
ガレージにおいていた本が水を被ってしまい、破棄するものと、残すものとを分けていたら、懐かしい雑誌が目に付いた。
青木社から出版されている「ユリイカ」という雑誌で当時は“詩と批評”という副題がついていました。
その1972年3月号、“「第一行をどう書くか」詩の成立をめぐって”というのが特集で、19人の詩人が特集に対して一文を載せています。
筆者を並べると、黒田善夫、渋沢孝輔、三木卓、田村隆一、石原吉郎、川崎洋、白石かずこ、石垣りん、吉増剛造、三好豊一郎、鈴木志郎康などなど凄いメンバー、加えて特集の内容が凄い、試作へのかまえが伝わってきます。
この雑誌が280円だったのですから随分たくさん売れていたのでしょうか。
当時は文章を公になどしておりませんでしたから気楽なものでした。今は恥ずかしながら拙いこのような記事を書いているので、読み返してみました。
何人かの詩人がここに寄せている文章の最初の数行を引用してみることにしました。
著作権は記事の内容のためとご容赦ください。
Blogを書いている人ならば、また文章に題など付けている人ならば、きっと興味深いと思います。
「April is the cruelest month」 鎰谷幸信
詩の第一行は神様、あるいは自然が授けてくれる。二行目ぁら詩人が努力で発見し、書く、といわれる。しかし天才といえどもまた天の配剤を待ち、偶然を頼み、ミューズの到来をひたすらじっと待っているのだ。
「第百行たち」 川崎洋
私の場合に即して云えば、「書く」というより、「生む」と表現したほうが、少しは正確であるような気がします。
「プアプアに始まる」 鈴木志郎康
私は詩を書く。とのときの詩の言葉が何処から出てくるか、ということについて余り考えたことがなかった。
「私の部屋には机がない」 石原吉郎
私にとって〈第一行〉とは、つねに〈訪れるもの〉である。訪れは、私の側の用意のあるなしにかかわらない。それはしばしば、完結した断定としてやってくる。
「霊感(ひらめき)について」 三好豊一郎
霊感―大仰すぎるならヒラメキでいい―は無為にいて、ふらっと宿るものではない。霊感は、霊感を強く求める意志によってのみとらえられる。
「イメージの廣野で」 三木卓
いったいどうやったら詩が書けるのか、今でも正直なところよくわからない。だからこの次に詩が書けるかどうか、わからない。いつでも、その意味では最初の詩を書きはじめる前と同じだ。
「王國ノート」 吉増剛造
「王國」の第一行はまだみえていない。
死の王國を呼吸する
死の王國を呼吸する
上のような無残な二行をくりかえし、約十日を過ごした。くりかえしてもくりかえしても詩行は生きてこない、しかし、ぼくはこの死語のように無惨な詩行に呪縛されはじめる。
「発端の詩」 渋沢孝輔
詩の成立の過程や根拠を具体的に語ること、端的にいって、自作について語ることは詩人にとっては紛れもなくひとつ危機を通ることである。おのれの仮面をみずからの手で引き剥がすこと。試作とは一種の詐術にほかならないと証明すること。
いかがでしょう、詩人たちが一行の前に佇む姿が見えてきます。
私は詩などかけませんし、誤字だらけの駄文ですから、一行をどのように書くかなどはなやみません。
ただ、その駄文に題をつけています。その題が訪れるのを待っているのです。その題がピッタリときた時はとても心が弾みます。
私の大好きな田村隆一の一文は最初だけでなく途中を端おって結論のところも書いてみます。駄文の題ではありますが、少しは通じるものがあるのです。
「冒頭の一行にもどる瞬間」 田村隆一
最初の一行は神が書き、二行目からは詩人が書く―
こういう意味のことを、フランスの詩人が云っていたのを、僕は少年の時、どこかで読んだ記憶がある。 (中略) むしろ、ぼくの場合は、ひたすら、最初の一行を発見するために、詩を書くと云っても、けっして過言ではない。
一遍の詩を読みおわって、冒頭の一行にもどる瞬間、その詩行が屹立し、全体の意味が鮮烈に問いなおされるような場合、ぼくはためらうことなく、それを「詩的経験」と呼ぶ。
少し感じが解っていただけたでしょうか。名文を並べた後に、文を続けるのはご勘弁ください。