のような造りに見えるが、そうではなく真菰(まこも)である。
丹念な造りは実物を拝見したいものだ。
手前にあるのは「菓子」の名で呼ばれる御供。
串に挿した材は茄子、栗、柿に丸い小餅。昔は果物を「菓子」と呼んでいた、と副館長の藤井裕之氏が解説された。
ちなみに頭上に乗せて運ぶ神饌は、吉志部神社のどんじ祭りの他に島本町の尺代(しゃくだい)・諏訪神社の「オトウ」のシンセンイタダキ(神饌戴)の事例もあれば、高槻市安満・磐手社神社の馬祭りとも称される神輿渡御祭・北御旅所に奉納されるゾウニモチもあり、いずれも和服姿の女性・女児が務める。
なお、吉志部神社のどんじ(※当屋)祭りは博物館に常設しているので、秋季特別展が終わってもある程度は理解できると思う。
奈良県事例で思い出すのは奈良市山町・下山八坂神社の当家祭に神饌御供を奉る和装姿の女児の姿が見られる。
かつては頭上にかかげて運んでいたが、現在は氏子と抱える形になった。
神饌も展示されるが、生ものそのものを展示するわけにはいかない。
なんとか原型らしく見ていただけるように発泡スチロールで成形した複製品で展示する。
これは茨木市車作生保(しょうほ)・諏訪神社の春祭りに奉納される神饌御供。
左側は糯米を炊いて蒸した調理御供。宝珠型の「白むし」御供は「オタイショウ」の名がある。
写真は撮ってないが、「オタイショウ」の他に「ケンゾク」とか「マンジュウ」或いは、本社殿の貫の下に供え、カラス勧請を伝承していると考えられる「カラス」と呼ぶ御供もあるようだ。
粗削りの箸を添えているが、材は何であろうか。
なんとなく柳の木に見えるのだが・・・。
右側の御供は「モッソ」。
三角の木枠に詰めて作る。
形が、三角おにぎりのように見えるのが愉しい。
ちなみに「モッソ」の呼び名は「モッソウ(物相)」が原型。
型枠に押し込み、詰めて作るからその名がある。
奈良県内事例も多々ある。
両手で成形する宝珠型の「オタイショウ」もかつては型枠があった可能性も否定できない。
もう一つの神饌も特徴がある。
茨木市大岩・大蔵神社の元日に供えられる神饌はビワの葉で包んだ白むしである。
ビワの葉は珍しい。
箸も楊枝もクロモジの木で作っている。
北大阪のまつりに「献灯」と呼ぶ行事がある。
その字のごとく「灯り」を献じる、ということである。
左側の写真は茨木市上音羽の「ヒアゲ」。
「火」を上げることからその名がついたのかどうかはっきりとわかっていないと副館長の藤井裕之氏は話す。
例えば、奈良県内事例に神饌御供を神さんに供える場合は「御供上げ」と呼んでいる。
神事を終えて下ろす場合は「御供下げ」だ。
「下げた御供」はありがたく直会で呼ばれる。
「ヒアゲ」は神さんに奉納する献灯であれば、「火上げ」であろう。
ただ、充てる漢字は火を揚げるから「火揚げ」であるかもしれない。
上音羽は天満宮。
「ヒアゲ」道中の際には伊勢音頭を唄いながら向かうようだ。
右側も同じく茨木市であるが、大字は忍頂寺の「ヒアゲ」。
扇型の高灯籠を先頭に宝池寺に向かう様相である。
右手に見える巨大なタイマツが登場するのは、池田市城山町/建石町の五月山(さつきやま)愛宕火行事。
起源が正保元年(1644)の伝統的行事。
山頂に鎮座する愛宕神社は火伏の神さんを祀る京都の愛宕神社より勧請したと伝わる。
タイマツの火は愛宕火。
いつしか、打ち鳴らす半鐘や八丁鉦の音色が「がんがら、がんがら」と聞こえることから、行事名を「がんがら火(祭り)」と呼ぶようになった。
こうした鉦や太鼓の音色から本来の行事名から転じて俗名で呼ぶようになった地区は多い。
奈良県では数多くの特徴的事例がある。
タイマツの規模は極端に小さいが、風情を感じられる村行事は箕面市萱野・白島(はくのしま)の「まんどろ」。
集落の山腹、五月山と同じように京都の愛宕大明神より勧請した愛宕神社に参って、神社のオヒカリを提灯に移して山を下ってくる。
麓の五藤池(ごとういけ)に堤でタイマツに火を移す。
タイマツを抱えた子どもたちは「まーんどーろ 火ぃともせ けーやーせ もーやーせ」を囃しながら行列する。
このときに囃す「まーんどろ」から行事名が「まんどろ」になったようだが、そもそも「まーんどろ」とは何であろうか。
節回しは直接聞かないとわからないが、なんとなく「万燈籠」、それとも「曼荼羅」のような気がしてきた。
火を「灯せ 消やせ 燃やせ」とあるのは、邪魔するなに者かがおったのでは・・。
なんとなく奈良県の桜井市高田地区で行われている伝統行事の「亥の子暴れ祭り」を彷彿する台詞でもある。
なお、萱野では白島の他に北芝、芝地区でもしているらしい。
北大阪だけでなく大阪府下に多くの六斎念仏が継承されている。
秋季特別展に紹介されたのは高槻市富田・浄土宗清蓮寺の念仏講。
道具は「イナ」と呼ぶ導師が調子をとる鉦と数人の講中が叩く鋲打ち太鼓を展示していた。
また、「まんどろ」行事がある箕面市萱野・白島(はくのしま)にも六斎念仏があった。
ここも浄土宗の阿弥陀寺の太鼓念佛講があった。
貴重な「ひっつんつん」、「太鼓念仏」を伝承してきた講中は平成26年を最後に活動休止となった。
残された道具は万延元年(1860)の銘があった撞木や鉦。
実施されておれば、鉦の裏面の刻印を見たかったが、もう叶うことはない。
展示物品はとにかく多かった。
時間をかけてじっくり拝見したかったが、拝観は閉幕の時間切れ。
詳しい説明は省くが、高槻市原・神峯山寺に残されている「寅講」の絵馬もあれば、能勢町大村・山辺区山辺神社所蔵の獅子舞に打たれる太鼓の皮に書かれていた囃し詞章も中途半端になってしまった。
獅子舞関係の祭具も多いし、太鼓御輿の担ぎ手の特徴ある衣装も時間切れ。
館内で上映していた行事映像も見られず、不完全燃焼。
すべて鑑賞するには190分(3時間10分)も要する。
いよいよ閉館の時間が迫ってきた。
(H29.11.23 SB932SH撮影)