音楽からうける感動をことばにするのは、とてもむずかしい。
これまでいろいろやってきたけれど、あまりうまくいったためしがない。
それはとても困難な翻訳作業である。すくなくともわたしにとっては。
いま聞こえているのはジョージ・セルが1970年、来日にさきだって収録したドボルザークの交響曲第8番ト長調。
このシンフォニーは、今年の夏、クーベリックがベルリン・フィルと入れたディスクを手にしてから聴きはじめたので、これまであまりなじみがなかった。クーベリックのディスクは第9番ホ短調“新世界より”とのカップリングなので、第8番を聴いてから、第9番を聴く・・・というふうにして、この夏7、8回は聴いている。
これまでは第8番なんて、なんだか散漫に感じられて、しまいまで聴いているのがいくらか苦痛だった。ところがどうして、どうして。
聴きこんでいくにしたがって、音楽の奥行きがどんどん深まっていって、なにかがスパークするような感動がやってきた。
いや、そういう表現はオーバーで不正確だけれど、この第8番が、最初のころよりずいぶんと魅惑に満ちた名曲だということに、こころ開かれてきた・・・ということだろう。
そこで、セルが死の年に録音した第8番を、ぜひとも聴きたくなってきた。
セルの指揮する音楽のすばらしさは、吉田秀和さんに教えてもらったのだし、「第9番より、第8番のほうが好きです」と、わたしの音楽の先生たるマイミクtombiさんにもいわれて、いよいよ気になってきた(^_^)/~
ドボルザークらしく、リリカルな旋律がいたるところに出てくる。
それはほんとうに、ため息がもれてしまうような、ロマンチックで甘い夢を――“失われた時”の愛の記憶のようなものを、聴くものの耳にささやいてくれる。
セルが最後にいたりついた境地がこんなところにあるとは!
そう・・・この曲と、シューベルトの第9(8)番“ザ・グレイト”を録音してから、セルは死の病をかかえて日本公演におもむき、多くの日本人に感動をあたえ、帰国後まもなく世を去ったのである。
吉田秀和さんのような理解者が、その聴衆の中にいたのは、セルにとって幸運だったといえるだろう。
クーベリックの第8番も、むろんすばらしい。この曲は舞踊のリズムにあふれていて、どちらかといえば明るい曲だと思うけれど、セルで聴くとその明るさの中に、いわば宿命と向き合ったものの憂いや悲しみが聴きとれるのが、音楽のかげりをいっそう濃くしている。
そうか、ドボ8って、こんな曲だったんだね。うーん。
・・・というわけで、この曲を聴きながら一編の詩が生まれてきた。
板をあらためて、アップしておこう。
写真には、もう一枚CDが写っている。
☆ブラームス「ピアノ五重奏曲ヘ短調 作品34」
ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ イタリア弦楽四重奏団
R・ゼルキン&ブダペストSQ盤で欲しかったけれど、まあ、これでもいいや。
ピアノ五重奏曲は、これから聴きこんでいきます(^-^)