毎年10月12日に題目立が行われている奈良市都祁上深川の八柱神社。
他にあまり類例をみない題目立の伝承芸能である。
もとは旧暦9月9日に奉納されていた題目立。
上深川の氏神さんの八柱神社下の庭に竹柵で囲んだ方形の舞台で演じられる。
そこで登場する弓を持って装束を身につけた若者たち。
名乗りをして物語をすすめていく形式は動きがほとんどなく、特有の抑揚で語りをする。
まさに語りものの演劇なのである。
演者は数え年17歳の若者で題目立を奉納し終えることで一人前の成人として認められた。
いわゆる元服であって、子供から成人への通過儀礼の意味をもつ神事芸能だとされている。
かつては祭りを終えれば村公認で酒を飲めるという具合だった。
この夜は翌日の祭りに奉納するにあたって最後の練習日となった「ナラシ」。
ナラシの名は慣れるとか馴染む意味だそうだ。
ナラシは7日、9日、11日の三日間をそう呼んでいる日で、れっきとした祭りに属する日である。
区長、題目立保存会、垣内の組頭や三役に演者の指導員、年寄にお茶をだすなど賄い当番のドウゲらがナラシの席につく。
それまでの演者といえば家で練習を続けてきた。
聞くとところによれば8月から毎週のように練習していたそうだ。
家でもそれをしていた。
題目立を覚えるには相当な日数がかかっているのだ。
演者が一同に揃って合同で練習するのがナラシの日である。
場の傍らには明日の晩に設営される燈籠がある。
それには「奉燃所者八王子大明神宝前 右者村中安全祈願 敬白」と墨書されている。
かつては八王子社と呼ばれていた八柱神社だ。
題目立の配役決めには特に決まりはない。
演者の希望や指導者の助言によって配役されるという。
かつては本人が自ら手をあげたりすることもあったそうだ。
先輩の意向を聞いたりして演者の仲間内で決めていたと話す経験者。
この年に演者となったのは高校1年2人、高校2年1人、高校3年1人、社会人1人、大学生4人の9人だ。
本来は数え年の17歳男子と決まっていた。
それが可能だったのはそれだけ子供がたくさんいた時代だ。
少子化に伴ってそれを維持することができなくなって卒業した社会人や大学生も加わらなければならない。
地元を離れた子供も戻ってこなければ人数も揃わない。
この年は17年ぶり(平成4年、6年に大仏供養を)に奉納される大仏供養であった。
この演目をするには9人を要する。
それが難しかったことから8人で務める例年の「厳島」だった。
この年は新しく新高校生が二人も入ってくれたからできるのだと目を細めて話す村の人たち。
最後の夜となったナラシは厳しい目で題本に目を落とす。
詠み間違いがないかどうか、抑揚はどうか、謡いの区切り方など台本を見ずに一人一人が練習舞台に立って語る一字一句の演者の声が響き渡る。
最後の夜だから見ずにといってもなかなかそういうわけにはいかない。
ときおり目を落とす若者たち。
「ところかれおーのー かんじんによりー ともにいー だいぶつをーこんりゅうしー くようーのべんとー ありしかー けんきゅうろくねんー じょうろくつかまつりー だいぶつくよう あるべきなりー」と独特の抑揚で語る。
かつて役目を担った男性は「長老から厳しく指導された」ことを思い出す。
何年間も厳島を演じてきた男子はさすがに節回しも発声も堂にいっている。
初めて体験する男子はまだそこまで至っていない。
何年間もすることで身体で覚えていく語りもの。
学校を終えた大学生は夜遅くに戻ってきた。
早速、一番を語っていく。
(H23.10.11 EOS40D撮影)
他にあまり類例をみない題目立の伝承芸能である。
もとは旧暦9月9日に奉納されていた題目立。
上深川の氏神さんの八柱神社下の庭に竹柵で囲んだ方形の舞台で演じられる。
そこで登場する弓を持って装束を身につけた若者たち。
名乗りをして物語をすすめていく形式は動きがほとんどなく、特有の抑揚で語りをする。
まさに語りものの演劇なのである。
演者は数え年17歳の若者で題目立を奉納し終えることで一人前の成人として認められた。
いわゆる元服であって、子供から成人への通過儀礼の意味をもつ神事芸能だとされている。
かつては祭りを終えれば村公認で酒を飲めるという具合だった。
この夜は翌日の祭りに奉納するにあたって最後の練習日となった「ナラシ」。
ナラシの名は慣れるとか馴染む意味だそうだ。
ナラシは7日、9日、11日の三日間をそう呼んでいる日で、れっきとした祭りに属する日である。
区長、題目立保存会、垣内の組頭や三役に演者の指導員、年寄にお茶をだすなど賄い当番のドウゲらがナラシの席につく。
それまでの演者といえば家で練習を続けてきた。
聞くとところによれば8月から毎週のように練習していたそうだ。
家でもそれをしていた。
題目立を覚えるには相当な日数がかかっているのだ。
演者が一同に揃って合同で練習するのがナラシの日である。
場の傍らには明日の晩に設営される燈籠がある。
それには「奉燃所者八王子大明神宝前 右者村中安全祈願 敬白」と墨書されている。
かつては八王子社と呼ばれていた八柱神社だ。
題目立の配役決めには特に決まりはない。
演者の希望や指導者の助言によって配役されるという。
かつては本人が自ら手をあげたりすることもあったそうだ。
先輩の意向を聞いたりして演者の仲間内で決めていたと話す経験者。
この年に演者となったのは高校1年2人、高校2年1人、高校3年1人、社会人1人、大学生4人の9人だ。
本来は数え年の17歳男子と決まっていた。
それが可能だったのはそれだけ子供がたくさんいた時代だ。
少子化に伴ってそれを維持することができなくなって卒業した社会人や大学生も加わらなければならない。
地元を離れた子供も戻ってこなければ人数も揃わない。
この年は17年ぶり(平成4年、6年に大仏供養を)に奉納される大仏供養であった。
この演目をするには9人を要する。
それが難しかったことから8人で務める例年の「厳島」だった。
この年は新しく新高校生が二人も入ってくれたからできるのだと目を細めて話す村の人たち。
最後の夜となったナラシは厳しい目で題本に目を落とす。
詠み間違いがないかどうか、抑揚はどうか、謡いの区切り方など台本を見ずに一人一人が練習舞台に立って語る一字一句の演者の声が響き渡る。
最後の夜だから見ずにといってもなかなかそういうわけにはいかない。
ときおり目を落とす若者たち。
「ところかれおーのー かんじんによりー ともにいー だいぶつをーこんりゅうしー くようーのべんとー ありしかー けんきゅうろくねんー じょうろくつかまつりー だいぶつくよう あるべきなりー」と独特の抑揚で語る。
かつて役目を担った男性は「長老から厳しく指導された」ことを思い出す。
何年間も厳島を演じてきた男子はさすがに節回しも発声も堂にいっている。
初めて体験する男子はまだそこまで至っていない。
何年間もすることで身体で覚えていく語りもの。
学校を終えた大学生は夜遅くに戻ってきた。
早速、一番を語っていく。
(H23.10.11 EOS40D撮影)