
ドナルド・キーンさんは、真に偉大な文学者であった。
ウィキベディアで、その経歴、著作一覧、受賞歴、栄典等を調べてみると、日本国内はもとより、国際的にも大きな評価を獲得し、数々の栄誉に輝いていることに驚く。
外国人で文化勲章初の受賞者だし、東日本大震災後、日本国籍を取得し、日本に帰化している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3
お亡くなりになったのは、2019年2月24日。
そのときの新聞記事、新聞に掲載された追悼文を、念入りに読んだことをわたしは覚えている。
満で96歳のご高齢であった。
それまで読んだのは「百代の過客」だけであったが、わたしはこの一作で脱帽(^-^)
質量ともにじつに圧倒的な、すごみのある著作であった。
その後、少し関心がうすれてしまい、はてさてつぎは何を読もうかと迷っていた。新潮文庫から「明治天皇」が刊行されているのが、気になっていた。
しかし、全4巻という大分な著作なので、気後れしてしまって、さてどうしよう・・・とため息をついたりしていた。
そして天皇に関する本を物色していたら、古書店で本書「明治天皇を語る」を見つけ、さっそく読むことにした。
キーンさんの講演記録を、新潮新書編集部がまとめ、一部補筆をくわえてあるという。
文学者キーンさんが、なぜ文学者ではなく、よりによって、明治天皇を取り上げたのか?
それは本書で明快に語られている。キーンさんは、明治帝を、はっきり“大帝”として評価しているのだ。
ネットにあるBOOKデータベースではつぎのように紹介されている。
《前線兵士の苦労を想い、率先して質素な生活に甘んじる。ストイックなまでに贅沢を戒めるその一方で、実は大のダイヤモンド好き。はたまた大酒飲みで風呂嫌い―。かつて極東の小国に過ぎなかった日本を、欧米列強に並び立つ近代国家へと導いた偉大なる指導者の実像とは?日本文化研究の第一人者が、大帝の素顔を縦横無尽に語り尽くす。》
医者嫌い、風呂も嫌いで、ほんとうに暑いときしか入らなかったらしい。日露戦争では7ヶ月ものあいだ広島の仮御所で不自由な生活をしのんだかと思うと、大のダイヤモンド好き。矛盾に満ちてはいるが、実在感のある天皇像が浮かび上がってくる。
講演記録をもとにしているせいだろう、スッキリと明快に語られ、説得力がある。
先日読みおえた、西川さんの「天皇の歴史7 明治天皇の大日本帝国 」(講談社学術文庫)が、多くを詰め込みすぎたせいで、やや混乱した印象をあたえるのとはずいぶん違う。執筆者
の力量に差があるのかもしれない。
キーンさんは20世紀初頭、世界には皇帝が何人もいたが、大帝と呼べる人物は、明治天皇ただ一人・・・と、までいう。
明治天皇は権力を行使しなかった。
やろうと思えばできたのにそれをしなかった。キーンさんにいわせると、そこが偉大である一番の理由である。
具体例をあげて比較されているのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世、ロシア皇帝ニコライ二世。彼らは権力に溺れ、恐るべき暴君ぶりを発揮したそうである。
ここでキーンさんが引用している明治天皇のことばを転載してみよう。
《凡そ華族にして朝廷に仕ふるものは、宜しく其の身を犠牲に供し、以て奉公の誠を致すの決心なかるべからず、然るに妄りに職を辞し、以て一身の安逸を謀らんとするが如きは、その志真に悪むに勝(た)へたり、卿幾たび職を辞せんとするも、朕は断じて之(これ)を聴(ゆる)さず。》
当時の侍従長徳大寺実則(さねつね)が辞意を奏請(そうせい)したとき、明治天皇は断固これを撥ねつける。語気の鋭さからいって、天皇は激怒しているのだ。
首相も大臣も、「もうやめた、やめた」とばかり職を投げ出してしまえばそれで済むのか!?
たとえどういう窮地に追い込まれようと、辞めることができないのが天皇たるものの宿命である。
天皇の命に従いたくなければ任を拝命しなかったり、職を辞したりと、政府の高官は天皇の手足となって動いてはいない。
そこに、天皇たるものの悲哀と苦悩の影が射している。
大久保利通や西郷隆盛を頼りにする一方で、どうしても好きになれない重臣もいた。無責任にすぐにグズをいう自己中心的な政治家たち。
それにじっとたえて、さしたる権力も行使せず、45年間に渡って天皇の地位にあったのだ。
明治45(1912)年7月30日、満60年にて崩御。
漱石や鴎外があれほど衝撃をうけ、乃木希典という将軍を殉死にまで思いつめさせた“大帝”睦仁は、じつは皇后ではなく、権典侍(ごんてんじ=側室)中山慶子が生んだ男子であった。
本書は要所をしっかりと押さえた、すぐれた一筆書きである。
昭和天皇がつねに見習おうとしたのが、この祖父明治天皇の皇位に対する姿勢や、挙措や神仏への畏敬の念であった。
わたしにとっては昭和天皇は天皇の中で特別な存在である。とはいえ、昭和天皇をより深く、正確に理解しようとすれば、明治天皇をその横に据えて、比較しなければならない・・・とかんがえている。
そういう意味で、本書は最良の「明治天皇入門書」といえる。
よいタイミングで、よい本に巡り合った。惜しくも今年亡くなられたD・キーンさんに、この場を借りて、厚く御礼を申し述べておこう。
ほんとにありがとうございました、ご冥福をこころよりお祈りいたします。
評価:☆☆☆☆☆
ウィキベディアで、その経歴、著作一覧、受賞歴、栄典等を調べてみると、日本国内はもとより、国際的にも大きな評価を獲得し、数々の栄誉に輝いていることに驚く。
外国人で文化勲章初の受賞者だし、東日本大震災後、日本国籍を取得し、日本に帰化している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3
お亡くなりになったのは、2019年2月24日。
そのときの新聞記事、新聞に掲載された追悼文を、念入りに読んだことをわたしは覚えている。
満で96歳のご高齢であった。
それまで読んだのは「百代の過客」だけであったが、わたしはこの一作で脱帽(^-^)
質量ともにじつに圧倒的な、すごみのある著作であった。
その後、少し関心がうすれてしまい、はてさてつぎは何を読もうかと迷っていた。新潮文庫から「明治天皇」が刊行されているのが、気になっていた。
しかし、全4巻という大分な著作なので、気後れしてしまって、さてどうしよう・・・とため息をついたりしていた。
そして天皇に関する本を物色していたら、古書店で本書「明治天皇を語る」を見つけ、さっそく読むことにした。
キーンさんの講演記録を、新潮新書編集部がまとめ、一部補筆をくわえてあるという。
文学者キーンさんが、なぜ文学者ではなく、よりによって、明治天皇を取り上げたのか?
それは本書で明快に語られている。キーンさんは、明治帝を、はっきり“大帝”として評価しているのだ。
ネットにあるBOOKデータベースではつぎのように紹介されている。
《前線兵士の苦労を想い、率先して質素な生活に甘んじる。ストイックなまでに贅沢を戒めるその一方で、実は大のダイヤモンド好き。はたまた大酒飲みで風呂嫌い―。かつて極東の小国に過ぎなかった日本を、欧米列強に並び立つ近代国家へと導いた偉大なる指導者の実像とは?日本文化研究の第一人者が、大帝の素顔を縦横無尽に語り尽くす。》
医者嫌い、風呂も嫌いで、ほんとうに暑いときしか入らなかったらしい。日露戦争では7ヶ月ものあいだ広島の仮御所で不自由な生活をしのんだかと思うと、大のダイヤモンド好き。矛盾に満ちてはいるが、実在感のある天皇像が浮かび上がってくる。
講演記録をもとにしているせいだろう、スッキリと明快に語られ、説得力がある。
先日読みおえた、西川さんの「天皇の歴史7 明治天皇の大日本帝国 」(講談社学術文庫)が、多くを詰め込みすぎたせいで、やや混乱した印象をあたえるのとはずいぶん違う。執筆者
の力量に差があるのかもしれない。
キーンさんは20世紀初頭、世界には皇帝が何人もいたが、大帝と呼べる人物は、明治天皇ただ一人・・・と、までいう。
明治天皇は権力を行使しなかった。
やろうと思えばできたのにそれをしなかった。キーンさんにいわせると、そこが偉大である一番の理由である。
具体例をあげて比較されているのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世、ロシア皇帝ニコライ二世。彼らは権力に溺れ、恐るべき暴君ぶりを発揮したそうである。
ここでキーンさんが引用している明治天皇のことばを転載してみよう。
《凡そ華族にして朝廷に仕ふるものは、宜しく其の身を犠牲に供し、以て奉公の誠を致すの決心なかるべからず、然るに妄りに職を辞し、以て一身の安逸を謀らんとするが如きは、その志真に悪むに勝(た)へたり、卿幾たび職を辞せんとするも、朕は断じて之(これ)を聴(ゆる)さず。》
当時の侍従長徳大寺実則(さねつね)が辞意を奏請(そうせい)したとき、明治天皇は断固これを撥ねつける。語気の鋭さからいって、天皇は激怒しているのだ。
首相も大臣も、「もうやめた、やめた」とばかり職を投げ出してしまえばそれで済むのか!?
たとえどういう窮地に追い込まれようと、辞めることができないのが天皇たるものの宿命である。
天皇の命に従いたくなければ任を拝命しなかったり、職を辞したりと、政府の高官は天皇の手足となって動いてはいない。
そこに、天皇たるものの悲哀と苦悩の影が射している。
大久保利通や西郷隆盛を頼りにする一方で、どうしても好きになれない重臣もいた。無責任にすぐにグズをいう自己中心的な政治家たち。
それにじっとたえて、さしたる権力も行使せず、45年間に渡って天皇の地位にあったのだ。
明治45(1912)年7月30日、満60年にて崩御。
漱石や鴎外があれほど衝撃をうけ、乃木希典という将軍を殉死にまで思いつめさせた“大帝”睦仁は、じつは皇后ではなく、権典侍(ごんてんじ=側室)中山慶子が生んだ男子であった。
本書は要所をしっかりと押さえた、すぐれた一筆書きである。
昭和天皇がつねに見習おうとしたのが、この祖父明治天皇の皇位に対する姿勢や、挙措や神仏への畏敬の念であった。
わたしにとっては昭和天皇は天皇の中で特別な存在である。とはいえ、昭和天皇をより深く、正確に理解しようとすれば、明治天皇をその横に据えて、比較しなければならない・・・とかんがえている。
そういう意味で、本書は最良の「明治天皇入門書」といえる。
よいタイミングで、よい本に巡り合った。惜しくも今年亡くなられたD・キーンさんに、この場を借りて、厚く御礼を申し述べておこう。
ほんとにありがとうございました、ご冥福をこころよりお祈りいたします。
評価:☆☆☆☆☆