二草庵摘録

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短編小説を読む 第1回「名人伝」

2013年01月27日 | 小説(国内)

このあいだ予告したように、短編を読んで、短い論評(コメント)をくわえる企画のスタート。
第1回は中島敦「名人伝」とする。


『老いのメタファーにたどり着く』

中島敦(1909~1942年)は近代文学史上屈指の才能の持ち主だった。未完の大器というと、北村透谷、石川啄木、国木田独歩、梶井基次郎を思い起こすけれど、この人もそのひとり。志なかばもいかず、33才で病に倒れた。
はじめて読んだのが、たしか高校の教科書に掲載されていた「山月記」であった。
そのときは、やたらむずかしい漢字が出てくるため、読みにくく、手こずったという以外、これはという印象は残っていない。高校生には所詮むずかしすぎる。

「山月記」は「李陵」とならぶ、中島敦を代表する秀作。しかし、ここで取り上げたいのは、そのどちらでもなく「名人伝」である。
数年前、この文庫本でわずか12ページ(新潮文庫)たらずの「名人伝」を読み返していて、いくつかのうれしいサプライズを味わうことができた。

大雑把にあらすじをご紹介しよう。
《趙の邯鄲の都に住む紀昌といふ男が、天下第一の弓の名人にならうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとつては、名手・飛衞に及ぶ者があらうとは思はれぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百發百中するといふ達人ださうである。紀昌は遙々飛衞をたづねて其の門に入つた。》(引用は「青空文庫」より。尚、旧漢字を一部新漢字に変更。以下同じ)

漢字仮名交じり文というのか、漢文学を読み下しにしたような、堂々たるこの書き出しがすばらしい。こういう文章は森鴎外が発明したものだとおもわれるけれど、どうなのだろう?
口語文には違いない。しかし、その基幹にはあきらかに「書きことば」としての文語文の伝統が色濃く反映している。

この小説は、弓の名人といわれた紀昌(きしょう)の一代記として読むことができる。いくつかのエピソードは、中国の古典「列子」などから採られいるそうである。
紀昌は天下第一の弓の名人になろうとして家郷を出、名人飛衛に教えを請う。「まばたきをするな」「視ることを学べ」といった難題を紀昌はつぎつぎとクリアしていき、「もうわしが教えることはなにもない」といわれる境地に達する。

だが、天下にはもっとすごい弓の名人甘蠅(かんよう)老師がいるから、そこへいってさらに教えを請うがよい・・・といわれ、紀昌はそこへ出かけていく。ここで知ることになったのは、「不射の射」という極意。
《一通り出來るやうぢやな、と老人が穩かな微笑を含んで言ふ。だが、それは所詮射之射といふもの、好漢未だ不射之射を知らぬと見える。》
甘蠅老師にいきなりこういわれて、紀昌は驚愕する。弓をもちいず、弓を射て鳥を落とす技があるとは! 老師はそれを紀昌の目の前でやってみせる。
そうして、不射の射を会得した紀昌はようやく、天下第一の弓の名人へとのぼりつめる。

――ところが、この短編はここで終るのではない。むしろここからさきの数ページが、この作品の凄みであり、核心である。
《九年たつて山を降りて来た時、人々は紀昌の顏付の変つたのに驚いた。以前の負けず嫌ひな精悍な面魂は何處かに影をひそめ、何の表情も無い、木偶の如く愚者の如き容貌に変つてゐる。久しぶりに旧師の飛衞を訪ねた時、しかし、飛衞はこの顏付を一見すると感嘆して叫んだ。之でこそ天下の名人だ。我らの如き、足下にも及ぶものでないと。》

ここには賢者とはすなわち愚者であるという、中国的な一元論が顔を出している。よくある神仙伝説であり、東洋的な神秘思想とつながってゆく。近代ヨーロッパに端を発する、合理的な二元論では理解がむずかしい、いわば「逆転の思想」が説かれている。不射之射とは、それを一語で表出することばだとおもわれる。

しかし、この短編には、さらに、さらに「そのさき」が書かれてある。
ただ、わたしはここで、この短編のラストシーンにはふれないでおく。
ミステリでいう「ネタばれ」となることを恐れるからである。興味のある方は、ぜひ本書を手にして、ラスト数十行をお読みになって欲しい。10分か15分で読める規模の作品である。
わたしが「老いのメタファーにたどり着く」というのは、このラストシーンを指している。
アメリカナイズされた戦後教育の中で育ってきたわれわれが、ほとんど無条件といってもいい「老」への崇敬を取り戻すためには、価値観の逆転が必要になるだろう。
わたしはなぜか、三島由紀夫の大作「豊饒の海」のラストとアナロジーを感じ取った。その奥に横たわっているのは、日本的な無常観ではなく、むしろインド哲学でいう「空」、あるいは中国思想の「無」の世界に通じた感覚である。

だれもがすべて通る道としての「老」に価値の源泉をおいて、人生を見直す。東洋思想のエッセンスが、少なくともそのもっともすぐれた事例のひとつが、ここに存在する。
峻烈極まりない苦いビターな味をひそめた「李陵」「文字禍」とならぶ、中島敦の比類のない秀作である。



※写真は「郷土遊覧記」より「水槽の金魚」。
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