昨日につづいて、今日もアジサイの径(こみち)を歩いてきた、二時間近く。
かつて「書を捨てよ、町へ出よう」と書いた詩人がいた。
そうだな、書にばかりしがみついていると、どんどん観念的になっていく。
書の世界から、自分を解き放て!
頭の中を真っ白にし、見えないものを捨て、見えるものだけを信じよう。
・・・と思いながら、わたしは写真にこだわってきたような気がする。
だれもが、必ず壁にぶち当たる。一回だけでなく、二回、三回と。
そうして、たとえばmixiからフェイドアウトしていくのだろう。人それぞれの運命とは、そうしたものだろう。「あー、あなたもですか」
自分自身のことばを獲得することのなんとむずかしいことだろう。
自分の「外にあるもの」へのまなざし。
すぐれたお仲間が、マイミクさんが、わたしをインスパイアしてくれる。そのためにmixiをやっているのかもしれない。ことばになったり、ならなかったり。せつなさが、日常からあふれ出す。あふれ出す・・・ことばを超えて。
そのときカメラがあったら、わたしは躊躇なくシャッターを押す。
よき夢と、悪しき夢が、一枚のフォトの彼方でせめぎあう。
・・・せめぎあう。
そうして一冊のアルバムが出来上がる。
愛しさと悲しみが、ときにはバランスをくずし、ときにはバランスをたもって、六月の緑の夜を彩る。一枚のフォト、百枚のフォト。そして、カメラ愛。
写真になるのは、愛するものだけ・・・なんだろう、たぶんね。
かつて「書を捨てよ、町へ出よう」と書いた詩人がいた。
そうだな、書にばかりしがみついていると、どんどん観念的になっていく。
書の世界から、自分を解き放て!
頭の中を真っ白にし、見えないものを捨て、見えるものだけを信じよう。
・・・と思いながら、わたしは写真にこだわってきたような気がする。
だれもが、必ず壁にぶち当たる。一回だけでなく、二回、三回と。
そうして、たとえばmixiからフェイドアウトしていくのだろう。人それぞれの運命とは、そうしたものだろう。「あー、あなたもですか」
自分自身のことばを獲得することのなんとむずかしいことだろう。
自分の「外にあるもの」へのまなざし。
すぐれたお仲間が、マイミクさんが、わたしをインスパイアしてくれる。そのためにmixiをやっているのかもしれない。ことばになったり、ならなかったり。せつなさが、日常からあふれ出す。あふれ出す・・・ことばを超えて。
そのときカメラがあったら、わたしは躊躇なくシャッターを押す。
よき夢と、悪しき夢が、一枚のフォトの彼方でせめぎあう。
・・・せめぎあう。
そうして一冊のアルバムが出来上がる。
愛しさと悲しみが、ときにはバランスをくずし、ときにはバランスをたもって、六月の緑の夜を彩る。一枚のフォト、百枚のフォト。そして、カメラ愛。
写真になるのは、愛するものだけ・・・なんだろう、たぶんね。