友人二人と東京散策の計画がすすんでいる。
わたしが訪問したいのは、夏目漱石に関連した旧跡。
ところが、三人が三人とも、いきたい所が違うので、日帰りでは、
少々きついスケジュールとなりそう・・・。
漱石の墓地がある雑司ヶ谷霊園と、本郷界隈、三四郎池がわたしの目的地。
そんなわけで、書店に足をはこんだら、司馬さんのこの本が眼についた。
読みはじめたら、おもしろくて、一気に読んでしまった。
このシリーズは10冊ほど持っているが、
最後まで読んだのはこれがはじめて。
読んでいる途中、ほかにも読みたい本があらわれて、そっちに気をとられ、
いつのまにか放置してしまう。そんなことが何回もあった。
司馬さんの長編やエッセイは、独特のリズムを持っている。
短編では切れ味鋭い、すごみのある作品をいくつも書いている。
起承転結のはっきりした、むだのない、短編のお手本にしたいような作品は、
かなりの数にのぼるだろう。
しかし、長いものになると、横道へそれる。話がゆったりして、
そのうち、「コーヒーでも出してくれるのではないか」といったような、
作者のうち解けた雰囲気がただよう。
むろん、博識で、基本資料はきっちりおさえてあるから、
読者は安心して身をまかせ、著者のあとをついていきさえすれば、
おもしろい話が聞けるし、いったことない場所へつれていってくれる。
この本では、「本郷界隈」ということである。
「街道をゆく」は25年間に渡って書き継がれ、多くの愛読者がいる。
加賀前田百万石の上屋敷が、のちに東京大学となり、
明治の俊英がつぎつぎと巣立っていくが、漱石もそのなかのひとり。
司馬さんは正岡子規が好きだと、この本のなかにも書いている。
むろん「坂の上の雲」「ひとびとの跫音」がその代表作。
歴史散歩であり、文学散歩である。知人の案内で、
あっちこっちと訪ねてあるくが、目的地がわからなかったり、
まちがっていたりもする。
いまほどこういった「東京散歩」の趣味が一般化していなかったから、
地図も不備が多かったろうし、案内板や石碑のたぐいも、少なかったろう。
司馬さんの本をきっかけに設置されたものも、かなりあるのではないか?
この本の中心には「三四郎」がある。「三四郎」が書かれたのは1908年、明治41年で、朝日新聞入社の翌年。この日付に意味がある。
この時代には、東京が、すでに「配電盤」になったことが、「三四郎」でわかるというのである。江戸時代の「江戸」と、明治の「東京」の違い。
司馬さんは、この段階でそれを、冷徹に見通している。「文明開化」の先端を切り開き、誘蛾灯のように、野心ある者、秀才といわれる人材、地方では職を得ることができない者たちを集め、どんどんふくれあがって、世界有数のメガロポリスとなっていく東京。
最後の章は、東大校内にある「三四郎池」である。
お茶の水や神田は若いころから遊び場のようなものであったが、
本郷や小石川や西片町へはまったくといっていいくらい、縁がなかった。
これは時空をさかのぼる旅である。ひとつの「場所」に、人々の記憶や歴史上のエピソードが幾重にも重なっていく。「ただの町」が、いつしか走馬燈のように明治の人間を浮かび上がらせてくるくる廻りはじめ、「ただの町」ではなくなっていく。
その中心に、小説家となるまえの、明治の漱石がいる。
読者は、司馬さんにゆったりと身をまかせていればいいのだ。
ウィキペディア「司馬遼太郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
司馬遼太郎「本郷界隈」(街道をゆく37巻)朝日文庫 >☆☆☆☆
わたしが訪問したいのは、夏目漱石に関連した旧跡。
ところが、三人が三人とも、いきたい所が違うので、日帰りでは、
少々きついスケジュールとなりそう・・・。
漱石の墓地がある雑司ヶ谷霊園と、本郷界隈、三四郎池がわたしの目的地。
そんなわけで、書店に足をはこんだら、司馬さんのこの本が眼についた。
読みはじめたら、おもしろくて、一気に読んでしまった。
このシリーズは10冊ほど持っているが、
最後まで読んだのはこれがはじめて。
読んでいる途中、ほかにも読みたい本があらわれて、そっちに気をとられ、
いつのまにか放置してしまう。そんなことが何回もあった。
司馬さんの長編やエッセイは、独特のリズムを持っている。
短編では切れ味鋭い、すごみのある作品をいくつも書いている。
起承転結のはっきりした、むだのない、短編のお手本にしたいような作品は、
かなりの数にのぼるだろう。
しかし、長いものになると、横道へそれる。話がゆったりして、
そのうち、「コーヒーでも出してくれるのではないか」といったような、
作者のうち解けた雰囲気がただよう。
むろん、博識で、基本資料はきっちりおさえてあるから、
読者は安心して身をまかせ、著者のあとをついていきさえすれば、
おもしろい話が聞けるし、いったことない場所へつれていってくれる。
この本では、「本郷界隈」ということである。
「街道をゆく」は25年間に渡って書き継がれ、多くの愛読者がいる。
加賀前田百万石の上屋敷が、のちに東京大学となり、
明治の俊英がつぎつぎと巣立っていくが、漱石もそのなかのひとり。
司馬さんは正岡子規が好きだと、この本のなかにも書いている。
むろん「坂の上の雲」「ひとびとの跫音」がその代表作。
歴史散歩であり、文学散歩である。知人の案内で、
あっちこっちと訪ねてあるくが、目的地がわからなかったり、
まちがっていたりもする。
いまほどこういった「東京散歩」の趣味が一般化していなかったから、
地図も不備が多かったろうし、案内板や石碑のたぐいも、少なかったろう。
司馬さんの本をきっかけに設置されたものも、かなりあるのではないか?
この本の中心には「三四郎」がある。「三四郎」が書かれたのは1908年、明治41年で、朝日新聞入社の翌年。この日付に意味がある。
この時代には、東京が、すでに「配電盤」になったことが、「三四郎」でわかるというのである。江戸時代の「江戸」と、明治の「東京」の違い。
司馬さんは、この段階でそれを、冷徹に見通している。「文明開化」の先端を切り開き、誘蛾灯のように、野心ある者、秀才といわれる人材、地方では職を得ることができない者たちを集め、どんどんふくれあがって、世界有数のメガロポリスとなっていく東京。
最後の章は、東大校内にある「三四郎池」である。
お茶の水や神田は若いころから遊び場のようなものであったが、
本郷や小石川や西片町へはまったくといっていいくらい、縁がなかった。
これは時空をさかのぼる旅である。ひとつの「場所」に、人々の記憶や歴史上のエピソードが幾重にも重なっていく。「ただの町」が、いつしか走馬燈のように明治の人間を浮かび上がらせてくるくる廻りはじめ、「ただの町」ではなくなっていく。
その中心に、小説家となるまえの、明治の漱石がいる。
読者は、司馬さんにゆったりと身をまかせていればいいのだ。
ウィキペディア「司馬遼太郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
司馬遼太郎「本郷界隈」(街道をゆく37巻)朝日文庫 >☆☆☆☆