テレワークするようになってから、毎日、NHKの「連続テレビ小説」を見るようになりました。
今は、「カムカムエヴリバディ」ですね。
世代も舞台(都市)も移り変わる中で、今の家は、京都で回転焼き屋です。
「回転焼き」という表現は、私としては馴染みがなく・・・今川焼か大判焼きです。
(まあ、それは、全国的に様々な呼び方があるようですね)
ドラマにおはぎが出てきても、あまり食べたいと思わなかったのですか・・・回転焼きが出てきたときに、猛烈に食べたくなりました。 しかし、近くに回転焼き(今川焼や大判焼き)を売っている店は無いので、たい焼きを買ってきて食べました。
で・・・「カムカムエヴリバディ」のドラマにも出てきた「およげたいやきくん」について、いろいろ思い出しました。
この歌は、2003年なので、子供たちが小学生の頃ですね・・・
歌いだしの部分の歌詞が・・・
毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ
なのですか・・・・
あの頃感じていた違和感がよみがえってきました。
たいやきくんは、鉄板で焼かれた「たい焼き」の思考(意識)を歌っているのだろうけど・・・たいやきくんは、どうして「毎日毎日焼かれて嫌になっちゃう」と思ったのでしょうか?
これが、ずっと疑問でした。
たい焼きを焼く側の、「たい焼き屋のおやじ」が「毎日毎日焼くのが大変で嫌になっちゃう」なら分かるのですが・・・焼かれる側の「たいやきくん」は、1回焼かれるだけで、さらに2回目、3回目に焼かれることは無く、ましてや毎日焼かれませんよね・・・
つまり、たいやきくんは、鉄板で焼かれたときに生を受け、買われて人に食べられたところで短い一生が終わる。(だから、一生で焼かれるのは1回だけ)
その頃は・・・きっと、たいやきくんの意識は、焼かれるときに「たい焼き」に宿って、人に食べられると「たい焼き」の一生が終わって、また焼かれている「たい焼き」に宿る・・・という輪廻を繰り返しているので、気が付くと、「あれっ、また、鉄板の上で焼かれている」というところから意識が始まるということで、「もう、何度も焼かれて嫌になる」ということなのかなぁ・・・と想像していました。(笑)
子供向けの歌なのに、奥が深いなぁ・・・
最近は・・・個々のたい焼きは、人間の細胞のようなもので、その細胞たちの総合的な思考を歌にしていたのだろうと考えてます。
人間の細胞も、常に作り出され、常に消滅しています。それを繰り返して人間の個体が構成され。その人間は1つの思考(意思)がありますね。
「たい焼き」の世界も同じで・・・
日々、焼かれて作り出され、食べられて消滅しています。それら、全ての「たい焼き」達の、統合思念体の思考を歌詞にしたのが「およげたいやきくん」なのでしょう・・・(笑)