二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

原武史「昭和天皇」(岩波新書2008年刊)レビュー

2019年11月16日 | 歴史・民俗・人類学
原武史さんの著作ははじめて読ませていただく。
どうも、たいへん律儀な性格の持ち主であるようだ。文体はいたって地味で、文学の香はまったくといっていいほど、感じられない。半藤一利さんは司馬遼太郎さん、松本清張さんに学んだせいか、緩急自在、読者の感情や情緒に訴えるすべを心得ているので、味付けはずいぶん異なる。
つまらなくはないのだが、ときどきアクビが出てしまうのはわたしだけだろうか?

例によって、BOOKデータベースの紹介文を引用しておこう。
《新嘗祭、神武天皇祭など頻繁に行われる宮中祭祀に熱心に出席、「神」への祈りを重ねた昭和天皇。従来ほとんど直視されなかった聖域での儀礼とその意味に、各種史料によって光を当て、皇族間の確執をも視野に入れつつ、その生涯を描き直す。激動の戦前・戦中から戦後の最晩年まで、天皇は一体なぜ、また何を拝み続けたのか―。》

原さんは宮中祭祀に焦点を合わせ、そこを中心に昭和天皇の“リアル”を追究していく。
1962年生まれ、ご専門は近現代の天皇・皇室・神道の研究。
代表作と目されるのは「大正天皇」で、毎日出版文化賞を受賞なさっている。近・現代の天皇研究では屈指の研究者といわれているようだ。

昭和天皇がポツダム宣言受諾の決断、いわゆる“ご聖断”を下したとき、一番心配したのは、国民の安否や生命財産のことではなく、三種の神器のことであったと、二三の史料をもとに述べている。
また、母たる貞明皇后(皇太后)や高松宮との確執について、多くの紙幅をさき、多角的に論証をおこなっている。むろん昭和天皇も天皇である前に一個の人間なので、外部に向かっておこなわれる見解や感想が周囲の状況の変化によって微妙にゆれる。

宮中祭祀と生物学の研究は、即位後、ほぼ一貫して、この人の人生の通層低音として鳴り響く。そのことに、原さんは幾度となく注意をうながしている。
二・二六事件のとき、そして敗戦のとき、昭和天皇は天皇として、大きな決断をした。
すでにたくさんの先行する論考があるためだろう、そのあたりにふれることは最小限度にとどめてあるが・・・。
「宮中祭祀と生物学の研究」を中心に記述されてあるのが、何といっても本書の一番の特徴である。

第五章「退位か留位か」、第六章「宮中の闇」は非常に興味深い記述がなされている。ここを読むだけでも、価値があるといえそうなくらいに。
退位は戦争責任問題とからんでいるので、うっかり読み過ごせないが、原さんはそれを皇族や宮中の中の人間的・対人的な軋みとして描こうとしているようである。これに関してはわたし自身が天皇の研究(といえるほどのものではないが)をはじめたばかりで、昭和天皇を取り上げた本も、まだ2-3冊しか読めていないため、踏み込んだ検討をくわえるのはさし控えておく。
天皇といえども、公的な顔と、私的な顔をもっておられる。薨去したあと、侍従などの日記が数多く公刊され、そこにしるされた片言隻句から、人間としての息遣いがつたわってくる。本書では、そういった侍従の日記が史料として大活躍している。

第124代天皇裕仁にとって、天皇とは何であったのだろう。
1901年、二十世紀のはじまる年に生まれ、1989年まで長命をまっとうした、稀有な天皇である。しかも、ご存じのように、1945年を境に、真っ二つに分断されているのだ、日本だけでなく、世界も。
わたしは昭和27年生まれなので、ものごころついたとき、天皇といえば、この人であった。
「あっ、そう」という、あのボンクラがいうような相槌は耳の底にいまでも残っている。
しかし、宮中祭祀と生物学の研究は、マスコミもめったに報道しないし、よくは見えない、おぼろげな人物像をむすんで、いまのわたしの興味、好奇心をかき立ててやまない。

個人的な記憶を遡れば、小学校のとき、日の丸をかざして沿道に並ばせられた。
「ワー、ワー!」という歓呼に見送られて、警護のパトカー、白バイを従えた黒塗りのクルマがあっというまに通過する。「あれが天皇陛下だ、見えたか」と引率の教員にいわれても、当時の小学生に天皇の何たるかがわかるわけがない。
むろんいまだって、子どもにとって、天皇は不可解な存在である。成長する過程で、新聞やTV等を通じて、次第しだいに天皇について考えるようになる。
いや、考えざるを得なくなる、日本の歴史に少しでも関心があれば(ノ_σ)

昭和天皇は、わたしから見ると、ほぼ祖父の世代に重なる(正確にいえば、昭和天皇の方が10年ほど若いが)。
つまりそういう時間軸の中から見あげていることになる。また1962年生れの原さんは、わたしより10年若い。
ちなみにわが家には新年の一般参賀に出かけたときのスナップが残っている。
当時東京近郊に暮らしていた叔父が、祖父と幼いわたしをつれて、皇居へ出かけたときのモノクロ写真。

むろん、天皇の姿など見えないし、写真にも写っていない。写っているのは押し合いへし合いする歓呼の群衆だけ(=_=) そして、祖父の大きな耳。群衆に押され、カメラを構えるどころではなかったのだ。
そしてそこで何と、わたしは迷子になり、交番で保護された。
そのときの記憶は残念ながらまったくない。両親や祖父や叔父から、あとになって聞かされただけである。

わたしのような底辺にいる庶民から見て、昭和天皇とは何であったか。いや、そもそも“天皇”とは何であるのか!?
Amazonで調べたら、原さんは多くの著作を刊行なさっているが、もう一冊「『昭和天皇実録』を読む」が、手許にスタンバイさせてある。
それにしてもなあ、じつに律儀な人ですよ、原さん。ときおりあくびが出るのは我慢して、近々この一冊も読むことになるだろう。



評価:☆☆☆☆

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